L'art de croire             竹下節子ブログ

聴覚障害者の世界

 昨日TV5で、聴覚障害者のドキュメンタリーと議論の特集を見た。

 この問題は関心があったので。

 ちょっとショックだった。

 生まれつきの聴覚障害児に音声言語を最初から教えることを、マイノリティのカルチャーから言語を奪うのと同じだ、聴覚障害者のアイデンティティの否定である、と攻撃していたからだ。

 この問題で、どの国でも長年、音声言語派と手話派が議論を戦わしているのは知っていたが、手話によって、モリエール演劇賞を得た女優などが、非常にアグレッシヴ(と私にはには思えた)に音声言語を否定するのにはめんくらった。彼女はほとんど、手話が言語として音声言語よりも優越しているといわんばかりに称揚していた。

 唯一興味深いと思ったのは、パリの病院で手話で診察を始めた医者の話だ。聴覚障害者は、医療において機会差別をされているということはよく分かる。だからこのフランスに20人ほどしかいないこの医者のようなバイリンガル(音声と手話)の医者は貴重である。
 問題は、医者が患者に使う(または使わない)お決まりの婉曲表現というものが使えないということらしい。
 
 たとえば、音声言語で、「あなたは非常に重い病気ではありますが・・・」と医者が言っても、患者は、すぐにその意味をキャッチしないそうだ。言葉を聞いて、意味を考えて、それを受容するまでにいろいろなごまかしや粉飾や心の準備がある。それが、手話では、意味がきっちりと伝わってしまうので、医者も患者もなまの情動と切り離せないのだそうだ。

 今日の午後、レッスンをした私の生徒は20年来聴覚障害児の教育に携わっている人なので、この番組を見たかどうか聞いてみた。
 見始めたけれど、あまりにも、派閥主義のプロパガンダだったので、耐えられなくて10分で消したそうだ。他の同僚も同じ反応だったそうだ。

 この人は、別に、音声言語至上論者ではない。

 私と彼女は、彼女のクラスの子どもたちに、踊りとリズムで音楽教育ができないかと考えていた。

 その準備に、いろいろな試行錯誤をしているのだ。

 先日書いたような音楽障害というのもあるのだから、純粋の聴覚だけの問題ではない、非常に複合的なものなのだ。

 このテーマについてはまた別の機会にあらためてとりあげよう。
 
 
 
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by mariastella | 2009-03-05 00:05 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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