L'art de croire             竹下節子ブログ

メジュゴリェの聖母出現とバリ島のダンス

 1月13日のクーリエ・アンテルナショナルCourrier internationalの記事(ネットでも読める。courrierinternational.com)に、ボスニア-ヘルツゴヴィナのあの有名な聖母御出現を大いに怪しむブラジルの『Veja』誌の記事が紹介されていた。

 ヴァチカンに属する教皇庁国際マリア・アカデミーの調査団が3年前から現地でやっている真偽調査が2009年の終わりには終了すること、

 あの聖母好きの前教皇JP2ですら、ボスニアに2度行ったのについにメジュゴリェには行かなかったほどメジュゴリェについてはあやしいことが元々あること、

 昨年、現教皇B16が、メジュゴリェの御出現を演出して子供たちのマインドコントロールをしたとも言われているフランシスコ会の福音派系神父をイタリアの修道院に監禁を命じたこと、

 その神父は1970年に叙階され、1976年にある修道女を妊娠させたといわれ、1981年に最初の御出現の3ヵ月後にメジュゴリェに来てから、子供たちが聖母を見ながら口をもごもごさせるなど、演劇的パフォーマンスが増えたこと、

 1984年にはこの神父は、当時の教理省長官だった現教皇によって、76年の妊娠事件を口実にすでに一度イタリアで謹慎させられたこと(その機会に、メジュゴリェの教区などがその「おいしい巡礼産業」を利用したとも言われる)、

 メジュゴリェの聖母は現れすぎで、しゃべりすぎで、言ってることが必ずしも教会の伝統に合致しないことなど、

 などである。

 クーリエは、2004年にも記者にメジュゴリェをルポさせて、『メジュゴリェについて教皇の知らない3つのこと』という記事を出している。

 要するに、メジュゴリェはいかに地域興しになっているかという経済効果のことで、当地の神父たちがいくら稼いでいるか、教皇は分かるまい、という話だ。

 1981年6月に聖母を見た6人の子供たちは今や40年配で、そのうち3人は、今も定期的に出現する聖母とコミュニケートしていて、そのメッセージが毎日各国語に訳されてネットで配信されたり、世界各国をパフォーマンスして回る者もいる。こうなると「聖地」は問題でなく、聖母は「人」に憑くわけで、まあ霊媒の実演みたいなものである。

 この「聖母のメッセージ」を教会関係者が配信してはならないと司教が禁止している。
 しかし、プライヴェートな巡礼はもちろん、聖職者と共にやってくる巡礼グループも禁止されているわけではない。普通、御出現だの奇蹟だのが真性かどうかは、当該司教が宣言する権限があるのだが、メジュゴリェではそれが剥奪されている。

 そもそも、その手の出来事の「真性」審査は、それが終わってから、というのが基本である。
 福者や聖人の認定が、当人の死後にしか審査が始まらないのと同じだ。

 ところがこのメジュゴリェでは、御出現は30年近く、現在進行形である。

 6人の「見神者」は同じ通りにそろって家を構えている。全員結婚して子供もいる。
 そのうちの2人はたいてい留守である。
 1人は元ミス・マサチューセッツと結婚してボストンに住み、もう1人はイタリアに住んでいるからだ。みな講演活動でひっぱりだこでリッチらしい。

 この時の記事については、フランスのモンペリエ大学の医学部の消化器外科のアンリ・ジョワィユー教授が反論している。彼のブログでも読める。

 彼は、医学関係の調査団として1984年以来17回もメジュゴリェを訪れたが、子供たちのトランス状態はほんもので、演技ではなく、また、精神的にも精神的にも生理的にも器質的にも何の異常もないことは明らかだと太鼓判を押す。元々は彼も懐疑的だったのにかかわらず、である。
 
 そして、メジュゴリェには深い祈りと瞑想と平安があり、多くの人がほんとうに癒されているという。特に、重症の麻薬中毒患者が劇的に治るらしい。それは、そこで働く人々が、深い信仰に支えられているからこそだ。

 多分、ほんとだろう。

 この手の巡礼地がここまで熟成すると、もう御出現の真偽や演出がどうこうという次元を離れてしまうからだ。
 それほどまでに、信仰を求める人々の気持ちは切実だし、それが集まると、大きなサイコ・エネルギーが集まる。
 経済効果は大きいだろうが、功利的な思惑の何千倍もの善意とか無償性とか精神性がみなぎり溢れてくるので、全体としては、立派な「聖地」「巡礼地」の機能を果たすのだろう。

 では、何十年も毎日のようにエクスタシーやトランス状態になって聖母と交信するという、部外者から見るといかにもあやしい見神者たちは、本当は、何者なんだろう。

 1度や2度とか、1年くらいの話なら、まあ、いろんな意味でのアクシデントというか、そんなこともあるかもね、とも思えるし、その人がその後で早逝するとか、聖職につくとかいう展開になると、すべては、宗教的狂熱の表現なんだなあ、とも思えるかもしれないが、メジュゴリェのみなさん、あまりにも、「俗」の側にいるような気がして、いまひとつありがたみがないのでは・・・・

 で、ここからが、私の解釈。

 私は年末年始とバリ島へ行って来た。

 目的の一つはバリの伝統舞踊のトランスを見ること。

 最近、石井達郎さんの『身体の臨界点』青弓社という本で、バリ舞踊のトランスについて読んだからである。

 バリ島といえば、ここ数十年、文化人のお手軽フィールドワーク地だったから、すっかり商業的になっていると思うだろうが、意外に、中途半端に素朴である。

 観光客相手に、まるで京都の祇園コーナーにいる錯覚を起こすような場所でバロンダンスとか毎日やっているんだが、若手の稽古の場という感じではないし、すれっからしの芸人が仕事をこなしている、という風でもない。
 バリでは、今も、村中が、子供のときからお祭用の踊りを練習しているから、住民全員アーチストであって、いろんな村の人が交代で出演してるという感じで、専任のプロがいるというより、みんなアマチュア、玉石混交なのだ。しかもバリの暦は1年が210日だから、毎年の各種の祭りの周期も短い。男も女も、男の踊りも女の踊りも楽器も、みなひととおりできてしまう。

 もちろん寺院の祭礼でやる本番と違って観光客相手の踊りはそれこそアルバイトだから、精神の高揚も緊張もない。だから、トランスにも入らない。

 バリの人、正直。

 「踊りの最後でトランスに入るんですってね」とわくわくする私に、バリのガイドさんは、「寺ではそうだけど、観光客相手のはただの振り付けです」とにべもなく答えた。
 
 その振り付けとは、たとえば、戦士たちが魔女の魔力にやられて、脱魂、忘我の境地で自分の胸に剣を突き立てる、などというやつだ。

 まあ、楽器奏者の方は、楽器のテンポが上がったりするので、それに引かれて、それなりに「行っちゃってる状態」になってる人もいるが、踊り手のほうは、舞台の上で、本気で自分に剣を突き立てるモチヴェーションはわかないだろう。

 楽器なしのケチャックという上半身裸の男たちが何十人も「クン、クン、ケック、ケッケッ、クク」と声を発しながら体を揺らす踊りも、最後はトランス状態になって「超能力を得て全員火渡りに突入」というふれこみだった。

 これも、実際は、まあ、気分は村の盆踊りの練習で、お年よりもいればほんの子供もいて、それなりに真剣にやる人やいかにもうまいリーダーもいるが、よそ見したりしてる若い子もいる。
 だから最後にも、火渡りほどのものもなくて、派手に松明を散らして炎を広げて、火を見ると観客も興奮するから、それなりに盛大に・・・という程度だ。

 でも、野外でのこの公演は絶対に雨が降らない、それは、踊る前に、雨が降らないようにみんなでお祈りするからだ、と聞いた。

 公演は大事な観光収入だから、踊りはともかく、お祈りの方は「本気」なんだろう。

 そこのところでは、神や自然とちゃんと交信しているみたいで、なんだか、聖と俗とかアマとプロとか本気と手抜きの区別が曖昧だ。

 で、踊りのトランスだが、では、それがそもそも、それほど「途方もない」ことかというと、実はそうでもないような気がする。

 私も多少踊るので想像がつくのだが、そもそも、身体技法を伴ったアートというのは、アートとして成立するには、多少のトランスを必要とする。

 どんなにテクニックを磨いて完璧に準備しても、その形を完全に見せるだけでは試験に臨む優等生のようなものだ。

 いざ観客を前にしたり舞台に出たら、そこは入魂というか、場の雰囲気と融合しインスパイアされなければクリエートとは言えない。

 楽器演奏でも同じことだ。

 充分練習すれば、後は、我を忘れて天命を待つ、みたいな瞬間がないと、いい演奏などできない。

 岡本太郎が、「芸術は爆発だ」と言ったが、踊りが芸術になるにはこの「爆発(それが内的なものであれ)」の部分が必要で、逆に言うと、プロのアーチストであれば、誰でも、そういうプチ・トランス状態に入る術を知っているはずである。本格的にシャーマニックで鬼気迫る人ももちろんいる。

 ここぞという時に、人前でトランスに入れるかどうか。

 体質、気質にもよるし、コツもあれば、慣れもある。

 絶対無理な人もいる。

 そういう人は、永遠に、テクニックの教師か自己満足のアマチュアでしかない。

 で、バリ島のような文化環境だと、伝統とか、集団の力で、たいていの人は、祭りの奉納舞踊となると、みんなわりと楽にトランス状態になるんだろう。

 そして、祭りの奉納舞踊で次々とトランス状態になってしまうであろうバリの人たち、

 この人たちを、もし、西洋の医師団が来て検査しても、

 そのトランスは演技でもやらせでもなく、彼らの精神も肉体も健康で病的なところはなく、「ほんもののトランス」って言うことになる。

 文脈が変われば、別に不思議でもなんでもない。

 祭祀があり奉納がある伝統社会では、よくあった話だろう。
 それがソロでやるか集団でやるかは文化の差があるだろうが。

 それを思うと・・・
 
 メジュゴリェの聖母出現パフォーマンスも、一般人の勝手なトランスが嫌いな高度の管理体系でもあるカトリック教会とか、身体技法を忘れてしまったヨーロッパの人々とかから見ると、その真偽を問いたくなったり、回心体験を誘発したり、感涙を流したり、糾弾したくなる特殊なものだったりするかもしれないが・・・

 バリ島の舞踊などと照らし合わせて考えてみれば、

 彼らのパフォーマンスはリチュアルであり、奉納の一種なんだろう。

 小さい時から毎日やってれば、毎日、ミニ・トランス。

 彼らの生活の中では聖と俗の境界とかも曖昧で、
 多分信仰も篤くて、
 かと言って、無理に出家しちゃうような辻褄合わせの必要もプレッシャーもなく、

 天然のほんもの、になっちゃってるのかもしれない。

 欲だけで何十年も演技続けられるものでもないし、そこまでマインドコントロールできるものでもない。

 バリ島の舞踊では、「演じる」という芸能と「憑く」という呪術が、洗練されることなく、また様式化されないままに野太く入り組んでいる(前掲書より)。

 メジュゴリェの「聖母との交信」も似たようなものなのかもしれない。

 ケチャックを踊る人たちが踊る前に本気で祈って、おかげで雨が決して降らないように、
 メジュゴリェだって、聖なるものとの交信があるのかもしれないし。

 バリ舞踊をはじめて見た西洋の民俗学者なんかが大いに感動したように、メジュゴリェの奉納を見てはじめて聖母に出会う人もいるのだろう。


 奉納としてのトランス。

 奉納としての御出現。

 近い、と思う。

 
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by mariastella | 2009-01-14 09:41 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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