L'art de croire             竹下節子ブログ

神秘体験と無神論体験は似ている

 もう30年以上も、神秘家と言われる人々の書いたものを読んできた。
 どんな文化や宗教にもある、神や絶対者や宇宙とかとの合一体験みたいなものである。
 忘我とか恍惚とかいう側面もあるし、「あっちの世界にいってしまった」ような部分もある。

 その文章が残っているような神秘家は、その体験の後から「こっちの世界」に戻ってきたり、あるいは、天と交信しっぱなしの吹き抜け状態で生きたりするが、まあ、普通の人々の救済に役立ったり属する宗教を刷新したりするものだ。

 ここ3年は、モダンやポストモダンの言説を無神論的な文脈の中で読み直す作業をしてきた。
 「眼からうろこ」状態だった。無神論、特にモダンやポストモダンを形成したキリスト教無神論は、すべて、かれらの神への強いこだわりが原動力になっていることがはっきり見えたからだ。

 今回の本(無神論についての本)では、神秘家と無神論者の比較には踏み込まないけれど、この両者は「似ている」。

 誰もそんなこと言ってないが、無神論をずっとやった後で、最近、また神秘家のテキストを読み返して、忽然と悟った。衝撃的だ。

 まだうまく言えないが、神秘家の神秘体験では、ちょうどヴァーチャル・リアリティによる神経症の治療のように、脳内の現実解析のプロセスが変わってしまう。

 多くの神秘家は、それまで自己であると思っていたものが実は幻想に過ぎないと悟り、代わりに、無限の何かに呑みこまれる。そうすれば、それまでの自己は、なんだか黒色矮星みたいになってしまうのだ。

 逆に、無神論者は、それまでの自己を外から担保していると思っていた神とか絶対とかをと突如として失う。で、残るのは、梯子を奪われた自己だったり、あるいは、神の座(神はいないのだから神の座だってほんとはないはずなのに)にちゃっかり座る自己だったりする。

 一見、後者の方が孤独で強いと思うかもしれないが、神秘家の方も実は孤独である。自己を外から担保していた神を失うという意味では神秘体験も同じようなものだからだ。

 言い換えると、神秘体験や無神論体験で、神秘家や無神論者は、世界の構造を失うのである。自己を成り立たせている対象との関係性を失う。それを成り立たせていたツールやルールや、共同体構造も、全部、まとめて、失う。

 宗教の体制が、神秘家を隠したり、抑圧したり、必死に管理したり、嫌ったり、悪魔つきにしてしまうのは、まさにそのせいだ。人間の実存的不安を手当てする救済のためのツールやルールや共同体を神秘家にスルーされたら宗教はその基盤を失うからだ。

 ここで、無神論者というのは、特に西洋近代とポストモダンの中で現れてきたまさに、「神なき神秘家」たちのことで、単に科学主義に支えられた懐疑主義や教育やイデオロギーに基づく無神論者ではない。

 日本人にはぴんとこないかもしれない。

 卑近なたとえだが、たとえば、小学校にあがるまではサンタクロースの存在を固く信じていた子供たちが、ある日、サンタクロースって両親だったんだとか、全部「子供だまし」だったんだとか、分かった衝撃を想像してほしい。クリスマスのイルミネーションも、デコレーションも、音楽も、社会全体が、共謀して自分をだましていた、と感じたとしたら。(実際そういうトラウマを語る人もいる)

 それに比べて、毎年、正月に初詣にいって、今年もいいことがありますように、と何の疑問も抱かずに賽銭を投げて手を合わせる人のことを考えてみよう。彼らは、一度として、この拝殿の後ろには実は何もない、などと考えないし、そこにいっしょにいて拝む人の中には、テロや通り魔によって死ぬ人もいれば、大事な人やものを不当に失くす人もいるかもしれない、初詣なんて気休めさ、なんてこともわざわざ考えないだろう。
 神がいるかいないかの証拠を挙げろ、なんて野暮なことで悩まないし、まあ、強い人でも、自分は「神仏に恃まず」、と言って、拝むのを控える程度だろう。それも宮本武蔵くらい強くないとなかなかできない。

 まあ、子供がサンタクロースの「子供だまし」に気づいて愕然とするのに比べて、賽銭と招福のコストパフォーマンスなんて野暮なことは言わない、初詣にいくのは風物詩だからね、という方が「大人」の態度だと考えるかもしれない。

 そしてそういうプラグマティックな「大人の態度」が、「普通」の信仰者だったり、「普通」の無神論者なのである。

 「神がいた」とか「神はいなかった」とか気づいて、自己の属する世界のストラクチュアを失うのが、神秘家だったり、無神論者だったりする。

 こんな人たちが必死に、新しい世界観を構築して、生き続けようとすることで、人類の霊的世界も、思想や哲学も豊かになった。

 私たちは、神秘家たちや無神論者たちの恩恵を受けながら、ヌルイ世界に生きている。
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by mariastella | 2008-12-18 23:53 | 宗教
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