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L'art de croire             竹下節子ブログ

ドミニク・モイジの新刊

で、「エモーションの地政学」から15年、ウクライナ戦争やパレスチナ戦争が続く今、ドミニク・モイジが新たに出したのが「エモーションの勝利ーー恐れと怒りと希望がぶつかり合う地政学」。


前作でモイジは、オクシデントは恐れとレジリエンス、アラブ・イスラムのオリエント世界は屈辱と怒り、インドやイランを含む中国や発展するアジアはルサンチマンと希望、と情動を色分けした。アジアの中で日本だけが「西洋」のように恐れを抱いているけれど、レジリエンスのやり方は「西洋」をうかがっているばかりだ。

新作の紹介文

「ウクライナ戦争とガザ戦争の間で我々は情動に支配される世界で生きている。ナショナリズムとポピュリズムが高まり、グローバリゼーションがそれを招いたと言われるようになり、気候変動の加速やAIの革命的発展を前にして、恐怖や怒りが 搔き立てられ、希望の居場所は少なくなるばかりだ。

米中の勢力争いというベースの上で、ルサンチマンと希望の混ざったグローバル・サウスと、屈辱と怒りの混ざった中東やアフリカと、恐怖とレジリエンスの間で揺れる西洋との間に、情動の新しい秩序が生まれようとしている。」


ドミニク・モイジは有名な地政学者で、多くのルーツを持っている。 父はアウシュビッツに収監されたし、母は1930年にユダヤ今日からカトリックに改宗している。妻はアメリカ人で、ルーツはイタリア系ユダヤ人だ。


英米でのポストも歴任し、複眼的視野を持っている。


彼の言っていることで、日本人として特に気に留めたいのは、同じ「西洋」に属するヨーロッパとアメリカの関係だ。

第二次世界大戦以降、そして冷戦以降のヨーロッパとアメリカの関係は日本とアメリカの関係に似ている。


つまり、ヨーロッパも日本も、アメリカとの関係を最高の「生命保険」とみなしてきた。

アメリカがもう20世紀のアメリカではないことを自覚しなくてはならない。幻想を捨て、以前とは全く違うアメリカと共にどう生きていくかを準備しなくてはならない。つまり、責任ある自立した国としてどうふるまうかを準備しなくてはならない。もう時間がない。2024年のトランプは、2016年のような現実主義、プラグマティックな男ではない。2020年の再選を奪った者たちに「報復」するという感情に先導されている。

たとえトランプが大統領にならなくても、バイデンが圧勝するということは考えられないアメリカの分断は進むばかりだ。


明治維新以降、実質的に「西洋」側に立ってきた日本も、ヨーロッパのように、「アメリカ抜きの西洋」を真剣に考えないと生き延びていけないということだ。 いろいろと身につまされる。







# by mariastella | 2024-03-19 00:05 |

ドミニク・モイジ「エモーションの地政学」のその後 

ドミニク・モイジが、今や古典となった先駆的なこの本の後で、最近の情勢について新たなアプローチの新刊を出した。。



「エモーションの地政学」だが、いつもながら、エモーションってどう訳すのがいいのか分からない。

「感情」だと静的な感じで、エモーションはモーションだから何かを突き上げるもの、反応や行動の契機となるものだ。で、「情動」というのが近いと思うけれど、あまり使われる言葉ではない。「感動」も近いはずだが、日本語の「感動」は、ポジティヴな意味合いがある。「感激」にもつながるけれど、満足や喜びをともなう言葉だ。「感動」したり「感激」したりで怒りや恨みは生まれない。「情動」には両方向ある。


試しにgoogl traductionでテストしてみたら、日本語の感情も情感も情動もみなエモーションと訳され、感動はImpressionnéと出てきた。フランス語の sentiment はカタカナで「フィーリング」と出る。

sentimental はやはりカタカナで「センチメンタル」と出る。


なんだかよく分からない。そういえば昔は「おセンチね」などという表現があった。

「感傷的」という意味だ。なるほど、「感傷的」という言葉もあった。これはいつも「的」がつく。感傷したなどとは言わない。


今の若者言葉には「エモい」というのがある。なんだか「キモイ」に似ていて否定的に聞こえるのだけれど「心の素敵な揺れ」なんだそうだ。

Wikiで調べると、なんといろいろな解釈があって、なんだか「深ーい」言葉のようでもある。


で、あらためて、ドミニク・モイジの15年前のベストセラーの訳が日本にあるかと調べたら、あった。


早川書房「感情」の地政学


だって。


つまり「感情」と訳されて、カッコつき。

本の紹介にはこうある。


>>>17
世紀の魔女狩りから9.11テロ事件にいたるまで、建国以来「恐れの文化」にとらわれてきたアメリカ。
EU
発足後も足並み揃わず、移民などの「他者」に怯え、「恐れの文化」をアメリカと共有しつつも対立するヨーロッパ。
西洋世界への歴史的屈従がもたらす、「屈辱の文化」にゆれるアラブ・イスラム世界。
そして、中国とインドの急激な経済成長に牽引される、「希望の文化」で覆われたアジア――。

3
つの「感情の文化」の衝突は、これからの世界をどう形作るのか? 「希望の文化」に満ちたアジア世界で、唯一「恐れの文化」に属する日本がとるべき道とは? 2025年の世界情勢を支配するのは「恐れ」か、それとも「希望」か?

「感情で動く世界」の全貌を描き出し、国際政治分析に新たなパラダイムを示した話題の書、待望の邦訳<<<


言葉の問題ばかりになったので、本の内容は次回に。




# by mariastella | 2024-03-18 00:05 | 時事

パリ五輪の公式ポスターに描かれなかったもの

先日、パリ五輪の公式ポスターが八日「宇されて物議を醸している。

マスコットが子供にも描けるシンプルな者なのに対して、ポスターの方は緻密なデッサンになっているのだが、マスコットと違って、フランス革命やら三色旗のような含意はまったくない。パリの町全体をアミューズメントパークに見立てたもので、これではフランスでやる意味がない、という人たちがいる。

特に注目されたのが、アンヴァリッド(廃兵院)のドーム屋根から十字架が消えていることだ。左がポスターの中のデッサンで、右が実物の写真。
パリ五輪の公式ポスターに描かれなかったもの_c0175451_02455812.jpeg
確かに、一般のフランス人でも、アンヴァリッドは軍事博物館、戦争記念館、そしてナポレオンの棺があるところ、という認識しかない人が大半かもしれない。

でも、アンヴァリッドは、れっきとしたカトリックのカテドラルなのだ。
カテドラルとは司教座のある聖堂のことだ。パリならパリ大司教区の司教座聖堂がノートルダム大聖堂で、「カテドラル」となる。東京にも大聖堂があって、ちゃんと大司教の座る椅子がおいてある。

では、どうしてパリにもう一つのカテドラルがあるのかというと、アンヴァリッドには、軍隊の司教区の司教聖坐がある。軍隊には軍隊付きの司祭が必ずいるけれど、当然、一ヶ所に留まっているわけではないから、地域で定義することができない。そういうタイプの共同体には元締めとなるカテドラルが別にあるわけだ。
しかも、このカテドラルは、廃兵院としてルイ14世が建立したもので、カトリック教会でなく「国家」が主導して造ったカテドラルなのだ。(ガリア教会主義で、フランス王はまさにフランス・カトリックの教皇扱いだった」今も81人の戦傷者がケアされている。

ポスターだけではなく、アヤ・ナカムラの歌うテーマソングや、柔道などスポーツの動きを取り入れた公式ダンスの振り付けまで、何かと揶揄されているのも、自虐趣味のフランス人らしいといえばその通りだ。

4年前の「Tokyo 2020」でもアートポスター展などがあったようだけれど、翌年無観客で開催されたとはいえ、今はすべてむなしい気がするのは私だけなのだろうか。




# by mariastella | 2024-03-17 00:05 | 時事

真生会館の講座のお知らせと新刊のお知らせ

お知らせふたつです。

まず、4/21の講座です。
去年と同じく信濃町の真生会館です。誰でも参加できます。

真生会館の講座のお知らせと新刊のお知らせ_c0175451_20384738.jpeg

次に、やはり4月刊行の創元社からの新刊です。


21日には出ていると思うので持っていきます。

目には見えない世界、五感でキャッチできない世界、AIにも検索されない世界、そういう世界がどんどん侵食されています。
音楽も、デジタル処理されたりプログラミングされたりしているものは、「ノイズ」のない世界です。

生の音楽演奏や踊りや語りの実践や鑑賞を通して受け取る無限のノイズこそは、より大きな「全体」を生きることを教えてくれるものです。
「祈り」や「瞑想」を通してそのディメンションに到達する人もいますが、それをコーチングしてビジネスにする人もまた出てきます。
オカルト、エゾテリスムの伝統は、あらゆる正統宗教と魔術や負の情動との尾根をずっとたどってきました。
2020年に人々を孤立させたコロナ禍は、オカルトに、宗教を介さない「救い」の脇道のひとつを開きました。

2020年から数年にわたるコロナ禍「対策」によって、民主主義国か全体主義国かを問わず、あらゆるタイプの「政府」が、人々を恐怖で統治し、情報を操作し、人々の識別知を封印できることが明らかになりました。
今こそ、全ての人が自由に真実の探求に向かうことが可能な新しい時代を目指すべきではないかという思いを語ったのがこの本です。


(サイトに新しい掲示板を開いていますから、読まれた方はどうぞ感想をお寄せください。自由コメントの場所です。「Sekkoの本」にも3冊をアップしています。
サイトからのリンクが切れていた「たかが、肩」ブログへのリンクも復活しました。)







# by mariastella | 2024-03-16 00:05 | お知らせ

国際女性デーとフランス憲法の「中絶」の権利

3/8は「国際女性デー」だった。

その少し前に、フランスの憲法に「妊娠中絶」の自由は女性の絶対の権利だという分が書き加えられたことがメディアを騒がせていた。
全ての人間の命、生存権を守るという人権宣言と反しているとか、そもそも「命を絶つ」ことを憲法に入れるのはいかがなものかと、保守からヴァティカンまで反対したり嘆いたりしていた。フランスは1975年までは妊娠中絶が合法化されていず、イギリスに行くとか、「闇」のルートを使うとかのように「遅れていた」国だけれど、今回憲法にまで明記したのは画期的だとして、自賛する声もある。

もっとも、すでに合法化されているのだからわざわざ憲法に書かなくても、と言われるが、アメリカの場合を見ても、政権交代などによっていつ、その法律が抹消されるか分からない、憲法に書き込むことで盤石にするのだと、フェミニスト・ロビーが叫んでいた。

私はずっと、この「権利の主張」に違和感を持っていた。

アングロサクソン型フェミニズムの犠牲者主義は、そもそも女性がすでに被支配者であり犠牲者であり、不当に低評価されているというのが「前提」にある。その「不正」を正すための戦い、というスタンスがほとんどだ。これは、例えばアメリカにおける黒人差別の場合、確かに、その出発点から、明らかに奴隷貿易による非搾取階級、人権を剝奪されてきた歴史というのがあるから、「戦い」は当然だと思うけれど、女性の場合は少しニュアンスが違う。生理的な理由で肉体パフォーマンス(スポーツ競技など)に劣るとかいうのは、差別ではないし、子供を産み、育てることにおける特権的なものもある。
妊娠中絶の自由を「絶対の権利」などと主張するのは悲しい。

もし憲法に書くなら、「妊娠中絶が女性の絶対の権利」などではなく、いっそ、「妊娠出産に関わることで困難な状況にあるすべての女性を支援し守るのは社会全体に課せられる『絶対の義務』である」とすればいいのにと思う。
女性であることで困難な状況にある人をその状況から救うために、それが妊娠中絶であれ、匿名出産と養子縁組であれ、国や共同体による養育であれ、妊娠出産育児への全面的な援助であれ、「困難な状況にある女性をあらゆる方法で支援し守るのは人間の「義務」だと言えばいい。

中絶するために妊娠する女性などこの世にいるわけではない。どんな中絶もリスクがあるし、トラウマにもなるし、中絶を余儀なくされた妊娠そのものもトラウマになる。そのトラウマを可能な限り社会が癒すことを宣言すればいい。

「自由だ、絶対の権利だ」なんて憲法に書く時点で、「お好きなように」という無責任さと偽善が透けて見えると思うのは私だけなのだろうか。

以前に別ブログで書いた記事を貼っておく。





# by mariastella | 2024-03-15 00:15 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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