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L'art de croire             竹下節子ブログ

「父の祈りを」(ジム・シェリダン) その2

(これはこの前の記事の続きです)

父と子のテーマ

父と子が同じ房で暮らしていたというのはいくら演出でも不自然な気はする。

ともかく刑務所の中で二人はそれまでの生活すべてよりたくさんの言葉を交わして濃密な関係になる。

自分がはじめてサッカーの試合で勝った時に父親がほめてくれずに「ペナルティを誘発したのではないか」と質問したことを息子は忘れられない。

そこは父親が「よくやった」とまず祝福してやるべきだったというのは教育心理学的に正しいだろうが、この父親にとっては、息子のチームが勝つことよりも、息子が「不正をしない」「正々堂々と戦う」ことの方が大切で、それこそが息子に伝えたいメッセージなのだった。

だから、大人になった息子が泣き崩れても、父は「悪かった、本当はお父さんも君たちを誇りに思っていたんだよ」などということは言わない。

息子が峻厳な父からほしかったメッセージは、「よくやった」という言葉以前に「愛してるよ」という一言だったろう。

それは、子供の時も刑務所で同房に勝った時も実は同じなのだ。

父はそれを言わない。

息子を愛しているのは自明だからだ。
愛しているからこそ、「不正をしない」立派な人間になってほしいと思っている。

どうして母親が気づいてやれなかったのだろう。
「今はとにかくあの子に愛してるよとだけ言ってだきしめてやって、」と。

それは、父親が、この母親には「愛してる」と言い続けてきたからだ。
息子には「父」としての責任を感じて「正しい生き方」を見せ、「正しい生き方」を教えることが使命だと思って優先してきた。しかし、母親は自分の守るべき存在であり、愛を表明する存在だった。

だから母親はただ愛していると父親から言ってほしい息子の気持ちを忖度できなかった。
多分、自分自身は息子に「愛している」と言ってきたから、まさか息子が父からのその言葉に飢えているとは思わなかったのだろう。

もともと「愛している」という言葉を家庭で発さない父親なら息子もそこまで父の愛の表明を渇望しなかったかもしれない。でも彼は父が母に「愛している」と言えるのを知っていた。

父は息子がドラッグを吸うのが許せない。息子は「わかった、お父さんが生きている間はもう吸わないと誓うよ、それでいいかい」と言うのだけれど、父は許せない。

結局、一生吸わないと誓わされる。息子はいい加減な男だけれど、この父との間に交わされる「誓い」には二枚舌が不可能だということを知っている。

そして息子がそれを知っていることを父も分かっているので、安心するのだった。

このシーンは親子の間に実は強固な信頼関係があることをうかがわせて救われる。

父の死後息子が冤罪を証明するために戦うのは父の愛した母のためでもあった。
父が死んだ後、母に向け続けられた父の愛を表明することが彼の使命となった。

彼ははじめて父親から必要とされたのだ。

息子役のDD ルイスも父親役のPポスルスウェイトもさすがの名演だ。

ただ、見た目があまりにも違っているので、映画の中の父と母から絶対にこんな息子は生まれないだろうというレベルの違和感がついてまわった。
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# by mariastella | 2016-08-29 00:32 | 映画

「父の祈りを」(ジム・シェリダン監督/DDルイス主演)1994

先日Arte で視聴したこの映画、テーマが多すぎる。

まず、悲しいくらいに「アイルランド」映画だ。

イギリスのEU加盟は1973年、この映画のもととなったIRAによるロンドンのギルドフォード・パブ爆破テロが1974年だから、まだ、南北のアイルランドの国境が取り払われて交流が進むという感覚はなかったころかもしれない。

それから40年も経って2016年の英国のEU離脱決定の後で、北アイルランドの人たち(祖父母や両親がアイルランド人であればOK)が英国のパスポートとアイルランドのパスポートの両方を持てるということで申請に殺到したというのは記憶に新しい。

分離独立運動は1998年に和平が成立したが問題は継続している。英国のEU離脱が決まった今、再燃することは間違いがない。

1.カトリックのテーマ

タイトルだが、日本語では「父への祈り」と、獄中で無念の死を遂げた父の慰霊をするかのように息子が生まれ変わって戦った、ような印象を与えるけれど、原題は『In the Name of The Father』で、これはもちろん典礼の「in the name of father son and holy spirit(父と子と聖霊の名において)」(その後でアーメンと続く)をもじったものだ。

父とはもちろん父なる神である。

映画の中での父はロザリオを持っていて、刑務所の中でも毎日ロザリオの祈りを唱えている。

それを見る息子は笑い飛ばす。

多分小さいころには家中で唱えていたものだろう。

それを刑務所に入ってからも律儀に続けている父を笑うのは、

「何をいまさら。あんたの聖母様(ロザリオは聖母マリアへの祈りが中心)が何もしてくれないから俺たちはこんな目にあっているんだぜ。すべてはこんなものを信じているせいなんだ。祈っても無駄なのは証明済みさ」

というような気持が哄笑となって出てきたのだ。

アイルランド問題の底には宗教問題がある。

カトリックが優勢なところに、宗教改革の後でスコットランドやイングランドから北部に入植してきたプロテスタント系住民が自分たちに有利な選挙方法で権力を掌握し、カトリックを迫害した。

住居や就職でも差別された。

この映画でも、父親の仕事が健康を蝕むもので、それはカトリックだからだと息子が指摘している。

また息子は無職でヒッピーまがいで盗みを働く「不良」だが、首からは十字架をぶら下げている。

カトリックであることは宗教ではなくてアイデンティティの問題なのだ。

ロンドンに行った息子とようやく電話で話せた時も親は「ミサには出ているか?」と尋ねている。
息子はもちろん嘘をつく。そこで「そんなもん、出るわけないだろ」とは言わない。

法廷に出る時も母親が陪審の印象をよくするためにと「日曜日の服」を用意する。
つまり地元では日曜には背広を着てネクタイを締めて親と共に教会に行っていたのだろう。

父は、刑務所の食堂で、テロの真犯人であるIRAの活動家と出会う。
彼に頼んで息子の無実を晴らしてもらうという意識より先に、父は無差別テロがゆるせない。

お前が殺したのは「すべて神の子」なんだ、と怒りを見せる。

唯一の救いは刑務所に聴罪司祭が出入りしていたろうということで、彼の死を息子に知らせに来るときにローマンカラーを付けた司祭がたずねてくる。

父の名がジュゼッペというイタリア名であることが妙なトラウマになっていることもおもしろい。

ジュゼッペは聖家族のヨセフであり、カトリック世界では普通の名だが、国によってジョゼフ、ヨセフ、ホセ、などと読み方が変わる。

祖母が父親を妊娠していた時に町にやってきたイタリア人のアイスクリーム売りがジュゼッペということでそう名付けたのだそうだ。
父親の生まれた時代のアイルランドで一人だけ「ジュゼッペ」という名で育つのは確かにトラウマになりそうで、息子までそれを意識している。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-28 04:08 | 映画

ポケモンGO とカトリックの話

今朝のラジオで、誰が書いたのか聞き逃したけれど、おもしろい記事のことが紹介されていた。

フランスでも人気のスマホアプリ「ポケモンGO」に関してだ。
このアプリはスマホ画面を通して見る現実の場所の中にポケモンが登場するのをキャッチするというもので、公園などいろいろなところに人々がスマホを眺めながらおしかけるということで問題にもなっている。

リアルの世界にアニメのキャラクターが登場するといういわゆる「拡張現実」(Augmented Realit)というやつだ。

で、この現象を評した誰かが

「神、人はそれを信じる。

ポケモン、人はそれを見る。

幻想(イリュージョン)は信仰よりも強し」

と言ったのだ。

キリスト教は、名もなく姿も見えない一神教の神に、受肉した「子なる神イエス・キリスト」という姿を通して可視化したけれど、そのイエスも二千年前に昇天したので今は見えない。

それで、人々はせっせと、イエスの生まれた時から十字架で死んで復活して昇天するまでの姿を描いたり彫ったりしてきて拝んでいる。
見えるものそのものを拝むのは偶像崇拝だから、図像は信仰の手助けにするためにあるはずだけれど、
「リアルに見えないもの」を信じるというのはそれでも難しかったらしく、昔から、幻視者、見神者、神秘家というのがいて、リアルのイエスや聖人や聖母マリアの「ご出現」をたりお告げを聞いたりする話はことかかない。

考えてみたら、「ご出現」ってまさに拡張現実だよなあ。

深夜のチャペルに呼び出されると椅子に座っている聖母に出会うカタリナ・ラブレー、誰にも何も見えないルルドの洞窟に聖母マリアが現れるのを見て感激するベルナデット、彼女らは神秘のアプリをダウンロードしていたのだろうか。

スイスの国境から遠くないフランスのベルガルドの教区司祭は、多くの教会の前庭がポケモン探しのポイントになっている(ベルガルドの場合がまさにそう)ことを『ラ・クロワ(カトリックの日刊紙)』の記事で読んだ後で、このチャンスを逃す手はないと決心して 教会の扉に貼り紙をした。

「教会の前にようこそ ! ポケモンをさがしに来たんだね。
でも、知ってるかい ? この教会の中には、
君のことをさがして君を待ってるどなたかがいるんだよ。」

というものだ。拡散OK と言っている。

「君を待っている」のが「まさかピカチュウじゃないでしょうね?」とジョークで返した教区の信徒もいたが、これからの巡礼地はもう「スタンプラリー」なんかじゃなくて、要所要所に聖母や聖人や天使なんかが拡張現実で出現するアプリなど開発される日が遠くないかもしれない。

私はスマホさえ持っていないしオンラインゲームとも無縁だけれど、先日、うちのダイニングルームで一緒に席についていた若者が、テーブルの上にポケモンを発見してキャッチしてそのやり方を見せてくれた。

えっ、うちの食卓の上にもポケモンって出てくるのか、と驚いた

それならきっと目に見えないありがたいものだってすぐそばに漂っている気がしないでもないけれど、「心の目」のアプリがないと見えないのだろう。

拡張現実の地平を通して信仰を養える人って、うらやましい。
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# by mariastella | 2016-08-27 00:07 | 雑感

フランスの金メダリストのカップル、トニー・ヨカのタトゥーの話

リオ五輪ではフランス・チームが最終日にも金メダルをとったので話題になった。

ボクシングの最重量級のトニー・ヨカで、彼の婚約者エステル・モスリーがこれは軽量級で前日に金メダルをとっていた。二人は互いの試合を声が枯れるまで応援し合ったそうで、ほほえましかった。

24歳同士で、12月に結婚するという。トニーは2メートル近い大男だけれど少年のようで、二人がどちらもかわいらしく、見た目もなんとなく似ている

トニーはコンゴ出身の父がいるハーフで、エステルの方はやはり父がマルチニック(カリブの海外県)出身(母親はウクライナ人)ということでハーフ、その雰囲気のせいかもしれない。

フランスはもともといわゆる国際結婚がヨーロッパでとびぬけて多い国だけれど、いわゆる異人種間の結婚も少なくない。
私の直接知っている人たちの場合はやはり海外県の人と本土の白人という組み合わせが多い。
海外県の人はカトリックがほとんどだし、コンゴもカトリックが多いから、結婚にあたって家族関係のハードルが低いのだろう。

本当に人種差別を撤廃するにはこんな素敵なハーフがたくさん活躍すればいいのだと思う。
遺伝的に見て、近親結婚が一番まずく、あとは離れていればいるほど生物学的に有利なことは自明だし。

女性差別の撤廃について男と女ばかり対峙させていたら、トランスジェンダーやらホモセクシュアルの人たちの差別が解消されないのと同じで、人種差別の解消には、人種の平等というだけではなく、もともと「異種」でもなんでもない異人種間のグラデーションゾーンを増やして可視化すればいいのにと思う。

リオのオリンピックで、ヴァティカンにも招かれたことがあるジャマイカのウサイン・ボルトは首に不思議のメダイをかけていた。
ブラジル・サッカーのネイマールが表彰台で例の「100%JESUS」の鉢巻きをしていたことで注意を受けた。

ボルトはカトリックでネイマールは福音派というわかりやすい話だが、フランスのボクシングのトニー君はちがう。

2012年のロンドンで負けたことから奮起するために腕に彫ったというタトゥーが

「La chute n’est pas un échec, l’échec c’est de rester là où on est tombé」
(落ちることは失敗ではない、失敗とは落ちたところにとどまっていることだ)

というソクラテスの言葉である。

ネイマールは、鉢巻きはしなくても、体や首や手首に、十字架だの聖書のメッセージや「祝福された者」「神は完全」「信仰」などいろいろなタトゥーを入れているそうだ。

それに比べてトニー君はソクラテス。

トニー君も婚約者の金メダリストであるエステルさんも、理系バカロレアに合格した後で勉強を続けている。
つまり、バカロレアの哲学で4時間も筆記試験を受けた青年たちだ。
哲学の授業でソクラテスも習っただろう。

エステルが先に金メダルを取ったことでプレッシャーはなかったかと聞かれたトニー君、

「それは…もし僕がとれなかったら(頭が上がらないから)皿洗いが…」

などと答えていた。

このカップル、フランスの私の好きな部分を体現していて気に入った。
ボクシングなんて私の一番好みでないスポーツの一つだけど。

日本のメダリストにもベイカーさんとかケンブリッジさんとか名前からしてハーフの人が活躍していたのはすごくいいことだ。

先日ノートルダム・ド・リエスに巡礼に行った時に、講演をした歴史家の奥さん(法律家)とお話したのだけれど、彼女は春に日本旅行に行って、その伝統的なものと斬新なものの織り成すエネルギーに感動した、と言っていた。

「いったいどこからあのような新しさ、エネルギーが生れるのでしょう。」

と心から不思議そうに聞かれたので、思わず、

「うーん、それは、ひょっとして国際結婚みたいなものかもしれませんね。日本は日本であり続けながら、近代の初めに西洋近代文化と結婚することを選択した。出会うまでのそれぞれの暮らし方は違っていたけれど、そのカップルから生まれた子供である「日本の現代文化」は、遺伝子が離れているカップルから生まれる子供たちのように、新しく、驚きと可能性に満ちているのかもしれません」

と答えてしまった。

「和魂洋才」から生まれた子供たちである「文化」がもう東洋や西洋などという二元論をとっくに超えているのだと思いたい。

そういう形のグローバリズムだけが、「異文化の衝突」という悲劇を回避できるのかもしれない。
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# by mariastella | 2016-08-26 00:58 | フランス

サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』

サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』、

映画史に残ると言われるこの「黄昏のウェスタン」のノーカット版を先日arteで視聴した。

見るかどうかすごく迷ったのだけれど、結局見た。

なぜ迷ったかと言うと、前から何度も書いたように、数年来、もうホラーとかヴァイオレンスとかカタストロフィとかを扱った映画はできるだけインプットしないようにしているからだ。
単純に言って血が流れるようなのを見たくない。

私は時々悪夢をみるが、なぜだかそれを忘れずに反芻してトラウマにしてさらに次の悪夢につながるというタイプ。
それは、なぜか戦場など流血沙汰の真ん中にいることもあれば、例えば砂漠で一人きりになり絶対に救われないと分かって絶望するとか、ミサイルがあちらこちらに落ちてくるのを自宅の窓から眺めて、ああついに第三次大戦が始まったのだなあ、私はここで死ぬんだなあとつくづく思うとか、悪夢の中ですでに悪夢の内容を反芻している。

あまりにもリアルで実感をともなうつらいものばかりなのだけれど、ある時、実生活で、戦争も知らず、大けがをしたこともなければ災害や事故の現場に居合わせたことすらない私がこういうリアルな夢を見るのは何が根拠なのだと思った時に、そういう視覚的ヴァーチャル・リアリティの体験は私にとって映画にしかないことに気づいたからだ。

第二次大戦の大空襲で逃げ惑った体験のある私の母は、時々悪夢にうなされることがあったのだけれど、空襲の夢を見なくなるのにまる半世紀かかったと言っていた。私のは主として映画からくるものだから、そういう情報をシャットアウトすれば簡単に悪夢をシャットアウトできるかもしれないと思ったのだ。

そういうわけだから、映画におけるヴァイオレンスというジャンルの嚆矢となったという1969年の『ワイルドバンチ』など、真っ先に私の「検閲」にひっかかる。同じサム・ペキンパーの『わらの犬』は日本での初公開時に観ている。だからこの監督のヴァイオレンスの感じは想像がつく。

それでも、他に思うところがあって『ワイルドバンチ』を視聴した。

結果は、悪夢に燃料を与えるような怖さはまったくなかった。
女も子供も町を行く人も無差別に殺されるし、血まみれのシーンも続出なのに。

印象的なのはむしろ空の青さだとかカメラワークとか、メキシコの女性たちがテレサの遺体を運びながら長々と連祷するのに男がイライラして「やめろ、この偽善者め !」的な言葉を吐くシーン(こういう無法の場所ではキリスト教は「女子供用」と認識されているのだなあとあらためて思う。いや、女性と女の子用と言ってもいい)などだった。

武器輸送列車を襲うスリルとか、4人で200人のところに向かう時の「友情のためには命を捨てる男らしさ(と称されているもの)と哀愁」などは、まあよくできた映画のお約束の範囲内だ。

で、大量の撃ち合いはあまり怖くなかった。

むしろ、傷ついた仲間ひとりにとどめの一発が撃たれるときの方がずしんと来る。

「大量撃ち合いヴァイオレンス」というのはあまりにもリアルとかけ離れているので私の悪夢の材料にはならないらしい。

よく考えたら、こういうほぼ機械的な撃ちあいより、「倒錯」の方が悪夢の種になるのだ。
信頼していた母親が実は蛇女になっていた、というたぐいの怖さや、隠されていたものを見てしまって「見たなー」と言われるような怖さ、ヴァイオレンスも憎しみやら狂気やら倒錯に裏付けられているものは怖いけれど、『ワイルドバンチ』や『七人の侍』的なヴァイオレンス・シーンは、ゲーム的で怖くない(悪夢の材料にはならないという意味で)ということが分かった。

怖いのはプロセスなのだ。だからホラーとかサスペンス映画の方が要注意だ。

と、長々と前置きを書いたけれど、この映画が「怖くない」ということ自体に、大いに問題がある。

派手な撃ち合いシーンを見ていて、私は、

「ああ、こんなものを大量に見ているから、アメリカが今でも銃社会なのは無理ないなあ」

とか

「このシーンに一種のカタルシスを覚えたり、あるいは、自分も死ぬと分かっていても一人でも多くの奴を道連れにしてやる、と言う覚悟に潔さを覚えたりする人がたくさんいるとすると、ISのビデオやテロリストの行為に鼓舞される若者が出てきてもおかしくないなあ」

と思ったのだ。

この映画が製作された時代はアメリカがベトナム戦争の泥沼に陥った時代だ。
映画の舞台は1913年で、メキシコの軍事政権に人民のゲリラが戦いを挑んでいた時代だ。

でも、テキサスの司法官が、強盗団(ワイルドバンチ)のリーダーであるパイクをひと月以内に殺すことを条件に犯罪者を釈放することが別の伏線になっているように、内乱中のメキシコだけでなくアメリカもけっこうな「無法」ぶりだ。
つまり、「暴力」がまだ法的な装置として確立されていないような社会では、「人権」など言葉でしかなく、女たちが聖人の名を唱える「連祷」の「偽善」と何ら変わるところはないのだ。

今はこの映画から半世紀近く経とうとしている。
この映画の舞台となった時代からは丸一世紀以上経過している。

アメリカの銃社会は変わっていない。
少しでも性能のいい武器を少しでも多く手に入れようと世界中の国が虎視眈々としているのも変わらない。
非戦闘員を巻き込むリスクのある空爆なども毎日のようにニュースになる。

この映画のヴァイオレンス・シーンを見てすっきりした、とか、男の哀愁とかかっこよさとか滅びる者の美学とかを感じるのと同じ感覚で、今、ISによる軍事訓練やテロやリンチのビデオをウェブで見て「自分も死を覚悟で聖戦に発たなくては」と鼓舞され、「Let’s go.」「Why not ?」(ワイルドバンチで最後に4人が死地に向かう時の言葉)と答えて武装する若者たちが確実にいる。

「カタルシスを与えるような戦争映画を作るのは犯罪だ」という日本の映画監督の言葉を読んだけれど

それにも通じるだろう。

日本ではまだ実感がわかないけれど、ISの人集め戦略を見ていると本当に怖い。

シンボリックなのは、この映画の中で主人公のパイクが最後は背後から子供に撃たれることだ。

パキスタンで、シリアで、フランス国内の過激派モスクの中で、子供たちは「兵士」として教育される。
いや、暴力が支配する環境にいるだけで、子供たちは普通に暴力的で普通に残酷で、「殺す存在」になる様子が、この映画のそこかしこに挿入されている。

ヴァイオレンスをジャンルとして確立した映画の古典『ワイルドバンチ』。

今の時代に視聴されてこそ、いろいろなことを考えさせてくれる。
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# by mariastella | 2016-08-25 00:45 | 映画

ノートルダム・ド・リエス その7

(これはその6の続きです)

それでもなお、ノートルダム・ド・リエスの「ご利益」パワーは今でも「hasbeen been」とは考えられていない。

2013年にマリで人質になっていたフランス人が政府による長い交渉の末に3年ぶりに開放された。

リエスの司祭は、人質の一人の家族が特別に巡礼に来て解放を祈願したことを知っている。

一二世紀に三人の騎士をエジプトの牢獄から解放し、貧しい盗人を縛り首から解放し、司祭に裏切られた女を火あぶりから解放した黒い聖母子にとって、「人質の解放」は今でも「得意分野」とみなされているらしい。
今でも、人々が残していく祈願の言葉には「娘を今の生活から解放してください、娘が自由な生活を取り戻すことができますように」などというものが見受けられる。

今年はローマ教皇が特別に決めた「いつくしみの特別聖年」であり、各地のカテドラルや巡礼指定教会には司教に祝福された「いつくしみの扉」が設けられている。その扉をくぐって指定の祈りを捧げるなどすれば、罪の「全免償」が与えられるという。
たいていの場合、教会の正面の扉がその「いつくしみの扉」になるのだが、ノートルダム・ド・リエスでは、教会の入り口ではなく、祭壇の奥の黒い聖母子の大きなチャペルに通ずる特別仕様の入り口の上に「いつくしみの扉」と大きく書いた帯がはってある。

黒い聖母のいるところはいつも「いつくしみ」の場所なのだろう。

けれども、他にたくさんある「あわれみの聖母」とは印象が違う。

ノートルダム・ド・リエスの「リエス」というのは喜び、歓喜という意味だ。
もともと「リアンス」という名の村に巡礼地ができたのが、15世紀に「リエス」と、ふさわしい名に進化した。

そのせいか、教区の人たちの雰囲気は明るい。
特に、典礼歌を歌い指揮する女性はうれしくてたまらないというようにずっとにこにこしている。
それを見る共同司式の司祭の顔もほころんでいる。

この女性を見るだけでリエスの意味が伝わる。

こういう典礼歌や聖歌の斉唱でここまでずっとにこやかな人は見たことがない。
ひょっとしてこのリエス(歓喜)の聖堂では、歌はにこやかに歌えという伝統があるのだろうか。
と思って聖歌隊の人や会衆席の人をちらりと観察したけれど、輝くように笑っているのはこの女性だけだった。

その幸せそうな様子が伝染して私も楽しくなった。

考えてみたら、一人で現れて涙を流す悲しそうな聖母や悪魔をふみつける勇ましい聖母よりも、両手をいっぱいに広げて膝の上に立つ幼い息子を誇らしげに披露している黒い聖母には、笑顔が、よく似合う。
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# by mariastella | 2016-08-24 01:31 | 宗教

オリンピックと日本とフランス

リオのオリンピックが終わった。

スポーツ観戦はしていないけれど、日仏の毎日のニュースをネットでチェックしているので、この期間はいやでもオリンピックに関するものが目に入っていた。

日本の記事とフランスの記事で、時には、これが同じ大会の同じ日のことなのかと思うくらいの差がある。

いわゆる「メダル争い」で日本とフランスはいつも近いところで前後していたけれど、得意種目が全然違う。

日本とフランスが重なるのは柔道と水泳くらいで、体操、レスリングはフランスのニュースにはほとんどならないし、フランスのメダルは射撃、フェンシング、馬術、ボクシング、カヌーとフランス国内ですらマイナーなものが多い。

この「重ならない」様子を見ていると、やはり「国民性」ってあるのかなあと思う。

フランスの「強い」系スポーツは柔道もボクシングも、前にも書いたけれどやはり「海外県」にルーツを持つ黒人選手が目立つ。

アメリカ大陸の黒人選手は、労働力として売買された出発点でそもそも大きくて強くて丈夫な人が選抜され、それに加えて、過酷な船旅や過酷な労働を生き抜いた人たちの子孫だとしたら、もう最初から、遺伝的強者であることは間違いない。
彼らを抜きにしたら、アメリカのメダルやフランスのメダリストは半減するのではないだろうか。

1968年のメキシコ・シティー大会の表彰式でアメリカの黒人選手が人種差別に対する抗議行動を行なって問題になったように、人種差別とスポーツの関係は可視化されていないとは言えない。

メダル数にはもちろん人口の多寡も関係するし、スポーツの施設や訓練に関するインフラを充実させることのできる経済力も関係する。
すべてを考慮してもアメリカが一位というのは納得できる。

中国は人口も多く国土が広いからすでに多様な才能が調達できるとしても、黒人選手が見当たらない(たぶんいわゆるハーフの選手も見当たらない)のはすごいと思うが、これは「国策」の一部なのだろうか。

イギリスがこれだけ強いのは、大英帝国由来のダイバーシティの厚みと、サッカー、ラグビー、ゴルフなど多くのスポーツの発祥地であるようにスポーツが「エリート」の条件に組み込まれている伝統と関係があるのだろうか。

ドイツは、なんだか「ゲルマン民族」ってもともと強そうだよなー、と思ってしまう。
遺伝的に恵まれていて、「強くなること」を称揚する伝統があり、しかも規律正しいお国柄、経済力もある。

フランスは「海外県」出身の人の強みを別にすると、全部中途半端。
夜の街にしか出没しないエリートたちとか、享楽的なお国柄とか、誇り高い自虐趣味とか。

日本が「強い」ことに関しては、うまく距離感がとれないのでどうしてなのか分からない。
精神論やら親子代々にわたる悲願エピソードみたいなのは個人的に苦手な上に「根性もの」とは縁がないので。

それでも「必死にがんばった」若者たちが勝って泣いたり敗れて泣いたりするのを見ると所属国と関係なくもらい泣きしてしまえる単純な私は変わらない。

練習における工夫や進歩やチームワークについては、アンサンブルで楽器を弾く身にはいつも参考になることがある。

2012年のオリンピック招致にパリがロンドンに負けた時、パリはあまりにも「パリは世界で一番素敵な街」と言い過ぎた、今度はちゃんとオリンピック施設などに特化してチャレンジする、とパリは2024年のオリンピックに立候補している。順番から言うと選ばれる確率は大きい。

今のオリンピック自体にはいろいろ問題があると思っているのだけれど、もし東京、パリと続くのなら、日仏ウォッチャーとして両方を比べて見てみたい好奇心はある。後8年は長生きしなくては。

(この前の記事で、wordが開けないと書きましたが、午後バカンスから帰ってきたトリオの仲間に電話できいて、文書を別のpcに移すことだけはできました。このpcのwordは返還が遅いのですが、ともかく仕事は再開できそうです。もうひとつのpcは、Windows10へのアップグレードをずっと拒否し続けてきたのに、ある日勝手に、こちらの同意なくアップグレードされたのです。word2013が開けなくなったのはそれと関係しているようですが、プロダクトキーだとかよくわからないので、あさって仲間がうちに来てくれると言っていました。
ピアノの教え子でこういうことが専門の青年にメールしたら、今ギリシャにいるけれど電話で助けられるかもしれない、と返事が来ました。みんな親切です。感謝。)
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# by mariastella | 2016-08-23 05:58 | 雑感

word2013が起動しません

午前中には問題なかったのに、午後、さあ仕事しようと思ったら、word2013が起動しない。

PCの再起動、電源を完全に切る、などしてもだめ。

ネットで検索してこのページが分かりやすそうだったので、私のできる範囲で試したけれどうまくいかない。

wordのアイコンを右クリックしたら最近使ったファイルの名がずらっと出てくるので、ファイルは無事なことはわかるのだけれど、アクセスできない。

メールの添付書類からダウンロードしても、ダウンロードできたという履歴には載るけれど画面には出ない。

このブログの今日の更新のテキストもそこに入っているのでコピーできない。

これから10日間は貴重な時間なのにどうしよう。

電話でいろいろアドヴァイスもしてもらったけれどだめだった。

同居は猫しかいない。

友人に電話して助けてくれそうな人の電話をきいて電話したけれど留守電だった。
いつ復活するか分からない。

もう一つのPCにUSBで移して仕事するのが一番速そうだけど、何しろワープロ機能しか使わない人なのでうまくいくかどうかわからない。

復活するまでこのブログの更新できない可能性大です。
全面的に機械に頼って仕事していることの頼りなさをあらためて思います。

そんなわけで、
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# by mariastella | 2016-08-23 01:26 | お知らせ

ノートルダム・ド・リエス その6

(これはその5の続きです)

ノートルダム・ド・リエスが中世以来いかに人気を博したかということは、各地で信心会が組織されたことでも分かる。
記録として残っているのは1407年のランス、1413 年のパリ(あまりにも加入者がおおなったので1645年にサン・シュルピス教会に支部があらたにできた)、ルーアンやエヴルーなどだ。ロワール以北が多い。

その場所の地政学上の利点のせいか、ノートルダム・ド・リエスは王侯貴族に大人気のセレブご用達巡礼地として発展していった。セレブ巡礼者の行列の華やかさも記録されている。

中世の「伝説」が反宗教改革以降の「奇跡譚」に代わってからも、ノートルダム・ド・リエスが確かな「権威」と「機能」を持ち続けたということは、フランス革命の時に「革命派」の手で黒い聖母像が燃やされたことからも分かる。

革命後、多くのカトリック教会が、革命政府に没収されて売り飛ばされたもの、倉庫になったもの、「理性の女神」の神殿になったものなどいろいろな運命をたどったが、リエスの聖母子像はそのまま「理性の女神」の神殿に据え置かれたらしい。
ノートルダム・ド・リエスの財務係はランの広場で執行人に接吻してからギロチン台に上った。司祭たちは亡命した。

1794年、「700年にわたって民衆をひれ伏させてきた偶像」(証言記録)がまだ残っていることに我慢できなかったパン職人のルノワールが、二人の共犯者とともに「神殿」の鍵を手に入れて、像を盗み出し、パンの窯に入れて焼いてしまった。

その灰をある少年が複数の箱に入れて保管した。その少年だったムッシュー・ブラトがリエスの司祭に60年後に証言した記録が残っている。

何人かの司祭は亡命先から戻って、石膏にニスを塗った小さな聖母子像を造って秘密裡に崇敬を続けた。
聖母を中心として次代の聖職者さえ育てた。後に小神学校ができている。

1802年の復活祭にヴァティカンとの和親条約によりカトリックが復活した。

小さな聖母子像は新しい大きなものに替えられ、燃やされた聖母子像の灰が「聖遺物」として足元に容れられた。
宝石をちりばめた立派な上衣を着せられた。

祭壇やルイ13世の奉納版も再建された。

19世紀はその後も政変が続いたけれど、1830年のパリのマリアご出現や1858年のルルドのマリアご出現によって、新しい巡礼地が生まれ、危機の時代を生きる民衆の宗教心の受け皿となった。

パリやルルドでは「聖母子像」ではなく、本物( ?)の聖母が子連れではなく一人で貧しく名もない若い女性に現れてメッセージを伝えるという新しいスタイルが出現したのだ。

「新規」の巡礼地ではわかりやすく派手な「奇跡」が続出した。

パリの「奇跡のメダル(不思議のメダイ))やルルドの「奇跡の泉」などという「奇跡」を期待させるアイテムもセットになった。

ノートルダム・ド・リエスにも「奇跡の泉」がある。でもそれは町のはずれにあって、小さなチャペルの扉も今は閉じられたままだ。きっと昔は「体にいい水」が沸いていたのだろうけれど、聖母子像とリンクする「お話」がうまく紡がれなかったのだ。

逆に考えると、リエスにはすでに黒い聖母子像があるからメダイや泉は必要でなく、パリやルルドでは聖母ご出現に立ち会った無名の若い娘(どちらも後に修道女、聖女というコースをたどった)の証言を担保するものとして「奇跡をもたらすアイテム」と「奇跡」が必要だったということだろう。

そうなると、リエスの聖母子像の崇敬にも、

「そうか、無名の人にだってすごい奇跡が起こり得るんだ」

という「気づき」があったのか、もはやエジプトから来たオリジナルの聖母子像ではないにも関わらず、「奇跡」が続出した。

治癒もあり、回心もあった。

1851年、ソワソンの司教は巡礼地の管理をイエズス会に委任した。

18年間寝たきりだった人が突然立ち上がり、10年間一言も話せなかった若者が言葉を取り戻し、3年間視力を失っていたアルデンヌ地方から来た少女の目が見えるようになった。

1857年には聖母子像の戴冠がピウス九世から宣言され、ナポレオン三世が寄進した鐘楼から鐘が鳴り響いた。

すべてが記録された。

「でもルルドのように奇跡の治癒の判定と司教による認定っていう動きは全くないのはなぜですか」

と私は司祭と歴史家に質問した。

答えはなかった。

老舗の巡礼地と新興の巡礼地との違いなのだろう。

老舗の巡礼地にどっぷりつかっている人たちにはかえって分からないのかもしれない。

歴史と伝統に軸足をおいているリエスは「認定」を必要としないし、もはや無神論者たちの「対抗勢力」とは見なされない。

新興の巡礼地における奇跡認定の合理性やハードルの高さは、無神論者やある種の科学者のイデオロギーに対抗する「武装」だ。

それに比べると、ノートルダム・ド・リエスの巡礼は、日本人が「無宗教」と称する人でも何の抵抗もなく初詣などで寺社仏閣に出かけてご利益を願うようなフットワークの軽さがある。

その軽さと、900年も続く信仰の濃密さとは、どういう関係があるのだろうか。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-22 01:09 | 宗教

ノートルダム・ド・リエス その5

(これはその4の続きです。)

16世紀以来、「巡礼本」として、さまざまな「奇跡」の記録が出版された。

前述したように、プロテスタントの「合理主義」に対抗するために、「伝説」が「奇跡譚」へと変化した。

この文脈での「伝説」とは、「口承の物語」で「奇跡譚」は「奇跡」とみなされる出来事の「記録」である。

記録だから、証人や証言は多いほどいい。
必ず「裏付け」がついている。

この時点で、聖母像の由来からも「伝説」味が緩和された。
3人の騎士は黒い聖母像を牢獄で目覚めたときに「発見」した。
「伝説」では、その像は天から「天使たちに運ばれて」降りてきた、という部分がカットされた。

それは「証明」が難しいからだ。

こうして16世紀の時点で「聖人伝」を含む「信じられない話」のスタイルが変化していったのに、例えば「福音書」の一字一句は書き換えられなかったのだから、そちらの方は「解釈」を変えるしかなかった。
そのずれが少しずつ大きくなった時点で「近代」に突入する。

「巡礼本」には挿絵の版画もたくさんある。
木版活版印刷との相性がいいので木版画が多い。
一つの画面に「奇跡」の出来事の一部始終がまとめて描かれるのが特徴だ。

17世紀(1617)に出版された「巡礼本」では。先の12世紀の「縛り首」の話も15世紀の風俗で描かれている。
もう一つ有名なのが火あぶりになる女性の奇跡だ。

これが、今の感覚でいうと、縛り首よりもっと不思議で、娘の夫に恋をした女がその「義理の息子」を殺したという話だ。
女は司祭のところに行ってその罪を告白する。
司祭は女に言い寄る。
女が拒絶したので、司祭は悪魔にそそのかされて裁判官のところに行って女の罪を訴えた。

女はとらえられて火あぶりの刑に処せられるが、くべられた薪は燃え出さない。

女は解放され、司祭は悪魔に連れ去られる。

リエスのノートルダムがそれを上から見守っている。

これも今読むと突っ込みどころが多すぎてどうしていいか分からないような「奇跡」ではある。

この女のキャラクターをもっと知りたい気になるが、一応、勝手に婿に恋をして殺したというのだから、無実の罪ではない。
縛り首の奇跡と違って、殺人だから、裁判官によって「相応な罰」を与えられている。

それでも、この話で一番の「悪」は、告解の秘守義務を守らず、告解する信者に言い寄った司祭である。

で、司祭は悪魔に連れ去られ、聖母に助けてもらえなかった。

ここでの「司祭」が悪であるという設定から、この「巡礼本」が司祭を頂点とした「教会」のプロパガンダではなく完全に「民衆」の視点から書かれていることが分かる。

民俗学者のフレイザーが「迷信の果たしてきた役割について」書いたものがある。

1. あるいくつかの民族では、そしてまたある時代においては、迷信は政治、ことに君主制政治にたいする尊重の念を強め、その結果、社会的秩序の制定とその維持とに寄与する。

2. あるいくつかの民族では、そしてまたある時代においては、迷信は所有権に対する尊重の念を強め、その結果、その安全確保のために寄与する。

3. あるいくつかの民族では、そしてまたある時代においては、迷信は結婚に対する尊重の念を強め、その結果、既婚未婚の区別なく、すべての人々の間にはなはだ厳格な性的道徳を確立することに寄与する。

4. あるいくつの民族では、そしてある時代においては、迷信は人命に対する尊重の念を強め、その結果、その安全確保のために寄与する。

ノートルダム・ド・リエスの「伝説」は、たとえ「迷信」であっても、このうちの「4」にかかわる。

財産権を侵された隣人による私刑よりも、
裁判官による判決による火刑よりも、
これらの上位暴力に抵抗できない「相対的に弱い人」の生命を救うことが聖母のメッセージになっているわけだ。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-21 00:19 | 宗教

ノートルダム・ド・リエス その4

(これはその3の続きです。)

ノートルダム・ド・リエスでは、1134年に、エジプトから戻った3人の騎士と黒い聖母子像と共にやって来たスルタンの王女イスメリーが、9月8日(聖母マリアの誕生日)にランの司教から洗礼を受けた。洗礼名はもちろんマリー(マリア)。

今風の感覚で想像すると、王女は騎士の一人と恋に落ちた、のだろうか。黒い聖母子像も処女母神イシスと息子ホルスの像かなんかで、騎士たちがこれこそ聖母マリアとイエス・キリストだと言ったのかもしれない。
それとも「エジプトの王女がやってきた」というところまでも、ただの「伝説」なのだろうか。

今のリエスの人のDNAを調べたらエジプト人の血統が証明されるなどであればおもしろいのだけれど。

16世紀の記録では、三人の騎士はランの修道院に寄進をした領主の息子でジャン、エクトール、アンリ。
それぞれエップ騎士団、エルサレム・ヨハネ騎士団、マルト騎士団に属していて、十字軍の使命を終えたので各自の騎士団に戻り、エジプトの王女は彼らの母親のもとで清く暮らしたけれど夭折してその地に埋葬されたという。
「16世紀の記録」というところが重要で、つまり、宗教改革が勃発したので、奇跡譚や聖母崇敬などを否定するプロテスタントに対抗して、「伝説」から「歴史記録」風に体裁が整えられたわけだ。

で、最初の奇跡が1139年で聖母像の到着からは5年あいている。これがなんとなく「事実」っぽくひびく。
どうせ「伝説」なら1134年にすぐ起こったとすればいいのに。

しかもその奇跡は、福音書の中でイエスがなしたように目が見えない人が見えるようになったとか悪魔に憑かれた人から悪魔が出ていくとかいうクラシック路線でなく、絞首刑にされた人が生き延びたというものだった。

ピエール・ド・フルシィという極貧の男が家族を養うことができずに絶望し、物乞いをする勇気もなく、隣人の家からパンや脂やワインを少しずつかすめ取るようになった。
隣人たちは彼を怪しみ、見張りをして現行犯でとらえ、殴り、牢屋へ入れて、縛り首にしようと決めた。

ピエールは聖母に祈り命乞いをした後で、首に縄をかけられて放置された。

ところが3日後に羊飼いが通りかかり、ピエールの嘆く声をきいて驚き、裁判官に通報する。

隣人たちもやってきて刃物でとどめを刺そうとするが、裁判官は彼が生きていたのは神のみ旨であるとし、釈放し、リンチした隣人たちにはピエールを介抱して、一生食料を提供するようにと命じた。

で、ピエールが生きていたのは、リエスの聖母がそばにきて彼を支えて縄が首に食い込まないようにしたからだという。

3日間も支えるなんて聖母も疲れるというか、効率が悪いというか、縄を外してやれなかったのかとかなどと考えてはいけない。

輝く光の聖母が男を支えている大きな絵が、1907年にモナコのモナコのルイ二世が後にレーニエ大公となる孫の初聖体拝領記念に寄贈されている。

今も香部屋の壁一面を占めている。

ともかくこの縛り首からの生還が最初の奇跡で、リエスは大巡礼地となった。

最初の三人の騎士が牢獄から脱したこと、ピエールが首を絞めるロープから解放されたこと、どちらも、「解放」という点では共通している。
それが聖母崇敬のきっかけとなり、それが「聖母子」にシフトして子授け祈願に特化していったのだが、冤罪、または「不当な刑罰、過剰な刑罰」をただす、という路線はそれでも一貫してあった。

もうひとつシンボリックで有名な「奇跡」のレポートがある。(続く)
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# by mariastella | 2016-08-20 03:53 | フランス

フランソワ(フランス大統領)がフランソワ(ローマ教皇)に会った話

8/17、フランスのオランド大統領はヴァティカンでフランシスコ教皇に会って40分にわたって会見をした。

7/14のニースのテロに続き、7/26のノルマンディでの教会テロの後ですぐに教皇が送ってくれたメッセージに感激してその日のうちに会見を申し込んだという。

ヴァティカンに行く前にまずナショナル・サン・ルイ教会へ赴いた。

1518-89にフランスがローマに造ったバロック教会で、ローマのフランス教区教会となり、ローマに留学中のフランス語圏の神学生や司祭の共同体の拠点ともなっている。
守護の聖人はもちろん1297年に列聖された聖ルイことルイ九世だ。

この教会を管理する財団は他に四つの教会、一二ばかりの建物を持っている。

カトリック家庭に生まれカトリックの教育を受けているが「無宗教」がスタンスであるオランド大統領は、就任後、最初に教皇を表敬訪問した時にもこの教会に寄ったが、それは主としてカラヴァッジョの3点の絵を鑑賞するためだったという。

今回は昨年11月の同時多発テロ以来テロ犠牲者に捧げられたチャペルのひとつで黙とうするのが目的だ。

ニースのテロの後もローマを訪れる多くの人がこのチャペルにろうそくをともして祈った。
7/26以後は、テロの犠牲者アメル神父の写真も飾られている。

オランド大統領は、教会テロの後、

「フランスの教会の代表者たちの言葉は非常に重要なものだった。フランス人を統合することに役に立ってくれた。」

と感謝しているし、教皇へも感謝の気持ちを伝えるために来た。

フランスとヴァティカンが分かち合う「対話と団結という価値観」の重要性を、大統領と教皇は強調する。

テロを前にして、教皇はフランス人の「同胞」としてふるまってくれた、彼の言葉や行動への感謝と共感を教皇に直接伝えることはとても大切だ、と大統領は言う。

中東のキリスト教徒を支援することも含め、パリとヴァティカンは同じ世界観を共有するとも言う。

教会テロの翌日に教皇はオランド大統領に電話して、テロのあった教会がオランドの聖地であるルーアンに近いことに触れたのだそうだ。

オランドと言えば、シラクと同じく南西部のコレーズ県が選挙区というイメージが強かったので、ルーアン出身とは思わなかった。

ましてやテロのあった教会との地理的な近さなど思いつかない。

テロの後でわざわざそれを口にしたのはひょっとして教皇くらいだったのではないだろうか。

ローマのサン・ルイ教会のフランソワ・ブスケ神父は、「我々の統治者は、宗教とは分断するもの暴力的なものではなく、社会のきずなを創るものだと理解した」と言った。

この神父もフランソワ、大統領もフランソワ、教皇フランシスコもフランス読みだとフランソワだ。

教皇が崇敬してその名を選んだアッシジの聖フランシスコは、父親がフランスに行っている間に生まれてジョヴァンニという洗礼名だったのだが、フランスでの商売がうまくいって戻ってきた父親がフランシスコ(フランス人)と呼ぶようになった。  

で、ローマにフランソワが3人。

「一つの教会が攻撃され、一人の司祭が殺されるとき、それは共和国全部が冒涜されたことだ」と大統領は言う。

これが他の宗教でなくカトリック教会であることの意味は、フランスでの「マジョリティの宗教」がおそわれたところにある。

「ある地域でその帰属ゆえに迫害されているマイノリティの宗教」としては今世界で一番犠牲者を出しているのがキリスト教徒だということはよく知られている。

「オリエントのキリスト教徒を救え」というのはもう何年も言われてきた。
1996年のアルジェリアでのフランス人修道たちの「殉教」も、その地ではマイノリティの立場だった。

今回のテロが初めて、「カトリックがマジョリティの場所で司祭が(司祭であるという理由で)殺された」というショックをフランス人に与えたのだ。

でも、さすがにカトリック・マジョリティの国だから、「憎悪や怒りでなく和解と連帯、対話を」という成熟した言葉ばかりしか発せられず、その上「フランソワ」もあちこちにいるし、ローマに行けば「自分ちの教会」もちゃんとあって、なんだかうらやましい。

日本で何らかの形で宗教者に対する「宗教テロ」のようなものが起こったら、だれがだれとどんな言葉をどのように紡いで国際的な連帯や対話につなげていくことが可能なのか、想像もつかない。

オランドにとっては、社会党の政治家としても同成婚法でぎくしゃくしたカトリック有権者に対するパフォーマンスにもなった。
カトリックのネットワークのおかげで、「フランス」の平和でなく「世界」の平和に向けて何かしているような気分にもなれる。

政治的パフォーマンスだけに終わらずに、「テロとの戦い」が本当に本質なところで変わればいいのだけれど。
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# by mariastella | 2016-08-19 01:01 | フランス

ノートルダム・ド・リエス その3

(これはその2の続きです)

「ルルドやパリでの大規模な警備体制を見ていて巡礼地での今年の聖母被昇天祭はリスクが大きいと思ったんですが、ここではそんな心配はしていないのですか。」

と、私が質問すると、教区の女性は声をひそめて言った。

「それはかなり微妙なんですよ。だってここの聖母のもともとのメインメッセージはイスラム教徒のカトリックへの改宗なんですから」
「今はもうそんなことは表に出していませんけれどね。」

「この前のノルマンディの司祭殺害の町のように、ここにもムスリムのコミュニティがあるのですか」

「いや、ここはいたってクラシックなカトリックの町です。」

一層声をひそめて、

「でも、ほら、クアシ兄弟がランに寄ったし…」

クアシ兄弟というのは2015年1月にシャルリー・エブド編集部を襲撃したテロリストだ。
彼らはランのモスクに行っていたのだろうか。

後でネットで調べたら、大聖堂のあるランにはモスクもあるが、テロリストたちが過激化したのはパリのモスクだ。ランは、テロリストたちがシャルリー・エブド襲撃の後で逃走した時に国道2号線沿いのファストフード店に寄ったとある。
そういえば、このファストフード店は確かに目立っていた。

彼らがパリからの逃走経路として国道2号線に土地勘があったのは確からしい。
兄弟のひとりはランスに住んでいた。ランス市長が「ジハード殉教者の巡礼地」となるのをおそれて遺体の埋葬を拒否したという記録がある(結局はランスで無名の墓所に埋葬されたらしい)。ランスはランから74キロ離れている。

テロリストたちがランに立ち寄ったというだけで、ランから20キロ離れているリエスの人にはトラウマになっているらしい。
リエスはランとランスとソワソンという三つの大聖堂からのアクセスがよく発展した巡礼地であるから、自分たちのテリトリーにイスラム過激派に洗脳されたテロリストがやってきた、ということで、

「そういえばリエスの黒い聖母はイスラムの改宗がテーマだったな、過激派から目をつけられるんじゃなかろうか」

という連想が生まれたわけだ。

黒い聖母のいわれは、いろいろなヴァージョンがあるのだけれど、その一つをかいつまんで書くと、この町出身の3人のマルタ騎士団の騎士たちが1134年の十字軍でキリストの墳墓を守りに行ったがとらえられてカイロのスルタンに閉じ込められ、イスラムへの改宗を迫られた。
スルタンは彼らを攻略しようと美しいイスメリー王女を牢獄へ送る。
金貨を見せて、改宗すれば金をやると言うのだ。
しかしイスメリー王女の方が聖母マリアの話に惹かれて、木片を渡し、それで聖母の姿を彫るならば自分がキリスト教徒になるという。
彫刻ができない騎士たちは天に祈り、次の朝、黒い聖母子像が奇跡的に彫られていた。
イスメリーは夢で聖母のお告げを聞き、騎士たちを脱獄させて自分も聖母像とともに逃げる。
聖母子像を収める聖堂は、ランの大聖堂を造ったときに余った石を使ってできた。

と、まあ、この手の聖像にまつわるよくある話でもあり、今の感覚からいうと突っ込みどころ満載の伝説だ。

今でもリエスではこの「聖劇」が上演されるが、その時に騎士たちが王女に聞かせるのがカトリック教会の「クレド」で構成されているという「教育的公正」が配慮されている。

このヴァリエーションや内容の異同についての考察はここではしない。

で、

「今は妊娠や安産祈願が主です。フランスの歴代の王と王妃が跡継ぎの誕生を願ってここに来ました。」
「アンリ四世もここにきてルイ一三世を授かり、ルイ一三世もここにきてルイ一四世を授かり…」

「え、ルイ一三世とアンヌ・ドートリッシュの祈りをかなえたのはブルターニュの聖アンナでは ?」

「それは、彼らはありとあらゆるところで祈願しましたからね。でも、ルイ一四世を授かったのはこのリエスのノートルダムのおかげなのです。ここで祈願して後でランで泊まった夜に授かったのです。今でもランに宿泊所跡の『王太子の中庭』が残っています。ルイ一三世たちはその感謝のしるしに何度もリエスに訪れています。」

なるほど売店も入っている一続きの「香部屋」もルイ一三世の寄進したものだそうで扉の上にそう記されている。

聖母像伝説が荒唐無稽なのに比べて「ご利益」は結構具体的だ。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-18 01:31 | 宗教

雑誌記事の訂正について

今朝、連載記事のある雑誌の9月号を受け取りました。

同時に、その記事の中で事実誤認のあることを指摘するメールをいただきました。

かなり微妙な文脈の中でのことだったので、訂正をサイトのForum2に入れておきました。

記事を読んで気になったという方はお読みください。
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# by mariastella | 2016-08-17 20:37 | お知らせ

ノートルダム・ド・リエス その2

(これは前の記事の続きです)

そうはいっても由緒ある巡礼地、巡礼団が来て駐車が大変かもしれない。

アルジャントゥーユに行ったとき
は一帯が駐車禁止になり、個人の巡礼者は電車で来るようにと指示されていた。

で、ミサが10時半ということを調べて、朝の7時半に車でうちを出て、快晴のパリ郊外を順調に走る。

この道は、昔は月一度は通ったこともある道だ。ランLaonのカテドラルにももちろん行ったことがある。

国道2号線のすぐわきに風車が一つあるのも懐かしい。
今や高速から見えるのは白い風力発電の巨大風車ばかりだから、この風車と平野のところどころに教会の尖塔が見える広い空の景色に郷愁をそそられる。

ようやく「リエス・ノートルダム」(町の名)について、バジリカ聖堂(教区の教会でもある)の塔を確認して駐車する。

車はそう多くない。

同時に駐車したカップルに声をかけると彼らももちろんバジリカ聖堂に行くそうで、よく知っているというので一緒に行く。

9時半。

奥さんのほうがサクリスティで10時に告解の予約?をとっているので早く着いたそうだ。

聖母被昇天祭は復活祭と同じく事前の告解とセットになっているのが伝統だった。
この夫人はそれをちゃんと守っているわけだ。

けれども、そんなことを言っていられない実情を見越して、ミサの初めに集団の告解と免償があった。

これは1973年から取り入れられた「例外的」なものなのだけれど、ヨーロッパの教会でこれをやり過ぎて個人の告解が少なくなったというので1983年に自粛をよびかけられたようだが、私はすでに何度も遭遇している。

日本でこの話をしたら「そんなもので個別の告解に替えることはできない」ときっぱり言われたことがある。

ルルドくらいの大所帯になると、巡礼団の数も司祭の数も半端でないから個別の告解は24時間受けつけ、みたいな感じだけれど、さすがに「中世から大波小波に翻弄されてきた百戦錬磨の巡礼地」リエスでは、プラグマティズムが幅をきかす。

先日のノルマンディでの教会テロの後なので、ルルドやノートルダムの大警戒態勢が連日テレビで報道されているから、枯れたとはいえ由緒ある聖母の巡礼地、ここも大丈夫かなあ、多少は警備されているかなあと気になった。

ISから直接指令されるようなテロの標的地でないことは確かだけれど、この前のノルマンディのテロは、小さな町の実家に謹慎監察処分だったISシンパの19歳が、地元の「近間」の教会を攻撃したわけだから、どんなさびれた場所でも教会は目立つからリスクがないとは言えない。まあ監察処分の人は土日、祝日は外出禁止だそうだから今日はおとなしく…してるのだろうか…? と、「及び腰の巡礼」だったのだが…。

町は閑散としている。

聖母被昇天の祝日なのにしまっているお店が多く、教会の前にカフェ一つない。

ビリヤード台のあるバーが一つ空いていたが、今は法律で禁止されている店内のタバコをふかしながらカウンターで酒を飲んでいる男が一人いただけだった。

たった一つ空いているパン屋にもパリのようにサンドイッチやサラダを売っているわけではない。過疎化した町という感じだ。

(ずいぶん後で、唯一あるホテルのレストランだけは満員で、体の不自由そうなお年寄りがたくさんいて22ユーロの「巡礼コース」という唯一の昼食を食べているのを見つけたが人手がないので、喫茶部は閉めていてコーヒーも飲めなかった。)

それでも立派なバジリカ聖堂に入る。

まだほとんど人の姿はない。

もちろん柵もなければ警備員も立っていず、手荷物検査もない。

不安だけれど、まだ人でいっぱいにならないうちにとりあえず祭壇の奥にある黒いマリアのところに、と思ったら、そこでは誰かの婚約式のミサが行われていた。遠目にしか見ることができない。

ルイ13世が寄進した香部屋の方に行く。

さすがに充実した「巡礼土産」が並んでいる。

祈りの成就、奇跡感謝の奉納版もびっしり貼られ、「最初の奇跡」の大きな絵、歴代の軍人たちが奉納したレジオン・ドヌールなどの勲章もずらりと飾られている。

奇跡の治癒を得た人がおいていった杖や松葉杖もある。

ここのメダルはいろいろあるが、マルタ十字架の真ん中に黒い聖母子像を配したものが美しいデザインなのでお土産に購入(黒い聖母像をエジプトから持ち帰ったのが地元のマルタ騎士団の4 人だった)。
百合の花はフランス王室との深い関係を表している。

売店の女性といろいろな話をした。

先日のテロの影響について聞いてみる。後で同じ質問を教区司祭にもしたのだけれど、この女性の答えの方がずっと率直で興味深いものだった。(続く)
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# by mariastella | 2016-08-17 00:25 | 宗教

Notre Dame de Liesse の聖母被昇天祭

パリから東北方向に150 キロほど行ったところにノートルダム・ド・リエスのバジリカ聖堂がある。

中世以来、パリのエリートたちご用達の大巡礼地だった。

黒い聖母系巡礼で有名なル・ピュイはオーヴェルニュだしロカマドゥールもピレネー方面で遠い。

シャルトルはずっと近いけれど、なぜノートルダム・ド・リエスが中世を通じて圧倒的な巡礼地となり、「奇跡」の生産地となり、そして、今はローカルな巡礼地になってしまったのだろうか。

東北方向はシャンパーニュに向かう。

フランス国王代々の戴冠式が行われたランスの大聖堂がある。

ノートルダム・ド・リエスの手前にはソワソンの大聖堂とランの大聖堂がある。

ランの大聖堂は今は司教聖座ではないが今でもカテドラルのタイトルを保持しているノートルダム大聖堂だ。

シャルトルのように大聖堂と巡礼地が一体となっているところよりも、ソワソン、ラン、ランスといった大聖堂の敷地内にいくらでも泊まるところがあり城もたくさんある地域なので、大聖堂に行ったついでに「特別の巡礼地」にも足を延ばせるというロケーションがノートルダム・ド・リエスを特別なエリート巡礼地にしたのかもしれない。
ここの歴史では第一人者であるロレーヌ大学教授Bruno Maesと話したのだが、彼の博士論文にもシャルトルとの対比はないし、ノートルダム・ド・リエスがどのようにしてフランスのアイデンティティにかかわる「ナショナル巡礼」になっていったかのことだけが取り上げられている。

聖母の巡礼地の地政学的宗教学的変遷について非常に面白い考察をしている人だけれど、私は今ナポレオンの「帝国カトリック」について書いているところなので彼の研究がフランス革命前で止まっているのも残念だ。

いわゆる「学者」の世界にはこういう時代的地域的枠組みの制限があるのは当然だけれど、それによって想像力や好奇心まで限られてしまうことがよくある。

ともあれ、からっとした快晴でそよ風もある快適な聖母被昇天祭、ノートルダム・ド・リエスの巡礼に行ってきた。(続く)
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# by mariastella | 2016-08-16 18:19 | 宗教

障碍の神学

アメル神父が教会で殺されたことと、相模原の施設で障碍者が殺されたこととはある意味でパラレルで象徴的な事件だと思っている。

どちらも、被害者は私たちに「証しをする人」という意味での「殉教者」だと思う。

「障碍の神学」の解説を読んだ。

聖母被昇天会 (assomptionniste)の神父で経済学者、神学者、カトリック大学で政治経済道徳神学を教えるDominique Greiner師が、編集長を務めるカトリック日刊紙 「La Croix」のブログに掲載したものだ。

障碍、特に身体障碍についての神学はアングロ・サクソン圏で進んでいるのだそうだ。

参考文献として挙げられていたものには

1.Donald Senior, « Beware of the Canaanite Woman : Disability and the Bible », in : Marilyn E. Bishop (éd.), Religion and Disability. Essays in Scripture, Theology and Ethics, Sheed & Ward, Kansas City, 1995
2.Robert F. Molsberry, Blindsided by Grace : Entering the World of Disability, Minneapolis, Augsburg Books, 2004
3.Stanley Hauerwas, Suffering Presence. Theological Reflections on Medecine, the Mentally Handicapped, and the Church, University of Notre Dame Press, Notre Dame, Indiana, 1986. Voir aussi la reperise de diverses contributions de Hauerwas in : Swinton (ed), Critical Reflections on Stanley Hauerwas’ Theology of Disability, The Haworth Pastoral Press, Binghamton, 2005
4.Nancy L. Eiesland, The Disabled God : Toward a Liberatory Theology of Disability, Nashville, Abingdon Press, 1994
(ここには、釘傷や槍創などをかかえたまま「復活」したイエスが障碍者と重ねられている)。
5.Thomas E. Reynolds, Vulnerable Communion. A Theology of Disability and Hospitality, BrazosPress, Grand Rapid, Michigan, 2008

などがあり、フランス語文献では、彼自身も書いている

« Handicap : l’état des savoirs de la théologie chrétienne », in : Charles Gardou (dir.), Handicap, une encyclopédie des savoirs, Eres éditions, 2014

がある。

大きな問題だけれど、ここに覚書として要所をメモしておく。

まず、人間の共同体には理由は様々だけれどどこでも身体障碍者排除のシステムが事実上存在している。

旧約聖書の例では、

『レビ記 21章 16-23 』に

主はモーセに仰せになった。
アロンに告げなさい。あなたの子孫のうちで、障害のある者は、代々にわたって、神に食物をささげる務めをしてはならない。
だれでも、障害のある者、すなわち、目や足の不自由な者、鼻に欠陥のある者、手足の不釣り合いの者、
手足の折れた者、
背中にこぶのある者、目が弱く欠陥のある者、できものや疥癬のある者、睾丸のつぶれた者など
祭司アロンの子孫のうちで、以上の障害のある者はだれでも、主に燃やしてささげる献げ物の務めをしてはならない。彼には障害があるから、神に食物をささげる務めをしてはならない。
しかし、神の食物としてささげられたものは、神聖なる物も聖なる献げ物も食べることができる。
ただし、彼には障害があるから、垂れ幕の前に進み出たり、祭壇に近づいたりして、わたしの聖所を汚してはならない。わたしが、それらを聖別した主だからである。

という「神」の言葉がある。
障碍がある人には神殿の務めを課してはならないけれど神聖なものを食べたりはできる。
(それが「汚れ」という言葉を使っていなければ「務めを免除される」という共生の仕方に見えないこともない。)

『イザヤ書/ 56章 3-8』には

主のもとに集って来た異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。
なぜなら、主はこう言われる/宦官が、わたしの安息日を常に守り/わたしの望むことを選び/わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。
また、主のもとに集って来た異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
追い散らされたイスラエルを集める方/主なる神は言われる/既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。

とある。

これは「わたしの安息日を常に守り/わたしの望むことを選び/わたしの契約を固く守るならみんな主の家の子」という感じだから、排除の思想でなく内包の思想に近い。

レビ記の言葉のせいで、「聖なるもの」と直接かかわるカトリックの司祭叙階には身体障碍者が避けられてきた。

けれども、慈しみに基づく公正や権利のリスペクトは、イスラエルのアイデンティティにとって神殿や典礼よりも根本的なものであるとされ、典礼からは遠ざけられる者も神に従うなら特別の場所を与えられる。

イエスはこれを敷衍した。

ヨハネからあなたはメシアですかと聞かれた時に

『イザヤ書/ 35章,4-6』の

心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」
そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。
そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。

というところに添った答えをしている。

『マタイによる福音書/ 11章,5』

目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

神の前では身体障碍など意味をなさない。

「リベラルな社会は平等で独立した人間で構成されていると想定する。
そこでは誰でもが自分の独自の人生を生きて必ずしも他者に頼らずとも個性をのばすことができるとされる。

しかしそのように生きる能力は、社会や政治のシステムだけによって得られるものではなく、人間としてまっとうに生きるために必要だ。

生き方の選択や条件における多様性を称揚するリベラリズムのパースペクティヴは障碍の問題を前にするとき破たんする。知的障碍者はリベラルな社会に居場所がなくなる。

リベラル社会が障碍者を受け入れるのは、仕方がないからやっているので、できればいない方が助かるのだ。
これが知的障碍者の誕生を避ける優生思想につながる。

けれども障害をもつということは、知的であれ何であれ、人間であることの一つのあり方に他ならない。

しかし、「健常者」のためなら無辜の病んだ生命を滅ぼしてもいいという可能性のルーツは、実は、社会的、経済的、衛生的、イデオロギー的なところにあるものではない。

それは、「一見して不条理に思える病から社会を解放しよう」という超人間的な誘惑に根差しているのだ。

人々は運命に戦いを挑もうとする。
合理的な方法によって健康な新しい人類をクリエイトできると思っているのだ。

健康という至上価値にしがみつき、他のすべての価値は犠牲にしなくてはならない。」

優生思想というのはバベルの塔みたいなものだということである。

次の一節も有名だ。

『ヨハネによる福音書 9章、1-3』

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

「こうなると、もう「障碍」は何かの欠如や悲劇などではない、「自分の弱さを抱えて他者と生きる」という人間の生き方の一つなのだ。
病気や障害は「自分や自分の環境を完全にコントロールする能力が失われた状態」ではない。

神学的考察は障害に新しい見方を提供する。
障害は、神の愛するこの脆弱な世界の一部分なのだ。
障害は、象徴的な秩序を揺るがす不完全な機能不全などではない。

脆弱性は人間の存在条件そのものに属している。
身体障碍はそのことを思い出させることで、我々の健康や健康の基準をおびやかす。

弱い人間同士が相互に連帯する深いつながりを我々に再認識させる。

我々の間に障碍者がいることが、「すべての人間は脆弱であり、生きていくうちに遅かれ早かれ助けを必要とする」ことを思い出させてくれる。
人間共同体の全体に、すべての排他的差別的態度が誤りであることをつきつけてくれる。」

老いや病気や障碍による「不都合」を緩和する知識や対策やテクノロジーが生まれるのは悪いことではないけれど、「合理」にはいろいろなレベルがある。多くの人がその恩恵を受けている。

それなのに、「死すべき人間の不条理」を超える形の「超人の誘惑」に陥れば、結果的に「弱者排除」に向かうということなのだろう。

超人に向かえば弱者を排除してしまう。

神に向かえば弱者に寄り添える。

Joyeuse fête de l'Assomption!!!
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# by mariastella | 2016-08-15 00:37 | 宗教

テディ・リネールと「県人意識」

すぐ前の記事でテディ・リネールについて触れたが、リオ五輪では柔道の最重量級の金メダルは男女ともフランスが獲得して「最強」のイメージが生まれた。

けれども、その2人のチャンピォンは日本風(またはアメリカ風)に言うと「黒人」だ。

何度も書くがフランスでは一五〇年来、公式には宗教とか人種とか何々系という形の統計が禁止されているし、メディアもほとんど使わない。

リネールはグアドループ生まれで幼くしてパリに来た。

エミリー・アンデオールはボルドー生まれだがマルチニック系で親戚はマルチニックにたくさんいる。

つまり2人ともカリブ海のフランス海外県にルーツがある。

ブラック・アフリカの旧植民地からフランスに出稼ぎに来る「移民」や「移民の子孫」や二重国籍者(フランスからの独立前に生まれた人はフランス国籍をもらえる。そしてフランス国籍を持てばその子孫も当然二重国籍が持てる。サッカーのナショナルチームにはこのタイプの黒人選手が多かった)とは違って、当然だがまったく「普通のフランス人」として扱われる。

社会的法律的差別は何もない。

むしろ見た目が「黒人」であるからエキゾチックだし遠く離れた熱帯風味で、陽気で明るく身体能力に優れている、という先入観のアドバンテージがあるくらいだ。

しかしブラック、アフリカ系の難民やら移民の子孫が事実上ゲットー化している場所やムスリム系黒人がモスクに通う姿が目立つ場所などでは偏見や差別があるのが実状だから、海外県から「本土」に来ている人たちも差別の目から逃れられない部分は当然あるだろう。

就職についても見えない「ガラスの天井」や「ガラスの壁」があるかもしれない。

でも、サッカーでもそうだけれど、スポーツの花形選手になれば、彼らを全フランスのヒーローのように熱狂的に誇る「本土のフランス人」はたくさんいる。

日本のようにたとえば、ミス・コンテストの日本代表が黒人ハーフだというだけで違和感を表明する人がいるというのとは違う。
日本でも今はハーフのスポーツ選手が活躍しているけれど、どちらにしても「半分日本人」というのに意味がある。
オバマ大統領はハーフなのに「黒人」大統領というのが画期的とされた。

それに比べてフランス海外県出身のヒーロー、ヒロインたちはいわゆる人種的にはハーフではない。

それどころか、海外県では、「本土から来る白人」が、観光客としては歓迎されるのだけれど生活者としては「差別」されるということが有名だ。「白人」不利の棲み分けができている場合もある。

私がバレエのレッスンで知り合った友人で元ミス・カリブの女性は、エール・フランスのキャビン・アテンダントとして働いていたが、「年ごろ」になるとマルチニックからお母さんとおばさんがやってきてマルチニックの男性との「お見合い」をさせられた。
家族の縛りはきつく結束は固い。

で、フランスの東洋人である私はこの「最重量級のアベック金メダル」に対するフランス人の歓喜ぶりを複雑な気分で見ていたのだけれど、クラシックなフランス人は当然ながら誰一人として人種的コメントをしない。

そんな時、グアドループのジャーナリスト( ?)のコメントをラジオで聞いて初めて気づかされることがあった。

それは、

グアドループ県人は柔道のメダルをとても誇りに思う。

しかも、チャンピォンたちは

「違いが見える」

からなおさらうれしい、というものだった。

どういうことかというと、例えば代々のブルターニュ出身の選手がチャンピォンになっても顔に「ブルターニュ出身」と書かれているわけではない。
地元ではお祭り騒ぎになって凱旋パーティをしたとしても、それが大きなニュースになることはない。

でも、海外県出身のチャンピォンは、見ただけで海外県出身と分かるから誇らしいのだ、という。

パリなどは雑多な人が集まっているから別だけれど、フランスの「地方」は日本風に言うと「県人意識」が強い。パリで働いてもリタイアしたら「故郷に帰る」人も少なくない。

でも、「故郷出身の有名人やチャンピォン」も、「見た目が変わらない」と、「どこそこ出身」というのはフランス中から意識してもらえるわけではない。
単に「フランス人」としてくくられてしまう。

それに対して、海外県出身のチャンピォンは「見た目」によってその「県人」ぶりを誇示してくれるから大満足、というのだ。

なるほど。

これでは、海外県に住む少数派の「白人」が、もし「県代表」とか世界チャンピォンになったら、微妙だろうな。

しかしこれって、「フランスの標榜する普遍主義」と「フランスの批判する共同体主義」の、表向きと実際の齟齬の独特さがうかがわれて興味深い。

アメリカでは最近亡くなったボクシングのチャンピォンのカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)が、世界王者になってもアメリカに戻ったら差別され続けていた、というタイプの「人種差別」問題がある。

「本土の黒人奴隷」というものを必要としなかったフランスとは全く事情が違う。

フランスにいるアジア人という立場から比較的自由に観察できる「レイシズム・ウォッチング」はおもしろい。

もしフランスに、過去の仏領インドシナと呼ばれる地域に「海外県」の飛び地があったとしたら、「見た目アジア人」の県民意識というのは果たしてあり得たのだろうか・・・

などとちらりと考える。
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# by mariastella | 2016-08-14 18:54 | フランス

リオ五輪の柔道とダヴィッド・ドゥィエ

前にサッカーのユーロ杯のことをいろいろ書いたので、リオ五輪のことも少し書いてみようと思い立つ。
 
柔道のことだ。

フランスの100キロ超級の柔道チャンピオンであるテディ・リネールが無敗記録を延ばしながら五輪2度目の金メダルを獲得した翌朝、同じ階級の五輪でやはり2冠のダヴィッド・ドゥイエがラジオでインタビューを受けているのを聞いて、文化の違いをいろいろ感じた。

オリンピックの柔道の重量級(というか昔は無差別級 ?)と言えば、私は東京五輪の決勝でオランダのヘーシンクが日本選手を破ったショックを体験した世代だ。

このおかげで自由同は国際スポーツとして定着したという説もある。

フランスに住むようになって、オリンピック観戦ではフランスもひいきチームになった。
フランスではやけに柔道が人気で、強いことにも驚いた。

公立の柔道教室もたくさんあって裾野が広い。道具もほとんどいらないからあらゆる階層の子供がやってくる。

オリンピックの柔道で日本選手とフランス選手が決勝を争うことも少なくないけれど、そういう時は、やはり「お家芸」というのが刷り込まれているので日本選手を応援する。

だから、アトランタ五輪でダヴィド・ドゥイエが重量級を制した後のシドニーで、日本の篠原選手に勝ってフランスで英雄視されたことや、その後で誤審が認められたけれどメダルはそのままという話などは微妙に不愉快だった。

今回の優勝者のリネールも、ロンドン五輪では決勝が日本人とではなく二度目のリオでは日本人と対戦ということで、なんだかドゥィエのケースを思い出した。

しかしリネールは確かに圧倒的に強い。
宇宙人とか言われている。

で、まあ順調に勝ったわけだけれど、それについてドゥイエが解説していて、その明晰さに驚いた。

ドゥィエはリネールが肉体的に恵まれていてテクニックもスピードもあることに加えて、戦略的に非常に知的であることを指摘したのだが、その論の展開には説得力があった。

ドゥィエは議員になったりスポーツ相になったりと、彼の知名度や国民的人気を利用しようという政党に取り込まれているだけの人かとなんとなく思っていたけれど、頭がよく、それを言語化できる。

考えてみると、対戦相手と実際にやり取りするタイプのスポーツというのは、単に練習して自分の記録を高めるとか力をつけるだけでなんとかなるスポーツではない。

一流である相手と戦って、臨機応変に戦術を変える必要がある。

しかも、今の柔道は、一本をとれば終りだけれど、そうでなければ制限時間を意識して、攻防をどう配分して優勢を維持するかを考えなくてはいけない。相撲とはちがう。

私のあまりにもかけ離れた経験に引きつけて考えても、例えば楽器をたった一人で練習している時はただただ難所を繰り返してミスを減らすことに集中しても、アンサンブルで弾く時は仲間の調子やアクシデントにもそなえなくてはいけないし、聴衆がいる時は聴衆の雰囲気にも合わせていっしょに何かを作っていくという工夫も入り、クリエーションがどんどん複雑になるのと似ている。

「自分との闘い」に近いスポーツではどんなに努力しても、「努力の方向」というのは大体決まってくる。
だからこそ端的に筋力アップするためにドーピングする人も出てくる。

けれども直接の対戦相手がいるタイプのスポーツではドーピングはあまり意味がない。
自転車競技とか水泳とかトラック競技とか、重量上げなどとは根本的に違う。

もちろんどんなスポーツでもいろいろな戦略やメンタルは大事だろうけれど、ドゥィエの話を聞いていると柔道には独特の知性が必要な気がしてくる。

でも日本人を見ていると、文化的に、言語的にも、「大きく強い者は多くを語らず」という感じがある。
朴訥なお相撲さんのイメージというか。優れた知性の持ち主でもそれを言語化して感心されることはめったにない。
「結果を見てください」というのが高潔な姿という伝統を感じさせる。

サッカーの時と同じで、オリンピックも、選手のパフォーマンスだの勝敗をめぐる言説を観察し、その変遷を見ていると興味深い。

ここ何回かのオリンピックは、ウェブ上で日本とフランスの両方のリアクションを同時に知ることができるからなおさらだ。

スポーツ観戦好きだった母のことを思い出す。

2020年が東京で、2024年がパリの五輪になれば、国民性の比較はますますおもしろくなるだろう。
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# by mariastella | 2016-08-14 00:12 | 雑感

シスターたちの見たテロ その7

(これはその6の続きです。)

シスターたちはジャック(アメル神父)をよく食事に招待していた。

「彼は音楽が好きで、ミサの美しさにもとてもこだわっていました」

「ねらわれたのは私たちですけれど他のすべての人でもあります。このような暴力はとても受け入れられません。彼らは本物のムスリムではありません」

とシスター・ダニエルが言う。

「彼らが自分たちのしていたことを意識していたのかどうか疑問です。彼らを理解しようとしてはいけません」

とシスター・エレーヌは言う。

悲劇 ?

「他のすべてのことと同じように過ぎていくでしょう」。

最後に、とてもおだやかな優しい声でシスター・ユゲットが付け加えた。

「2016年は『いつくしみの年』です」と。

「無辜の人間が無情に惨殺される」という事件を前にするとたいていの人はそれをあってはならないひどいこと、絶対の悪だとみて怒りにかられる。

そのような「正義に反する」罪を犯したものは制裁しなければならないとの思いを共有する。

だからこそ、「文明国」ではそのような力を正当化するための警察や軍隊などの「暴力装置」が法制化され設置されている。

一方で、ローマ・カトリックを中心に作り上げられていったヨーロッパ文化のルーツにはキリスト教「殉教者」文化がある。

多くのキリスト教徒が、キリスト教徒であるがゆえに迫害されて殺されてきた。彼らの死は「敗北」ではなく信仰を表明するものだった。

なぜなら、キリスト教の根本にはまさに罪なくして惨殺された「子なる神イエス・キリスト」がいて、その復活がキリスト教をスタートさせたからだ。

しかも、キリストとキリストに続いて命を捧げた使徒や信徒たちは、いずれも、罪がないばかりか殺人者たちを「あらかじめ」赦している。

「目には目を」の報復ではない愛と赦しをもってすべての人を和解させて救おう、という宗教だった。

「殉教者」のディスクールがあり、
殉教を前にしたディスクールがあり、
聖人システムによって無数の殉教者とつながり交わることのできるノウハウもたくさんある。

欲に目がくらんだ世俗の権力者が織りなしてきた侵略や報復のディスクールよりもはるかにたくさんあるのだ。

イスラムの神の名においてカトリック教会で司祭を惨殺するという行為は、一見すると「宗教戦争」を触発するのではないかと思われるかもしれない。
テロリストたちがもしそれをねらっていたのだとしたら、見事に当てが外れた。

19歳の2人の殺人者たちは、2千年前に不当な処刑を受け入れた神の子とつながる80代の司祭や信徒やシスターたちのいる場所に踏み込んだことで、「いつくしみ」のディスクールを誘発し、多くの教区で対話と連帯のモティヴェーションを高めることになったのだ。

(このシスターたちの証言は『La Vie / No.3701-3702』の記事から再構成したものです。
このカトリック週刊誌はアメル神父が定期購読していたもので、シスターたちのところで食事を一緒にするたびに届けていたそうで、その縁でシスターたちがジャーナリストに答えたということです。
いろいろなことを考えさせてもらえた貴重な証言でした。) 終り
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# by mariastella | 2016-08-13 05:24 | 宗教

シスターたちの見たテロ その6

(これはその5の続きです)

通報を受けた警察が現場に向かっている間、二人の殺人者は、再び苛立ちを見せて

「Allahu akbar(アッラーは偉大なり。祈りの呼びかけにも使われるが、アラブ系キリスト教徒もこの言葉を使う。アッラーとはキリスト教の神と基本的に同じ神だからだ)」

と叫びながら会衆席をたたき始め、聖体櫃の周りにあるカップ入り蝋燭を叩き落したりした。

あきらかに警察の到着を待っているようでした、とシスター・エレーヌは言う。

警察がやってきた時、踏み込まれる前に、彼らは三人の女性を人質にして外に出ようとした。

けれども、彼らは女性たちを盾にしようとする感じではなかった、彼女らよりも前に出て、明らかに「死」に面しているような気がした、とシスター・エレーヌは続ける。

緊迫した空気の中で、シスター・ユゲットが持っていたバッグを動かしたら金具が音を立てた。

最初に彼女に微笑んで驚かせた方の殺人者が振り向いて、

「動かないで。そこにじっとしていてください !(敬称を使用)」

と言った。

香部屋(祭器具、祭服、典礼書を保管して祭礼の準備をする場所)の扉から入った警察が殺人者を撃ち殺し(警察発表では殺人者が外に出てから撃ち殺したとなっている)、三人の女性と、重傷を負った87歳のムッシューCは救出された。

その後ムッシューCは二度の肺の手術を終えて危険を脱した。

マダムCの証言によると、首、腕、背中を4度切りつけられたムッシューCは、一度も意識を失ってはいず、床に崩れ折れて「死んだふり」をして、手で首の傷をおさえて多量の出血を防いでいたのだそうだ。

それをマダムCは見ていた。

すごい。

この人たち、みんな、すごい。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-12 00:31 | 宗教

シスターたちの見たテロ その5

(これはその4の続きです)

シスター・エレーヌは、くじけてしまわないように心の中で聖母マリアに祈った。

アルジェリアのティビリヌの修道院から拉致されて殺害されたクリスチャン・ド・シェルジェのことが頭に浮かんだ。
映画『神々と男たち』で日本でも知られる修道士たちの殺害事件はちょうど20年前に起こった出来事だった。
当時内戦状態で身の危険が迫っていることを知りながら、町の人たちの奉仕に身を捧げていたフランス人修道士らは敢えて修道院に残ったのだった。(関連記事

数ある聖人伝や殉教者伝は、すべて、「証言」「証し」の意味を持つ。
人は人を愛することができるという証しだと言う。

それこそが殉教者たちが伝える「福音」であり、その蓄積が神に人生を捧げたすべての聖職者、修道者を固く守っている。

若者との「神学問答」において、シスター・エレーヌは

落ち着いて平静に答えること、
最低限の答えにすること、
自分の信念と反することは言わないが、あまり言いすぎないようにすること

の三つに気をつけた。

シスター・ユゲットに向けられた質問はイエスについてで、キリスト教とイスラム教が合意しない点についてだった。

「イエスは人間であって神でもあるということはできない。あなた方は間違っている」

ともう一人の殺人者が強い調子で言った。

小柄なシスターは、

「そうかもしれないわね、でもしょうがないわ」

と答えた。

「火に油を注ぐようなことはしたくなかったけれど、自分の考えを否定することもできなかったからです。死ぬだろうと思いながら心の中で命を神に捧げていました。」

と彼女は回想する。
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# by mariastella | 2016-08-11 00:31 | 宗教

シスターたちの見たテロ その4

(これはその3の続きです)

殺人者たちはシスターたちをイスラムに改宗させようとしていたのだろうか ?

考えられないことではない。

殺人者の一人はシスター・エレーヌにコーランを知っているか、と尋ねた。

シスター・エレーヌは

「知ってます、聖書を尊重するようにコーランも尊重しています。複数の章句を読みましたが」

と若者に答えた。さらに、

「特別に印象的だったのは平和についての章句です。」

と言うと、若者は明らかに心を動かされたようで、

「平和、それが我々の望んでいるものなんだ。

あなたがテレビに出る時は、政府に対して、シリアで爆撃が続いているうちはテロを続けると伝えてください(敬称を使っている)。

毎日爆撃している。それをやめれば我々もやめる」

と答えた。

シスター・エレーヌはうなずくしかなかった。

解放された後、人質のシスターたちはテレビの前ではコメントしなかったが、シスター・エレーヌはその言葉を大統領に直接伝えている。

「死ぬのが怖いか?(ここは敬称でなく親称)」

と殺人者は続けた。

脅しなのか好奇心からなのかは分からなかった。

「いいえ」

と老シスターが答える。

「どうして?」

と若者が問う。

「私は神を信じているから(死んでも)幸せになると分かっているからです」

とシスターは答えた。   (続く)
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# by mariastella | 2016-08-10 00:10 | 宗教

シスターたちの見たテロ その3

(これはその2の続きです)

2人の殺人者の態度が突然変化した。

それまでの興奮や攻撃性がすっと消えた。

リーダー格でない方の男がシスター・ユゲットに微笑みを見せた。

それは勝利の笑みではなくて、温和な笑み、幸せそうな笑みだった、とシスター・ユゲットは今も驚きを隠せない。

83歳のシスター・エレーヌとやはり80代のマダムCは、座りたいと願い出た。殺人者の一人がそれを許可した。

シスター・エレーヌの杖も返してくれた。

人質と殺人者との間に非現実的な神学色を持つ対話が始まったのはその後だった。
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# by mariastella | 2016-08-09 00:04 | 宗教

シスターたちの見たテロ その2

(これはその1の続きです。)

侵入した2人はあまりにもお約束のテロリストらしい格好だったのですぐに何が起こったか分かった、と元看護師のシスター・エレーヌは言う。

テロリスト二人はとても興奮していて、最初に何かのスローガンをアラビア語で叫び、そのあとフランス語で、彼女らキリスト教徒がアラブ人を支援しないことを非難した、とシスター・ユゲットが続ける。

突然、彼らは祭壇の上にあったものをすべて床に払い落として自分たちのカバンを置き、司祭を跪かせ、信徒のムッシューCの手にビデオカメラを持たせてスイッチを押した。

司祭が「やめなさい、何をするんだ」と叫んだ時にテロリストの一人が司祭を傷つけた。

シスター・ダニエルはその時に抜け出した。

無我夢中だったのでどうして逃げ出したのか分からない。

教会の外に停まっていた青い車の運転手に警察を呼ぶように頼んだ。

聖堂の中では、二人の殺人者が彼らの計画を実行に移していた。

2度目の攻撃で司祭は息絶えた。

ムッシューCをひどく傷つける前に、彼らはビデオカメラを回収して殺人が撮影されているかどうかを確かめた。

ムッシューCのすぐ後ろにいたシスター・ユゲットは血にまみれた司祭の白い服が画面に映っているのを見た。

司祭とムッシューCの二人が床に倒れてから、リーダー格らしい男がシスター2人とマダムCに向かって彼女らは人質であると宣言した。

彼らはシスターらの肩をつかんだ。

一人はピストルを持っていたが偽物だろうとすぐに見抜いた、もう一人は血塗れた手にナイフを持っていて、時々何かで研いでいた、とシスター・エレーヌは言う。

(続く)
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# by mariastella | 2016-08-08 00:20 | 宗教

シスターたちの見たテロ その1

聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ(saint Vincent de Paul)の愛徳姉妹会は、17世紀フランスでヴァンサン・ド・ポールとルイーズ・ド・マリヤックがパリで始めた都市型社会奉仕の活動修道女会だ。

19世紀には(1830)、見習い修道女のカタリナ(カトリーヌ)・ラブレーの前に聖母が現れて、「不思議のメダイ」(奇跡のメダル)を造るように指示した。そのメダルは今でもカトリック世界で最も人気が高く流布しているものであり、聖母の現れたチャペルには毎日世界中から巡礼者がやってくる。

そのような「ご利益」にみちた場所やグッズのルーツとなった修道会なのに、シスターたちは創立の時から変わらず、一人暮らしの人、病気の人、貧しい人たちのためにひたすらエネルギッシュに飛び回っている。

テロに遭遇した三人のシスターも、ノルマンディ、ブルターニュ、ノール、パリ近郊などでも共に活動をしてきた仲間だ。

教会から逃げて電気会社の車にSOSを通報してもらったシスター・ダニエルは一週間に三日、町で教区の主催するVesti'Amis(寄付された衣服の流通場所で誰もがコーヒーを飲みながらおしゃべりなどができる)の手伝いをしていた。
だから親元にいた19歳のアデル・ケルミシュ(テロリストの一人)や彼の家族とも顔を合わしていたかもしれない。

教会とモスクは同じ敷地内にある。正確に言うと、モスクへのアクセスのために教会が通り道を譲ったもので、ムスリムのお祭りの時には芝生も開放する。

7/26のミサはシスター3人とC夫妻だけの参加だった。普段来ているポルトガル人の夫人たちはバカンスに発っていたからだ。

9h30、空色のポロシャツを着た青年がシスター・ユゲットに、教会はいつ開いているかと尋ねた。

学生だと思った。

10分後にまたいらっしゃい、と彼女は答えた。

10分後に彼はもう一人と共に戻ってきた。全身黒ずくめだった。(続く)
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# by mariastella | 2016-08-07 02:06 | 宗教

シスターたちの見たテロ

先日テロのあったノルマンディの教会のミサには3人のシスターが出席していた。

愛徳姉妹会のシスターたちだ。

愛徳姉妹会はパリでも日本でもお世話になっている修道会でパリでも日本でもコンサートをさせていただいた。

そのシスターたちがテロに遭遇し、目撃し、証言している。

聖職者が見て語る蛮行とはどういうものなのか、和解と赦しはどのような視点、視線から出てきて何にルーツを持つのかを探るためにあまりにも貴重な証言なので、明日から少しずつ紹介します。

3人は、それぞれリタイアした看護師、高校教師、児童教育士(educatrice des enfants)として社会福祉にかかわり続けている方々です。
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# by mariastella | 2016-08-06 17:44 | 宗教

母性愛の神話と母性遺伝子

「母性」(子どもを慈しみ、大事にし、そばにおいておこうとする性質)が社会的に形成されてきた神話であるとする『母性という神話』の著者エリザベート バダンテールは私の賛同するフレンチ・フェミニズムの旗手(アングロサクソン型フェミニズムが席巻している今では貴種?)だけれど、何十年と「母性愛」を観察した結果、私の考えは少し違ってきた。

バダンテールは、

いわゆる「母性愛」は本能などではなく、母親と子どもの日常的なふれあいの中で育まれる愛情である。それを「本能」とするのは、父権社会のイデオロギーであり、近代が作り出した幻想である

とするのだけれど、私は、「母性」(子どもを慈しみ、大事にし、そばにおいて世話しようとする性質)は確かに「本能」ではないが、「母性遺伝子」のようなものが存在するのだと今は思う。

本能ではないから、あるかないかは人によって違う。

それは性別と関係がない。

この遺伝子(ここでは便宜上遺伝子という言葉を使うがもちろん特定されているわけではない。仮説だ。)がない個体は、子供の世話を進んですることがない。

だから、集団生活をしない動物なら、この遺伝子のないメスが生まれた子を放置すると子供は死ぬ。

その結果、その遺伝子(つまり母性遺伝子の欠如した個体の遺伝子)は絶えるので、母性遺伝子のある個体が自然淘汰を免れて多く残る。

けれども集団生活をする動物なら、母性遺伝子のない母に放置された子供を代わりに保護する個体が現れる。
それがオスであることもあるし、他のメスが自分の子と一緒に育てることもある。
時には異種の動物に保護されることもある。

で、人間の場合は特殊で、母性遺伝子のない女性もほとんど淘汰されないできた。

母性遺伝子のない女性もたいていは子供を育てるからだ。

社会的な役割を模倣したり、押し付けられたりするからである。

また、強制や幻想がなくても、自分が育てられてきた環境を模倣したり自然に学習したりするということもある。

その「やり方」やモデルは確立しているので、「本能」だの「心」だのが伴わなくても比較的簡単にこなせる。

だから「放置」というのは例外となる。

社会によっては、乳母制度などで、母性遺伝子のある人とない人の住み分けが可能である時代や場所もある。

母性遺伝子のない女性でも子供を保護し、養うという行動をとるのは、生存戦略として機能している。
社会的に必要とされ受容されるからだ。

だからこそ、ヒトが一番、「母性遺伝子のないメス」がたくさん生き残っている動物となっている可能性がある。

母性愛を「本能」とするのが、父権社会のイデオロギーであり、近代が作り出した幻想であるというのはバダンテールに同意するけれど、生まれながらに「母性遺伝子」を持っている人は男女を問わず存在する。
環境と関係がない。

その意味で、母性は神話ではない。

その他のケースとして、母性遺伝子がないにも関わらず、その幻想を引き受けて役割を果たすことをエゴイズムの中に取り込んでいる人もいる。

つまり幼子をいつくしむというのではなく、自己愛の肥大としての疑似母性だ。

この場合は子供がもう庇護を必要としなくなっても共依存に陥る場合が多い。

また、母性遺伝子と女性のキャリア志向は、男性の場合と同じくまったく関係がない。

母性遺伝子があっても子供を持たない人や、子供を保育所、ベビー・シッター、子供の父親、実家などにあずけてキャリアを追及する人ももちろんいる。

でも、そんな人でも、母性遺伝子があれば、通りすがりの他人の赤ん坊を見るだけで心が騒ぎ抱きたくなるのだ。

母性遺伝子のある人は、自分の子でなくとも子供を保護しいつくしむ。

男性の場合これが社会的に阻まれることもあるかもしれない。

マザー・テレサが北京世界女性会議へ宛てたメッセージの中で、

「女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れ、神様が女性に与えた最高の贈り物-それが母性なのです。」

などと、「母性神話」を女性や母親としっかり結びつけているように、母性遺伝子を持っている人自身(マザー・テレサがそうであったと仮定して)が、誤解している場合もある。

「母性愛」が女性特有で素晴らしいものだとする言説は、母性遺伝子のない女性を苛んだり、彼女らの人生に不全感を与えたりする。

もっともマザー・テレサがその後に続けて、

「子ども達が愛することと、祈ることを学ぶのに最もふさわしい場が家庭であり、家庭で父母の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、不和になったりすれば、多くの子は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国は、やがて多くの困難な問題を抱えることになるでしょう」

と言ったこと自体は間違っていない。

母性遺伝子の有無にかかわらず、男女の別にかかわらず、すべての人が子供(あるいは相対的弱者)を保護しいつくしみ愛することを「学習」するのが人間の使命のようなものだからだ。

けれども、誰かが「母性愛」を感じられないとか、弱い人の世話をせずに楽になりたいとか感じたからと言って罪悪感に苛まれる必要はない。

「母性愛」や「隣人愛」にあふれた愛ある行動を自然にとれる人はそういう「賜物」に恵まれたのでそれを大いに発揮してくれればいい。

それに恵まれなかった人は、自分に与えられた別の「賜物」を通して、子供(あるいは相対的弱者)をいつくしみ愛する広い「きょうだい愛」に参画してもいいのだ。

PS 1 いつものごとく、このテーマを猫に投影してみると、母性遺伝子と猫かわいがりは別物だ。

母性遺伝子の発現を代償的に猫に投影している人たちや人間と同時に猫にも向けている人ももちろんいるけれど、ヒトの赤ちゃんはかわいいと思えないけれど猫だけはかわいいという人はいくらでもいる。
自分の子供よりも猫の方がかわいいという人も。
それはジョークとしては通用しても「社会的公正」ではないので大きな声では言えないし、自分ですら気づいていない人もいる。
母性遺伝子があろうとなかろうと、子供でも猫でも、かかわったものには責任をもって関係を全うすることに努力することがたいせつなのだろう。

猫を猫かわいがりする人にはそういう遺伝子があるのかどうかは知らないが、そうでない人からは冷ややかに猫バカだとみられるだけだ。
一方、母性遺伝子のある人が心から赤ちゃんをいつくしんでいる姿に接すると誰でも感動し、神々しいと思う。

でもそういう人にはそれが自然で普通なのだ。
そうでない人は劣等感や罪悪感を抱く必要がない。

愛することを「学習」して、赤ちゃんの笑顔や信頼という見返りがあれば最高だし、それがなくても命を守るという使命を遂行することに意義を感じることができる。

愛やいつくしみといった一見普遍的に見えることですら、みんな出発点がちがうのだ。でも、正しい「方向」というものは絶対にある。

PS 2 母性遺伝子があるかどうかをチェックするのは簡単だ。一般的なヒトの赤ちゃんを前にしてかわいい、抱きしめたい、と思うかどうか。そこに「世話をしたい」というのがセットになっていると本物だ。仔猫を前にしてかわいい、抱きしめたい、と思っても別に四六時中世話したいと思わない人は多い。

昨年の秋、シリア難民の3歳の子供が浜に打ち上げられた写真を見てヨーロッパ中が難民受け入れに好意的になったように、子供や赤ちゃんや動物の子供が苦しんだり傷ついたりするのを不当だとかかわいそうだとか思うこと自体はもっと広い意味での本能的な情動に組み込まれているような気もする。
けれども「そばにおいて世話したい」というのはまた別のものなのだ。
この仮説について、検討することはまだまだたくさんある。
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# by mariastella | 2016-08-06 00:38 | フェミニズム

藤原真理さんのバッハ

先日、チェリストの藤原真理さんのパリのお宅でバッハの無伴奏を少し聴かせていただいた。

前に聴かせていただいたときになんとなく確認したいところがあったので、今回はヴィオラ用の無伴奏の楽譜を持参したら「なんだかコンクールみたい」と言われてしまった。ごめんなさい。

第一組曲のプレリュードとサラバンドとジーグ、第二組曲のプレリュードとジーグ。

第一組曲のプレリュードは必ずと言っていいほどギターの試験課題曲になっているので同行した仲間のギタリストMにとっては格別新しい地平が開けたようだった。

私ときたら、40年近く前にこのプレリュードをパリの音楽師範(エコール)学校(ノルマル)のギターの試験のために練習した時、フレージングは気をつけていたものの、全くボーイングというものをイメージしていなかったので、今となっては、あれは何だったのだろう、という弾き方をしていた。しかも、弾きながら何の喜びも感じていなかった。

今となってはヴィオラに手をそめてからも20年以上が過ぎ、バッハを弾くのは生理的な快感と切り離せない。私のレベルで私の楽器ですらわくわくドキドキするのだから、藤原さんのレベルで藤原さんの楽器で呼びさまされるバッハは本当に別世界、というか、「本当の世界」が期間限定で啓示される場にワープした感じだ。

しかも、Mが言うように、彼女の弓が弦に触れるとすぐ音が出るのがすごい。

ギターでも、アタックのノイズを消すのは至難の業だ。

爪のやすりのかけ方はもちろん、弦に触れる角度とスピードと「矯め」をいろいろ工夫しても完全には消せない。

藤原さんの弓が触れると、バッハの音がどこか別のところから降臨するように顕現する。

たとえて言えば演奏者と楽器と音楽という三者のトリオのようだ。

そして、長音が空に舞ってエレガントに消えていく軽さと、地に一瞬練りこみながらやはりエレガントに力を抜いて残響に託される低音の対照も絶妙だ。

第一組曲のサラバンドもダンス曲としてかなり変則だなあと改めて思った。

一応サラバンドらしいサラバンドは第二と第六くらいで他のサラバンドの「精神分析」みたいなものをしたくなる。

夏休み、引きこもっているのでテレマンのファンタジア(これは元がヴァイオリン)をもう一度やり直そうと思っていたのだけれど、やはりバッハかなあ。

PS : 数時間、2013年の記事がこの8/4付に移動していました。フランスのゲイの結婚法に思う宗教と社会の話です。元の場所に戻しましたが、読みたい方はこちらでよろしく。
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# by mariastella | 2016-08-05 01:07 | 音楽

プラシド・ドミンゴ

オランジュ音楽祭の『椿姫』の中継を聴いているところ。

解説はナタリー・ドゥセで、彼女の多才ぶりに感慨を覚える。

プラシド・ドミンゴがバリトンでジェルモン役を歌うこともあって、ドミンゴのドキュメンタリー・フィルムが先に放映された。

彼が子供の時から両親のスペインオペラの一座で歌っていたように、息子も彼のオペラに子役として出演して歌っていたシーンもあった。

息子もインタビューを受けていたが、75歳になる父親のオーラやエネルギー、覇気は感じられない。

この息子が確か、サイエントロジーに20年間いてから離れハラスメントを受けたという人だ。
このような「偉大な親」は、世界中のファンと共有しなくてはならない。
大変だっただろう。

指揮をするシーンもあり、彼の指揮には発声もメロディも全部ある、自分もまるで彼の声を通して歌っているようだ、と彼の始めたオペラリア(歌手のコンクール)でデビューした歌手が言っていた。

ドミンゴ本人は、指揮をしていると、古代ローマで八頭立ての戦車に乗って両手に4頭ずつの手綱をもって疾走しているようだ、というようなことを言う。

ドキュメンタリーの中でドミンゴのことを「オペラ界のバルザック」と評した人がいたのが印象的だった。

talent dirigé par le maître

volcan de générogité

という形容も。

gratuité(無償性) とgénérogité は一番いい意味で似ている。

でも、どんなにgénéreux(寛大に、気前よく)にgrâceを聴衆と分けあっても、
ベースにあるtalent(才能)があって、それを指揮する腕前がないと劇場アートは成立しない。
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# by mariastella | 2016-08-04 06:20 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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