L'art de croire             竹下節子ブログ

ファティマに来ています。

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ファティマに来ています。みんな並んでロウソクを火に投げ込むのが壮観。同い歳のファティマ生まれの女性と仲良しになり、いろいろ話を聞いて驚くことばかり。ポルトガルのカトリックって…

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自分の治して欲しいところのかたちのロウを選べます。腸とかもあってリアル。
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# by mariastella | 2016-09-26 04:05 | 宗教

イズ―くんはハンス少年をやめた

これは前の「イズー君はハンス少年か」の続きです。

猫って学習能力が高い。

でもその学習能力というのは、刷り込まれたものを忠実に守るというタイプのものではない。

以前、一定の手順をふめば餌をもらえるように学習させた動物に、そのそばに何の障害もなく餌を置いた実験で、猿や犬は機械的に、相変わらず前に教えられた手順をふむけれど、猫はためらいなく近い方の餌に直行するという結果を見たことがある。

猫は不要な儀式を華麗にスルーする。

前に、洗面台の蛇口からちょろちょろ出る水を、その周りをせっせと掻いてから直接口で受けて飲むイズ―くんを見て、オランダの堤防決壊を救ったハンス少年にたとえたが、最近シナリオが変わった。

水がちょろちょろしか出ていないのに、口から洩れて流れる分量の方がどうも多い気がする。
これでは資源の無駄遣いで、エコロジー的公正に反するなあ、と思ったので、ちょろちょろ水を私が鹿威しの竹みたいに手のひらで受けてやることにしてみた。

するとイズ―くんは、なんのためらいもなく私の手のひらからちゅくちゅくと水を飲み始めた。
この方が効率はいい。

それをたった一度経験しただけで、次からは、ちょろちょろ水を流すと、もう堤防掻き掻きの儀式はなくなって私の方を見てひと声

「ほら、手」

と催促するようになった。

ものすごくクリアなメッセージだったので思わずまた手のひらを鹿おどしのように構える私。

イズーはゆっくりと飲み始める。

長い。

流水が直接当たり続ける私の手はだんだんと冷たくなる。
これって私がハンス君になってるんじゃない?

もうそれからは、私が洗面台を使っていなくても、イズ―くんは喉が渇けば、さっと洗面台に上って定位置についてから私を見て

「ハンス、出番」

とひと声かけるだけになった。

その度にPCをスリープにして立ち上がる私。(スリープにしておかないとスピノザ君がキイボードの上に座り込むリスクがあるからね)

で、慎重に水のちょろちょろ加減を調整して手に水をためるハンス君。

好きなだけ飲んだら「ご苦労様」も言わずに去るイズー。

かわいい。
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# by mariastella | 2016-09-25 02:31 |

マックス・ジャコブの回心 その12

(これは前の続きです)

MJが情事の後で毎回告解に行ったのは、「敬虔な信者」らからはもちろん、コクトーらから見ても滑稽で迷惑でさえあった。

けれどもそれはMJにとって「罪」を毎回チャラにしてもらうというようなご都合主義のことではない。

彼の脳裡には『ヨハネの手紙一』の言葉がこだましていた。(1章 7~10)

>>>しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。 <<<


MJは毎日か一日おきには「自分の罪を公に言い表」して赦され、「清め」られた。

モンマルトルの丘の階段を膝で上ったこともある。贖罪だった。

しかし、果たしてそれは効を奏したのだろうか。

もし、

「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」( ヨハネの手紙一/ 2, 15~17)

ということを突き詰めれば、MJは自分の欲望が「世」に属していて「永遠」に属していないことをよく分かっていた。

1935年、3年にわたるルネ・デュルスーとの恋が終わった。

1936年5月25日、10 年間のパリの生活を捨てて、MJは再びサン・ブノワ・シュル・ロワールに戻ってきた。

次の年には、ピカソも、ヴラマンクも、レジェも、コクトーも、エリュアールも、MJ のもとに「巡礼」にやってきた。
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# by mariastella | 2016-09-24 07:17 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの回心 その11

〈これはその10の続きです。)

MJはコクトーへの手紙の中で、自分が実行している三つの生活の指針を書き加えている。

1.  キリスト教的な完成の概念にを前にしておののいてはいけない。

遠くから見たらほとんど非人間的で、耐えられないような厳格さに見えるだろうけど、その日のつらさはその日で充分だ。
少しずつやっていくうちに神がだんだん好きにならせてくれる。
僕らが近づいて行くごとに喜びが生まれる(聖人たちのようにね)。
でもこの喜びを理解するには魂にそれを受け入れる準備が十分できている必要があるんだ!

2.  完成には一歩一歩進むことだ、この先どうなるかなんて悩まずに、その時々の恵みと力に応じて少しずつ。

3. 悪と妥協しちゃいけない。悪いものを善いものだと呼んじゃいけない。正直に、ごまかさずに、自分の「罪」に面と向かうんだ。罪をありのままに見る、そして後悔するんだ。


当時のフランスの社会においては「同性愛」の情事はもちろん「悪」として認識されていた。
けれどもアーティストたちの同性愛、または、異性愛、同性愛にかかわらず奔放で社会の規範の枠にはまらない情事そのものも、もちろん「悪」だった。

でも彼らのほとんどは、それを正当化するために積極的に、それがナチュラルで芸術にとってもプラスであり自由の表現だと開き直っていた。

そこには「影」や「後悔」が見られなかった。

しかし「影」がないということは、実は「闇」にいるからだとMJには思えた。

「影」は「光」の射すところにできる。

「後悔」がないところには「赦し」がない。

MJにとっては光と影、後悔と赦しは分かちがたいものだった。 (続く)
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# by mariastella | 2016-09-23 06:04 | マックス・ジャコブ

霊的特異点---マックス・ジャコブの「回心」番外編

これは前の記事の続きです。

サイトである方が、感想を書いてくださった。

>>>「与件」は罪とはいえない。けれど、「少し」でも、神から来るような愛をキャッチできれば、ある領域からは、確かに「罪」であることがわかってくる。これは、恐れでも、断罪でもないのですね。 <<<

という部分を最初、読み誤った。「ある領域から」というのがよく分からなかったのだ。
で、自分のためにも、クリアーにしたいので、いったんここで解説しておくことにする。

まず、人の多様性としての「与件」は罪ではない。

「同性愛者」、「被差別グループ出身者」、「左利き」、「近眼」、「病人」、「老人」、「低身長」、「身体障碍」、「知的障害」、など、当然ながら、どこまで行っても「罪」などではない。

もちろんある人が周囲の「マジョリティから外れている」与件を持っている時、社会や時代によってはハンディを背負うことになるし、「悪」や「罪」であるかのようにレッテルが貼られることもある。

MJ の生きた時代と場所では一般に同性愛が「悪」とレッテルをはられていたのは事実だ。

でもMJが「悪」とか「罪」ととらえて苦しんだのはその部分ではない。

自分が毎日違う相手と情事を重ねること、それがやめられないこと、だ。

これはMJが異性愛者であっても本質的には変わらない。

しかし、異性愛者が毎日違う相手と情事を重ねることについての「悪」認定はこれも時代や社会によってかなり恣意的なものだ。

異性愛の男については「男の甲斐性」とか「芸の肥やし」とか「英雄色を好む」のように許容されるケースが多かった。
異性愛の女が同じことをすると、「娼婦」認定で男目線で欲望充足のツールとして許されるか、財産や権益を「実子」に継承させたい男にとって「子供の母」の貞操が大問題であるから「悪」であり「罪」となる。

性的な欲望を生身の人間によって充足させる時、性的な関係は人間の尊厳にかかわるものであるから、そこに少しでも支配と被支配の関係が入ると「与件」もへったくれもない。

靴下に欲望する人が自分の靴下にすり寄るなら別だが、小児性愛の傾向を持った人が子供にすり寄れば即、「悪」の深淵が口を開ける。たいていの性産業は、何らかの形で弱者を利用したり踏みにじったりして、相対的強者の欲望の充足に手を貸すことによって「悪」なのだ。

MJはそれを知っていた。しかし、欲望が起これば直ちにその充足に向かって起動するという依存のループにはまってしまったことが彼にとっての「悪」だった。

で、ここからが大切だ。

「悪」の反対は「善」ではない。

「悪」の反対は、「悪を疑うこと」だ。

MJは「悪とは何か」と考えた。

「回心」という霊的特異点を通過した後のMJには、

「悪」とは「罪」である、と分かった。

では「罪」の反対は何か。

「罪」の反対は「愛」であった。

すなわち、

「悪」の反対は、「善」でなく「愛」だということがMJには分かったのだ。
彼が情事と告解と聖体拝受を繰り返していたのは、偽善や欺瞞ではなく、「罪」と「愛」の振り子運動だったのである。

では「愛」とは何かというと、愛には二つの要素があった。

「リスペクト」と「あけておくこと」だ。

「あけておくこと」というのは愛する対象のために、自分の心、生活、時間、命のどこにでも、いつでも場所を確保しておくことだ。心や時間や命を捧げる用意があるということだ。

霊的特異点である回心によって彼は「神に愛されていた」ことを知った。
神は彼をリスペクトし、彼が求めるとき、彼が必要とするときにはいつもいてくれた。

二千年も前に命を捧げてくれていただけでなく、教会や司祭やミサや祈りの中でいつも彼を待っていてくれた。

いつでも、どこでも。

だから彼も神を愛することを知った。神をリスペクトし、神を心の中に、創作の中に、生活の中に招いた。

彼が神を「畏れ」たのは、神がいつでも、先に、どんなことがあっても彼を愛してくれたからだ。
神がずっと待っていてくれて、いつでもどんな時にでもお前の場所はあけてあるよ、と言ってくれたからだ。

こんな愛に抵抗するすべは、なかった。
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# by mariastella | 2016-09-22 02:51 | マックス・ジャコブ

テロリストの名前と顔

ここのところMJシリーズを書いていたら、他のいろいろなことの覚書が溜まってしまったので、これ以上溜まらないように少し書いておく。

いろいろあるのだけれど、特に今朝のラジオで聞いた「テロリストの名前と顔」の話が印象に残った。
先日のアメリカのテロのテロリストが逮捕されたニュースで、負傷したテロリストの顔と名前が何度も繰り返してテレビで流れた。指名手配用のいろいろな写真も。

そういうことを受けての話だ。

日本ではどうかわからないけれど、アメリカもフランスもここ一年ほどでテロが相次いでいるから、その度にテロリストの名前と顔が繰り返し繰り返し報道される。

それを受けて、そのようにテロリストに名と顔を与えるのは「非人間的なテロという行為」をしたという意味では非人間的であるテロリストを「人間的に表現することになる」からよくないのだという意見がある。

その理由は、ひとつが、名前と顔がセットになった「人間」として特定して喧伝することで、それが人々の記憶に残り、テロリスト側からすると「英雄」「殉教者」となるので、彼らの目的が果たされたことになるという。「知名度」が勲章となって、次の候補者を鼓舞するリスクもある。

もう一つは、テロの被害者にとって二次被害になるからだという。
「テロにやられた」というだけなら「災害」のような受け止め方も可能になるし、「罪を憎んで人を憎まず」のような立場に立つことも可能だけれど、テロリストを人間化してしまうと、「敵」に対する憎悪や恐怖が生れる、というのだ。

なるほど。

ではそうしないためにはどうすればいいのか。

この反対のことをしているのが、サルコジである。
彼は、テロリストは人間ではない、野蛮人であると言う(野蛮人のフランス語Barbareには「人」という言葉が入っていない。しかも外から侵入してくる異教徒という含意もある)。

だから、犯人に名と顔を与えて住まいや生い立ちなどを報道して「人間化」するのではなく、野蛮人1とか野蛮人2 とか呼べばいいという考え方だ。ナチスの収容所みたいだ。

で、ラジオでは、そのどちらにもしないために、

テロリストには、「名は報道せず、顔だけ報道しろ」というユニークな提案がなされていた。

「名を与えることで」文字通り「有名人」化させないてはいけない。

また名を与えることで「個別化」すると、「あいつは自分と違う」と人々は「悪人認定」して、その反動で「あいつとは別の名を持つ自分は正しい」側に入って自己正当化しまう。

でも、どこの誰かわからない「顔」だけ見ると、よく似た人はどこにでもいるものだし、服装や髪形や写真写りによっては同じ人でも別人のように見えることなど誰でも知っているから、テロリストはテレビを見ているこちら側の誰であってもおかしくない、と思える。
誰でも他人を攻撃する「加害者」になり得るのだ、被害者も加害者も人間なのだ、という視点が生れ、そこから「悪を殲滅」というのではない新たな対応が生れる。

これは思考実験みたいな話だけれど、フランスに住んでいるとすごく大切な話だと思った。

テロがある度に、心のどこかで、顔よりも名前を知りたいという気持ちが起こる。

そしてそれが「アラブ系の名前」であると、なんだかわからないけれど、「ああ、やっぱりイスラム過激派ね」と納得してしまう自分がいるのだ。
「顔」だけなら、毎日すれちがう人と変わらない。ケバブのサンドイッチを売ってくれるおじさんや、朝市でローストチキンを売ってくれる親子とも変わらない。ということは、彼らと共生している私自身とも変わらないのだ。

これは、日本なら、悪質な犯罪の容疑者が逮捕された時に、「顔」は「普通のアジア人」でどこにでもありそうでも、報道された名前が日本人の名前でないとか、帰化した人だとか聞くと「やっぱり悪は『外』にある」と納得だか安心だか分からない思考停止に落ちることがあるのかもしれない。

これを語ったのはRaphaël Enthovenで、彼の話にはいつも教えられる。

ジャン=リュック・マリオンの弟子でもあった哲学者だが、BHLの娘と結婚歴があったり、サルコジ現夫人のカルラ・ブルーニと父の後でカップルになったり、私生活は私の想像を絶するのだけれど、それは、また、別の話だ。
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# by mariastella | 2016-09-21 18:54 | 雑感

マックス・ジャコブの「回心」 その10

(これは前の記事の続きです。)
 
「(悪に罪という名を与えるという)呼び方なんて「偽善」でしかないって君は言う…いや、偽善なんかじゃない、それは神を畏れるってことなんだ。

できるだけ告解に行きたまえ、自分の弱さを悔いていればいいんだ。
君は多くを要求しすぎるんだ、「少しだけ」っていうのを拒否している。
「少し」を受け入れて告解するんだ。

君は神に「僕の好きなものに嫌悪感を持てるようにしてください」って言った。
全ての嫌悪には味わいがある、まだ君も僕もその魅力を味わっていないようなパーフェクションに喜びをもって到達できるだろう。

完成なんてない! 完成なんてあり得ない! 宗教にも文学にも完成はない。
君は生きた寸劇になるつもりはないだろう、なら溝に落ちるってことを認めるだけの普通のそこいらの男でいるんだ。
弱さを告解して弱さをそのまま受けめるんだ。(…)神はそんなささやかな改悛で満足してくれる。
でも僕らはみんな最後の審判で裁かれて、その時は、ささやかな改悛の積み重ねが生きてくるんだ。

だから、悪を悪とみなすことを軽視しちゃいけない。神は僕らを喜ばす別の道を示してくれるだろう。」
(コクトーへの手紙)

「少し」を受け入れる。
「少し」の希望を求め、「少し」の希望をもらえるだけでいい。

その後でまたクラッシュしてもしょうがない。

希望があるからこそ失望がある。
希望がなければそれを失うこともない。

希望を捨てない人は失望を繰り返す。
免償してもらうといつもフェニックスのように希望がよみがえるので、少なくとも「絶望」はない。

「希望」の反対は「失望」ではなく「絶望」なのだ。

でも、自分の誓いが自分で守れなかったと失望した時に、

悪魔が

「ほーら、だめだった」、
「すぐ失う希望なんて無意味だ」、
「もう無理無理」、

と言って「絶望」へと誘惑してくる。

それを押しのけるのは一人では難しい。
悪魔は自分の心に住んでいるからだ。

そこを助けてくれるのが告解と赦しの秘跡と聖体拝領だ、とMJは言っているのである。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-20 05:51 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その9

(これは前の記事の続きです。)
この時代のパリのアーティスト世界で大きな影響力を持っていたジャン・コクトーは回心したカトリックで同性愛者、バイセクシュアルでもあり、詩人でもあり、画家でもあったから、MJと似た立場だった。
MJと同じく「欲望を充足」させたいという誘惑に最初は抵抗したが、何度も失敗して、結局、力尽きて、教会に行くことをやめてしまった。

そのコクトーにあてた手紙からMJの内面が逆照射される。

「君は悪魔にやられている。お願いだから、罪を通して何が何でもキリスト者でいてくれたまえ。
悪魔が君に、パーフェクトなんて不可能だと思わせようとしているのが分からないのか。・・・
罪を犯すってことをもし神が認めてくれないんだったら、告解システムなんて意味がないだろ?

神は、君のとてつもないいつくしみも、傲慢な怒りも、同じように受け入れてくれると思わないのかい?

君は僕にパーフェクションへの絶望について何も打ち明けてくれないで、僕たちにできないことよりもましになりたいからといってキリスト者の生き方をやめてしまう。
完璧なキリスト者の生き方というものについて「こういう形の完璧さはとても自分には気に入らない!」なんて考えちゃだめだ。
ぞっとするような間違いだよ。
なぜなら、こういうパーフェクションというものは、だんだんと気に入るようになるもので、それまでは嫌気がさすものなんだ。

だから、ジャン、他のキリスト者より立派になろうなんて思うな。
君のままでいいんだ。
悪の名前がわかっていればいいんだ。
「罪」ってね。
罪って言葉の中に全ての違いがあるんだ。

この真実は誰も君に言おうとしないだろう。
皮肉だ!
いいかい、僕らに求められているのは、ごく自然なこととして悪いことをしてはいけない、ということなんかじゃない。
それが「悪いこと」だという意識を持てということなんだ。
悪の意味とは何かを知っていろと求められているんだ。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-19 02:03 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その8

(これは前の記事の続きです。)

パリに戻ってからのMJの行動は、周りの仲間やカトリック信者たちから、「売春宿から祭壇へ、祭壇から売春宿へ」、と嘲笑されることもあった。

長年断酒していたアルコール依存症患者が、たった一杯の酒で瞬く間に元の木阿弥になるのは、脳がその快感の回路を維持しているからだというように、パリという環境が再びインプットされるとMJの「依存状態」はやすやすと復活した。

けれども、彼自身が

「熱病に駆られたように欲望を果たしたが喜びはなかった」

とのちに語ったように、「自分はブタだ、ろくでなしだ、泥だ」と自責していた。

住んでいたノレ通りのホテルには作曲家のアンリ・ソゲも滞在していたが、他にもフランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリックら、MJよりもひと世代若いの多くの音楽家たちが、同性愛やトランスセクシュアル、バイセクシュアルであったが、自嘲する者、堂々と受け入れる者の中には、オーリックやエリック・サティのように、懲罰的なカトリックの偽善的システムの代替物として「共産主義」に接近する者が出てきた。

20世紀初頭のパリのアーティストにとって、神の代替物、神のライバルの最大のものは共産主義、社会主義であった。
20世紀の末に、神の代替物、最大のライバルが「金」となることを彼らは、知らない。

一方、MJはコクトーを中心にしてこれらの音楽家たちとともに仕事をしたが、いわゆる「一夜の相手」の多くは、警察のお尋ね者になっているような軽犯罪の常習者が少なくなかった。

MJが「罪深い行動」を変えないのに、その度に教会で告解して「チャラ」にしてしまうことを皆はからかった。

それこそが偽善ではないか。
アーティストのくせに自分の性的志向を受け入れられないのか。

MJは一貫している。

性的志向は「神から与えられた」ものであるからどうしようもなく、優劣があるものではない。
しかし、「喜びを得られず、やめようと思えば数日や数年もやめることのできた『欲望の充足行為』をコントロールすることの失敗」は自分として受け入れられない。

それでも、告解して聖体を拝受することができる。

これは、告解すればリセットOKだから、というご都合主義などではない。

そんなご都合主義の男であればそもそも教会から離れればいいだけのことだ。

信者からも非信者からもあきれられている。

そうではない。

「欲望の充足」によっては喜びも幸福感も得られなく苦しんだMJは、告解して免償を得ることの「赦され」体験やその後でイエスの体を口にすることにほんものの喜びや幸福感を得ることができていたからだ。

21世紀のパリの、ある同性愛者の青年Aの証言を思い出す。

同性愛者であることに葛藤していたAはある日「労働司祭」のグループと出会って、何の偏見もなく受け入れてもらう。ミサに誘われたので、奇抜な髪形、短いT シャツにぴったりしたズボンと、思い切り挑発的な格好で教会に行ってみたが、だれにも変な目を向けられず、平和のタイムでは両隣の人が自然に手をとってくれた。

彼が今まで知っていた「世間」とは全く別の世界だった。

やがて指導司祭に会い洗礼を受けるが、そこでも、「持って生まれた性的志向」は背の高さや目の色と同様なんの問題にもされなかった。
司祭に言われたのは、一人での祈りを続けること、できる限り日曜のミサに出ること、欲望に負けて関係を持った時には告解することなどだった。

AはMJと同じく、毎日ゲイのたまり場に行ってはいろいろな男と寝ては翌日告解に行くことを続けた。
同じ教会に毎日行くのは恥ずかしいので、毎日教会を変えた。
幸いたくさんの教会があった。

いったん罪を悔いてリセットした後でまた誘惑に負けること自体は、「再犯」だからということで罪が重くなるわけではない。
重くなるのは彼の苦しみだけで、だからこそ告解して免償を受けることで得られる喜びはいつも新鮮だった。
毎回「失敗」するからと言ってあきれられてもう信頼してもらえないのではない。
何度も何度も「失敗」しても、悔いが本物ならば何度も何度も信頼度を百パーセント回復してもらえるのだった。

彼の知っている「世間」では絶対あり得ないことだった。
Aはその後、トマス・アクィナスの友情論に出会い、思いがけない解決策に到達する。それはまた別の話だ。

MJの生きていた20世紀前半は、第二ヴァティカン公会議以前のカトリックであったけれど、

悔いれば何度でも何度でも赦される、
本来、イエスの十字架によって贖罪はもうなされている、
何度「失敗」しても「失敗」の数だけ再挑戦する権利、「成功」を夢見る権利、信じてもらえる権利がある、
その力はいつも聖霊から与えてもらえる、
その戦いにおいて人は一人ではない、
共に苦しんでくれるキリストがいる、

などのキリスト教の根幹にある「肯定」を伝え、伝えられる人がいた。

ましてや、マイノリティな性的志向を悪魔の業のように「否定」する一般の言説の前で、マイノリティの者は偽悪的・露悪的になったり、自分でもそれを否定したり、抑圧したり、隠したりすることがデフォルトであった時代である。その「肯定」を「恵み」としてキャッチできるMJ のようなケースは多くはなかった。
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# by mariastella | 2016-09-18 00:58 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの回心 その7

(これは前の記事の続きです。)

MJがパリに戻った理由の一つは経済的なもので、絵を売るためにパリの画廊と交渉しなくてはならなかったからだ。

MJはあっという間に昔の生活に舞い戻った。

ジュリアン・グリーン(パリ生まれの作家。アメリカ人ピューリタン(プロテスタント)の母が死んだ後、16歳でカトリックに改宗、その後回心を経て熱烈なカトリックになった同性愛者である。ジャック・マリタンとも親交があった)は、MJ が毎夜モンパルナスのカフェに行っては男を連れ帰っていたと証言している。次の朝には必ずノートルダム・デシャンの教会に行って告解をするのだが、いつも同じ内容なので、彼の姿を見ると柱の後ろに隠れる司祭までいたという。
告解し、ミサに出て、聖体拝領をして、夜になるとまたカフェに出かけるのだった。

詩人のアントナン・アルトー、歌手のシャルル・トレネ、役者のルイ・サルー、作曲家のアンリ・ソゲ、そして作家のモーリス・サクスなどの若いアーティストたちとも関係を持った。

モーリス・サクスはまだ20代前半で、パリ生まれのユダヤ人だった。共和国主義者で反教権主義(反ローマ・カトリック)の家庭に生まれたが、放浪の末にコクトーの秘書をしていた。この人もジャック・マリタンのもとで回心し1925年8月29日にカトリックに改宗した。(ジャック・マリタンってすごい。)

神父になろうと決心して神学校にまで通ったけれど、そこで同性愛スキャンダルを起こして放校された後でパリに戻っていた30歳年上のMJに迎えられて、作家になるように勧められた。

同じユダヤ人で同じ改宗カトリックのサクスにMJが惹かれたのは想像できる。
けれどもサクスは様々な裏切りを重ねて1930年9月にはアメリカに渡り、ラジオのメディアで成功をおさめた。

(けれども、最後はいったんナチスのスパイとなった後で寝返って捕えられ、獄中で作品を書き残した後、MJの1年後、1945年にゲシュタポに撃たれて死んでいる。)

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-17 00:54 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その6

(これは前の記事の続きです。)

MJがパリを去ってノートル・ダム・ド・フロリィに「隠棲」したときには三つの目的があった。

パリの誘惑を遠ざけること。

執筆し絵を描く時間を得ること。

霊的な進化の方法としての禁欲行を試みること。

助祭のアルベール・フレローがMJを司祭館に迎え、彼の「指導司祭」になった。

日課が始まった。

早朝の祈り。
午前7時に修道院付属のホスピス(現在は市が管理)にあるチャペルで毎日ミサにあずかる。
食後からは「十字架の道」。すなわち、創作の仕事に没頭する。

「熱病の人が氷入りのレモネードに飛びつくようにMJは平安に飛びつき、飢えた人がステーキにかぶりつくように仕事をした」。

絵を描く、デッサンをする、詩を書く、読書する、日に何通もの手紙を書く。
ほとんどすべての詩はカトリック信仰の霊感を反映していた。

村の人は陰で笑った。

彼らにとって「ムッシュー・マックス」はパリから来たよそ者で、「アーティスト、ユダヤ人、同性愛者、その上、麻薬をやったことのある人間」だった。

日曜のミサに行くことが、子供の教育の一環としてのルーティーンに加えて町内会の会合に行くほどの意味しかない村人にとって、毎日ミサに通うMJは異物でもあった。

「アーティスト、ユダヤ人、同性愛者、その上、麻薬をやったことのある人間」というレッテルがすぐに貼られたのは、驚きでもあるが、村に「正業にもついていなさそうな異質の人間」がやってきたのだから、その身元はすぐに詮索されて知れ渡る。
なぜなら、まさに、彼がマジョリティであるカトリックのコミュニティにいたからだ。
彼の「隠棲」は、パリから離れることであって、身元を隠すことではない。

彼の「禁欲」はマゾヒズムからきているのではなかった。

その反対で、キリストの姿を見て洗礼を受けたいと望んだ時に怒涛のように彼を包み込んだあの幸福感を再び味わいたかったのだ。

回心は、彼の同性愛を「癒して」異性愛者にしたわけではない。
回心が癒してくれたのは、同性愛者であることからひそかに育まれて彼を蝕んでいた自己嫌悪だった。

回心の後で彼を苦しめたのは「同性愛の欲望に負けること」ではなく、「欲望に負けること」そのものだった。

欲望の充足は神秘体験を得た時のような圧倒的な幸福感をもたらすものではなかった。

MJはカトリックの典礼や祈りを通してもう一度あの幸福感の正体をつきとめたかった。

けれども、教会に通っている人々が特に幸せそうには見えなかった。

絵と文を通してこそカトリックに新しい息吹を与えることができると考えた。
イタリアとスペインに一度ずつ旅行し、パリに一度だけ短い滞在をした以外は規則正しい生活が続いた。

1927年、7年にわたる最初の隠棲の後で、MJ、はパリに戻る。
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# by mariastella | 2016-09-16 02:16 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その5

(これは前の記事の続きです。)

オルレアン司教区の司祭フランソワ・ヴェイルがMJに「隠棲」先としてサン・ブノワ・シュル・ロワールを推薦した。
ノートル・ダム・ド・フロリィの修道院で有名なところだ。ロワール沿いのこの修道院は630年に建てられたベネディクト会のもので、聖ベネディクトの聖遺物にふさわしいバジリカ聖堂を建てようと1067年に決定され、1218 年に完成した。

ところがここは1903 年に最後の修道僧がいなくなって、MJが移り住んだ時には誰も住んでいなかった。
(MJが死んだ年の1944年に再びベネディクト会修道院となり、現在32人の修道僧がいて黙想会なども行われている)

思えば1915年の洗礼以来、MJにとってパリの生活はますます誘惑に満ちたものになっていた。

1919年にはジャン・コクトーとレイモン・ラディゲと知り合っている。

30歳のコクトーは16歳の天才少年ラディゲに夢中だった。
この二人に同性愛の関係があったかどうかは分かっていない。
ラディゲは14歳の時に知り合ったアリスとの関係をもとに『肉体の悪魔』を書いている。
少なくとも5人の女性と関係があった。

コクトーもバイセクシュアルだったが、ラディゲへの愛を隠していない。

MJが最初の「隠棲」をしていた期間の1923年の末にラディゲはチフスで死に、死ぬ前に高熱の中で

「怖い、三日後に僕は神の兵士たちに銃殺される」

と言い残した。

同じくMJの隠棲期間の1925年にカトリックのジャック・マリタンのところに出入りするようになったコクトーは「回心」して聖体拝領をした。

でもそのコクトーは、その後、ジャン・ギャバンとの同棲生活でも知られるように、同性愛について悩んでいるようには見えない。アカデミー・フランセーズの会員にも選ばれたし、レジオンドヌール勲章ももらっている。

どうしてMJが、MJ だけが、しっかりと居場所のあったパリから逃げる必要を感じたのだろうか。

自由や放縦や挑発をアートのスタイルにして、生きる糧にして、軽々と生きていけなかったのだろうか。

MJの「隠棲」が始まった。
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# by mariastella | 2016-09-15 01:51 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その4

(これは前の記事の続きです。)

MJは自分の同性愛という性的志向を変えようとしたわけではない。

性的志向そのものは、背の高さやら近眼や左利きやその他の社会的に不都合な与件と同じような「与件」であるからそれを「治す」ことはできない。

ただ、モンパルナスに行くこと、刹那的に欲望を満たすことをやめたかった。

「今日からもう絶対にxxしない」と年の初めや夏休みに決心する子供のようなシンプルなすなおさと、ダイエットや禁煙を誓っては挫折する大人の自己嫌悪との両方がMJに取り付いて離れなかった。

これはある意味奇妙なことだ。

他のアーティストたちがカトリックの洗礼を受けていようといまいと「不道徳」なことを平気でしていたように、フランスは今でもそうだが、アーティスト世界の治外法権のようなものがある。
「惡の華」の美学、倒錯が「美」の名のもとに許され、MJが死んだ年に『泥棒日記』を出したジャン・ジュネのように、そして「芸術による救済」の名のもとに彼を「聖ジュネ」と呼んだサルトルがいたように、嗜虐癖でも被虐癖でも同性愛でもありとあらゆるネガティヴなレッテルがポジティヴなものに反転する。

居直りでなくて「誇り」にすらなる。

だから今でもアートの世界には同性愛者が多い。
1981 年まで同性愛が犯罪とされていたフランスのような国で潜在的な生きづらさを抱えていた彼らが堂々と認知される世界がアートの世界だった。
多くのマイノリティと同様、常にサバイバルのための戦略を練り、「異質性」や「個性」につい自問することが多い時、持って生まれた感受性は研ぎ澄まされる。
「その他大勢」ではアーティストになれない。マイノリティであることを誇るのはアートと親和性があった。

では、パリで最先端のアーティストとして認知されていたMJはわざわざカトリックに改宗して教会に出入りしなければ悩まなくて済んだのに、なぜ「悩むこと」を選んだのだろう。

芸術による自己実現や社会的認知によって同性愛に折り合いをつけられなかったのだろうか。

「真のアーティストであれば性的傾向に悩まなくてもいい」というアーティストたちの「同調圧力」を受け入れなかったのだろうか。

キリストが介入した。
MJはカトリック教会に入れば必ず見つけることができる同年輩の「十字架の男」を愛した。
この男を十字架から降ろしてやりたかった。
それには祈りが必要だった。

「カトリックにしか芸術はない」とまで言った。それは挑発だったのだろうか。

MJが自分で受容できなかったのは性的志向ではない。
受容できなかったのは、性的志向を実行に移すことをやめようという自分の誓いが守れず挫折することだった。

第一次大戦が終わり、彼はラディカルな決心をする。

パリを去ることだ。

「悪徳」から遠ざかる唯一の方法だった。

1921年6月24日、MJ はオルレアン司教区のサン・ブノワ・シュル・ロワールにやってきた。

パリから160キロ離れた小村での生活は、当時なら十分な隠棲を期待できるものだった。
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# by mariastella | 2016-09-14 00:57 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その3

(これは前の記事の続きです。ひょっとして長く続くかもしれませんが少しずつ書いていきます。テーマがとても複合的で関心をそそられています。アーティストにおける「回心」。神秘体験とアート。芸術と宗教。頽廃と隠遁。同性愛。性と聖の問題など全部が詰まっています。)

最初の見神体験から5年後の1914年12月17日、二度目の見神は映画館の中だった。

この時の様子をMJ はギヨーム・アポリネールに実に淡々と語っている。

時は、フランスが第一次大戦に参戦したばかりで愛国主義が高まっていた。
1905年の政教分離法で打撃を受けたカトリック教会だったが、「カトリック」には王党派や愛国主義者も少なくない。
世紀末以来の神秘主義的な回心カトリックのアーティストたちもフランスのために戦おうとした。

このことでカトリックと共和国主義者や無神論者、不可知論者の無言の和解が成立した。

シャルル・ペギーは戦死した。

MJの友であるアポリネールは真っ先に志願したが、イタリア生まれのポーランド人で国籍がないため拒絶された。
その後も何度も志願し、国籍取得の手続きをして、1916年に国籍を取得し、1918年にスペイン風邪で死んで「戦死」認定された。

このデカダンスのアヴァンギャルド詩人は近代批判で有名なピウス10世のことを「最も近代的なヨーロッパ人」などと呼んでいた。

アポリネールの死の後で、MJがパリの詩壇のリーダー的存在となった。

1914年に話を戻そう。MJは38歳。

キリストが現れたのは、ポール・フェヴァルの『黒服団』という秘密結社の小説を原作とした映画の上映中の画面の上だった。(ポール・フェヴァルもカトリックへの回心で有名だ)

この話を聞くと、仲間たちはみなからかった。カトリックのアーティストからの嘲笑の方がひどかった。

MJは洗礼の秘跡を授けてもらおうと再び司祭のところに駆け込み、再び追い返される。

けれども、 今度はあきらめなかった。

第一次大戦の昂揚した空気がはりつめていた。

1915年2月15日、カルチエ・ラタンにあるノートル・ダム・ド・シオン女子修道会のチャペルで、パブロ・ピカソを代父(洗礼親、ゴッド・ファーザー)としてMJは洗礼を受けた。

ピカソに抱く愛と欲望を受け入れてもらえないMJにとっては、神の前でピカソを信仰の父とすることは、霊的な絆を手に入れることだった。

MJの見神と改宗はいったい何だったのだろう。

パリの夜、アーティストたちが麻薬吸引によって人工楽園をトリップしていたことは知られているから、ある種の幻覚だと考えるのは容易い。

けれども、キリストの出方、出る場所、5年という間隔、その散文的な素朴さ、彼らの美意識にそぐわない様子、その体験談、証言に何の演出も工夫もされていないつまらない感じ、「意味付け」の努力の痕跡すら残らないそっけなさ、にもかかわらずそれがMJの生き方を決定的に変えた。

まるで片田舎の白昼、無学な羊飼いの少女が「私の前にマリアさまが現れました」というような逆説的な真実味を残す。

しかし、彼の同性愛の欲望は消えない。
モンパルナスには男娼街があり、もう絶対に行くまいと決心しても、2日ともたないのだった。

当時のカトリック教会においては同性愛はもちろん「罪」を構成する。彼の行動は、次第に保守的なカトリック・コミュニティの中でスキャンダルとなっていった。

しかし、たとえ異性愛であろうと、カトリック的には、複数の女性と関係したり不倫したり離婚をすることも「罪」である。

MJの周りの「カトリック・アーティスト」たちはもちろんそんなことに悩んでいる様子はない。
信仰と美意識と素行は別物なのだ。

欲望に悩むとしたら、それはその嘆きを美意識のフィルターを通して「表現」したり自己陶酔できたりする時ぐらいだ。

なぜ、MJ だけが、「本気」で悩んだのだろう。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-13 01:58 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その2

(これはこの前の記事の続きです。)

MJ(マックス・ジャコブ)は次の日に、モンマルトル地区のアベス通りに1904年に完成したばかりのアール・ヌーヴォー様式のコンクリートの洗礼者ヨハネ教会l'église Saint-Jean-l'Evangéliste の香部屋に飛び込んで、洗礼を受けたいと司祭に頼み込んだ。

司祭は相手にしてくれなかった。

MJはユダヤ人だったし、そのころマリー・ローランサンと付き合っていたギヨーム・アポリネールや画家のピカソなどとつるんで夜のパリを徘徊してエーテルを飲んでいる頽廃的なアーティスト・グループの一人である。

幼児洗礼とは違って成人洗礼は「要理」の勉強などのハードルもある。
他のアーティストたちは生まれた時からカトリックだが、「要理」などもはや何の意味も持っていない。
彼らの仲間であるMJが今さら何をしようというのだ。

司祭に相手にされずMJは失望した。

ある意味、この時代の頽廃的なカトリックのアーティストたちは不思議な存在だった。

ピウス10世が「近代」を批判して保守的な路線を進めた時代であったのに、世紀末から20世紀初頭にはある種の神秘熱にかられた一群の「カトリック作家」がいた。

ボードレールの「惡の華」や、バルベイ・ドールヴィリィの「妻帯司祭」はカトリック神秘主義とダンディズムとオカルティスムが分かちがたいスタイルを確立した。

世紀末以来、ヴィリエ・ド・リラダン、ユイスマンス、ランボー、ヴェルレーヌ、カトリシスムと悪、ストイシスムとサタニスムの間に揺れる多くの作家が、ドイツロマン派の影響も受けてひしめいていた。

彼らはすでに矛盾した存在だったが、たとえ途中で「回心」を表明したにしろ、たいていは生まれた時に洗礼を受けているフランスではマジョリティに属するクラスの出身だ。

ポーランド系のアポリネールも、スペイン系のピカソもカトリックである。

そのことと生活の仕方の齟齬は、誰も全く気にしていなかった。

「無神論者」になることは真の回心と覚悟が必要なイデオロギーの表明だった。
それに対して、頽廃的で審美的な貴族趣味のアーティストたちにとっては、散文的な近代合理主義に背を向けて、しかし懐古ではなく刺激的なアヴァンギャルドを追求するためにカトリックのアイデンティティが邪魔になることはなかった。

そんな中で、ユダヤ人であったMJが彼らと同じようなスタンスはとれなかったことは想像できる。

それからの5 年間、MJは元の生活に戻った。5歳年下の ピカソを同居させていた。ベッドがひとつしかないので、一人が寝ているときにもう一人が制作した。

MJはピカソに同性愛者として惹かれたが、ピカソは絶望的に異性愛者だった。

1914年、イエスが二度目にMJの前に現れた。 (続く)
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# by mariastella | 2016-09-12 01:47 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その1

アーティストと宗教と隠遁の関係は私の好奇心をそそるテーマだが、マックス・ジャコブ(以下MJ)の場合はそれに、見神体験の後でカトリックに改宗したユダヤ人でナチスにとらえられたというドラマティックな時代背景が加わる。

この人はなんだかとても過激で過剰な人で、パリのアーティスト的な生活から一転してロワール地方に隠遁して祈りと制作(画家で詩人)の平穏なのか激烈なのかわからないような生活に没頭した。

一度目が1921年から28 年、二度目が1936年から44 年。45歳から52歳と、60歳からゲシュタポに逮捕されて収容所で肺炎で死ぬ68歳までだ。

モンマルトルのラヴィニャン通りの古い建物は、廊下の両側に並んだ小さなアパルトマンにアーテイストのひしめく建物で、MJは洗濯船と名付けていた。

1909年9月7日、ここで彼は最初にキリストを見る。

「私は国立図書館から戻ってきたところだった。鞄を置き、室内履きを探した。顔を上げると、壁の上に、あの方がいた。私の肉は床に落ちた! 天の体が私の貧しい部屋の壁の上にいる。主よ、なぜですか? ああ! お赦しください!彼は私が昔描いた風景の中にいる。そう、あの方だ!  なんという美しさ、エレガンス、そして優しさ! その肩、そのたたずまい! 青い縁取りの黄色い絹の長衣をきている。彼は振り返り、その穏やかに輝く顔が見えた。」

MJは33歳。受難のイエスと同い年だった。

この話をする度に彼の友人たちは笑い、からかった。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-11 06:08 | マックス・ジャコブ

パラリンピックのディスクール

パラリンピックの報道のされ方にいつもなんとなく違和感を抱いていた。

それを言うならオリンピックの報道にも満載の感動ストーリーやナショナリズムぶりにも違和感があるのだが、そちらについては割と簡単に表明できるのでフラストレーションがない。

「一切関心がない、」と切り捨てても別に非難されない。

でも、パラリンピックに関しては、なんとなくタブーがあって、違和感の正体を自分でも探れない部分があった。

ラジオで、「パラ」というネーミングが悪い、ギリシャ語のパラは、「副」というかサイドというか、本流ではない感じでよくない、という人がいた。思わず聞き耳を立てた。

「障碍者」のパフォーマンスは「本」オリンピックのアスリートよりもすごい、これは「パラ」ではなく、「超人オリンピック」と呼ぶべきだ、というのだった。

私の漠然と思っているのとちょっと違った。

夜のテレビニュースではパラリンピックの発祥地イギリスではパラリンピックのテレビ中継の数がフランスよりもずっと多い、アスリートのスポット映像もたくさんある、手話だけのコマーシャル(字幕が出る)も登場した、それに比べてフランスは意識が低い、みたいな感じでイギリスの映像がいろいろ紹介されていた。

あるアスリートが、競技場のトラックに立って、おもむろに義足を外す。そして片足ですごい勢いでぴょんぴょん跳ねて、高跳びのバーを超えるものがあった。

信じられない。

自分と比べるのも意味がないが、私が両足で走ってももちろんああいうパフォーマンスはできない。

パラリンピックの発祥が、障碍者のリハビリからきていること、他人との競争ではなくて、「自分の限界に挑戦してそれを超える」ところに意義があるのだ、「人間ってすごい」というところがその意義なのだとしたら、確かに超人オリンピックともいえる。

でもそれをやはり国別、選手別に競い合っているわけだから、かなり無理がある。

障碍の「現状」は似ていても、それが生まれつき、幼いころ、事故、病気、もともとのアスリートが事故にあった、など、いろいろなケースがあるだろうから、比べて競い合う方がそもそも無理だ。

新学期でトリオの練習を再開したので、仲間たちの意見を聞くと、もともと感受性が似ているうえ、長年アンサンブルを組んで三つ子のようにつながっているだけあって、みな私と同じような違和感を抱いていた。
でもみな少しずつ違う。

最大の違和感は、パラリンピックが「超人」というか、結局、「努力物語」はオリンピックと同じでも、違いは感動が「障碍者でも健常者を超えるパフォーマンスができるすごさ」とセットになっているところだ。

問題は、(例外的な)障碍者が(普通の)健常者を超えるすごさを認識させることではない。

世間には(普通の)障碍者が、普通の生活をするのにハンディとなるような仕組みがたくさんある。

バリアフリーになっていないことや視覚障害者や盲導犬のためのセキュリティの問題点など、数えればきりがないのに、それを見て見ぬふりをして、特別な能力のある障碍者のパフォーマンスばかりをはやしたてたりすることが我慢できない、と仲間の一人はいった。

もう一つは知的障碍者の存在だ。
パラリンピックでの「限界の挑戦」の感動は、結局、身体障碍者が身体障碍を乗り越えて「身体の強さ」を獲得し、「可能性」を広げる物語であって、知的障碍者の場所はない。
もっとも、ある種の発達障害(アスペルガーなど)の人が身体障碍も持つときは、規則正しい苦しい訓練に耐えるので、すばらしい結果に到達することがある。
「普通の人」なら苦しいといやになり、くじけて、プレッシャーにつぶされたり逃避したりあきらめたり絶望したりするところで、ある種の人は「空気を読まぬ」まま確固として努力を続けるからだ。

同じ才能があるならアスペルガーの人の方が遠いところにまで到達する可能性が大きい。
これは「当事者」と共に話し合ったものである。

私たちはパラリンピックにまつわるディスクールの中にある偽善や倒錯について話した。

もちろん個々のアスリートに対する批判などは一筋もない。驚嘆し尊敬するばかりだし、力ももらえる。

この乖離こそが、これを話題にすることの難しさを形成している。

個人的に言えば、脳梗塞などでいったん半身不随になった学者などが不屈の意思でリハビリして、指一本でキイボードを打ちながらすばらしい仕事を続ける、というようなケースの方が、感動し力づけられる。
頭さえはっきりしているなら、体がかなり弱っても、年をとっても、自分のできるだけのことをしたいと思うし、そういう風に過ごしている先人を見ると心から尊敬する。勇気や希望ももらえる。
多田 富雄さんのケースなどはその最たるものだった。

私にとってはパラリンピックで繰り広げられる超人の技から得られるものよりも強烈だ。

また、そういう「限界を超える」超人にはなれなくて、いったん倒れたらそのまま弱って亡くなった人、両親を含めて、そのような身近な多くの人からも、別の意味でいろいろな気づきをもらえる。
力以外の生き方、この世での生き方以外の生き方、などについてもだ。

人間は自分自身だけをとってみても、一生のいろいろな時点で心身状態が多様だし、周りの人もみんな「違う」のに、その「違い方」のとらえ方の恣意性になかなか気づかない。

私と縁のない「スポーツの祭典」のようなものが、そういうことを、考えさせてくれる。
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# by mariastella | 2016-09-10 23:32 | 雑感

パスカル・ショメイユの『Un petit boulot』 ついでにジョルジュ・ロトネールも。

パスカル・ショメイユの新作。

『ハートブレーカー』のショメイユとロマン・デュリスの組み合わせだし、ロマン・デュリスとミシェル・ブランのコンビがおもしろそうだというだけの理由で見た映画。

少なくとも飽きない。最後までどうなるかとひやひやした。

でも、あの終わり方では、「青少年」の教育に悪いなあと素直に思ってしまう。

工場閉鎖で失業した三人の仲間の話で、みんな家族を守って生きるために必死だが、主人公のジャックは恋人に逃げられて一人になる。
地域のマフィアのボスが、妻を殺すバイトを持ちかける。
実はその前に別の一人も声を掛けられていたが断っていた。

その仲間が「人殺しはいやだ」、という理由を

「僕はカトリック、洗礼も受けてるし、初聖体もやってる」

というのがおもしろい。

「初聖体もやってる」というのは、赤ん坊の時に洗礼を受けただけではなく、初聖体を受けるために「カテキズム=要理のクラス」にも通ったいう意味だ。
この階層でいうと私立のカトリック校に行ったとは思えないので、共働きの親で、おばあちゃんに連れられて教区の教会に通ったのだろうと分かる。

その他、ベルギーでの殺人依頼主の女性との会話で、

「あなた、神を信じてる?」
「いや」
「私も。私は教会へ行く人よ。この後で隣の教会に祈りに行くからそこにきて」

と待ち合わせ場所を指定するのもおもしろい。

croyant というのとpratiquantというのを分けているのだ。

普通はこれと逆で、
「信じているけど定期的に教会には通わない」
というのがマジョリティでほとんどデフォルトだ。

この場合の「信じている」というのは「無神論者ではない」というほどの意味で、カトリックのアイデンティティが残っているという程度だ。

前の例で仲間が人殺しを断った理由に「僕はカトリックだから」と言ったのと同じ程度の意味である。

それが逆になって

「信じていないけれど教会には通う」

と言っているわけだ。

あえて言えば、熱心に教会に通っている人たちがほんとに神を信じているかどうかなんてわからない、とも読める。

実際本当に神を信じているなら教会の中で殺人の手順を相談するなど罰当たりなわけで、ひょっとしてそれをチェックするためにまず「あなた、神を信じてる?」と聞いたのかもしれない、などと思ってしまう。

ロマン・デュリスとラブストーリーで絡む女優アリス・ベライディが私好みでかわいい。

ガソリンスタンド併設の小スーパーを視察に来るスーツ姿の上司があまりにも感じが悪くて、社会派ドラマによくあるカリカチュラルな造形なのだが説得力がありすぎる。

放尿シーンやトイレでの武器などの受け渡しシーンが多すぎ。匂うような映画だ。

しかし、主人公ジャックの言葉を借りると普通の「シンプル」だが幸せなのかどうかはわからないな生活をしていた男が、工場の閉鎖でシンプルさを失い、思ってもみなかった殺人に手を染めるというテーマを考えると、最近TVで久しぶりに見なおしたジョルジュ・ロトネールの『七番目の陪審員』(1962)となんとなく比べてしまった。主人公がのモノローグが絶えず流れるところも似ている。

この映画はスイスの国境に近い町のブルジョワたちの偽善がテーマなのだが、やはり、「幸福ではないがシンプルな生活」が崩れる恐怖が描かれる。

最初に、主人公のブルジョワで妻子持ちの中年男が出来心で、水辺で半裸で寝ている女性に襲いかかり、声をたてられないように首を絞めてしまう「発端」が映されるのだけれど、この前後のシーンにずっとヴィヴァルディの「夏」が流れている。
白黒映画だけれど明るい夏の光の中で、この曲がこんなに苦しくドラマティックだったとは知らなかったと思うくらいに濃密で緊迫した空気を醸成する。

毎日仕事の後に規則正しくポーカーに興じる仲間の薬局主、獣医、警視、判事、医師などに対して、画家という「自由業」でしかも若いという二つの点で「異質」分子である男が、恋人殺しの冤罪に問われる。

真犯人である薬局主(ベルナール・ブリエが名演)は、あれは殺人でなく処刑だったんだ、などと自分に言い聞かせるのだが、無実の男が犯人にされるとなるとさすがに良心が痛み、国境を超えてスイスの教会に飛び込んだ。

司祭に告解し、拘留されている画家の無実を当局に知らせてくれるかと期待するのだが、

「まず、自首しなさい、神の慈しみはその時点からもたらされる、自分の魂を救いなさい」

と言われる。

実際、この司祭は、当局に、今捕まっている男は犯人ではないことを通知するのだけれど、彼らはそれを握りつぶす。司祭に告解に行ったということだけでも、「真犯人」が彼らの仲間であることは想像がついたからだろう。

町のブルジョワたちが一番避けたいのはスキャンダルで、一番守りたいのは「シンプル」な生活のルーティーンなのだ。

皮肉なことに、真犯人の薬局主だけが、良心に従っているうちにそのルーティーンから解放され、ある種の自由を獲得する。「真実があなたを自由にする」というやつだ。
しかし、事態は思いがけない展開となり、「偽善」が勝つ。

半世紀も隔たりがあるというものの、こういうフランスの社会派の犯罪映画を2本続けてみると、ハリウッド映画から得られるような「単純なカタルシス」がいまさらながら恋しくなる。
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# by mariastella | 2016-09-09 01:06 | 映画

「インドの聖女」マザー・テレサ その5

(これは昨日の続きです)

Q. マザーがヒンズー教徒をキリスト教に改宗させようとしたと非難する声もあります。マザーの他宗教との関係はどうだったのですか?

A. マザーは他のすべての宗教に対して非常に敬意を示していました。
捨てられた赤ん坊が死ぬ前に、洗礼を施していたとしても。(死の直前の緊急洗礼は司祭でなくても有効)

マザーがすべての神殿やモスクの前を通るときに深く礼をしている様子からもその敬意がわかり、その姿にショックを受けたシスターもいるほどです。

マザーは、ある種のヒンズー教徒が最下位のカーストに向ける視線を変えることに寄与したと私は思います。

付録: ジャン・ヴァニエの証言

「マザー・テレサは愛の宣教者会に入会したいという複数のヒンズー教徒の女性と出会いました。それで、ヒンズー教徒による修道会を創設しようと計画していました。それはヴァティカンからも許可されました。
結局これは実現しませんでしたが、マザー・テレサのパーソナリティの普遍性をよく表していると思います。」

ということだ。

マザーの人気のことを、「白人の修道女が異教の地インドで貧しい人を救う」という植民地の宗主国イメージの満足だとして非難する人もいるが、
「異文化との接触が戦いや排除ではなく愛と奉仕にも結実し得る」、というメッセージは貴重だ。

「人は人を愛することができる」というメッセージは、その「人」と「人」が異質であればあるほど深さを持つ。
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# by mariastella | 2016-09-08 01:30 | 宗教

「インドの聖女」マザー・テレサ その4

(これは昨日の続きです)

Q. マザー・テレサは、ヒンズー教徒にショックを与えませんでしたか? 彼らから不可触賤眠とみなされている人たちのそばでずっと過ごしたのですから。

A. それこそ、多くの人が衝撃を受けたパラドクスです。
マザー・テレサは神の顕現であり、同時に日常的に「不浄な人たち」と生きていたのですから。

「死に行く人の家」の門の上にはI thirst(私は渇く)という言葉とともにイエスの磔刑像が掲げられていました。

それは、十字架に「不名誉な死」を見る一定の人々にとってはいつも何かの間違いのようにとられていました。
もしキリストがそんな死に方をしたのなら、彼は前世で悪人であったに違いないからと思えたからです。

そのスキャンダルに加えて、「死に行く人の家」の場所が、カルカッタのカーリー女神の神殿の巡礼者の受付だったところに作られていた事実があります。
マザーは同じ場所に神殿のブラーマンも死に行く賤民も配したわけです。

神殿では供物の山羊が喉を掻き切られ、隣では断末魔の賤民が死んでいく…それなのにこの不可解さが、マザー・テレサへの崇敬を妨げるということはありませんでした。
みんながマザーという生き神を崇めていました。

確かに、復活の栄光のキリスト像ではなくて十字架に釘打たれて苦しむ不吉この上ない磔刑像を掲げるカトリックは輪廻転生の文化圏にとってショッキングだろう。

マザー・テレサは、路上で死にかけている「賤民」よりも、もっと悲惨な姿の「神」を前面に出してみせた。

マタイ伝の有名な箇所(25, 34-40)を想起させる。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

マザーにとって、「渇き」死んでいく人たちの世話をするのはキリストの世話をすることだったのだ。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-07 00:41 | 宗教

「インドの聖女」マザー・テレサ その3

(これはその2の続きです)

Q. マザー・テレサは最初に愛の宣教者会を作ったカルカッタに特別の人物ですか?

A. マザー・テレサはインドの国民的パーソナリティです。でもカルカッタとは特権的関係があります。
インドにおいてカルカッタは母神の町なのです。
カルカッタにはドゥルガー、カーリーなどの母神の神殿があります。
しかしこの二大母神は慈愛の様相をしていません。

カーリーは人間のエゴとの戦いの象徴です。体を踏みつけ、生首を連ねた首飾りをつけています。
ドゥルガーの方は、権力のシンボルで、槍を構えて虎の上に乗っています。

カルカッタでは母神としてのマザー・テレサは母性愛と結びつけられました。
彼女はインドの母神のイメージにやさしさという新しい面をもたらしたのです。

この点においてはカルカッタが最も影響を受けています。

      ・・・

なるほど、さっそく、wikiで検索。

カーリーは、

インド神話の女神。その名は「黒き者」の意。血と殺戮を好む 戦いの女神。シヴァの妻の一柱であり、カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれ、シヴァの神 妃パールヴァティーの憤怒相とされる。

とある。
「黒」「憤怒」「血と殺戮」とは穏やかではない。
白いサリーを来た白人で小柄でニコニコのマザー・テレサは確かにその対極だ。

ドゥルガ―は、

外見は優美で美しいが、実際は恐るべき戦いの女神である。10本あるいは18本の腕にそれぞれ神授の武器を持つ。デーヴァ神族の要請によってアスラ神族と戦った。シヴァ神の神妃・・・ 

とこれも超勇ましい。アマゾネスだ。

一二神将のひとつにさえなっているそうだ。
また「黒闇天」とも同一視される、という。

「黒闇天」も検索。

仏教における天部の一尊。吉祥天の妹。また閻魔王の三后(妃)の1柱ともされる。中夜・闇と不吉・災いをも司る女神で、信じる者には夜間の安らぎや、危険除去などを授ける。

だって。

これはなかなか意味深長だ。

マザー・テレサは「もし私が聖女になるならば暗闇の聖女になるでしょう」と言っていた。

これは普通、「闇の中を照らす光明のような聖女」と考えられているが、マザーが半世紀も試練を受けた「信仰の闇」のことを考えると、マザーはインドの黒闇天のことも知っていたのかなあ、などと想像してしまう。

「白くて優しい慈愛の母神」としてヒンズー教徒から崇敬されたというマザーだけれど、もしほんとうに「白くて優しい慈愛の母神」だけだったならそこまで崇敬されることはなかったかもしれない。

慈愛の母親として弱い者を抱き取ってくれるだけではなく、マザーの抱えていた闇が、「信じる者には夜間の安らぎ」を授けてくれる力となって感じらとられていたのかもしれない。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-06 00:33 | 宗教

「インドの聖女」マザー・テレサ その2

(これは昨日の続きです)

朝から、マザー・テレサの列福の実況に続き特別番組が組まれていた。

教皇が説教の中で「マザー・テレサ」と言ったことが、今後も、「聖女テレサ」とか「聖マザー・テレサ」と言わなくても、今まで通り「マザー・テレサ」と呼び続けてもいい、というお墨付きとなった、と解説されていた。

マザー・テレサが聖女になったのは何よりもその「マザー」の側面であってキリスト教の「母の愛」の側面をインド社会が発見したことの意味は重要である、云々。

他の病気は薬で治るが、自分が愛されていない、誰にとっても意味がない、という絶望の病を治すのは、愛しかない。で、マザー・テレサはそれを実践した。

そして「愛」の根源にあるのが「母の愛」というわけだ。

パステルナークの「ドクトルジバゴ」にあるという言葉

「どうして神は(イエス・キリストに)受肉したのか? それは神もおかあさんというものを知りたかったからだ」

も引用されていた。

私は前にも書いたけれど「おかあさん神話」が特定の女性の姿に重ねられてバイアスがかかっていくのを、ちょっと違うんじゃない?と思っているので、微妙に思ったが。

で、昨日の続き。

Q.マザー・テレサは生前も同じようにインド人から崇敬されていたのか?

A.ヒンズー教徒からすでにダルシャン(神の顕現)とみなされていました。インドでは一派にダルシャンはグル(尊師)でした。彼らは神殿に住み、やってきた人々に平和と智慧と愛を伝えます。
マザー・テレサはそのサリーの簡素な姿という外見によってダルシャンに新たな力を付与しました。
日常的に彼女が外を歩くとき、多くの人が彼女の後をついていき、服に触れようとしました。
インド人でもなくヒンズー教徒でもないダルシャンというのは唯一の存在でした。

あまりにも崇敬が浸透したので彼女のインド国籍取得を問題する人はいません。
宗教に関しても、多くのヒンズー教徒にとって、彼女がカトリックだということは重要ではありません。彼らは彼女の中に、ヒンズー教の最高峰に達するための道の一つを見るからです。

(マザー・テレサの国籍については、wikipediaを見ると、

オスマン・トルコ (1910-1912)
セルビア(1912-1915)
ブルガリア (1915-1918)
ユーゴスラビア(1918-1948)
インド (1948-1997)
アルバニア(1991-1997)

となっている。東欧系の人って大変な時代を生きたなあ、とあらためて思う。)

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-05 00:08 | 宗教

「インドの聖女」マザー・テレサ その1

9/4はローマでのマザー・テレサの列聖式がフランスの公営テレビで朝から中継されるというので、「フランス人の聖人の時も中継しないのになぜ?」などと「政教分離派」の人が言ってきた。
フランス人の聖人だと「カトリック村」の話になるので共和国の公営テレビにはちょっと、となっても、マザー・テレサだったらノーベル平和賞受賞者だから「人類」みんなの聖人、という感じなんじゃない? と答えた。

で、毎号読んでいるカトリック雑誌に彼女のことがいろいろ書いてあったのだが、その中で、ガンジス河岸ベナレスにあるパリ外国宣教会のヤン・ヴァヌー神父のインタビュー記事が今まで知らなかったことを教えてくれた。
彼は2012年から現地にいるまだ40歳の神父で、ヒンズー文化に詳しい。彼にとってはある意味で、マザー・テレサはすでに「インドでのイコン」だった。

カトリック的には、いくら人気の高いパーソナリティでも、公的に尊者、福者、聖人と認定されなければ、信心グッズが出回るということはない。
列福や列聖の条件である「祈りの取次ぎによる奇跡」が起こるチャンスを増やすために、「聖遺物(服の切れ端など)」付きのカードにとりなしの祈りの文句を書いたものなどが配られることはあるけれど、それでなくともカトリックの聖人システムは批判されたり揶揄されたりすることが多いので、カトリックのコミュニティーの外にむやみやたらにメダルなどが出ることはない。生前ならもちろんだ。

ところが、マザー・テレサはインド的には、もう生前からすっかり聖女扱いで、屋台、露店にマザーの置物がヒンズー教の神像と並んで売られているのだそうだ。

写真を見ると、やせたインドの子供(なぜか下半身裸)を抱く白いマザーの上半身の像。他の神像の中で目立っている。

Q.その「マザー・テレサ」信仰の実態とは?

A.「ヒンズー教徒とインドのムスリムにとってはマザー・テレサはすでに聖女です。
すでに他宗教によって崇敬されている女性をカトリック教会が列聖するのは始めてです。
私の周囲のヒンズー教徒で、自分のうちにガネーシャやシヴァの神像と同じようにマザー・テレサの像を飾っている人たちがいます。
今のカルカッタではマザーの墓所を拝みに来る巡礼者の行列が絶えません。
宣教会のシスターたちがインド中にいるので、そのサリーは国のエンブレムの一つになっていますし、新聞も宣教会のことを話題にします。彼女と同じく国葬になったガンジーよりも存在感があります。」

へー、そうなんだ。確かにガンジーを「神像」にしちゃうのは、見た目普通のインド人だから、白いヴェールをつけた白人のマザーよりもハードルが高そうだ。

(続く)
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# by mariastella | 2016-09-04 00:14 | 宗教

イズー君はハンス少年か

水場が好きで洗面台や流しに来る猫の話はよく見聞きしていたけれど、うちの代々の10匹ほどの猫の中で、蛇口から水を飲むのが好きなのはこの夏ちょうど3歳になったイズ―君だけだ。

何でもお兄ちゃん猫スピノザの真似をして大きくなったのに、おなかを出して寝るのと蛇口の水が好きというのだけは生来のもののようだ。

私の書斎には洗面台がある。そこで顔を洗ったり歯を磨いたりする。
で、その蛇口から水が出る音を聞きつけるだけでイズー君が現れて体を半分洗面台の中に入れてくる。

で、私が水量を調節して、「ちょろちょろ」くらいにしてやったときに蛇口に口を当ててごくごくごく、と飲み始めるのだが、その半分くらいは下に流れている。

おもしろいのは、すぐに口を当てるのではなく、両手でかわるがわるに、蛇口、レバー、洗面台の回り、蛇口の後ろのタイル部分などを必死に「ざっざっ、」と掻き出すことだ。

飲んだ後も、洗面台から降りる前に周囲を丁寧にざっざっと掻くというか、こする。

爪で掻いた後で肉球でこするという感じだから、タワシとスポンジで掃除しているようなもので、おかげで洗面台の回りはいつもピカピカで掃除いらず。(まあその後でぬれた足でPCの上に座るのでラップトップの蓋は足跡だらけだけど)

その儀式を見ながら、最初は

「えい、えい、水よ、もっと出ろ」
「さあもう飲んだから水を止めなくちゃ、えい、えい、水よ。止まれ」

とアテレコをして、もちろん実際は私が出したり止めたりしていたのだけれど、最近別のことを連想するようになった。

それはオランダの少年の話。

今、ウェブで確認してみたら、こういうのがあった。
海面より低いオランダで、堤防の決壊を防ぐために、少年がひと晩穴に手を入れて防いだというあの美談だ。

で、イズーちゃんが毎回水を飲む前に見せる律儀な必死さのパフォーマンス。アテレコを変えてみた。

「あ、大変だ、水がちょろちょろ出てる。
何とかしなくちゃ、ざっざっざっ、
埋めればいいのかなあ、ざっざっざっ、
あ、まだ出てる、
じゃあ、今度はここだ、ざっざっざっ、
あ、まだ止まらない、
それならここは? 
ざっざっざっ、
大変だ、大変だ、何とかしなくちゃ、
これはもう、こうするしかない、
口を当ててぼくが全部飲んじゃえばいいんだ、
えい、ごくごくごく、
かあさん、早く来て、ぼくがんばるから・・・」

とアテレコしてみたらぴったりなのだ。

洪水を心配しているのか節水のために頑張っているのかは知らないけれど、なんだか、健気。
真剣さにじーんとくる。

同じ場面を見ていてもアテレコを変えるだけで、おバカ猫がハンス少年になって感動物語の主人公に…。
お涙ちょうだいの物語の作り方ってこんなものなのかなあ。

ひょっとして、私は暇なのか?
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# by mariastella | 2016-09-03 02:11 |

改宗と宣教の違い?

フランス語と日本語のニュアンスの差に愕然とすることが最近いくつかあった。

ひとつはカトリックに関する日本語のサイトで、エキュメニズムを批判している記事の中で日本のカトリック教会が他宗派や他宗教を招いて祭壇の前でみな並んで云々というのを批判している人のものだった。

他の宗教の人が祈りを捧げる時に十字架や聖体の前ではまずいだろうからと十字架を外したり聖体櫃の場所を移したり云々とというのはいかがなものかという話もあった。

パリの仏教のパゴダでよく行く諸宗教の平和の祈りなんかの行事では、どでかい金ぴかの仏像の前でイスラムもユダヤもキリスト教も平気でパフォーマンスをしているのを見ても誰も何も思っていなかったけれど…。

で、カトリックは他の宗派をリスペクトするあまり、自分の教会で何かをする時に遠慮しすぎている、とかいう文脈で、何しろ「改宗は教会法で禁じられているから」とあった。
まあ教会法の前後を読めば、禁止されているのは「改宗の強制」「強制的な改宗」だと分かるし、それには、帝国主義の歴史の中で、カトリック教会が行ってきた強制改宗の歴史などを反省してという文脈も分かるのだけれど。

それにしても「改宗が教会法で禁止」って、「宣教しても改宗させるな」ということだと誤解を招くのではという人がいるわけだ。

この話は2009年8月のマニラでのアジア司教協議会総会というところで教皇名代のアリンゼ枢機卿が「福音宣教は即改宗を意味しない」ことを強調した、と日本の司ある司教が報告して「改宗させることは教会法でも禁じられているという。」と書かれたことへのリアクションらしい。

実際に枢機卿が述べたのは、

 Papal delegate Cardinal Francis Arinze opened an assembly of Asian bishops in Manila, stressing the Eucharist's transforming power, and emphasising evangelisation rather than "proselytism, which is forbidden by canon law."
だそうで、

Proselytism, on the other hand "seeks to influence people to embrace a certain
religion by means that exploit their weak position or put some other pressure on
them," he said.

ということだ。

で、問題となる「教会法748」というのは

「すべての人は、神及びその教会に関する事柄の真理を探究する義務を有する。かつ、認識した真理を受け入れ、保持する神法上の義務及び権利を有する。なんびとも、他者の良心に反して、カトリック信仰を強制することは許されない。」

というもので、要するに「信教の自由」という基本的人権思想にのっとったものだ。
キリスト教が最初は迫害されてきて、後にローマ帝国の国教となるなど政治と結びついた時点から迫害する方に回ってきて、などという歴史の末に、たどりついたものだ。
そういう歴史を背負っていない宗教がメインの文化圏では、近代理念としての「信教の自由」を言われても受け止められ方の実際はわからない。

で、この「改宗」のproselytismはフランス語では「prosélytisme」。

Prosélyteはギリシャ語では新参者という意味だったけれどラテン語のproselytusになると改宗者ということになる。

(マタイによる福音書/ 23, 15
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。 )など。

これも文脈から見ると、強引に教義を押しつけるという感じである。

20世紀末からは完全に「カルトの勧誘」に使われて、ネガティヴな意味になった。

だから私などはフランス語でプロゼリティスムと聞くと、「カルト宗教の勧誘」くらいしか連想しない。

「正しい宗教」「老舗の宗教」は勧誘しないし、してはいけない、みたいな感じだ。

アメリカの教会が米軍を通じてアフガニスタンで大量に聖書を配ったり、リビアのカダフィがイタリアで聖書を配って「イスラムは全ヨーロッパの宗教にならなくてはいけない〉と言ったりしたのはプロゼリティスムだと言われる。
「強制的」というより「しつこい勧誘」というイメージだ。

でもフランスのカルト規制法などで言われるカルトの勧誘のプロゼリティスムは、基本的に弱者への勧誘を指す。キリスト教だろうが何だろうが、学校、病院、高齢者施設の中や近隣での勧誘は禁じられている。未成年や心身が弱っている人には「入信」への自由意思を行使できる能力が十全ではないとみなされるからだ。

大地震などの被災地に援助とともに布教する団体もたくさんあるし、日本でも新興宗教や新宗教と呼ばれるものが、共同体から疎外された人や社会的な不全感をもって悩んでいる人などにターゲットを絞って、(中には保育所という枠を使ってまで)「布教」「勧誘」がされることが多かった。
マーケッティング戦略としては当然かもしれない。

老舗宗教は代々の信者がいるのでそういう必要がないともいえる。

カトリックはヨーロッパの老舗宗教だが、民族宗教ではなく普遍宗教で、地縁血縁も関係なくすべての人を救う、ということになっている。
もともとヨーロッパに広まったのも、先住のギリシャ・ラテン人やケルト人のいたところに「移動」してきた「異教徒」のゲルマン人が勢力拡大戦争を通して「統合」のために採用したものだから、その後の覇権主義とも相性がよかった。
内部で分裂して大規模移民や内戦を繰り返してきたので、まあそれらの「経験資産」が豊かで、それを本当の意味で「普遍的な救い」に結びつけるように進化するだけの知性もあったということなのだろう。

だから教会法の言葉はその智慧の結集だとも見える。

まあ「信教の自由」にまつわる「良心」に反してとか「良心に従って」とかいう「良心」という言葉自体がまた大問題で、キリスト教的な特殊な含意なしには考えられないのだけれど。
 
ともかくそんな「プロゼリティスム」がただ「改宗」と訳されると、確かに変だ。

改宗という日本語をフランス語にしたらむしろconversion(回心)だ。それは「人からの勧誘」というより「神からの呼びかけ」とか「聖霊の働き」によって改宗するというイメージだろう。

日本語でも、「布教」という言葉はやめて「宣教」になったそうだが、布教だと無理やり広めるニュアンス、「宣教」だと福音を勝手に宣言するだけだから矯正するわけではないですよ、という感じなのかもしれない。

それでなくとも日本のカトリックは、信徒の世話をするという感じで積極的に外に出ていかない、ということで、宣教師だったネラン神父が新宿にバーを開いてマジョリティの日本人である「サラリーマン」のそばに行くと決心したエピソードは有名だ。別にバーで「プロゼリティスム」をするわけではなく、福音を生きる生き方を見せることで分かち合おうという形だった。

ともかく、ここ30年くらいのフランス語の「プロゼリティスム」は完全にネガティヴな言葉だ。何でもかんでも自分の主張を押し付ける人に対しても普通に使われる。

特に、21世紀に入ってからは、またここ最近は「イスラム国」がウェブを通して若者を煽って「改宗」させたり「回心」させるし、実際に勧誘したりすることと結びついてしまったので、「プロゼリティスム」の「悪」はすっかり広まってしまった。

だから、今や、帝国主義の歴史云々の前に、「カトリックはプロゼリティスムはしない」というのは、「カトリックはカルト宗教ではありませんよ」というほとんどアイデンティティにかかわるニュアンスをもっている。

こういうフランスをはじめとするキリスト教文化圏では共有されている含意が、日本語に訳されるとかなり微妙になるんだなあと思うと、宗教に関する言葉の難しさを改めて考えさせられる。

(他の言葉についてはまたそのうち書きます。)
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# by mariastella | 2016-09-02 17:27 | 雑感

ブルキニの話

数日前、澤藤統一朗さんのブログにブルキニ(イスラム女性用のブルカ風水着)をめぐってのフランスのいざこざについての記事があった。

このテーマはあまりにも複合的なのでスルーしようと思ったのだけれどひとことだけ書いておく。

今回の海岸でのブルキニ禁止条例については、ブルキニを着て浜辺にいる女性の服を脱がそうとするような倒錯的なシーンもあって確かに問題外だった。

私も澤藤さんのように、この条例を無効とした国務院の決定はさすがフランスだと思った。

ムスリムを規制する条例が出るたびに反応するカトリックも、「私は来週、修道会のシスターである妹を浜辺に誘うつもりだが、ヴェールをつけたシスターの服装で座っていても尋問されるのかと心配だ」と揶揄している人がいた。

浜辺に座っていても、泳ぐわけではなく着衣の人などいくらでもいる。
まあフランスのリゾートでは少ないだろうけれど、日焼けしたくなくてできるだけ肌を覆って日陰に座っている年配のご婦人など十分いるわけで、そんな人に、肌を隠すのが悪いなどというのはまったくの倒錯だ。

問題は、女性が、男性の作った条例や法によって服装を規制されることのほうで、イスラムをあげつらうなら、シャーリア法では、厳密に言えばブルキニどころか、そもそも男性(父、兄弟、夫を除く)のいる浜辺に女性が行くことが禁じられている。
肌は覆っているが体の線を出しているブルキニを着てリゾート地の海岸に行くなどとんでもないことだ。

フランスの場合は、露出の多い水着で泳ぐことを共同体から禁止されてこれまでプールや海に行けなかった女性たちがブルキニができたおかげで海に行くことができた、むしろ「女性解放」の第一歩だなどと言われているのでことがややこしい。

そうやって海に来たムスリムの女性に、公共の秩序に反するから他の女性のように肌を露出しろなどというのはまったくグロテスクなのだが、問題はそこではない。

問題は、ブルキニをはじめとするシャーリア法にかなった女性の服が新しいマーケットを形成していることのほうだ。

たとえば、シャーリア法を適用しているサウジアラビアでは、イスラムスカーフで髪をおおったりアバヤで体をおおったりするのは初潮を迎えた後の女性ということになっている。そして閉経した女性はヴェールをとってもいいともある。

もともと髪を隠していないで町に出ると「売春婦とまちがわれる」ことを避けるためにヴェールの着用が推奨されたといういわれとも合致している。修道女のヴェールも「イエスと結婚している」女性であって、他の男とは結婚しないというしるしだった。普通の既婚女性もヴェールをかぶっていた。

それがいつのまにか、フランスにおけるムスリムの共同体の一部では、イスラムスカーフをつけてない女性はみだら、不品行、男を誘っている、のようなハラスメントの対象になってきた。

宗教と関係なくても、女性が痴漢にあったりセクハラされたりした時に、挑発的な服装をしていたからだ、そんなところに夜一人でいるのが悪い、などといわれるのと同じ構造だ。

で、ブルキニだが、これはこういう問題を利用したビジネスの話なのだ。

なんと今では2,3歳の幼児用の、かわいい色とりどりの頭巾と服の一体型で全身を覆うタイプのイスラム服さえインターネットで売られている。

需要のある所に商品が開発される。

フランスのオートクチュールもイスラム女性向けモデルを打ち出したことで物議をかもした。

ブルキニは宗教ではなくビジネスなのだ。

素敵なデザインだから、堂々と来ているのよ、どこが悪いの? 的になってくる。
2歳の女の子のアバヤやブルカも「かわいい」から着せてるのよ、となってくる。

市場論理に目をくらまされて私たちはいつの間にかいろんなことで変な方向に行って、なかなかそれに気がつかない。

それに気づかせてくれただけでもブルキニ騒ぎは有用だったとも言える。

市場経済の戦略にとって、ムスリム女性向けの水着というのはまさに「ブルーオーシャン」(競争相手のいないマーケット)であった。

「売春婦でないのなら男を誘惑するような服を着てはいけない」などという根強いドレス・コードを、長年かけて苦労して、やっと打ち破ってきた女性たちが好きなかっこうをしている浜辺に、それが進出してきたのだ。

ブルキニの問題はイスラムの問題ではなく、政教分離の問題でもなく、フェミニズムの問題である。
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# by mariastella | 2016-09-01 06:29 | フェミニズム

komonoの話

先日、朝のラジオで、ナレーターが

「さがしものをしたことがありますか? 人はなんと平均生涯の2ヵ月を探し物に費やしているのです。いらないモノを捨てましょう。日本語にはこういう言葉があります」

という感じで話し始めたので、思わず耳をそばだてた。

さてはあの「断捨離」という言葉がついにフランスに上陸したのかなあ。

私はなかなか「断捨離」ができない人だけれど確かに探し物はよくする。
そのおかげで、探し物は見つからなくてもすっかり忘れていたものを見つけて喜ぶこともよくある。

で、どんな日本語かと言うと、「komono」なのだそうだ。

え、どんな経緯でkomonoが…?

「komono には4種類あります。

1.ノスタルジー。思い出のためにとっておくもの。
2.経済的なもの。高かったから捨てられない。
3.社会的なもの。リサイクルしたり寄付したりするためにとってあるもの。
4.備蓄。いつかは役立つに違いないと思ってとっておくもの。」

というのだ。

どうやら、つい捨てられないで堆積するモノのことらしい。

でも、日本語の小物って別にネガティヴな意味はない。

「和の小物」とか「キッチンの小物」とか、小ぶりのかわいいものを想像する。

確かにかわいいとか便利そうだ、場所をとらないと思ってついつい買ってしまう小物が溜まってごちゃごちゃしてしまう、というようなケースはあると思う。

何しろ小物だから小さくて、数が増えると何がどこにあるのかわからなくなって「探し物」を増やすこともありそうだけれど。

「高かったから捨てられない」小物というのは少し変だ。

小物というのは値段が手ごろだからこそ増えるのだから。

小さくても高価な宝石や時計は小物とは言わない。
むしろ「大物」の買い物だ。

もともと日本語の言葉って、アニメや漫画のおかげでちょっとおしゃれという先入観もあるフランス。

そのうち誰かに「komonoで困っているんだよ」なんて言われたら、なんてリアクションをしよう、といらぬ心配を少ししてしまった。
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# by mariastella | 2016-08-31 00:40 | フランス語

「父の祈りを」(ジム・シェリダン)その3

(これは前回の続きです)

冤罪のテーマ

1972 年にイングランドの統治に反対する市民らのデモに陸軍が発砲した血の日曜日事件以来、IRAによるテロも激化した。
1975年のテロ特別法で、証拠がなくても容疑者を7日間交流することが可能になり、これが徹底していたので、IRAによるテロは実際下火になった。

法治国家では法が変われば正義も変わる。

9・11の後のアメリカの愛国法など、21世紀でもいくらでも起こるエピソードだ。

ただ、真犯人が名のり出た後もイギリス当局は主人公たちの再審をしないばかりか、実は、最初に主人公が自分たちのアリバイを証言してくれると主張していたホームレスの男を探し出していた事実も握りつぶしていた。

ホームレスの男の証言によって主人公らのグループがパブ爆破については無罪だと分かったうえで、それでも彼らがアイルランド人のヒッピーであることは変わらないのだから、政治的判断で「犯人検挙」を演出していたわけだ。

しかし、実は法廷に出さない極秘文書に、ホームレスの証言記録が残っていた。それを偶然見つけた弁護士によって再審が行われ、全員釈放となる。
それまでにはイギリス人も含めて多くの支援団体ができていた。
父を病気で死なせてしまった息子が父の無念を晴らすためにようやく本格的に抗議行動を起こすようになったからだ。
彼と父だけではなく親戚の子供たち(14歳のいとこなど)に至るまで、共犯を問われて服役し、人生を狂わされていた。

それにしても、そんな不都合な極秘書類、封印するぐらいだったら、どうして「破棄」していなかったのだろう。

証拠を隠すくらいに、恣意的で公正でない検察が、破棄だけはしないでとっておいたというところが、これも「先進的法治国家」ならではの「お花畑」ぶりという気もする。

しかし、これだけの歴史に残る「冤罪」であったにかかわらず、証拠を隠ぺいしていた検察側や暴力や脅迫で自白を強制した警察の側も、結局、だれも責任を問われず、だれも罰せられなかった。

ドレフュス事件を思い出す。
ドレフュスを冤罪に陥れた責任者たちはやがて何もなかったように昇格して出世している。

ドレフュスは「歴史」となり、ドレフュスを擁護した運動も「歴史」となったが、「責任者」も「真犯人」も雲散した。

一つの冤罪が生まれる背景には、たんなるエラー、判断の過ちなどではなく、その冤罪の出現を可能にする大きく重い歴史と政治の装置があるということだろう。

この映画は、今の時代に貴重なメッセージを伝えてくれる。

テロの脅威、非常事態宣言、テロ捜査における様々な特令。

今、過去に学ばなければ、私たちは「疑わしきは罰せよ」の安心感にきっと惹かれてしまう。
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# by mariastella | 2016-08-30 00:27 | 映画

「父の祈りを」(ジム・シェリダン) その2

(これはこの前の記事の続きです)

父と子のテーマ

父と子が同じ房で暮らしていたというのはいくら演出でも不自然な気はする。

ともかく刑務所の中で二人はそれまでの生活すべてよりたくさんの言葉を交わして濃密な関係になる。

自分がはじめてサッカーの試合で勝った時に父親がほめてくれずに「ペナルティを誘発したのではないか」と質問したことを息子は忘れられない。

そこは父親が「よくやった」とまず祝福してやるべきだったというのは教育心理学的に正しいだろうが、この父親にとっては、息子のチームが勝つことよりも、息子が「不正をしない」「正々堂々と戦う」ことの方が大切で、それこそが息子に伝えたいメッセージなのだった。

だから、大人になった息子が泣き崩れても、父は「悪かった、本当はお父さんも君たちを誇りに思っていたんだよ」などということは言わない。

息子が峻厳な父からほしかったメッセージは、「よくやった」という言葉以前に「愛してるよ」という一言だったろう。

それは、子供の時も刑務所で同房に勝った時も実は同じなのだ。

父はそれを言わない。

息子を愛しているのは自明だからだ。
愛しているからこそ、「不正をしない」立派な人間になってほしいと思っている。

どうして母親が気づいてやれなかったのだろう。
「今はとにかくあの子に愛してるよとだけ言ってだきしめてやって、」と。

それは、父親が、この母親には「愛してる」と言い続けてきたからだ。
息子には「父」としての責任を感じて「正しい生き方」を見せ、「正しい生き方」を教えることが使命だと思って優先してきた。しかし、母親は自分の守るべき存在であり、愛を表明する存在だった。

だから母親はただ愛していると父親から言ってほしい息子の気持ちを忖度できなかった。
多分、自分自身は息子に「愛している」と言ってきたから、まさか息子が父からのその言葉に飢えているとは思わなかったのだろう。

もともと「愛している」という言葉を家庭で発さない父親なら息子もそこまで父の愛の表明を渇望しなかったかもしれない。でも彼は父が母に「愛している」と言えるのを知っていた。

父は息子がドラッグを吸うのが許せない。息子は「わかった、お父さんが生きている間はもう吸わないと誓うよ、それでいいかい」と言うのだけれど、父は許せない。

結局、一生吸わないと誓わされる。息子はいい加減な男だけれど、この父との間に交わされる「誓い」には二枚舌が不可能だということを知っている。

そして息子がそれを知っていることを父も分かっているので、安心するのだった。

このシーンは親子の間に実は強固な信頼関係があることをうかがわせて救われる。

父の死後息子が冤罪を証明するために戦うのは父の愛した母のためでもあった。
父が死んだ後、母に向け続けられた父の愛を表明することが彼の使命となった。

彼ははじめて父親から必要とされたのだ。

息子役のDD ルイスも父親役のPポスルスウェイトもさすがの名演だ。

ただ、見た目があまりにも違っているので、映画の中の父と母から絶対にこんな息子は生まれないだろうというレベルの違和感がついてまわった。
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# by mariastella | 2016-08-29 00:32 | 映画

「父の祈りを」(ジム・シェリダン監督/DDルイス主演)1994

先日Arte で視聴したこの映画、テーマが多すぎる。

まず、悲しいくらいに「アイルランド」映画だ。

イギリスのEU加盟は1973年、この映画のもととなったIRAによるロンドンのギルドフォード・パブ爆破テロが1974年だから、まだ、南北のアイルランドの国境が取り払われて交流が進むという感覚はなかったころかもしれない。

それから40年も経って2016年の英国のEU離脱決定の後で、北アイルランドの人たち(祖父母や両親がアイルランド人であればOK)が英国のパスポートとアイルランドのパスポートの両方を持てるということで申請に殺到したというのは記憶に新しい。

分離独立運動は1998年に和平が成立したが問題は継続している。英国のEU離脱が決まった今、再燃することは間違いがない。

1.カトリックのテーマ

タイトルだが、日本語では「父への祈り」と、獄中で無念の死を遂げた父の慰霊をするかのように息子が生まれ変わって戦った、ような印象を与えるけれど、原題は『In the Name of The Father』で、これはもちろん典礼の「in the name of father son and holy spirit(父と子と聖霊の名において)」(その後でアーメンと続く)をもじったものだ。

父とはもちろん父なる神である。

映画の中での父はロザリオを持っていて、刑務所の中でも毎日ロザリオの祈りを唱えている。

それを見る息子は笑い飛ばす。

多分小さいころには家中で唱えていたものだろう。

それを刑務所に入ってからも律儀に続けている父を笑うのは、

「何をいまさら。あんたの聖母様(ロザリオは聖母マリアへの祈りが中心)が何もしてくれないから俺たちはこんな目にあっているんだぜ。すべてはこんなものを信じているせいなんだ。祈っても無駄なのは証明済みさ」

というような気持が哄笑となって出てきたのだ。

アイルランド問題の底には宗教問題がある。

カトリックが優勢なところに、宗教改革の後でスコットランドやイングランドから北部に入植してきたプロテスタント系住民が自分たちに有利な選挙方法で権力を掌握し、カトリックを迫害した。

住居や就職でも差別された。

この映画でも、父親の仕事が健康を蝕むもので、それはカトリックだからだと息子が指摘している。

また息子は無職でヒッピーまがいで盗みを働く「不良」だが、首からは十字架をぶら下げている。

カトリックであることは宗教ではなくてアイデンティティの問題なのだ。

ロンドンに行った息子とようやく電話で話せた時も親は「ミサには出ているか?」と尋ねている。
息子はもちろん嘘をつく。そこで「そんなもん、出るわけないだろ」とは言わない。

法廷に出る時も母親が陪審の印象をよくするためにと「日曜日の服」を用意する。
つまり地元では日曜には背広を着てネクタイを締めて親と共に教会に行っていたのだろう。

父は、刑務所の食堂で、テロの真犯人であるIRAの活動家と出会う。
彼に頼んで息子の無実を晴らしてもらうという意識より先に、父は無差別テロがゆるせない。

お前が殺したのは「すべて神の子」なんだ、と怒りを見せる。

唯一の救いは刑務所に聴罪司祭が出入りしていたろうということで、彼の死を息子に知らせに来るときにローマンカラーを付けた司祭がたずねてくる。

父の名がジュゼッペというイタリア名であることが妙なトラウマになっていることもおもしろい。

ジュゼッペは聖家族のヨセフであり、カトリック世界では普通の名だが、国によってジョゼフ、ヨセフ、ホセ、などと読み方が変わる。

祖母が父親を妊娠していた時に町にやってきたイタリア人のアイスクリーム売りがジュゼッペということでそう名付けたのだそうだ。
父親の生まれた時代のアイルランドで一人だけ「ジュゼッペ」という名で育つのは確かにトラウマになりそうで、息子までそれを意識している。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-28 04:08 | 映画



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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