フランスで17年ぶりに社会党の大統領が選出された。
31年前にミッテランが初めて当選した時にバスティーユ広場はひどい雷雨におそわれて、「神が怒っている」と言い出した知り合いがいて驚いたのを今でも覚えている。 興味深いのは人民戦線のマリーヌ・ル・ペンが、反サルコジを貫いて白紙投票したことで、極右人民戦線の票を取り込もうとして移民排斥などの政策をコピーしてきたサルコジって、いったい・・・というところだ。 人民戦線の「躍進」のせいで、フランスでは極右が台頭しているんですか、とか右傾化してるんですか、というような質問を時々されるのだが、今回ル・ペンにシンパシーを感じた人と、極左メランションにシンパシーを感じた人との間には、ほとんど差のない層がいる。 過去にブッシュに尻尾を振っていたサルコジが、アメリカの不況を見てあっさりとメルケルに乗り換えるのを見て苛立った層といえるかもしれない。 実際、メルケルとサルコジが並ぶのを嫌ってオランドに投票したという人民戦線の支持者も少なくなかった。 サルコジは社会党をこきおろすために盛んにスペインを貶めたことでも際立っていた。社会党政権が7年続くと経済が破綻する、というのだ。これに傷ついたスペイン人は少なくない。 それに、極右が台頭したというより、父の後を継いだマリーヌが、少なくとも公的な場所では前よりも共和国主義やその要である政教分離を強調しているので、新しい世代からは、「新保守」くらいの軽い気持ちで支持されている部分もある。 父親の時代にあったカトリック保守主義というイメージも、マリーヌ自身が二度の離婚(最初の結婚で三人の子がいる)を経て、今の相手とは事実婚という保守カトリックのイメージでは考えられない自由奔放な生き方をしていて、年齢的にも他の候補に比べて圧倒的に若い43歳という新鮮さもあった。 彼女の長女はJehanneといって、ジャンヌ・ダルクにちなんでいるし、マリーヌという名も、本名のMarion Anne Perrineよりも聖母マリアや父親のジャン=マリーを連想させる(上の姉はル・ペンの長女らしくMarie-Carolineという)。 もっとも父親も、1987年に68歳で離婚していて1991年に72歳で、ギリシャ、フランス、オランダの血をひく四歳年下の離婚経験者と再婚しているから、さすがにフランスというか、カトリックでも離婚再婚は保守政治家の足かせとはならない 。社会党のミッテランはさすがに前の世代だから隠し子は長い間隠し子のままだったが、今度のオランドは4人の子をもうけた事実婚のロワイヤルとの関係を解消してジャーナリスト(Valérie Trierweiler :2度の離婚経験者で3人の子の母)とまた事実婚の関係にある。 5年前のロワイヤルの大統領選挙戦の時にはすでにこのジャーナリストと暮らしていたが公表していなかった。 彼女のおかげでシェイプ・アップしてイメージ・チェンジに成功したといわれている。 政治家と結婚する女性ジャーナリストは珍しくないのだが、夫が閣僚入りなどすると、報道の中立性を考えて職を去る人もいる。この人は結婚していないから大丈夫なんだろうか。3人の子を育て上げるために税金を使う気はない、経済的に自立していたい、と言っているのを、Paris Match 誌で読んだことがある。 オランドもシラクも選挙区が同じコレーズで、二人が政治的には対立する陣営にいながら、コレーズの人が、前はシラクに、今度はオランドにと、政見よりも地元性を大切にしてはしゃいでいるのも郷土色を強く残すフランスの特色かもしれない。シラクもオランドもワインが好きだから、と地元の人がうれしそうに言っていた。ワインを飲まないサルコジへのあてつけなのだろう。 今朝のラジオでは、新大統領の誕生のニュースを伝える新聞を買う人たちは、サルコジに投票した人でさえ口元がほころんでいた、と言っていた。 平和な政権交代は民主主義がよく機能している証拠で、不況の世に心機一転の気分をもたらすらしい。 実際、80%を超える投票率で、若者の姿も多く、彼らが感涙にむせんで広場に集まって歌ったり踊ったりする姿を見ていると、毎年のようにいつの間にか首相が変わっている日本などとは国柄が変わってくるだろうと思う。 フランスはいまだに「大きな物語」を共有できる国であるらしい。 けれども、この種の興奮はサッカーの勝敗などにも見られるもので、巨大な金が動く政治やスポーツに蔓延する幻想や偽善を思うと、実のところ、かなり絶望的な気分になってしまう。 国立劇場に南北の「通し狂言 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」を観にいき、その数日後、
宝塚歌劇でミュージカル『華やかなりし日々』を観る。 共通点は、悪の華、というところか。 南北ものでは、仁左衛門が、大名の悪と平民のワルを両方演じ分けるのが楽しい。 とにかく、何十人も切って捨てられて、子供も殺されたりするので、非常に陰惨で観たくないような場面の連続なのだけれど、それでも、悪役が主役で、悪ければ悪いほどさらに魅力的に見えるという倒錯的な話だ。 大詰めの閻魔堂の場が絵的には好み。 宝塚の方は、さすがに、悪のヒーローは、詐欺師で、貧しさからのし上がったという設定であり、極悪人ではなく、最後も殺されずにすむ。 大空祐飛のさよなら公演。この人、声がいいな。 悪がテーマなのにからりとしていて、ぜんぜん「濃くない」お話だ。宝塚はやはり「いい人が試練に会う」話の方が「濃い」という気がする。 宝塚マジックはいつも通り機能していて、 「宝塚さえあればこの世に男は要らないなあ」 と、観客がみな感じているのがひしひし伝わってくる。 日本でいろんなところに行ったので、忘れそうなので、後でまとめるために覚書。
建築的に面白いと思ったので、乃木坂の国立新美術館と水戸の芸術館に行った。 国立新美術館は、素材や形、外側と内側のマルチ空間の明るい構成、どれをとっても魅力的。黒川紀章最後の作品。ミュージアムショップも素敵なものがいっぱい。 15世紀フランドル絵画の博士論文執筆中のスタッフに大エルミタージュ美術館展を案内してもらった。 バロック・トリオのHと一緒だったので、18世紀ニコラ・ランクレの有名な踊るカマルゴ嬢を見つけて、二人でなめるようにゆっくり楽しめた。 日本に来た最初の週にHと彼の彼氏であるスコットランド人のLと一緒に二見浦に止まって伊勢神宮にお参りしてきた。Lは浮世絵の収集をしていて、最初の1枚が夫婦岩だったので、どうしても見たかったそうだ。思ったより小さくて意外だったようだ。私は去年津波の映像を見すぎて、もう海辺の宿に泊まるのはいやだと思っていたのだが、彼らのおかげで、半世紀ぶりに二見浦に泊まった。 20世紀のマティスの前で皆であれこれ話していたら、フランス語でマティスのについての論文を書いたという女性がいろいろ解説してくれた。「少女とチューリップ」は癒し、快復がテーマと言うのだが、私は少女のまなざしに、もう絶対に「回復」はできない失われた何かを見て気になった。それは、病によって失われたと彼女自身が思い込んだ彼女の幻想の「若い日々」かもしれない。 その後彼らと根津美術館に行く。春の陽光の下でのここの庭は初めてだ。 水戸の芸術館は写真ですごく気に入ったのだが、行ってみたら、前の広場に屋台みたいなショップがいっぱい出ていて、仮設舞台でにぎやかな演奏があって町内祭りのようなノリだったので、少しがっかりした。 現代美術ギャラリーでのゲルダ・シュタイナーとヨルク・レンツリンガーによるインスタレーション「力が生まれるところ」は私好みで楽しかった。横たわって鑑賞する「リンパ系」というインスタレーションが楽しいが、なんだか、やはり、こうしているときに地震が起きたら・・という一抹の不安が。水戸納豆も震災の後一時出荷停止になったと初めて聞いた。 付属のフレンチレストランはおいしかった。 ショップで、ここが出しているWalkという雑誌の2001年6月号の特集「『ダンスはすんだ』のか?』を買って読んだ。日本の現代舞踊協会についても言及されている。 今日の夕方は、「ティアラこうとう」に舞踊作家協会の公演を観にいく。70年代にかぶりつきで鑑賞したアキコ・カンダは、昨年亡くなった。今日は、彼女と同じ歳のヨネヤマママコさんも追悼のマイムをなさる。 93年にベルギーで企画して演じてもらった十牛の最後のシーンだ。彼女には、2003年に私たちトリオが公演したとき、プライヴェートコンサートで競演してミオンを踊ってもらった。もう一度一緒に演ってみたい。 芸術館の後、偕楽園にも40年ぶりで行った。地方都市って、流しのタクシーがほとんどなく、芸術館から歩いた。 被災して閉まっていた好文亭が修復されて今年再開したそうでちょうどよかった。昔行ったのは梅の頃だが、今はつつじが咲き始めていた。 サイトの著書紹介をまだ更新していないので、最近出たちくま新書の自己紹介記事をここに転載しておきます。
もうひとつ、旧サイトがなかなか消えない事情があって、今でも、私の名で検索すると最初に出てくるらしく旧サイトを登録している方が少なくないことが分かったので、ここに改めて新サイトのアドレスを書いておきます。マウスを動かすと猫が出てくるやつです。 http://setukotakeshita.com/ よろしくお願いします。 では、以下に新刊紹介。 現代世界の底流にあるキリスト教思想を読む 『ちくま』2012・5月号より チュニジアやエジプトを発端に「アラブの春」と呼ばれるイスラム世界の民主化運動が始まってから、一年以上が経過した。しかし「民主的」選挙で選ばれた多数党は過去の独裁政権下で弾圧されていたイスラミスト政党で、これからはイスラムを基本理念にすると言い、それではイスラム革命をしたイランと同じではないか、と危惧する声もある。 ところが、民主主義下の政党が宗教理念を掲げること自体は、世界では別に珍しいことではない。日本のように、軍国主義の基盤となった国家神道から、敗戦によって、天皇が「神」から一転して「人」になり、無神論的な過激な政教分離の「民主主義」になった国のほうが特殊だ。国王を殺したフランス革命でさえ、ナポレオンの時代にはカトリック教会と和親条約を結んだし、神の国の建設を目指して植民者が開拓したアメリカのような国では大統領が盛んに「神」を口にしてはばからない。ドイツのメルケル首相は「キリスト教民主同盟」の党首だし、イギリスのエリザベス女王は英国国教会の首長である。 でも、誰もそれらの欧米諸国を「民主主義」でないとは言わない。彼らは、彼らの民主主義や人権思想を生んだ「西洋近代思想」の背後にキリスト教の神がいることを口にしなくても自覚しているからだ。だから、今のチュニジアのようにイスラムを軸にしようという新民主主義国家を、宗教色だけで批判することはできない。西洋は不寛容な戦いを何世紀も繰り返してきてようやく彼らの宗教から抽出した普遍的な価値(自由、平等、友愛)を政治理念に掲げた。それは多様化する世界でのサバイバルと共存の知恵として世界中で広く認められつつある。 といっても、政教分離のさじ加減というのはどこの「民主主義国」でも独自の文化や歴史やメンタリティに応じて、かなり違っている。イスラム国でもアラブ系ではないトルコやインドネシアなどでは、けっこうフォークロリックな政教分離が見られる。中には、形ばかりの「勘違い」もある。 また、近代世界を牽引した本家のキリスト教圏欧米でも、一六世紀の宗教革命や一八世紀の市民革命の時点においてどんな教会が政治的にどのような勢力を持っていたかによって、その後の政教分離の建前と実際や、民主主義の落とし所は微妙に違ってくる。とこが「欧米」の内輪同士では、それらの差異を混同することなく、自分たちがどういう政教分離のどういう民主主義で、相手のそれはどういうものなのかを互いによく心得ている。同じローマ・カトリックの根っこから分かれてあれほど激しく殺し合いを続けて血を流してきて、やっと棲み分けの智恵をつけた文化圏なのだから、当然なのかもしれない。 彼らが狡猾なのは、それだけ異質なくせに、非キリスト教世界や非欧米世界に向けては、まるで申し合わせたように同じ口調で「民主主義」や「自由平等」などを唱えるところだ。これでは、「圏外」の人にはなかなか実態を見抜けないし、「使い分け」のリテラシーも身につかない。特に、たとえばアングロ・サクソンの情報源に頼っていれば、無神論系やラテン系の民主主義のニュアンスをつかむことは難しいし、「欧米」内談合の機微をうかがうのも楽ではない。 もちろん、民主主義の理念などに興味を示すふりをする必要もないほど人口的にも経済的にも軍事的にも勢いがあって上り坂にある大国であれば、機微も必要なく、リアルポリティクス一辺倒で押していけるのだろう。でも、日本のように、「欧米」先進国と同じように疲弊して低成長なのに、欧米の「老獪民主主義」パワーの仲間になれるパスワードを持っていなければ、国際社会の中で「空気を読めないヒト」とみなされてしまう。欧米民主主義を解読するキイとは、普遍主義の戦略上、彼らが敢えて口にしないキリスト教のルーツである。『キリスト教の真実』が、日本が国際社会をサバイバルするヒントになることを願っている。
先月末、日本文化会館で團伊玖磨のオペラ『夕鶴』を観に行った。昨年も予約していたのに大震災の影響で中止になったもので、今年どうしても行っておかないと震災が終わらない気分だった。
オーケストラの代わりにピアノと打楽器だけだったが、まず圧倒的な懐かしさだった。 確か中学校の音楽の教材か何かで、全編を聴き、歌詞もプリントされたのだ。 私は子供たちの合唱の文句も、ヒロインつうの登場シーンのレシタティフも全て覚えていた。どういうわけか、悪役二人のせりふはあまり覚えていないのに、つうのレシタティフは歌うこともできて、フランス人に日本のオペラについて聞かれたときには必ず歌うことにしていた。 実際、日本のオペラというのを聴いたのはそのときが初めてで(最後でもある)、強烈な印象を受けていた。登場人物によって変わるテーマのメロディも覚えている。こういうテーマを認識させるものは、『ピーターと狼』も有名でそれも学校で習ったが、私にとっては夕鶴が原型となっている。 木下順二の原作の戯曲の方は、高校の文化祭で一度観ただけで、その時もイメージはオペラと重なっていた。 で、今回初めて舞台を見て、まず、もとの戯曲の台本をそのまま使うことという条件だったことの意味がよくわかった。歌手の高い演技力が要求されるし、メッセージ性も大きい。 そして、当然ながら、レシタティフの優越である。 これが何を意味するかというと、フランスのバロック・オペラとの共通性だ。 リュリーが、オペラ歌手に「美声の俳優」を求めたのと一致する。 フランス・オペラは、「歌いだした演劇」だからだ。 だから、音楽がはじめにありき、のアリアや、名人芸や、楽器としての声のパフォーマンスは優先しない。 すなわち、わたしにとって、夕鶴は、子供の頃の懐かしい日本オペラの洗礼と、今浸りきっているフランス・バロック・オペラの二つを同時に想起させて圧倒的な懐かしさだったのだ。 もともと邦楽の歌における「語り」性と、バロック音楽が同じ地平にあることはわかっていたし書いてもきたが、最初の洋風の日本オペラが、木下順二の要求のおかげでごく自然に「語り物」になったことは興味深い。 で、さらに興味深かったのは、この「日本オペラ」に、イタリア・オペラのようなものを期待してきた人たちがいて、退屈で途中で退席した人とか、メインになるアリアがない、などコメントする人がいたことだ。 こんな人たちは、ラモーのオペラを聴いても同じことをいうかもしれないなあ、ブフォン論争で、ルソーの側に立つんだろうなあ、と思った。 ポスターはここで見られます。 http://makotokuraishi.blog.fc2.com/ PS:今日本にいます。4月25日夕方、四ツ谷のイグナチオ教会ヨセフホールでトークをします。興味のある方はどうぞ。 3月28日、B16がハバナの革命広場で行なった野外ミサの様子がニュースで流された。
その後で、フィデル・カストロと30分の会見も実現した。 前教皇(JP2)はクリスマスの祝日化を実現させたが、B16は復活祭の聖金曜日の祝日化を提案したそうだ。キリストの生まれた日と死んだ日ということだから説得力があると思ったのかもしれない。復活の日はどうせ日曜日なので祝日にする意味があまりない(フランスでは続く月曜が振り替え休日になっている。聖金曜日は祭日ではない)。多分無理かも。 B16は、共産党政府と反体制派の仲介をオルテガ枢機卿に任せるという姿勢を強化しただけで、JP2のように積極的に解放を唱えてくれるかと期待していた反体制派は失望したようだ。反体制派との会見も断られ、聖堂の占拠も排除された。 1998年、JP2が歴史的なキューバ入りをした時は、はじめは警戒されていたのだが、1月25日、革命広場でJP2が、「ネオリベ資本主義」、「市場の盲目的力」、「拡大する貧困層の上で極度に富む少数派」を強く弾劾し、「不公正を蒙っているすべての人々を心と言葉で励まします」と朗々と宣言したので、万雷の拍手が沸き起こった(そういえば、ソ連末期にバチカンを訪れたゴルバチョフも、それまではローマ法王は「西側の手先」だと思っていたのに、「アメリカ・モデルを採用してはいけないと」JP2が激しく批判したのですごく驚いたと述べていたっけ)。 ようやく拍手がやんだとき、「私は拍手に反対じゃないですよ、拍手の間は少し休めますからね」とユーモアを見せて、最前列にいたカストロの顔がほころんだ。 この時に驚いたのはキューバ人だけではなく、JP2を追いかけていたヨーロッパ系のジャーナリストたちもそうだった。JP2はパーキンソン病のためになめらかに話すことがすでに困難になっていたからだ。信仰には小さな奇跡が時々あるのかも。 実際に日曜にミサに行くカトリック信者は現在キューバ人の10%だ。しかし、カトリックとのつながりは、最後の共産国のひとつであるキューバにとって、世界に開かれた窓であり自由世界への橋でもある。 B16はJP2のようなユーモアもないし、カリスマ性もないかもしれない。しかし、アメリカ主導の不当な経済封鎖を今回もきっちりと非難した。ブッシュ批判をして反米政策を取るベネズエラのチャベス大統領もヴァティカンで教皇と会見している。二人の教皇の時代の文脈も違うし、聖霊によるインスピレーションも違うのだろうが、この人たちが果たすシンボリックな役割は小さくない。 野外ミサの行なわれた革命広場は、チェ・ゲバラとカミーロ・シエンフエゴスの2人の巨大な壁面肖像モニュメントが圧倒的なインパクトを与えていて、キューバが「無神論国家」として出発した歴史的な場所である。 宗教行為を解禁したのは1992年なのでちょうど20年、前教皇が訪れてクリスマスが祝日になってから14年になる。 集まった人々は、革命とキリスト教は共存できる、と嬉しそうにインタビューに答えていた。 チェ・ゲバラとローマ教皇が並ぶのは違和感がないそうだ。 ゲバラはアイルランド人とスペイン人の貴族の両親のもとにアルゼンチンで生まれているから、カトリック文化圏の人であることは間違いないのだが。 最近のインタビューで、ロスアンジェルスに住んでいるJulie Delpy(フランスの女優で監督)が、チェ・ゲバラのプリントTシャツを着ているパリス・ヒルトンと出くわして 「世界の終わりだ」 とショックを受けた、と語っていたのを、なんとなく思い出してしまった。 3月23日から28日までローマ教皇ベネディクト一六世(以下B16)がメキシコとキューバを訪れる。
メキシコは麻薬密売組織のナルコスと警察とが癒着や戦いを繰り返していて内戦状態に近いくらいに治安が物騒なのだが、司教が「神の停戦」を提案して、ナルコもそれを受け入れて、教皇のいる間は騒ぎを起こさないと約束したんだそうだ。 日本で天皇が地方を訪れる時は、暴力団の抗争のある地域なら警察の取締強化がなされそうだが、「おとなしくしましょう」という呼びかけや受け入れがあるのだろうか。ましてや他の国の首長とか宗教の長が来る時は・・ 中世、近代を通じて少しずつキリスト教主導で停戦協定や戦時国際条約を作ってきたキリスト教文化が基本にあるところは、ある意味で分かりやすくてうらやましい。 キューバの訪問は、カトリックにとってさらにシンボリックな意味を持つ。 キューバは1959年の革命から1992年まで、公式に「無神論国家(国家のドグマは科学的無神論)」だった。教会やミッションスクールは閉鎖され、外国人宣教師は追放され、クリスマスを祝うことも禁止された(1998年に解禁)。 プロテスタントのバチスト教会だけが政府と協調路線に入って生き残り、勢力を広げた(8000人から10万人)。家庭内ではカトリック的民衆宗教が存続していた。 カトリック教会は、革命前のバチスタ独裁政権と癒着しアメリカのCIAとも関係があるとされて徹底的に弾圧されたのだ。 現在のオルテガ枢機卿も、60年代には軍の「再教育」収容所に隔離された。カストロの出身校であるイエズス会の学校は士官学校に変わった。 はっきりと風向き変わったのは、ヨハネ=パウロ二世が1998年にフィデル・カストロと会見した時以来である。カトリックは、アメリカのカトリック・ロビーを通じて、経済封鎖の解除に働きかけ、亡命してマイアミに住むキューバ人との和解を進め、キューバと自由世界を結ぶ架け橋として重要な役割を果たす。ヴァティカン太子はキューバにいるし、キューバ大使もヴァティカンに常駐している。キューバ政府に囚われている政治犯の解放にも助力した。 今回も、B16にその交渉をしてもらおうとして、慈悲の聖母の聖堂にを占拠したグループがいるくらいだ。 もっとも教皇が何かをする時はすべて水面下なので、表向きの示威行動は逆効果である。 ともかく、キューバのそのような「カトリック還り」を象徴するのが「Virgen de la Caridad del Cobre 銅の慈悲のおとめ」と呼ばれる奇跡の聖母子像の巡行である。 担がれて練り歩く黄色のマントを着た小ぶりの聖母子像は、わりと地味な透明ケースに入れられて、普通のお人形みたいだ。 一六一二年、遭難しかけた三人の漁師「うち2人がインディオ)の前で、波間に現れて救ってくれたという「銅の慈悲のおとめ」像は、アフリカ由来の民間宗教Santeríaの愛の女神Ochunと習合して、キューバの守護聖人としとなり、もともと人気があった。 2010年8月からキューバ中を巡行して人々を熱狂させた。 プロテスタントのバチスト派は聖人や聖母崇敬を認めていないので、女神と習合した聖母好きの民衆の宗教感の高揚をうまく誘導できない。 カトリックの独擅場である。 B16は、その聖像出現の400周年記念に訪れる。 昨年の8月30日にその「大聖年」がスタートした時ににも、B16は夏の別荘であるカステル・ガンドルフォからキューバ国民に熱いメッセージを送った。 フィデル・カストロと語ったヨハネ=パウロ二世は社会主義陣営の鉄のカーテンを落とした立役者だった。 B16はラウル・カストロと会見する。 もしも、Líder Máximo とも呼ばれる老雄フィデル・カストロがB16に会うなら、シンボリックな意味はますます強まるだろう。 今年のフランスは記録的な寒さだった。
原発によるエネルギーの自給(実はニジェールなどのウラン鉱山のネオ帝国主義的搾取を前提としているのだが)を掲げているフランス政府は電気暖房を推奨しているため、この冬は電気が足らなかった。 寒さのピークの2月2日から17日の間には、ドイツを主として、イタリア、ベルギー、イギリス、スペインとほぼすべての隣国から電気を輸入した。 http://clients.rte-france.com/lang/fr/visiteurs/vie/tableau_de_bord.jsp これは原発九基に相当するらしい。 今でも夏場は電力が余っていて他国に輸出もしている。 けれども、フランスは寒い冬には自力で電力をまかなえない国なのだ。 今は一般家庭の暖房の30%が電気だが、新建築は70%がオール電化を進めている。 電気のエアコンで夏の冷房をまかなっていてあわてる日本と変わらないなあ。 (スイスの原発とフクシマの原発を比べたブログ記事 http://eikojuku.seesaa.net/article/256938335.html#comment が興味深かったので、そこに思わずコメントしたので、それをここにもアップした記事です)
ニーチェって猫嫌いだったんだろうか。
『ツァラツストラはかく語りき』の中でも、月を、屋根の上をしのび歩くオス猫にたとえて「いとわしい」といっている。 極め付きは、猫を「愛する能力のないもの」としてそんなものに喉を鳴らしてもらうことはくだらないと戒めていることだ。 これについて、こんな解説がなされることがある。 人からの評価を気にするな、あなた以外の他人のほとんどすべては自分のことしか考えていない。ほんの一部があなたのことを好きか嫌いかであるが、あなたを嫌う人のうちの半分は、理由があってあなたを嫌っているのではなく、すべての人を嫌っているのだ。だから、みんなから好かれようとするのは不可能でばかげたことだ。 それは本当だと思うのだけれど、そして、猫が喉を鳴らすのは確かに猫自身の自己満足の表現かもしれないけれども、そうやって満足を音にしてくれる信頼ぶりに、私たちは愛を感じるのであって、猫によって人間同士とは違うまた別の愛し方や愛され方を学ぶのだ。 ニーチェが猫をひざに乗せてめでていたら別の人生を送っていたかもしれないなあ、と、ふと思う。 それとも、私が知らないだけでニーチェには愛猫がいたのだとしたら・・・ ますます不可解でかわいそうになってくる。 なんだか予定調和的なロシアの選挙が迫っているが、モスクワ総主教のキリル一世が、ついこの前は反プーチン派を擁護していたので、ひょっとして風向きが変わるかなと思っていたのに、急にデモを牽制し始めた。 プーチンはスターリンの死ぬ一年前、ロシア正教が禁止されていた時代に、信仰深い母親の願いで、サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)において隠れて洗礼を授けられたと言われている。 実際に教会に行く人は5%ほどだが、人口の70%が正教徒だと自称するロシアでは、このプーチンと教会の「親密さ」が政治的に有利なのは確かだ。 キリル一世が何より恐れているのは、反プーチン派の示威行動がいつかまた「革命」に発展しないかということであって、力の衝突よりも対話を願うというのはよく分かるし、プーチンが大統領に返り咲いた時に彼に対する影響力を温存しておいた方がいいと判断したのかもしれない。 けれども、シリアの問題もあるし、いっそ、プーチン、反プーチンに並ぶ第三の勢力として持ちこたえてもよかったのにと思う。 シリア=イラン=ロシア路線と、サウジアラビア=欧米路線の対立は、なんだか冷戦時代よりもたちが悪そうでおそろしい。 しかも、民主化がどうとかいうならば、サウジアラビアなど「欧米」民主主義基準からまったく外れていることは、イランと変わらないわけで、これはもう、文明の衝突とか民主主義と非民主主義の対立とかいうレベルではないのは明らかだ。現に冷戦時代も、非民主的独裁国家でも親米でさえあれば「自由主義陣営」だと見なされていたのだから。 欧米基準で独裁と言うなら、たとえばイギリス連邦加盟国でイスラム教を国境とするブルネイだって、総選挙もなく、立法も行政も国王とその家族が独占しているのだから、立派な独裁国家、非民主主義国だ。でも、この国も、サウジアラビアと同じく、石油やら天然ガスやらの資源が豊富で、王が国民を丸抱えする「幸せな国」だ。税金もないし、医療も教育も無料だし、物資も豊かでインタネットの検閲もない。 それなら・・・OKなのか。 私が11年前にサウジアラビアについての本を書いた時、その時はまだ9・11以前だったので、招待してくれたフランス人から、「王家の批判とイスラムの批判は書かないこと」と釘を刺されていた。 それは守ったが、イスラム原理主義的なリヤドの女性の表向きの「自由のなさ」と、内側の物質的贅沢の差にくらくらしたことを書いた。 するとあるフェミニズムの論文の中で、それを一部引用して、まるで私が、彼女らを羨ましがっているかのように書かれていたことがある。 もちろん、人々が物質的に不自由なく快適な暮らしをしている国の方が、飢饉で子供たちまで餓死する国よりはずっといいけれど、そういう問題ではなく、そのような格差や悲惨な状況を生み出しているこの世界の地政学的な構造そのものが変わらない限り、本当の意味で「幸せな国」などあり得ない。 ロシアと言えば、確か、平均寿命が異常に短い国で、特に男性は今世紀に入っても60歳を切ることがあった。 プーチン、今年60歳。いかにも頑健そうだ。 キリル層司教、65歳。長い髭は白い。 2人とも現役感満々だ。 きっと、健康格差が大きい国なんだろう。 (そういえば、女性が車の運転を禁止されているサウジアラビアで、2011年5月、わざわざ自分が運転しているとこを撮影してウェブの動画に流したマナル・アル・シャリフという女性がいる。彼女は数日禁固されたが、その画像はソーシャル・ネットワークを通して瞬く間にひろがり、彼女は女性解放のシンボルとなりつつある。 2009年には初めて女子教育相次官に女性が任命されたし、2015年には選挙権を得ると公約されている。 サウジアラビアは今や、人口の60%が25歳以下というすごい人口構成の国だ。 この国に「アラブの春」がどのような形で来るのか、じっくり見てみたい。) メリル・ストリープがアカデミー賞を受賞した『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観た。(この邦題の「涙」って日本的過ぎる・・・まあ、原題のThe Iron Ladyって、今や日本語に直訳したら鉄道マニアの女性と間違われかねないけれど。) 私がわざわざ観にいったわけは、ちょうどジャンヌ・ダルクにおける英仏関係について書いているので、なんとなく、「イギリス側の雰囲気」に浸りたかったからだ。 案の定、サッチャー女史がやはりアンチ・フランスを口にするシーンがあって、カレー(ドーヴァー海峡を隔ててイギリスと40キロしか離れていない。百年戦争の時もすぐに攻防があった。ロダンの『カレーの市民』で有名だ)の名も出てきた。フランスの映画館なので失笑が起こったのもご愛嬌。 サッチャー女史が失脚したのは1990年だ。その時、彼女は、冷戦終結10周年のセレモニーに出席のために体よくパリへと追い払われていた。パリとロンドンをつなぐユーロスター鉄道が開通したのは1994年だった。その頃はまだ頭脳明晰だったサッチャー女史は、どんな感想をもったのだろう。 しかし、この映画を観て、英仏関係だけではなく今私がジャンヌ・ダルクで扱っている三つのテーマがすべて重なることが分かった。 英仏関係のほかに、ジェンダーの問題と、政治と宗教の問題だ。 以前にサッチャー失脚にまつわるドキュメンタリー番組を見て、イギリスはフランスよりもはるかに力のある女性に対して残酷だなあと思ったことがある。ある意味で、15世紀から変わっていない。 また、フォークランド紛争の時にイギリス軍の最高司令官として強硬な決定を下すシーンとそれを取り囲む男たちの姿も、私には百年戦争での女と戦争のパラドクスを想起させるものだった。 サッチャー女史がアッシジのフランチェスコの平和の祈りを引用したり、ダライラマが自由主義神学者に語った言葉を引用したりするシーンも、宗教のカリスマの政治のカリスマへの流用について考えさせられた。 ギボンによると、ローマ帝国時代にあちこちの神々がローマに輸入されていた時、一般大衆はあらゆる宗教をどれも均しく真であると信じ、哲学者たちは均しくみな虚偽であると説き、政治家たちは、いずれも均しく役に立つと見なしたらしいが、そういう基本的な構図というのは、ひょっとして2千年経っても変わっていないのかと思うと、ちょっと愕然とする。 ちくま新書『キリスト教の真実──西洋近代をもたらした宗教思想』の再校が終った。4月8日頃書店に並ぶそうだ。
こういう本を書くと、私が「フランス・シンパだとかキリスト教シンパだとかカトリック・シンパなのでバイアスがかかっている」と思われがちなので閉口する。けれども、今、一応世界のスタンダードとして認知されている自由・平等の普遍主義が、ヨーロッパにおけるキリスト教の発展の歴史にルーツを持っているのは疑いがない。 これまでは、そうはいっても私自身、欧米帝国主義とキリスト教の連携だの、ヨーロッパ中心主義だの、ずっと前からある「キリスト教国が率先して戦争しているじゃないか」という冷笑や十字軍がどうだなどの言説の前で、もやもやしている部分があった。 もちろんそれらの批判そのものが、宗教と信仰とか宗教組織とか、理想と現実、本音と建前、歴史的、地政学的文脈の混同や、イデオロギー操作のせいで、妥当とはほど遠いのは分かっているのだが、それを整理していちいち反論するのもまた、フランスだのキリスト教へのシンパシーによるバイアスだと思われるのも面倒だった。 厄介なのは、そのようなアンチ・キリスト教言説は、別に非キリスト教国のナショナリズムとは関係なく近代西洋思想の核のひとつをなしているので、非キリスト教国の人も安心してそれにのっかって安易なキリスト教批判をできる土壌があることだ。 今回の新書ではそれを思い切ってある程度整理したのだが、今フランスの大統領選に出馬している左派のジャン=リュック・メランション(Jean-Luc Mélenchon)のインタビュー記事を読んで私の説が間違っていないとあらためて思えた。 欧州議会議員のメランションは社会党のジョスパンが首相時代に閣僚でもあった人で、社会党の左派として認知されていたが、社会党を離脱、今は、有名無実化しているフランス共産党(2007年の大統領選では当時の書記長のマリー・ジョルジュ・ビュッフェが共産党から出馬した候補だったが惨敗していた)と組んで、左派戦線というのを立ち上げて今回の大統領選に出馬した。皮肉なことに、極右の国民戦線の陰画のような部分があって、アンチ・リベラル、アンチ・ユーロ、ポピュリズムなどで、共通していると言われている。 大きな違いのひとつはもちろん反キリスト教、反宗教であり、国民戦線の「古きよきカトリックのフランス」の称揚とは対極にあると思われていたはずだったのだが・・・ なんと、メランションの母は熱心なカトリックで、幼い彼も母と共に日曜ごとに教会に行き、聖歌隊にも属していた。ところが、母が離婚して聖体拝領から退けられた。第二ヴァティカン公会議以前の当時の感覚では、「教会の出入りを禁じられ、コミュニティから追放された」くらいの強い否定である。 まあ、これでは、普通の子供はルサンチマンを持つし、教会嫌いになってもしようがない。 しかし、そのような組織としての教会には敵意を持つものの、「信仰は(跡の残る)火傷のようなもの」であるというメランションは、キリスト教的価値観をずっと持ち続けていた。彼の社会運動は、フランスのカトリックの労働司祭と呼ばれる左派の運動とずっと連動していたらしく、その人脈がすごく大きい。 で、彼は、 もし自分がキリスト教の中で育っていなければ、普遍的な人間性という神話を見るようにはならなかったろう と言い切っているのだ。 ユニヴァーサルなヒューマニティ、それは確かにひとつの神話かもしれない。 強い者が弱い者を支配するとか、優れた者が愚かな者を統治するとか、地縁血縁があったり利害関係を共にする者の利益を優先してよそ者や厄介者は排除していいとか、そういう考えは、古今東西に見られる「現実」で、神話ではない。 そういう圧倒的な現実の中で、なお、すべての人は自由で平等であり、同じ尊厳を有する、ということを前提にすることは、神話的で革命的で、だからこそ、人間の自由意志による選択の無限の可能性を感じさせてくれる。 どんな人でも人生のどこかでは絶対に弱者であるのだから、この「神話」は、そこに向かって現実を変えていく努力をするために価値あるものだと思う。 筋金入りの左派であるメランションの言葉は、キリスト教評価における政治的思惑によるさまざまなバイアスをふり払うぐらいにはっとさせられるものだった。 ちなみに、メランションがフリーメイスンであることは彼の意図に反して知られていて、そのへんの兼ね合いも非常に興味深いが、それはまたべつの機会に。
生徒がこういう動画のリンクを送ってくれた。
http://www.youtube.com/watch?v=toXNVbvFXyk&feature=youtube_gdata_player 自動音楽機械の好きな私のツボにはまる有機的な動きだ。 音楽性というのは、音と音の間、ひとつの音が消える時に次の音がどう満ちてくるかという部分にあると思うので、「音楽性」という意味ではこういう機械にはあまり意味がない。 手回しオルガンなどは手回しの加減でそれを表現することができるのだけれど、その呼吸を調節できないタイプの機械では不可能だ。 でも、この機械の動きは、不思議で、魅力的だ。 倒錯的なところはない。 以前、別の知り合いが、中国の子供たちのギター演奏のビデオのリンクを送ってくれたことがあった。小学校低学年くらいの子供たちが舞台にずらりと並んで、大人サイズのギターをかかえて、一糸乱れることなく完璧な合奏を、統制された身振りをまじえて聴かせるものだった。 この知り合いは、明らかに勘違いをしているのだ。ヴァイオリンの鈴木メソードなどの連想から、もちろん日本と中国の違いも分からないフランス人だから、日本人ってやっぱりすごいよねえというノリで、悪気なくリンクしてきたのだ。 ぞっとする映像だった。 中国の体操競技で、すごく若い少女たちの演技なんかを見てもすごく嫌な感じがするのだけど、あれはまあ、技術の完成度が問題になっているのだから分かるとしても、音楽演奏はアートの領域だから、こんなに非人間的な光景を見せられると胸が悪くなる。 機械がえらくなまなましい人間的な動きをする動画の方は、その対極で、なんとなくわくわくさせられる。 こんな機械を手元においてその動きをながめていたい感じだ。 それとはまったく別に、実際のピアニストの演奏をデジタル録音したものをプログラムして電子ピアノに自動演奏させるものがある。そして、それをベースにして、別の人が、自分の感性によってデジタル上でカスタマイズして、「自分の理想の演奏」というのを創り上げてからピアノに自動演奏させるのを聴いたことがある。 その人はその音をウェブに乗せて、その「演奏」を評価され、ある機関から「ピアニスト」と認定された。自分の指を使って弾くわけではないが、デジタル化してウェブに乗せる限りでは、そのような区別には意味がなくなるのではないかと判断されたそうだ。 私はその人の自宅の音楽室で、彼のピアノが「彼の演奏」をするのを聴いたが、そこにはもちろん「生きた指」の重みや弾力は介在しないのだ。目の前にあるのはデジタル自動演奏ができるグランドピアノだ。キイが勝手に動いている。 中国の子供たちの不自然で非人間的で完璧なパフォーマンスのような倒錯と違って、別の種類の乾いた倒錯がそこにはあった。 ここに紹介した動画の自動楽器では、増殖したような奇妙な複合弦楽器の弦を押さえたりはじいたりする機械の指が超アナログにせわしなく動き回る。ほほえましい。 2月22日にifopの統計で、今の経済危機についての個人の反応を調査した結果があって、
フランス人は79%が危機のさ中にあると答えたのに、 アメリカは2年前と変わらず、52%、 ドイツは 38%、 ロシアも 38%、 中国は 35%、 ということで、 「フランス人ってなんてペシミストなんだ」、と、フランスのメディアが競って自分でつっこみを入れていた。 サルコジが大統領再選を目指してキャンペーンに入り、この5年間の政策の失敗をごまかすために「皆さんも知っているように今は世界的に未曾有の経済危機、未曾有の危機、(ちなみに未曾有はsans précédent」)と繰り返すものだから、その影響もあるのだろうか・・・ 私は今、英仏関係について書いているところなので、イギリスはどうなんだろうと思って調べてみたら対象外だった。日本人としては日本のことも知りたい。 (この結果はこのサイト http://www.la-croix.com/Actualite/S-informer/France/Sondage-Ifop-pour-La-Croix-sur-la-crise-et-le-pessimisme-francais-_NG_-2012-02-22-771264 からダウンロードできる。) すると、今朝のラジオで、もうすぐ 『Le pays où la vie est plus dure』(よそより生き難い国) というフランスのメンタリティ分析本を3月1日に出すPhilippe Manièreがインタビューに答えていた。 フランスという国は、自分で構築したプロジェクトをこつこつやり遂げる努力はいとわないが、よそからのスタンダードには耐えられないのだ、フランス人が満足するためには、経済に関してはレッセ・フェール、これもフランス語 (laisser faire、放任)なんだから、レッセ・フェールして、社会政策だけフランス独自でこだわればいい、 という要旨だった。 なんとなくシンクロしている。 考えてみると、前述のifopの、このような独自調査の対象にイギリスが最初から入っていないということ自体も、フランスの世界観の一部であってなかなか考えさせられる。 郵便ミュージアムmusée de la posteに『魔女-その神話と現実』SORCIÈRES Mythes et réalitésという展覧会を観にいった。
http://www.histoire-pour-tous.fr/tourisme/105-france-paris/3892-expo--sorcieres-mythes-et-realites-musee-de-la-poste.html ジャンヌ・ダルクがイギリス軍から本気で魔女だと恐れられていたことについて、もう一度、キリスト教世界における魔女の位置づけをつかんでおこうと思って、その「雰囲気」に浸ろうと思ったのだ。 展示はもちろんすごくフォークリックなのだが、呪い系黒魔術のエネルギーが半端じゃないのに改めて衝撃を受けた。 太い釘を隙間なく突き立てるような強烈なオブジェは、私がフランスで実物を見たのはたいていマリ、ドゴンなどアフリカ系のもので、それらも十分迫力があって気味が悪かったが、自分の中でそういうものをいつの間にか、アフリカのプリミティヴなパワーと関連づけていたらしい。 とこが、フランスの20世紀半ばまでベリーBerry近郊に生きていた魔女マダムPの作らせた呪術用彫刻などは、ヴラマンクやピカソが見ていたら泣いて喜んだだろうと思えるくらいにすばらしいオブジェばかりだった。プリミティヴな心性やその表出はいわゆる「文明」とは関係がないのだ。 1922年のスウェーデンのサイレント映画の『Heksen』も少し見ることができて、これがしっかり特撮のあるキッチュでシュールな傑作だ。サバトで自分の尻に接吻させる悪魔は監督のBenjamin Christensenが自分で演じているそうだ。箒の乗ってぴゅんぴゅん移動する飛行はETみたいだし、グロテスクなのか剽軽なのか分からないキャラがわんさと出てくる。 まあ、結局、いわゆる魔女狩りなどは16世紀以降の話で、盛んになるのは17世紀、ファンタスムとしていじられるのはそれよりもっと後だ。だから、ジャンヌ・ダルクが火刑になった15世紀前半にはまだ魔女のプロトタイプは確立していなかった。『マクベス』に出てくる魔女のイメージ以上には、彼女らのもたらす恐怖の実態がどういうものだったかは分からない。 フランスの悪魔憑き事件で最も有名なのは17世紀のルーダンLoudunの女子修道院の集団悪魔憑きで、修道女たちではなくてグランディエという神父が火刑になったことで知られている。そのグランディエの火刑の「灰」というのが残っていて、今回展示されていた。灰をすべてセーヌに投げ捨てられたジャンヌ・ダルクのことが思い出されて、これがジャンヌのものだったら確実に聖遺物だよなあと思った。 そんなことを考えながら帰宅したら、長く会っていない知り合いから電話があって、話していたら、ふとしたはずみにその人がマダムPと同じBerryの出身だと分かった。それで、見てきたばかりの魔女展について話したら、なんと、その人の奥さんはLoudunルーダンの出身だと分かった。奥さんの先祖は、グランディエに結婚式を挙げてもらったという記録が残っているそうだ。 私は『バロックの聖女』(工作舎)の中でこのルーダンの事件について紹介したことがある。でもそれ以来、ルーダンともベリーとも縁がないのに、魔女展に行ったその日に、ベリーやルーダン出身の人やグランディエゆかりの人と話すなんて、不思議なシンクロニシティではある。 先日、国立図書館に18世紀の五感文化についての対談の最終テーマ「聴覚」を聴きにいった。
ジャンヌ・ダルクのお告げの「声」の文化的スタンスの変容を知る一環になるかと思ったのだが、全然参考にならなかった。 モーツァルトのオペラに話が集中して、アリアなどをいろいろ聴きながら、コロラトゥーラ・ソプラノのPatricia Petibon がいろいろなエピソードを語る趣向だ。モーツァルトがかなりのフェミニストだったとか、声をマチエールとしてクリエイトしていくやり方とかそれなりにおもしろい話はあった。モーツアルトを上演するときはいつも彼の臨在を実感するというのも興味深い。 流された音源の中にはもちろんパトリシア・プチボンの歌っているものもあり、彼女がとても気さくなので、最後の質問やコメントの時に、せっかくだからここで少しばかり歌ってくれないかと頼む人が出てきた。 その時の彼女の答えはすぐに「ノン」だった。 歌うことはincarner(歌う人物になりきる、変身するということ、憑依するようなシャーマニックなニュアンスもある)することだ、この場で普段着で舞台のテーブルの前に座った状態ではそれができない。それができない限り、歌うことは道化を演ることと同じで、私はサーカスをやるつもりはない、と言うのだ。 それを聞いて、もう20年ほども前になるが、パントマイマーのヨネヤマママコさんがパリ郊外のセーヌの岸辺に館を購入したときのことを思い出した。 首尾よく契約のサインが終わって、お祝いに、私の友人である公証人の自宅で食事をする事になった。 表情豊かなママコさんがパントマイマーだということを知った公証人の奥さんが、 じゃあ、ちょっとここで何か簡単なものをやって見せて、 と所望したのだ。 ママコさんの答えはもちろんノーだった。 奥さんの手料理を食べていたママコさんは恐縮したが、ママコさんがマイムを演るということはやはりincarnerすることであって、かくし芸大会での演し物ではない。 「即興で、少しばかり」やることができないのは、ママコさんにとっても、パトリシア・ブチボンにとっても、準備していないからとかその気になれないからとかの問題ではない。 「ちょっとばかり披露」することなど簡単にできる。 それで周りの人を感心させることも簡単だろう。 けれども、それは、彼女らの全身全霊が伴わない限り、彼女らにとっては空っぽの猿芝居なのである。そして、彼女らには、猿芝居をする気はない。 時を隔てて、2人の姿が、重なって見えた。
先日の夜、マレ地区のダンスセンター(CENTRE DE DANSE DU MARAIS)で、外に開く足のポジションについての実演付きの講演会があった。
http://www.paristango.com/l-en-dehors,-des-indes-a-l-occident-samedi-4-fevrier-20h-n214.html。 クラシック・バレーの五つのポジションに見られる、左右の足先をそれぞれ外側の真横に180度開くやり方の起源と意味を探るというものだ。 インド舞踊の Sharmila Sharma をゲストに、紀元前1800年のプロト・シヴァ神のその浮き彫りなどを手がかりに、外向き足(日本語ではむしろ「外また」に近いが」のルーツを探る。 その後で、ポーランドのバレリーナDaria Dadun-Gordonが男女7人の生徒のレッスンを、バーなしでセンターで実演した。 ものすごく興味があった。 けれども、ここまで面白いテーマをここまで面白いアイディアで掘り下げながら、ここまで、視点がずれているのは驚きでもある。 何しろ、クラシック・バレーの直接の祖先であるバロック・バレーについての文献を誰も読んでいないのだ。ピエール・ラモーが外向きの足についてバランスとの関係で書き残したこともスルーされているし、クラシック・バレー以前は「娯楽の宮廷バレー」と切り捨てられているのだ。 Katharina Kanterの仮説は次のようなものだ。 外向き足は、人類が車輪を発見したのと同じような革命的な発見だ。輪を転がすことで移動を獲得したように、外向きの足によって、人間は体の自由を獲得した。 インドではダンスはスピリチュアルな分野であり、インドの舞踊の型はそのままヴェーダの象徴である。外向き足こそが人を他者に向かわせ、超越者に向かわせる。 ヨーロッパで始めてダンサーの外向き足が彫刻によって現れたのは1480年で、Erasmus Grasser の婚宴で踊る男と、 Veito Stossの踊るダビデ王で、両者とも、不自然なくらい強調して交差させた足と脚を見せるために服の裾をわざわざからげている。インドからシルク・ロードを渡ってイベリア半島まで来ていたモール人のダンサーたちが東欧に移動したからだ。 その外向き足をますます発展させ、表現の限界を追及したのがクラシック・バレーだと言う。 ただし、最近のクラシック・バレーはそのスピリチュアルな意味を忘れてただの静的なポジションとして強制するので、職業病のように体の故障が出てくるようになった。バーにつかまって片足ずつ鍛えるのは、本来の動きから見て不自然だ。最初からセンターで体重を両足に感じながら腰や足や脚を開き、外旋する訓練をしなくてはならない。 とまあ、こういう概要だ。 別の人が、人体の骨格模型を持ってきて、骨盤と脚の付き方を説明し、人間が快適な四足から後足だけで立ち上がった時からすこし外向きのほうが安定がよくなった、と言った。 インド舞踊のダンサーは、インド舞踊では両足先の角度は90度にしかならないし、動きの受容の時にそうなるのであって、準備のためではない、と言ったのだが・・・。 インド由来という仮説の方は、パワーポイントも駆使して詳しく説明されて、論文掲載した小冊子も配られた。 なんというか・・・ インドから、何ですぐに1480年に飛ぶんだろう。 バロック時代に流行したサラバンドでさえメキシコ経由のスペイン由来だという説がある (http://setukotakeshita.com/page7.html#c) のに、シルク・ロードまで持ち出してインド起源とは。 それに、霊長類は四足歩行というより、四本の腕、四つの手で枝をつかんで木の上を移動して生活していたものが主だから、むしろ、後ろの腕と手で直立するようになったと言えるはずだ。 四肢で枝をつかんで体を支えるとすると、股は外向きでひざから先は内向きという姿勢だって考えられる。 日本舞踊の女舞の足運びが内股なのは日本人なら知っている。 体の安定はひたすら腰にある。 外向きの足が人間を解放してスピリチュアルに向かうだとか表現がどうとかいうのも大いに疑問だ。 披露されたインド舞踊でも、視線や腕や手指や上半身の動きが十分に表現力を発揮している。脚や足を見せない日本舞踊だって表現の強度というのは変わらない。 脚を180度開脚して振り上げたり跳んだりするのは、普通の人にはできない「名人芸」に近いが、それがエスカレートしてきたのは、踊りが産業として発展してきたからで、観客から対価を得るためには、「普通」の人には不可能な技を披露する必要があった。そのために、有名なバレエ学校では、解剖学的に、もともと極端な開脚が可能な骨格や筋肉の付き方の子供だけを受け入れるようになったほどだ。 インド舞踊のダンサーは、インド舞踊の学校で毎日朝6時半から夕方6時半まで練習したが、最初の2時間はヨガで、午後は音楽や歌もやる総合的なものだった、自分の先生は74歳でまだ現役だ、体に無理をかけないからだ、と言っていた。この考え方もバロック・バレーに近い。 残念なのは、インド舞踊のデモンストレーションについてきた生徒(若いフランス人女性)が、体もどてっとして動きも切れが悪かったことだ。生徒の絶対数が少ないだろうから無理はない。 それに比べれば、クラシック・バレーの実演をした7人の生徒は、いずれも、ほれぼれするようなきれいな体で、もちろん脚も足も180度らくらく開いて、全身しなやかな若者ばかりだった。 それだけ見ていたら、エキゾチシズムは別として、なんとなくクラシックバレーのほうがインド舞踊よりプロフェッショナルで難易度が高く上等な気がしてくる。 クラシック・バレー界の人たちばかりのバイアスがかかりすぎだ。 ただ、クラシック・バレーを子供の時に8年間やって、バロック・バレーをこの15年ほどやっていて、最近またクラシックをやり直し始めた自分(体は昔から硬いほうで、今はなおさら動きが悪い)の実感がひとつある。 あの、延々と繰り返されるバーでの基礎訓練や、姿勢の細部をああしろこうしろと矯正されることを子供時代に何年もやっていたら、一種のアディクションに陥るということだ。 その証拠に、バロックバレーに夢中で、その良さや、エスプリに共感しまくっているこの私が、何十年ぶりかでクラシックバレーのバーでのレッスンに復帰したら、とたんに、脳から明らかに快感物質が放出されるのを感じた。ぎりぎりの限界まで足を曲げたり伸ばしたりすることで快感スイッチが入るのだ。 だから、寒い日も暑い日も風邪ひいて咳き込む日も必ず踊りに行く。 身体の良好感を追求するバロックとは真逆なことを平気でやっているわけだ。 ある意味で恐ろしいが、今は別に体を痛めるほどの完璧志向はないから、ちょっと変わった健康法程度でちょうどいい落しどころになっているのだろう。 最近、私のピアノの生徒でバレーを熱心にやっている少女が両足首腱鞘炎の診断を下されて泣いていた。痛くてもレッスンをやめたくないのは、すでにアディクションになっているからだ。そうなると「自衛本能」などは狂う。親がその辺を理解していないと、扱いは難しい。 先日、国立図書館での18世紀の五感カルチャーについての対論の4番目、「視覚」にも出席してきた。
Michel Pastoureauの色彩の歴史についてはすでにいろいろ読んでいるのでなじみがある。 一方の「現場の人」は、デザイナーのJean-Charles de Castelbajacで、実は、この人の方が圧倒的に有名なようだった。会場も満員だった。 ディズニーキャラなどを最初にTシャツにプリントしたのはこの人だそうで、アメリカでも日本でも一世を風靡したが、当初、フランスではまったく売れなかったそうだ。私はまったく知らなかった。後でカタカナで検索すると、日本語のサイトもちゃんとあった。 2人の共通点は紋章学で、中世からの紋章の基本6色が現在国際的な交通標識に使われているなど、グローバル化していることが自慢そうだった。カステルバジャックにとっては、ポップなロゴというのはキャラクターに意味があるのではなく、それは、シンボルとしての色の組み合わせで、紋章のヴァリエーションなんだそうだ。 あるときブロンクスで3000人の黒人を前にしたドイツのテクノミュージャックのグループが彼のTシャツを着ていて、それを紋章という記号だと的確に把握していることを知って感激したそうだ。 この2人は「討論」にはならなくて、蘊蓄の傾けあいという感じだった。 それにしても、いわゆる団塊の世代に相当する同世代のこの2人が、対照的な外見を持っているのは印象的だ。学者のパストゥローはでっぷり太ってビール腹の爺さんという感じで、貴族デザイナー(レヴィ・ストロースとも血がつながっているらしい)のカステルバジャックの方は、スマートで若々しく、カリスマ性があって魅力を振りまいている。 先週は、女性同士で、学者の方は女優のような華やかなオーラのある美人、ダンサーの方は、もちろん美しくしなやかな体が分かる個性的な美人だが、2人とも今回の男2人より数歳年上の60代後半だ。こういう場所で舞台上で対談すると、肉体性が生々しくて、「個人差」の大きさを実感する。そういう差は、年をとるほど大きくなるのだろう。 誰かの書いたものを読む時に著者の風貌など特に考えたことがない。でも、五感について、学者と現場の人を対峙させるというこのシリーズの興味深い試みにおいては、この人のこの風貌がこの人の思想や表現にどういう影響を与えたのかと考えてしまう。「五感」というのが自己の身体イメージと切って離せない感じがするからだろうか。 18世紀というのは染料にパステルカラーが広く登場した時代で、特に服飾や装飾におけるピンクの勢いは凄かった。でも、パステルカラーには実は、いつも曖昧でネガティヴなイメージがひそかについてまわっているという話はおもしろい。パステルカラーの認識は「ニュアンスの認識」と同義で、ある種の洗練を連想させるのに、どこかにいかがわしさが伴うのは不思議だ。 純粋ではないという優生思想もあったらしい。たとえば、緑は青と黄色のミックスだから格が下という人もいたそうだ。 19世紀末にアンケート調査というものが登場して以来、ヨーロッパ中で、人々の好きな色のトップはいつも不動の「青」で、緑、赤、白、黒、黄などが細々と続き、嫌いな色はこげ茶、紫、オレンジ、ピンクなどだ、という話も、原色志向の根の深さをうかがわされる。 青は「自然」を想起する色でもあるそうだ。人間にとってもっとも大きな自然のスペースである海の色、空の色だから当然といえば当然だ。 今はどの国でも自然を守るエコロジーを掲げるのは「緑の党」ということになっているが、「青の党」にしたほうが実は訴求力があるんじゃないかと彼らは言っていた。日本語でも「木々が青々として」なんていうのは普通だから、ほんとに、そうかもしれない。 Opéra Comiqueで、 Francesco Cavalliのオペラ『Egisto』を観た。 http://www.opera-comique.com/fr/egisto/egisto.html これまで、Monteverdi以降Vivaldiまでのイタリア・オペラの流れにあまり関心を持っていなかったことにあらためて気づく。 このオペラは知り合いの Benjamin Lazarの演出で、前にVincent Dumestreと組んだ『Cadmus et Hermione』が楽しめたから、ダンスがないことを承知で観にいった。 でも、照明がすべてろうそくで、主に下からの明かりなので、舞台がすごく暗く、神秘的なのを通り越して閉塞感があった。スパイラルな回り舞台も、バロック風に過剰なのか簡素なのか分からない半端な観がある。 日本の演劇も好きなバンジャマンのイメージでは、前作は歌舞伎、今回は能の雰囲気だったのかもしれない。でも、実際は、初めての商業オペラともいえるCavalliの上演は、大衆受けする大胆さを狙ったものだから、歌舞伎風でもよかったのにと思う。 Cavalli はMonteverdiの弟子で、ヴェネツィアに1637年、はじめてできた商業劇場 Teatro San Cassianoで活躍した。そこは700人収容で、Opéra Comiqueは1200人だから、それにあわせてオーケストラの規模も変えたという。17世紀の照明はもちろんろうそくだったろうが、もっとパストラルな明るさを目指していたのではなかろうか。Cavalli が今のテクノロジーを使えたら、もっと派手な演出をしていたと思う。 ヴェネチアは共和国だったので、王の賛美や教会への気兼ねもなく、台本の中の神々はコミカルに描かれている。司祭が女装して歌うキャラまで定着していた。このオペラにも出てくる。 favola drammaticaはその後、ナポリに根付き、ベルカント・オペラが誕生するので、それはやはりイタリア語のディクションと関係がある。リュリーがフランスに来てフランス・オペラを注文されて、フランスの演劇に通いつめて生まれたフランスオペラとの大きな違いがすでに分かる。 1年に6ヶ月も続いたというヴェネチアのカーニヴァルでメセナたちは競い合ってあらゆるアートをプロデュースしたのだから、オペラにバレーがついていないはずはない。 ところが、イタリアでは、オペラに挿入されるバレーは、ダンス教師とダンサーたちが、曲と振り付けをもって出張出演していたらしい。だから、オペラの総譜や台本にはバレーの指示が残っていない。 絶対王政に支えられた専用劇場に専用バレー団を置くようになったフランスとは根本的に違う。 Cavalliの曲にはわずかにダンス曲風の場所があるが、大半は、歌を支える通奏低音だ。けれども、リュ-ト、チェンバロ、バロックギター、テオルブ、ハープなどの弦をはじくタイプの楽器が活躍して独特のソフトで官能的な雰囲気を出していた。 タイトル・ロールのエジストはバリトンのMarc Mauillonで、この人が、もう一人のテノールと同様、姿も美しくて、演技もうまい。大衆に受けたので当時は必ず組み入れられたらしい「狂乱の場」(Folie)での迫力はなかなかのものだった。ヴェネチアの人たちはここで大いに叫んだり拍手したりしたのだろう。 前日に、国立図書館のカサノヴァ展で、18世紀のヴェネチアの雰囲気に浸ったので、そこからさらに100年さかのぼる不思議な感覚だった。18世紀にサドがカストラートへのイタリア人の熱狂を理解できなかったように、 たった1世紀でイタリア・オペラとフランス・オペラは完全に別の方向に進化したのだなあ、とあらためて感慨を覚える。 イタリア風の、産業としては「民主化」して名人芸に走ったオペラと違って、フランスは国の主導で総合芸術としての洗練をひたすら追及した。そのフランス・バロックのもっとも華美なダンス曲を、はじく弦楽器だけで再構成する私たちトリオの活動は、まったく古びないし、新しい意味を持つと思う。 。 今朝は、新たに、Luc Marchandの『 La flatteuse』(おべっか使い)と、Mr de Buryの『Chaconne』を練習した。チェンバロ曲にハーモニーを加えて、そのままオーケストラでも弾けるように編曲しなおして、3つのギターで弾いているので、ミオンのオペラのバレー曲と同じように華麗になる。 リュック・マルシャンの小曲の、旅に誘うような感じはデュフリーのロンドとも似ている。ビュリーの方は、小さな驚きの連続で、両方ともわくわくするフレンチ・エレガンスの華だ。デュフリーのシャコンヌやロワイエのパサカリアとあわせて、シャコンヌとパサカリアの美学について解説する、踊りつきと演奏だけの2つのヴァージョンを並べるコンサートをやってみたい。 最近の世界のニュースを見ていると、不思議なことがたくさんある。
たとえば、シリアで民衆弾圧を続けるアサド大統領の退任を求めるアラブ連合をはじめとする「国際社会」の動きにあくまでも抵抗するロシアの思惑。 ロシアはシリアに武器を輸出する最大の国だとか、地中海で唯一残ったロシア海軍基地(しかも改修したばかり)を置いているとか、人口の7.5%であるシリアの正教徒にロシア正教が影響を持っているとか、もっともらしい解説もされる。 リビアの時に棄権しただけで拒否権を発動しなかった大統領に不満だったプーチンの意思表示だとか、強気を示して国内の不満分子を威嚇しているとかいうのもあるのだう。 日本的な感覚では、ロシアはトルコなどよりはるかに「ヨーロッパ」の仲間のような気がするのだが、シリアに関する報道をフランスで聞いている限り、ロシアの異質性が目立ってくる。 アメリカの大統領予備選の共和党の2人のプロフィールもなんだか驚きだ。 この2人のうちどちらかが大統領になるようなことがあれば、オバマの時よりもある意味で衝撃的だ。 ギングリッチはルター派から、福音派バプテスト、さらにカトリックへと三回も宗旨替えをした男だし、不倫と結婚、離婚を繰り返している。 ロムニ-はモルモン教徒で、これもかなり特殊だ。 これがフランスならどうってことのない経歴だが、あのアメリカでこういうことになるなんて、2人の共通点である「金持ち」というところだけがやはり今は基準なのだろうか・・・
パリの国立図書館BnFでカサノヴァの展示会をやっている。『自由の情熱』というタイトルだ。
カサノヴァは五感を解放し、研ぎ澄ますことに情熱を傾けた。 というわけで、18世紀における五感の文化について、それぞれ、歴史学者とアーティスト(調香師、パティシエ、音楽家、デザイナーなど)が討論するという企画が進行している。 先週土曜がその3回目で、「触覚-踊られる体」というテーマで、歴史家で作家のNoëlle Chateletと、バロック・ダンサーのChristine Bayleが出席した。 http://www.bnf.fr/fr/evenements_et_culture/auditoriums/f.samedi_savoirs_5sens.html?seance=1223906810322 ノエル・シャトレーは予備知識を得るためにクリスティーヌのバロック・バレーの上級クラスを一度だけ見学に来た。私も踊っていたのだが、その時には、彼女が誰で何のためにいるのか知らなかった。 その後で、クリスティーヌが、ノエル・シャトレーが、バロック・バレーをまったく誤解している、どこまで論破できるか分からない、と言っていたので、応援もかねて出席することにした。バレーの仲間の理論家も精神科医も来ていた。 まず、何でそもそも「カサノヴァ」かというと、彼が踊りが大好きで、特にスペインで民衆の踊るファンダンゴを見てからその挑発的なことや官能的なことに夢中になったというからだ。 カサノヴァというとドン・ファンの代名詞の「ヴェネツィアの遊び人」だと思われているが、その有名な『回想記』はフランス語で書かれたもので、立派な「啓蒙の世紀のフランス文学者」のステイタスも持っている人なのだ。 で、18世紀のフランスに生きていたような自由思想家がダンスもたしなんでいたということは、まったく普通なので、脚に静脈瘤がない限りどんな男も踊っていた、といわれるくらい、基本的カルチャーだったのである。 宮廷舞踊は廃れていたが、劇場用のL'Aimable Vainqueurのダンスなどは非常に人気があって、多くの男が踊っていた。 カサノヴァが特に、民衆的で官能的な踊りによって、革命以降の肉体の解放を先取りしていた、などというわけではない。 踊りは常に肉体を意識化する舞台であり、騎士という「戦士」階級にとっては乗馬や剣術と同じ訓練でもあった。 民衆だけではなく、貴族階級にとっても、18世紀はサヴァイヴァルが容易でない厳しい時代だった。宮殿といえどもたいした暖房がなく、太陽王ルイ14世ですら多くの病気に苦しみ、数ある息子も孫もみな失って、やっと曾孫を跡継ぎにできたほどだった。そんな時代に、痛みや苦しみを表に出さずに、優雅に体を使って見せることは、命がけの官能の追求でもあったのだ。 しかし、ノエル・シャトレー女史などに見られるバロック・バレーへの根強い先入観は紋切り型だ。それはざっと次のようなものである。 フランス革命によって、苦しんでいた民衆はようやく解放された。 そのさきがけとなったのはカサノヴァのような規格外の自由思想家だ。 貴族階級は表面的な上品な体裁と華美ばかり競って、肉体の自由を追求したり、触覚を使うという「他者への侵入」をしなかった。バロック・バレーで、カップルがごくたまに手先を触れ合うほかには互いが接触しないことが、その象徴である。 ダンスはコンテンポラリーになればなるほど、肉体をありのままに強調し、男女は触れ合い、エロティシズムも喚起される。華美な衣装は肉体が語るのを妨げる牢獄だ。ディドロも触覚がもっとも深い感覚だといっている。触覚は情念を喚起する。触覚は禁忌や衝動と結びついている。 それに対して、バロック・バレーなどは、衣装の制約もあるし、自然性や官能性を封印して、人工的で不自然な規則でがんじがらめにして、知的な優越感に浸っているだけだ。 とまあ、正確にはそこまでは言わなかったが、ノエル・シャトレーの主張は、貴族階級へのイデオロギー・バイアスのかかったものである。 ついでに彼女は、アンシャン・レジームの男は脚にぴったりしたキュロットで動きが制限されていたのが革命後にパンタロンになって緩やかになった、と言った。 これは、薮蛇だった。ぴったりしたキュロットは乗馬用に特化したもので、18世紀の踊りの衣装も、基本的には狩や戦いの動きをベースにした機能的なものだったからだ。 すべてのアートが何らかの規則を基にして繰りひろげられるのは当然なのに、踊りに関してだけ、肉体性とか動物としての生命力とかを強調することがひたすら禁忌を解いて近代に向かう自由と進歩かのように言われるのは不思議だ。 肉体性の回復とは、むしろ、近代以降において、人工的な快適な環境で暮らす都市住民が肉体性を喪失してしまったことに対する反動だ。 18世紀の暮らしはあらゆる点で重かった。人は肉体性を忘れることなどできなかった。だからこそ、それを昇華して「軽さ」を再構成するのがフランス文化の特徴となったのだ。 そして、その洗練され再構成された軽さが、国境を越えてヨーロッパ中に広まったのは、そこに、その時代における普遍性があったからに他ならない。 今いい訳語が思い浮かばないが、「danse d’excution」と「 danse d’action」は違うのである。 このことは、日本舞踊や仕舞などを伝承してきた日本人の方がむしろよく分かるかもしれない。 和服や帯で動きが制限されているからこそ、どこがどう自由になるのか、動ける部分、動かせる範囲でいかにして官能を演出し、伝えることができるかというのが掘り下げられるからだ。 そういうプロセスにおける「触覚」とは、踊りの相方を手で触れるとか抱くとかの問題ではない。 自分の体のすべての部分がどのように締めつけられたり、限界があったり、重力を受けているか、などの身体感覚であり、塊としての体が空間を切り、床から常に抵抗を受けている「接触」をいかにして全身でキャッチするかということでもある。 バレーの「ステップ」とか「パ」とかは、「歩み」の足の運び方、体重のかけ方、であり、動くのだから、体重を移動していく途中の「過程」のことである。 だから一つ一つの踊りの型ではなく、型と型との間の移動の部分に、すべてがあるのだ。 ダンスとは、体重移動の部分にあるので、それが終わった部分にはない。 それは、ピアノのキイをたたく指の「音楽」がすべて、キイに触れるまでの手指の動きの流れにあるのと同じことだ。たたいた後に出た音の連なりが音楽だと思っているうちは、ピアニストではない。 もちろん、ある指がキイに触れたときの感覚を次の指の動きへとつなげていくわけで、バレーも同じだ。 ある動きに内包されている次の動きを次々と先取りして展開していく一瞬の感覚にすべてがかかっているのである。 それを絶えず確認しながら踊って、相方のその動きをキャッチしながら空間を切り取っていく絵をいっしょに描いていくのは、十分官能的であり、相手の体を触るとか触らないとかいう次元ではまったくないのだ。 私が、今、18世紀のフランスの軽さの文化、すなわちフレンチ・エレガンスの美学を擁護するのは、近代以降の「より強ければ(より速ければ、より高ければ・・・)勝つ」とか「見かけがすべて」のような競争原理や、「名人芸」をマネジメントして売るというアートのシステムに異を唱えたいからである。 フレンチ・エレガンスというのは、日本でいえば「粋」などにも通じるので、なんにしても、動物性だとか生の感情だとか、天才だとか、逆に努力の限りを尽くしているのを見せるとかいうのは、上品ではない、という感覚がある。だからといって中途半端に何かをするのではなくて、実は計算しつくして、最小の動きで最大の効果をあげるように密度を高めるわけである。 それなのに、実際に今見かけるバロック・バレーの再現には、単なるコスプレ的なものや、中途半端なテクニックなどが多いので、誤解を招く。バロック音楽自体も復活した後で、長い間そういう「生ぬるい時代」を経てきた。 事実は、革命前のフランス・バロックの黄金期にこそ、音楽やバレーや詩のそれぞれの「語り」の技術が最高潮に達して競演していたのだ。 ヴァティカンという組織が存続してくれていてよかったなあ、と時々思うことがある。特にトップとなる教皇が例外的人物である時には、世界の危機を救ってくれる。
有名なのはポーランドのソリダノスクを鼓舞して冷戦終結に大きな役割を果たしたヨハネ・パウロ2世だが、 76歳で教皇になって「つなぎ」だと思われていたのに、5年間(1958-63)で第ニヴァティカン公会議をはじめたヨハネ23世もその一人だ。 1962年のキューバ危機で、あわや第3次大戦の勃発かと思われたときに水面下で大いに動いたのがこの人だったらしい(むろん彼だけの功績ではないが)。 時のアメリカ大統領は初めてのカトリック大統領であるアイルランド系のケネディで、彼が教皇にじきじき交渉を頼んだという。 ケネディは選挙運動中、ヴァティカンの決定よりもアメリカ国益を優先するかとプロテスタント陣営から何度も問われた。 実は、ケネディは、ヴァティカンにアメリカを救ってもらったわけだ。 もちろんそのことは、政治的判断で伏せられたままだった。 キューバが伝統的にカトリック国であったことは言わずもがなの話である。幸運が重なった。 フランスにとっても、この教皇が救い主となったことがあるらしい。 1944年、自由フランスのリーダーで敬虔なカトリックだったド・ゴール将軍がヴァティカンを訪れた。親独ヴィシィ政権下のフランス司教をやめさせてほしいというためだった。 しかし、当時のヴァティカンには占領フランスの大使が正式に赴任していたし、フランスにはヴァティカンの大使がいる。当時のピウス12世には直接には何もできなかった。フランス司教の任命はヴァティカン大使の管轄だ。 ともかく、この時、新大使として送り込まれたのがジュゼッペ・ロンカリ、後のヨハネ23世であった。 彼の才覚によって、フランスの司教や司祭たちは差し替えられ、戦後、対独協力などの矢面に立つことを逃れられたという。 ヴァティカンというと各種の陰謀論ではまるで闇の暗殺集団のように扱われていたりするのだが、その外交力や調停力、ネットワークの力、伝統の持つ権威、聖霊トップダウンの素早さ、意外なフットワークの軽さなどで、キリスト教ベースの世界史にポジティヴな役割を果たしてきたことは間違いがないようだ。 Bernard Lecomte『Les derniers secrets du Vatican』 ISBN : 2262034109 Éditeur : Librairie Académique Perrin (2012) 暮れに、Théâtre de Paris に『Le Quatuor』
http://www.theatredeparis.com/index.asp?id=26&idf=34 を観にいった。15年ほど前に見て、かなり気にいった記憶があり、今年は30周年だそうだ。変わったメンバーもある。今はとてもメジャーになった。 昔のイメージでは、弦楽四重奏団のメンバーが、アクロバテッィクなスケッチを繰り広げながらユーモラスに名曲のメドレーを演るというものだった。 今回あらためて、これは「演奏家がお笑芸をやっている」のではなくて「お笑い芸人が楽器を演奏している」のだとはっきり分かった。 グループの名が「四重奏団」で、ヴァイオリニスト2人とヴィオリスト1人、チェリスト1人が、蝶ネクタイにタキシードという「クラシックの演奏家」の恰好をしているから、なんとなく、演奏家がクラシック音楽をみんなで楽しめるように工夫しておもしろい演出をしているような錯覚を起こす。もちろんそれが狙いなんだろう。 私はヴィオラ奏者の端くれで、四重奏もするから、どうしても演奏家のバイアスがかかって、楽器をあんなに乱暴に扱って大丈夫だろうかとか、弓の毛が切れてぶら下がっているのが気になったり、心から笑えない部分もあるのだ。 でも、結局、ヨーロッパにおける「クラウンclown(=道化、ピエロ)」の歴史というのは、楽器演奏と切っても切り離せなかった。 Arteでクラウンの歴史のドキュメンタリー映画を見たので、いつの時代でもヴァイオリンが大事な小道具だったことがよく分かる。 チャップリンの演奏シーンがあって、左手に弓を持っているのだが、本当だろうか。フィルムが左右逆になっているのか、それとも、それもギャグのうちなのだろうか。 弦楽器は左右対称に見えるが裏側の補強の木は高音側と低音側で違っているので、弦を逆に張り替えれば左利き用になるというほど単純ではない。左利き用に作られた楽器はもちろんあるのだが。 チャップリンの娘でフランスで芸人となったヴィクトリアの息子、ジェイムスのヴァイオリンもうまい。Harpoというクラウンは、見事にハープを弾きこなした。24種もの楽器を弾きこなすクラウンもいた。 クラウンは、楽器ができて、軽業ができて、マイムができて、楽器が弾けて、歌ったり踊ったりもできて、それら全部の技能が、「観客を笑わせる」ために駆使される。 もっとも、それだけに、近代のクラウン、つまり、宮廷の道化ではなくサーカスのスターの先駆者で、ミュージックホールで客を笑わせたヴィクトリア時代のLittle Tichの映像を見るのは複雑だ。 (http://www.youtube.com/watch?v=DpoGy_WIcCYなど。) 身長120㎝で片手に指が6本ずつ。頭にシルクハット、脚に短いスキーのような長い靴をつけて、コミカルな動きをする。チャップリンはこの人のスタイルを採用して、その芸を模倣した。 リトル・ティッチはパリで興業中に、妻にフランス芸人と逃げられた。全財産を持ち逃げされた。その後も没落して、金を稼ぐために60歳を過ぎても、同じネタで演じたが、舞台の事故が元で死んだ。 コメディアンは、考えたら、悲しい話が多い。あのバスター・キートンの有名な「無表情」だって、自らの「笑いを封印した」ものだと言われると、悲痛な感じがする。ヒトラーに気にいられたGrockの運命や、ソ連から逃げたかったPovovの運命も、「お笑い」の人たちだけに余計つらい。 いわゆる「ボケ」と「突っ込み」の2人組の原型は、赤い鼻をつけて騒々しい「オーギュスト」と賢しげな「白いクラウン」であり、オーギュストというのは、エジプトに攻め入ったローマ皇帝アウグスティヌスを揶揄したもので、「白いクラウン」とはエジプト王なのだと由来を聞けば、それもまた笑いの中のルサンチマンの根の深さに愕然とさせられる。 チャップリンなどの「哀愁」の表現も、ルサンチマンが昇華したものなのかもしれない。 クラウンたちの演奏や動きや歌のレベルはすごく高い。 優れた演奏者がクラウンになれるわけではない。 クラウンが、優れた演奏者になれるのだ。 (Le quatuorの演奏例 http://www.youtube.com/watch?v=yl-VNu1rnV0) 前記事の「真実は人を自由にする」について、カトリックの見方を質問してきた方がいたので、もう少し敷衍しておく。
前教皇のヨハネ=パウロ二世の教勅に『Veritatis Splendor(真理の輝き) 1993/8/6』というのがあって、そこ(64)には「良心の自由は真理を無視した自由ではなく、真理の中にだけいつもある」とある。 この「良心」というのは、「善悪を見分けるために備わっている知識」から「自意識」まで使われるconscientiaから来た言葉だが、日本語だと「良」心に限定される感じで分かりにくい。 ここでは、「真理が自由にする」ということを別の角度から見て、世にはびこる「自由」至上主義が「好き勝手なことをしてもよい」方向にいかないように、むしろ「真の自由」とは何か、と問いかけているのだ。 これも、日本語の「自由」という言葉は「自らに由る」という「自分が基準」の感じがあるから、分かりにくい。 「なにものにもとらわれない状態」というのは、自他の利害の対立や権利義務の拮抗などを超えた、集合的な命全体の流れの中でのみ成就されるという意味なのだろう。 その底には、人にはそういう「真理」を感知する能力があって、それを行使すれば、「自由に」人生を「善」の方に向けることができるという確信があるわけだ。 この「真理」は、表面的ないろいろな対立や視点の相違を超越したものだから、ある家庭の事情で今、家族関係が実はどうなっているかというような「現実」とは関係がない。むしろ理念に近い。実際、近代理念というものは、欧米キリスト教国が(神の)「真理」から「神」を削除または希釈したものだと言える。 「事実は真実の敵(かたき)なり」 というのはドン・キホーテの有名なセリフだ。 「事実が真実をつつみ隠すこともある」 この場合、事実を事象と言い換えた方が分かりやすいかもしれない。 私たちが感知する事象は、事実の「相」であって、本質ではない、というように。 「一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」 なかなか含蓄のある言葉だ。 といっても、ドン・キホーテにとっての「あるべき姿」は騎士道世界の「幻想」なのだから、「戦い」は「風車に突進する」ような馬鹿げたものとなる。 ドン・キホーテは自分の「幻想」世界の「捕らわれ人」となっているのだから、それを信じて「自分勝手に」振る舞っても、それが「真の自由」の行使とは言えない。 ドン・キホーテを「正気」に戻そうと、司祭や学士があれこれ策を練る。 17世紀初頭、宗教戦争がまだおさまらないヨーロッパはキリスト教にとっての危機の時代なのに、スペインでは、レコンキスタ以来のカトリックがさまざまな宗教的公正にのっとった「真理」をしっかり掌握していた。 人々にとっては、その真理を吟味するよりも、新大陸に進出する欲望やエネルギーの方が優先する時代だったのかもしれない。 何が、誰にとって、「真理」なのか「幻想」なのか、見分けることは難しいし、見分けることを要請しないような社会も時代も状況も存在する。 それでも、「現実」や「真実」との「折り合い」のつけどころというのは、その時々にあるわけで、それをうまくインスパイアしてくれるのは、宗教の聖典よりも、ある種の文学作品だったりするのかもしれない。
ロバート・パーカーのスペンサー・シリーズの『晩秋』は名作と言われる『初秋』でスペンサーが救った15歳の少年ポールが10年の時を隔てて、行方不明の母を見つけるためにスペンサーの助けを求める話だ。
ポールはスペンサーや精神科医のおかげで、「自立」や「自律」の道を歩み、最後の母離れ(母が自立していないで、見かけばかりの男にばかり依存している現実を受容する)をこの作品で果たすことになっている。 敵対するギャングの方の父子関係にも「息子の自立」をめぐる判断の誤りや親の煩悩による悲劇が展開する。 この作品ではスペンサー自身がどのような育ち方をして「大人の男」になったのかというような話も出てくるのだが、なんといっても、この話のクライマックスは、ラストに近いこのやりとりだ。 母親を直視してその現実を知ったことは進歩だと評価するスペンサーに対して、ポールは、 「真実が人を解放する」 と、怒りを含んだ口調で言う。するとスペンサーが 「必ずしもそうとは限らない。しかし、《偽り》は絶対に解放しない」 と答える。その後、ポールはスペンサーの方を一分間ほど見て、さらにビールを飲んでから、にっこり笑い、 「モルトはミルトンより役に立つ」 「人に対する神のやり方を正当化するのに」 と言って、大人になる通過儀礼を終了したことが分かるのだ。 私はもちろんここの部分に反応した。それについて書こうとして、はじめて文庫本のカバー(自分でつけていたもの)を外したら、元のカバーの表紙絵の下に、その部分が英語で書いてあった。 “The truth will set you free, ” Paul said. His voice was angry. “Not necessarily,”I said. “But pretend sure as hell doesn’t do it.” ここが表紙カバーで引用されているのは誰の選択なんだろう。 Amazonの英語版の表紙には見えない。 で、この部分だが、言わずと知れた福音書の超有名部分で、イエスの語った言葉だ。 私の好きな言葉でもある。 「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書31-32) ここの「真理はあなたたちを自由にする」が有名なので、ポールは、 「母の真実の姿を直視するのはつらいけれど、それによってぼくは母親のくびきから本当に解放されて自由になれるんだよね」 と自分に言い聞かせているわけである。 ところがスペンサーは 「必ずしもそうとは限らない。しかし、《偽り》は絶対に解放しない」 と、言ってやる。 聖書の解釈学や神学の中でも、「人を自由にするのは真理だけとは限らない」などという言説もあるし、何よりも、この福音書の場合の「真理」とは「神の言葉」の中の真理なのだから、たとえば、「偶像化していた母親の真実の姿を見てしまった」というような「真実」なのではない。 スペンサーは、まず、普通に使われているような紋切り型の「生活の知恵」としての聖書の言葉を「必ずしもそうとは限らない」、と相対化してポールを軽く驚かせたのだ。 その後に続けて 「しかし、《偽り》は絶対に解放しない」と「父のお告げ」を下す。 この「偽り」とは、pretend sure as hell で、「はっきりしないことを絶対確実だと言いきる」という感じだから、確かに福音書のイエスが蛇蝎のごとく嫌った唯一の悪徳である「偽善」にも通じる。 ここでスペンサーが言いたかったのは、 「真実を知ったからと言ってそれが君を自動的に解放するわけじゃない、けれども、真実から目をそむけて、思い込みにとらわれていては、君は決して自由になれないんだ」 ということで、つまり、 「君が真に自立するかどうかはこれからの君にかかっているんだ。でも、ひとまず、不都合な真実を直視したことで、第一歩は踏み出せたんだよ」 と言いかえられる。 ポールは、すぐにはその意味を解せずに、スペンサーを1分間ほど見た。 さらにビールを飲んでから、にっこり笑い、 「モルトはミルトンより役に立つ」 「人に対する神のやり方を正当化するのに」 と言ったのだ。 ここでは「モルト」maltと「ミルトン」Miltonの音の遊びもあるのだが、ミルトンは『失楽園』の詩人で、スペンサーやポールの生きるキリスト教文化圏においては、人間が神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べたことで楽園を追われたというイメージを定着させた。 「善悪の知識の実」というのは「真理」を探究したいとか「真実」を直視したいという人間の欲望のようでもあり、それをそそのかしたのが悪魔で、「pretend sure as hell」のように、所詮、人間が浅知恵で「真実」だと確信することなど、「地獄」からの誘惑のレベルなのかもしれない。「真実」は常に「神のみ旨」にしかないのだから、何が真実だとか、自分が真に自由かどうかなど、本当には分からないのだ。 無言でスペンサーを見つめた1分間で、ポールの脳裡にはこういうことがいろいろ浮かんだのだろう。自分でその場で考えなくても、キリスト教文化圏では何度も繰り返されるようなことである。それでも、その本当の意味を人生のしかるべき時に咀嚼できるかどうかは、それこそ、「神のみぞ、知る」である。 ポールは母離れという試練に際して、まず、紋切り型の「真理は人を自由にする」で自分を慰めようとした。しかしそれでは、これからのポールのさらなる試練を乗り切れないと見たスペンサーが、より深い神学的な人間性の洞察を口にしたわけだ。 で、ポールが最終的にキャッチしたのは、「この試練に何が何でもポジティヴな意味づけをするのはひとまずやめよう」、というメッセージだった。 彼は、自分の誠意が母親に伝わらなかったこと、母親が下らない男を選んだことに対して怒り、しかも、自分の母離れ、「自立」の名目でそれを受容しなくてはならないことを不当で不条理だと思っている。そのような「神のやり方」はとても受け入れられないのだ。 しかし、その「神のやり方」を敢えて受け入れるのには、いくつかの方法がある。神のやり方を理屈で意味づけて「正当化」することも、一つの方法だろう。 そして、信頼できる人間といっしょにビールを飲んで、「ああ、うまい」と思えることで、とりあえずの充実を感じて前に進むのも、また、別の方法なのだ。 どんな不条理なことが起こっても、誰かがsure as hellで「神のみ旨」だと言い張ることで他の人々を悲惨な境遇に閉じ込めるという歴史は形を変えて、どの国にもどの文化にもあったし、今でもあるだろう。 それに抵抗するためには、「人を自由にしない真実は見せかけの真実である」と唱えることが必要な時もある。 自己正当化へのあくなき欲求や、神の意志を代弁する理由なき自信や、他人の自由を侵蝕することでのみ完全になると思われる自分の自由・・・ それらのどの罠からも解放されて「自由」に生きることは、簡単なことではない。 信頼する人と飲む一杯のビールだとか、愛する女とチェリイ・パイを食べるとか、いうことを聞かない犬と遊んでやるとかなどが、本当の自由への嗅覚を保つ秘訣なのだと、『晩秋』は繰り返し語っているのだ。 原題が『PASTIME』であるのは、それと無関係ではないだろう。 (But pretend sure as hell doesn’t do it.では、「絶対に確か」だというふりをするのが「偽り」なのだが、翻訳では、「しかし、《偽り》は絶対に解放しない」と、「絶対に」は「解放しない」にかかっている。最初の聖書の文が持つ紋切り型の絶対性がぴんとこない日本人向けの翻訳として、後の方に「絶対に解放しない」と持ってきたのは絶妙のさじ加減だと思う。だから、あえてこの部分をカバーに載せているのかなあ、とも想像してしまった。) (追記:カバーの英語引用にタイピングミスがあったので修正しました。指摘してくれたYCATさんありがとう。) ★『ルルドの泉で』12月23日(金)よりシアター・イメージフォーラムにて公開!
http://lourdes-izumi.com/ オーストリアの女流監督ジェシカ・ハウスナーによるオーストリア、フランス、ドイツ合作映画。 主演はシルヴィー・テステューで、「信心が足りない」人がなぜか奇跡の治癒の恵みを受けるとどう反応するかというおもしろい役柄にぴったりのキャストだ。 試写に行った人から、「ルルドがこんなに大規模なお祭りの様相を呈しているところだとは知らなかった」という感想があった。もっとひっそりしたイメージだったのかもしれない。 この映画は全編ルルドでのロケなので、雰囲気はかなりよく分かる。 ルルドをテーマにした映画はいろいろあって、「水浴」とか「洞窟」のシーンがまったくパロディになっているコメディまである。 1987年のジャン=ピエール・モッキー監督の『Le Miraculé(奇跡の治癒者)』が最たるもので、ジャンヌ・モローなどそうそうたる配役なのに日本では公開されていない。本物のルルドが知られていないのにパロディは分からないと思われたのだろう。 私はこの年には、まだルルドに行ったことがなかったので、ユイスマンスやアレクシス・カレルのルルド紀行によって培われたのが私のルルドのイメージだった。 映画のセットがジョークだとは分かっていても、大洞窟風呂のようなセットや、コインを入れて「告解」するシーンなどに驚いた記憶がある。 その後いろいろなドキュメンタリーのビデオを手に入れたので、ルルドの変遷を視覚的にもたどることができた。それでも実際にその地に足を運ぶと、テンションの高さに圧倒された。 後に『奇跡の泉ルルドへ』(NTT出版)という本を書くに至ったのだが、モッキーの映画を見ていなければひょっとしてあれほど熱心にルルドに関心をいだいたかどうかは分からない。 実際にルルドに行って驚かされるのは、病気や障害というタイプの不幸や試練を前にした時の人間の絶望や希望や諦念や怒りなどの重さと、それらを突き抜ける別の次元から吹いてくる風の実感だった。 そこでは生と死や健康や病に対する「外界」での条件付けがラディカルに無化されていて、パーソナルに背負っているものが相対化されてしまう。 私が今興味を持っているのは Nimatullah Youssef Kassab Al-Hardini (1808-1858) というレバノンのマロン派の聖人で、ヨハネ=パウロ二世に列福(1998)列聖(2004)された人物の列聖認定の時に認められた「奇跡の治癒」の話だ。 このことについて詳しく書こうと思っているのだが、日本語では聖人の名が何と表記されているのか検索しても一向に出てこない。 この時の奇跡の治癒を受けた人は、19歳で末期の血液癌だったので、運動障害や痛みなどと違って、それが「治癒」したかどうか、即座には自分でも分からなかった。検査されていくら治ったと言われても、信じられなかったという。 ヴァティカンでの審査はほとんど拷問のように感じるくらいに厳しかったらしい。 この人は今はマロン・カトリックの司祭なのだが、子供を難病で失った母親などの嘆きを前にする時など、どういう言葉を発するべきか大いに悩むという。 どうしてある人は奇跡的に救われ、ある人は救われないのか。 長いスパンで見れば、どちらの人も、「生まれた」ことと、遅かれ早かれ「死ぬ」ことでは共通している。 エントロピーに対抗しながら生と死が繰り返される大きな流れの中にいるのだ。 治癒を求める「祈り」の中にはそういう大きな流れと一瞬接触する契機のようなものがあるらしい。「神秘」との邂逅である。 『ルルドの泉で』では、人間は素晴らしくよく描かれているのに、そういう「神秘」の視点は描かれていなくて、それが残念だ。 今朝(12/19)のラジオで(Europe1)、北朝鮮の金正日の死のニュースを聞いて驚いた。
後継者の金正恩のことを、「日本人の母」の息子とはっきり言ったからだ。 さっそく日本のwikipediaで調べると、母親は1950年、大阪の鶴橋生まれの在日朝鮮人で1961年に家族7人で北朝鮮に渡ったとあった。その父親はプロレスラーで、北朝鮮でも柔道の指導者になったらしい。 正恩の母は舞踏家になり、金正日と結婚して2人の息子を得たが、2004年にフランスで亡くなっている。正日は彼女のことを「あゆみ」と日本名で呼んでいたとか・・・ 正恩はスイスのローザンヌに留学したのでフランス語は堪能、とあった。漢字を勉強しているが日本語の能力は分からない、と。 北朝鮮のことはさすがにフランス語より日本語の情報の方が信頼できるだろうと思う。 それでも気になって夕方の公営放送2chのニュースを見たら、そこでもまた「日本人の母親」と言っていた。その言葉をわざわざ付け加えるというのが、どれほど微妙なことなのかフランス人には分からないのだろう。 フランスのwikiを調べてみると、さすがにそんなことは書いていないで、母はKo Young-Heesという元ダンサーでパリ郊外Villejuifの癌研IGRで乳癌で亡くなったとだけある。 本当にわざわざフランスで治療を受けていたというなら、正恩のフランス語の人脈が関係しているのだろうか。 スイスはローザンヌではなくベルンのインタナショナルスクールGümligenにPak Cholという名で留学し、さらに公立校LiebefeldにPak Unという名で在籍し、英独仏を操るようだ、とあった。 日本語の能力ことは書いていない。 しかし11歳まで日本にいた母親には日本の人脈もあるだろうから、ひょっとして日本語も分かるかもしれない。日本語情報には、母と共に東京ディズニーランドに来たこともあるとか、拉致されてきた日本女性とコンタクトがあったような噂さえ出ていたが、どうなんだろう。 フランスの新聞はどう書いているかと思って『ル・モンド』の電子版を見てみたら、東京にいる特派員がインタビューに答えていた。さすがに「日本人の母」という言葉などは出てこない。 「日本のメディアは控えめなのでありきたりのコメントしかない」と特派員のPhilippe Mesmer氏が答えている。 「スイスで学んだのなら、世界に向けて開けているのではないか?」 と質問されて、 「金正日だって1970年代にマルトに留学して英語を学んでいる。それが政治に影響するとは思えない。」という趣旨のことも言っている。 フランスは北朝鮮と外交関係がないのだが、サルコジに派遣されたジャック・ラング(この組み合わせがまた不自然なのだが)のピョンヤン訪問の後、この9月に「協力事務所」というのが開設されている。すでに北朝鮮で活動しているフランスの複数のNGOと共にフランス文化を広めるというのが目的らしい。 北朝鮮は資源はある国だから、今後、風向きが変わった時のために、窓口を設けておこうという策かもしれない。 実際は、カリタス・コリアをはじめとするカトリック系の福祉団体の活動が最も顕著だ。ピョンヤンにはカトリック教会が三つあり、ちゃんと信者が集まっている。 http://www.youtube.com/watch?v=ozvQ3YI0p6Y そこでは共産党員だという人が、信教の自由は憲法に明記されていると話している。 韓国のカトリック教会や司教団は充実しているし、フィリピンのように植民地として宗主国の影響でキリスト教化した国と違って、昔から宣教者が活躍して迫害されつつも信教の自由を拡大してきた、アジアで最もキリスト教の盛んな国になっている。 フランスのパリ外国宣教会の影響も大きい。北朝鮮にはそういう、キリスト教やカトリックつながりの「フランス語」人脈があるのは間違いない。 在日朝鮮人だった金正恩の母親が日本ではなくて遠くフランスで癌の治療を試みた背景にも、多分そういうものがあるのだろう。 「アラブの春」は若者たちの自由への渇望によって幕を開けた。 金正恩は、まだ20代という若さだ。そんな国際派で、スイスやヨーロッパの空気も味わった人なら、最初は身動きが取れないとしても、何年か後には何かが少しずつ変わってくるという可能性もなきにしにあらずだ。 日本は、植民地問題、拉致問題、など、複雑で難しい問題を抱えているが、何か別の突破口が開けないとは限らない。 これからの若い世代が、憎しみや警戒心や攻撃欲でなく、自由や連帯や平和の希求にうながされて、世界を今よりもよくしてくれればいいのだけれど。 南仏のGrasseで買ったFragonardの香水を一つ持っている。
ネーミングで選んだ。 『BAROQUE』という。 このフラゴナールの家系のオノレ・フラゴナールが、パリ郊外にあるアルフォール獣医学校にある有名なミイラ騎馬像を作った人だとは知らなかった。 Arteのドキュメンタリーで、香水を調合している兄が、花の香りを「生命の香り」だと言って、弟の解剖する動物の死骸は腐敗臭しかない、と言う。すると弟は、それこそ生命の香りかもしれない、と言う。彼は解剖によって動物の生命の神秘に迫っているからだ。 騎馬像も、人と馬の筋肉を比較することと、その「標本」が「死」でfなくて「生命」を表わすための演出だった。 この人は、解剖と生命の仕組みの内部を再構成することに情熱を注いだ。最初はルイ15世下で王立の外科アカデミー、国家資産ともいえる馬のために設立された獣医学校での実技講義、やがてそこから追われて個人の博物コレクションであるcabinet de curiositésのための標本作り、さらに、フランス革命後に獣医学校の標本をはじめとしてフランス中の解剖標本の保存のアドヴァイザーなど、怒涛の18世紀を、ひたすら、解剖標本作りで駆け抜けたのだ。 後に盛んになるロウ細工の標本でもなく、ホルマリン漬けの病理標本でもなく、フラゴナールの仕事は、アートとまでは言えないとしても明らかに彼の「美意識」に貫かれていた。 こういう仕事が自由にできていたということから、当時のカトリックには「建前」主義はあっても「原理主義」はなかったのだなあ、とあらためて思う。
ジェイムズ・P・ホーガンの『造物主の掟』を読んでいると、キリスト教文化圏の宗教と科学の対立的歴史観や無神論や進歩主義がどれほど普遍的な「物差し」になっているかがよく分かる。
とことん考え抜くのは多くの人には時間がかかり過ぎるから、イエス・キリストからカール・マルクスまで、すばやく効果を上げた人たちは、民衆を啓蒙するより条件づけた、 とか、 現世でりよい生活を望むよりも来生で報われると信じさせてきた、 とかいう切り口も、いかにもという感じだ。 アメリカがニューエイジの洗礼によって新しい蒙昧に入って、日本や中国やインドやアフリカ(!)などのプラグらティズムに負けた、という近未来観も、この本が書かれた1980年代初頭の空気を反映している。 日本は宇宙進出でもアメリカと肩を並べていることになっている。 第一、この近未来(2020年頃?)では東西冷戦がまだ終わっていないし、ソ連への牽制や米ソ核戦争の可能性などがまだ続いている。 慣性式核融合発電で熱核宇宙船を飛ばしているという状況も、「フクシマ以降」の今の時点で読むと感慨を覚える。アメリカは日本からトカマク反応炉を輸入していることになっているのだ。 欧米諸国は、消費財の新たな開発のために、無批判で消費する愚民操作をしたので力を失っている、インテリの間ですら各種「陰謀論」が氾濫しているという設定だ。 しかし、このような欧米人も、ヨーロッパの中世末期からルネサンス・レベルであるタイタン星人を前にして、 「地球上での過去の帝国主義の過ちを繰り返さず、タイタン星人らの『集合的知性』が成熟するまで見守ろう」 という啓蒙的な「上から目線」を獲得するのだ。 ホーガンはがちがちのアングロサクソンだから、こういう視点は無理もない。 しかし、壮大なSF作品というものが、ここまで、科学哲学、歴史哲学、政治哲学によるバイアスを抜きにしては成立し得ないという事実に、当然ながら、軽いショックを受けた。 知性のある生物が進化するにあたって、宗教や科学観、自由や世界観の拮抗、すなわち「進歩のし方」が、必ず地球の「欧米型」の歴史をたどるであろうという自明性への違和感だ。 地球の人類における近代以降の「進歩」の型は、宗教としてかなり特殊なキリスト教と切り離せないというのに。 ホーガンはそれをタイタンでも普遍的な発展であるのように描き、そこに、わざわざキリスト教っぽい「非暴力」や「隣人愛」を説くことで彼らをさらに「啓蒙」しようというシナリオを書く。 理念としてのキリスト教と、「キリスト教」の中でキリスト教を否定することで紡がれた「西洋近代」の視点とが分けられていない。 ホーガンは日本でも人気作家だったらしい。 もちろんハードSFとしての着想のユニークさはイデオロギーと関係なく光っている。 機械人間にとっては自らの機械構造が最後の神秘で、外部にある有機体を「道具」として開発している途中だとか、異種間のコミュニケーションについて、それぞれ固有の感覚器官によってキャッチして再構成した「現象」を見るのでなく「関係性」を分析していくのだという発想も説得力がある。 しかし、SFが、ひとたび異星とか異星人とか、百万年の時のスパンや進化について語り始めると、それは結局、人類とその歴史をどの視点からどう評価するかという俯瞰的な思想の上に展開することにならざるを得ない。 欧米人にはそれでいいし、そもそもSFが拠って立つ「近代科学」が「欧米」系なのだから、それを採用している日本人にもそれでいいのだろうか。 イスラム圏の人やアジア・アフリカの少数民族の人などには、とてもユニヴァーサルとは見えない設定だと思うのだがどうなのだろう。 私はユニヴァーサリズムの信奉者なので、それがまず「地球人」をどのように連帯させられるものなのかをあれこれ考えなければ、「異星人」の物語に心から参入できなくなってしまった。 逆に、宇宙や「異星人」との関係に思いをはせなければ、この地球でのユニヴァーサリズムは成就しないだろうとも思う。 『ビッグコミック』でホーガンの『星を継ぐもの』をコミック化したものを読んだことがあるが、そうやって一度「絵」にしてしまうと、ますます「哲学」が見えなくなる。私たちが宇宙的な広がりを持つ思想を展開できるのは、やはり、「想像力」の中でしかない。
話題の映画 『Les intouchables』のことを書こうと思ったのだが、今大成功をおさめているこの映画を見ていない上に、タイトルをどう訳そうかと迷っていた。
思い立って監督名をカタカナにして(エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ)からネットで検索したら、何と、「最強のふたり」という邦題で、11月の第24回東京国際映画祭でサクラグランプリを獲得していた。 http://mainichi.jp/tanokore/cinema/ 「事故で首から下が麻痺してしまった富豪と、介護役の黒人青年との、実話に基づく交流を映画化した作品で、主演したフランソワ・クリュゼ、オマール・シーは揃って最優秀男優賞も受賞」らしい。 フランスでは興業的成功が第一の話題だ。 その上、フランス在住の日本の方による詳しい内容説明があるブログを見つけた。 http://pepecastor.blogspot.com/2011/11/blog-post_10.html くわしい内容を知りたい方はそちらをどうぞ。 で、私はこの映画を見ていない。 バロック・バレーの知り合いが少しだが出演して、観に行った仲間が「よかった、絶対に行くべき」と言ったので、迷ったのだが、貧富の格差と障碍の有無で立場がまったく違う二人の友情など、あまりにもお手軽な感動シチュエーションだと思って抵抗があった。 それに、差別の問題や格差の問題が日常にあるこの社会で、ある意味でラディカルな状況をフランス人がみんないっしょにブルジョワも失業者も、インテリもドロップアウト組も、右翼も左翼も笑いころげて感動することで連帯の気分になる偽善性も嫌だったのだ。 すると先日、ヒットしたフランス映画のアイディアをリメイクすることが少なくないアメリカ映画界の反応が新聞に載っていた。 この映画は人種差別映画だと批判されている。 「黒人奴隷が白人の主人を楽しませる」というテーマはアメリカではよくあった、というのである。 やっぱりなあ、と私は思った。 フランスの「本土」ではいわゆる「黒人奴隷」という歴史がほとんどないので、この映画でもそうだが、黒人はアフリカから経済的その他の事情によってやってくる移民や難民というのが一般イメージである。もちろん「差別」はあるのだが、奴隷制やら植民地やら強制連行やらホロコーストなどといったフランス側の「罪悪感」には直結しない。だから、フランスで黒人の「不良」が白人の貴族の富豪と仲良しになる話をしても、「政治的公正」の刃にもろに切って捨てられるリスクはない。 それまで、「みんなが勧めるいい映画」であるこの映画を、うちの家政婦さん(白人フランス人女性)だけが、「私は絶対に見に行かない」ときっぱり言っていた。 いわく、この金持ちは、重度障害者の手当て(700ユーロ未満)を国から受け取っている。金で買えないものはない。金さえあれば、24時間体制で全て世話してもらえて、パラグライダーもできるし、旅行もできるし、幸せになれるのだ。不愉快だ。 金がなくて障碍を抱えている者を馬鹿にしている。 私はおずおずと、 「そりゃ、貧乏で障碍があるのは悲惨よ。でも、大富豪で首から下が麻痺していてあらゆる世話をしてもらえるよりも、誰でも、貧乏で元気な方がいいんじゃない。だから、映画見てる人は誰でもそれなりのカタルシスを味わえるのでは ?」 と言った。 確かにそれだけ金があるなら、私なら同じ障碍の人のための施設を創るとか別の連帯を考えると思うけど… すると家政婦さんは、テレビでこの映画のモデルとなった「主人」と「介護者」を見た、障害者手当をもらっていると堂々と言ったのはその富豪で、幸せいっぱいそうだった、すごいエゴイストだ、と言った。 おまけに、現実の介護者は、アフリカ黒人でなく、フランスでは最も「郊外」の移民ゲットーで問題を起こし差別もされているマグレバン(アルジェリア、モロッコ、チュニジアという旧植民地や保護領)の若者なのだそうだ。 この映画が実話に基づいていることは聞いていたが、介護者がアラブ人だとは知らなかった。 なるほど。 今のフランスで、「郊外のアラブの若者」が「パリの白人の富豪」と友情で結ばれるというストーリーをそのまま映画にしたら、アメリカでの反応と同じくかなりの「政治的公正」の琴線に触れていただろう。で、ビジュアルにはもっと対照的で、けれども政治的歴史的にはややプレッシャーの少ない黒人をもってきたわけである。 しかし、アメリカ人の目から見ると、微妙以上のリスクである。 すると家政婦さんとその話をした日(12/13)の夜、たまたま、テレビ(2ch)で、この映画のモデルになった2人のドキュメンタリーをやっていた。 なんというか・・・ すごいのは、この重度障害の富豪貴族duc Pozzo di Borgoのキャラクターだ。 この人の中には、アブデルという介護者に出会う前から、独特の強烈なバイタリティとオプティシズムがある。ソルボンヌで一目ぼれした妻を癌で失って落ち込んだが、アブデルに助けてもらえたのは事実だ。 パラグライダーの事故にあって3年後に死んだ妻のことを話すだけで泣いている。彼の生涯での一番の苦しみは、自分の事故や障害でなくて今でも、「妻を失ったこと」なのだ。 障碍に関しては、他の障害者に向けて、全身麻痺でも「人生を楽しめる」というメッセージをちゃんと出し続けている。 家政婦さんの言ったように「金さえあれば」というのでは反発されるだろうが、この人には独特の、天然の明るさがあって、「私は楽しく生きている」と言われると、みな、引き込まれるのだ。 アブデルは、彼と出会えてラッキーな普通の人だ。とても頭がよくて性格もいいが、相手次第では冷酷にもなれそうな男だし、皮肉屋でもあり、コンプレックスと裏返しになったつっぱりや顕示欲もある。フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴのような稀有の男と出会ったチャンスを見抜く力もあり、信頼を得る力もある。 彼はフィリップを取り巻く人々の偽善を感知し、フィリップがそれらと一線を画することも感知した。 アブデルは、頭のいい普通の男だが、フィリップの周りには絶対いないタイプであることは事実である。 フィリップは、病気の妻が子供を産めないのを慰めるために2人の養子を育てた。この、ぜいたくに育った養子がそもそも、いわゆる白人ではない。この娘の方がアブデルを差別の目で見ていたようだ。それも実感がある。アブデルはそれにも敏感だ。 なんだか、映画を見ずに私が感じていた違和感の正体が次々ととけていく気がした。 興行収入の一部は障害者支援に回されるというので、そのうち見に行ってまた感想を書こう。
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