L'art de croire             竹下節子ブログ

キリコのバナナ

 私がセザンヌのリンゴをすごいなあ、と思ったのは、学生時代にメルロ=ポンティの文章を通してだった。セザンヌのリンゴの「本物」を見たのがメルロ=ポンティの文章よりも先だったか後だったかはもう覚えていない。しかし、セザンヌのリンゴの絵と言えば、小中学校の美術の教科書にも載っている。そのリンゴには、何の感動もしなかった。写真を見て別に感動も感心もできない、好き嫌いの感情も湧かないという点ではモンドリアンと双璧だった。

 その後では、セザンヌの「本物」を何度見ても、もはやメルロ=ポンティの視点抜きには見ることができない。

 しかし、キリコのバナナは、ひと目で気に入った。

 どのくらい気に入ったかと言うと、自分が死ぬ時に、『モンパルナスの駅-出発の憂鬱』のオリジナルが死の床にあればいいなあ、と思うくらいだ。

 眠る時に見るのはよくないかもしれない。起きる意欲をそがれるかもしれない。

 http://www.jacquesvlemaire.be/blog/tag/chirico

 今検索してみたら上記のブログにこの絵も載っていたので、見たい人はどうぞ。もっともNYのMoMaにある有名な作品なんで、知っている人も多いと思う。

 といっても、キリコの描く他の果物は今ひとつである。製図用具とか工場の魅力に負けている。

 上のブログ(画家)の書いたものを読んで、私は今回(パリの近代美術館での回顧展)、キリコの模写についてまったく別の解釈を得たことを確信した。

 天才画家が長生きして、多作してくれることは、本当に有難い。人間の思考の過程というものがよく分かる。キリコが1920年代に死んでいたら、それでも、形而上絵画とかシュールレアリズムの絵画の代表者として美術史に名を残した天才であったろうが、その「謎」は残ったと思う。

 夭逝したアーティストが残した作品を見たり聴いたりすると、この人は本当に、ちょうどこの作品を残すのに充分な時間だけを生きてくれたんだなあ、と感動することがあるし、「生き急いだ」という感じや「迫り来る死への予感」というものがますます天才に霊感を与えたんだろうか、などとロマンティックに考えたくなるが、モーツアルトやシューベルトやモディリアニがもっと長生きしていたら、私たちは絶対にもっと豊かな創造の秘密を探る鍵をもらうことができたはずだと思う。

 去年、ヴラマンクの回顧展にフランスと日本の両方で行った時にもすごく複雑な思いをした。フランスでの展示は、第一次大戦の時期どまりだった。
ヨーロッパにおける第一次大戦というものの傷は深くて、戦後の「復興」のための秩序回復のプレッシャーがあまりにも大きかったので、凡百のアーティストたちには打撃だった。
 ヴラマンクはけっこう長生きした。(1876-1958、82歳。キリコが1888-1978で90歳なのでけっこう重なる)

 キリコは、人間性が爆発しないとアートは生まれない、と言った。
 岡本太郎も芸術は爆発だと言った。

 爆発しない人は、どんなにテクニックがあっても芸術家ではない。
 
 たとえば美術学校に進もうかというような人は、たいてい、絵を描くのが好きで、「上手」である。学校でテクニックを身をつけて、ますます上手になる。しかし、99%の人は、多分、爆発しない。爆発できるかどうか、それはもう、体質みたいなものなのである。

 ところが、テクニックがないのに爆発する人というのも、少数ながらいる。

 ヴラマンクだ。

 爆発するから、彼の作品には彼の爆音やら噴出物が跡を残している。
 彼はゴッホを見るとゴッホ風の画風になり、セザンヌを見るとセザンヌ風になった。スタイルはどんどん変わって、節操がないようにも見えるが、何を描いてもヴラマンク火山の溶岩跡はある。

 日本の展示会では、晩年の絵まで揃えてあった。
 継続は力なり、と感心するくらい、だんだん「上手」になったのが分る。

 私はヴラマンクに興味があった。
 彼はヴァイオリニストでもあり、競輪選手でもあり、アフリカン・アートを発見したりして、非常に多才な時代の寵児であったのに、テクニックもなければ天才でもなかったからだ。
 日本の展示会のあった西新宿の美術館で、ヴラマンクの展示場を出ると、常設展示の絵があった。セザンヌとゴッホの「本物」があるのが皮肉である。
 「本家」を見ると、ヴラマンクの力の限界が分る。

 でも、ヴラマンクには、文才があった。彼の書いたものを読むのは非常におもしろい。
彼が西洋美術史に名を残したのは、フォーヴィズムというレッテルをもらったからである。彼はそれをよく知っていた。第一次大戦以降の彼は、2流のアーティストでしかない。しかし、フォーヴィズムの懐古展がある度に引っ張りだされた。その価値もわきまえていた。
 過去の遺産で食っているようなところがあり、しかし多才で自己演出能力もビジネス能力も長けていた。

 そこで、ちょっとパセティックな出会いがある。

 日本では有名な、佐伯祐三との出会いである。

 佐伯祐三は、東京美術学校を卒業した1923年、パリに渡って、当時の有名人であった「野獣派(フォーヴィズム)の巨匠」ヴラマンクのうちを訊ね、自分の絵を見せたところ、「このアカデミックめ!」と 一喝をされ大ショックを受けて、以後パリ郊外に激しい心情表現を求めて彷徨した。いったん帰国はしたが、結局5年後、パリ郊外で、僅か30歳で客死する。

 何で、わざわざヴラマンクを選んで会いに行ったのかなあ。

 佐伯祐三、1923年の時点で、明らかにヴラマンクよりうまい。 
 ヴラマンクがアカデミックでなかったのは事実だけど、下手で、下手なりに苦しんでいたと思う。といっても、何しろ「爆発」する人だから、あまり苦しむことはなかったのかもしれないが。後年、それでも、だんだんとテクニックを獲得したし、それを崩すということはしなかった。それが彼の初期の野性味を消したともいえる。
 アカデミックな優れたテクニックというのは、それを「すでに」持っている人が、それによって爆発を邪魔されないように、それをいかに回避するか、崩していくかというところに味があるものである。

 佐伯祐三が、1923年のパリに来て、ヴラマンクという、かなり異形の人と出会ったのは、皮肉だ。佐伯、25歳、5年後に結核で死ぬくらいの蒲柳の質、自画像を見てもひょろひょろである。フランス語も不自由だったろう。対して47歳の有名人のヴラマンクはその自画像そのままの、いかつい四角顔の威圧的な偉丈夫である。声も大きそうだ。ひょっとして、佐伯の絵の上手さに感心して「何たるアカデミズムだ」と感嘆の声を上げただけだったのかもしれない。

 しかし、佐伯はともかくも、そのショックを糧にして、自らのアカデミズムを矯めながら、優れた作品を残した。明らかにヴラマンクのよりも上等だ。しかし、30歳で死んだのだから、彼がもし長生きしていたら、その「噴火」歴はどのようになっていたんだろう。夭逝が残念だ。

 話をキリコに戻そう。

 キリコは、20世紀はじめのフランス画壇で、誰の系譜にも属さない完璧にオリジナルで個性的な存在として登場した。彼とアポリネールらとの出会いなくしてはシュールレアリズムは生まれなかった。それほどに、シュールレアリズムにはっきりとした形を与えた。同時期のイタリアの未来派などが、理念は威勢が良かった割りにこれと言った総合的な足跡を残さなかったのと比べてもよく分かる。

 キリコはそれくらいにシュールレアリズムの寵児だったのに、パリにそれほど長く留まらなかったし、その後、「クラシシズムへの回帰」という道を歩んだ。
 過去の巨匠の絵画を模写しまくり、自画像の連作でテクニックとスタイルを模索し、最後は、自分の初期作品まで模写したり、パロディやらヴァリエーションを多作した。アンドレ・ブルトンなどに「キリコは死んだ」と言われるくらい、シュールレアリストたちからはキリコの「転向」は裏切りに見えた。

 彼の作品は相変わらず美術史に孤高の座を占めているから、批評家たちもあせった。インスピレーションがなくなったのだ、とか、芸術家としての自殺とか、自滅とか言われたが、全体としては、キリコは初期の作品だけを語ればいいんだ、というような回避が行われた。初期の有名な自作の模写やヴァリエーションの濫作については、単に「金が必要だったから」と見る人もあるし、当時すでに彼の「贋作」が市場に出回っていたので、それに怒った彼が、自らコピーを大量に出すことで、美術市場のシステムそのものを揶揄し挑発したのだという人もいる。
 彼のやり方をただ一人賞賛したのはかのアンディ・ウォーホールだけだった。コピー・アート、ポップ・アートを切り開いた男には別のものが見えたのだろう。

 確かに、後の「転向」がどんなものであれ、1920年代頃までの彼の形而上絵画シリーズの孤高な強靭さというものの放つ力は圧倒的で、今も色褪せない。
 直視すると強烈に目を眩ますのに、決して暖めてはくれない、真冬の太陽のようである。

 このキリコの天才ぶりを見せつけられると、彼が、晩年にスランプに陥ったとか、過去の遺産で食いつないだなどとは到底思えない。

 そして、キリコの模写した大量の名作群(ミケランジェロ、ラファエロ、ルーベンス、ティティアン、ヴァン・ダイク・・・・)を見ると分るが、彼にはテクニックというものへの情熱があり、巨匠の絵画の秘密を探る必要があったようだ。

 キリコは早くから画の才能があり、少年時代にアテネで画学校に通い、青年時代にはミュンヘンで美術学校に通っている。
 つまり、もともと、古典的な画のテクニックも素養も身につけていた。
 「アカデミック」だった。

 真のアーティストであった。
 つまり、「爆発」もした。

 しかし、何が彼の起爆剤だったかと言えば、それは、ヴラマンクのような精力あふれるエネルギーのほとばしりに促される「体質」ではなかった、と思う。

 彼を爆発させたのは、哲学であった。

 しかも、ニーチェである。

 グレコ・ロマンの神話的環境にいたキリコは、ドイツにやってきて、アルノルド・ボックリンの絵画とニーチェの哲学に強い影響を受ける。

 その本質はなんだったかと言うと、

ひと言で言うと、Anthropocentrisme =人間中心主義の終焉である。

 Anthropocentrisme は、もともと非常にキリスト教的な考え方である。キリスト教がアリストテレス的に補強されてなお、それが確固としたものになった。

 キリスト教から離れた西洋近代は、Anthropocentrisme からは脱皮していない。というより、Anthropocentrismeにおいて、西洋近代は、キリスト教の進化形である。西洋近代というと、中世の蒙昧が啓かれて科学主義が生まれた、かのような対立を想像するするかもしれないが、西洋キリスト教の帰結が西洋近代なので、サルトルが「実存主義はユマニズムである」と断言するのも同じようなものである。西洋近代における「無神論」というのは、キリスト教の兄弟みたいなものなのだ。
 このへんをじっくり語ると、一冊の本になってしまう。(実際それを用意しているのだが)
 ところが、真の意味で、西洋キリスト教的世界をくつがえした人が出てきて、その一人がニーチェである。
 
 キリコの絵はいつも「夢」の世界に例えられるし、シュールレアリズムの関係から、詩の世界=ポエジーとも関連づけられる。
 リアリティやロジックがない。現実世界の約束事が消えて、意識化の世界、またはメタフィジカルな真実が見えてくる、と言った風に。

 確かに、たとえばキリコが1920年で夭逝してその後の作品を残さなかったとしたら、それはそれであたっていたかもしれない。

 でも、晩年までに至る彼の作品群を見ていると、私には別のことが見えてくる。

 彼の形而上絵画は、人間の喪失である。ニヒリズムの表現である。
 そして、ニヒリズムの極北(の一つ)は、実は、Solispisme なのである。

 キリコの晩年の、自作のコピーとヴァリエーションの中で、生きた人間の姿が少しずつ現れてきたり、繰り返して自画像が描かれるのは、Solipsisteとしての彼の表現である。

 彼は、有神論に戻ったわけでもなく、古典主義に回帰したのでもなく、ニヒリズムからSolispisme へと展開したのである。
 だから彼には怖いものはもうない。彼こそが、唯一の創造者なのだから。
 彼の絵画の中に戻ってきたのは、「人間一般」ではない。「彼」ただ一人なのである。
 彼が風景を描こうと、古代世界を描こうと、それは彼の創造物であり彼自身なのである。

 以上は私の仮説である。

 私は最近、Solipsisme  について考えていた。

 無神論とは別である。
 異才中の異才、チェコのソリプシスト哲学者がいる。(彼については稿を改めて書こう)

 その哲学者(文学者でもある)の世界と出会い、のめりこみ、一生を捧げている女性と、最近話した。

 ソリプシスムとは、無神論の一表現、無神論の鬼子ではないかと私が言ったら、彼女は、「いや、究極の有神論だ」と答えた。

 ソリプシストにとっては、存在するのは自分だけであり、自分=神であるのだから。
 「神=万物の創造者」という概念のない文化においては、彼女の意味するソリプシストは生まれないのではないだろうか。
 
 その女性、エリカと出会うまで、私はこのことを深く考えたことはなかった。

 いや、一度だけある。
 数年前にシュミットの小説『エゴイスト・サークル』を読んだ時だけだ。
 その時、私は次のような読後感を残している。

 「 シュミットは本当にユニークだ。発想がいろいろあって、スキルも幅広く、ちょっと嫉妬する。この本は、世界が自分の意識の中にだけ存在しているのではないか、夢から覚めると夢が霧消するように、自分が死ねば世界も消えるのではないか、という、誰でも一度は考えたことのある(?)世界観を哲学とした18世紀の奇妙な男を、ある歴史学者が調べていくというミステリー仕立ての話だ。

 私が最初にこの手の妄想にふけったのは、高1のときに兄にヘーゲルの解説をしてもらったときだ。世界が自分の脳内産物かもしれないって思うのは、まだ世界が未知でおとなしくて、世界から攻撃を受けていない若者にとっては魅力的なのだろう。

 私が死ねば全てがなくなる。私は何も失わない、と思えるのは、ちょっとした禁断の安心感を与えてくれた。何が禁断かというと、やはり、世界と他者を自分の道連れにすることの後ろめたさがあったのだと思う。
 
 今となっては、私がこの世の創造主だとしたら、あれもこれも失敗だらけ、創造の責任は誰かに押しつけたほうが楽だ。

 シュミット のこの本のユニークなところは、裏側から見た神学、裏側から見た無神論っていうか、神の視点がよくわかるところで、一神教の素養のない文化にいた私のような高校生には、理由のない全能感にくらくらしても、創造主の孤独というものについては思いが至らなかった。

 創造主である神と世界との関係は、不思議で悲痛だ。それは、全ての人の、自分と自分以外の世界との関係と似ている。
 近頃、自己愛が強すぎて、万能感があり、世間とうまく折り合えない人間の挫折や逃避による欝症状とか引きこもりなどが話題になっている。俺様キングダム、俺様教という言葉もある。

 全てを創造し、全てを超えている。ふと見たら、その全てが固有の「自由」を行使して好き勝手をやっている。造物主や俺様は、なすすべがない。修復するには、なぜだか、絶えず創造主である自分を犠牲に捧げなくてはならない。汚れ、醜くなり、痛み、叫びたくなる。

 結局、世界から疎外された俺様や神の居場所は、逆説的に「今ここ」にしかない。超越することは時空の関係性を失うことだから。そしてそのたった一つの実在である俺様や神の「今-ここ-自分」は、死によって断たれるのだ。

 この恐怖から逃れるためには、やはり、自分ではない他者としての造物主が必要なのかもしれない。自分自身が「超越」だと、絶対孤独だ。神が「だめもと」で世界を創造してしまうのも無理はない。人間の方も、たとえ自由を制限されても、いろんなコミュニティと自我を混同させて自己愛とか家族愛とか愛国とか言って、世界や死との対決をごまかしているんだろう。」


 以上のような感想だけが、私が過去にこのテーマについて考えたことのほとんどすべてだった。シュミットのこの本には、ソリプシストという言葉は使われておらず、エゴイスト、またはAutomonophileという味のある呼ばれ方だった。

 今の私がのめりこみそうになっているそのチェコの哲学者についても、Egosolisteと形容している批評があった。
 日本語で、独我論、唯我論、と言った時には、なんだか「梵我一如」の感じで、「我=創造主=神」とは必ずしも行き着かないので、やはりこの場合は「キリスト教無神論」と親和性があるのだ。

 エリカは、彼のほとんど唯一の本格的研究者で発見者(この哲学者の本はチェコで禁止されていたので、冷戦後に彼女がチェコで全集を出版した)で翻訳者(フランス語で読める。エリカはアメリカ人だが、彼の本は絶対に英語のような雑な言葉には訳せないと言い切る)である。彼女にとっては、ソリプシストという言葉しかない。
 私ははじめて彼女の話を聞いたときに、シュミットとヘーゲルの話をしてしまった。今から思うと、せめてデカルトとかニーチェとかショーペンハウエルとかウィトゲンシュタインとかの名を出せばよかったのだが、上記のような感想文が頭の隅にあったからだ。彼女は、ヘーゲルは的が外れているので取り合わなかったが、シュミットはさすがに読んでいて、「いや、あの本はtragique(悲惨) だから」と言った。

 エリカにとって、もっとも大切なのは、「不条理の美しさ」である。

 彼女を通した彼との出会いは、私にとって、斎藤磯雄を通したリラダンとの出会いみたいなものだ。それぞれ両者の関係には、孤高と情熱が入り混じっている。
 私が斎藤磯雄さんと話したり多少の手紙をやり取りした時は、20歳そこそこの女子学生であり、今思うと、大人が全人生をかけて一人の作家に思い入れをすることの凄みというものが、分るようで分らなかった。
 その後、いろんな分野でいろんな出会いをしたけれど、触れれば切り裂かれるばかりの、エリカのような激越な魂を近くで見たのははじめてだ。

 しかも、情熱、と書いたが、エリカも、暖めることを拒否する真冬の太陽である。キリコの黒い太陽、とも通じる。
 私が、この先どの程度エリカの太陽に冷たく焼かれることになるのか、まだ見当がつかない。

 しかし、エリカと彼女のソリプシスムの美学の陶酔と出会っていなければ、キリコの「転向」の意味の仮説が生まれなかったのは確かだ。

 キリコの「転向」の謎は、実際、今でも謎なのであり、それを彼の形而上学の表現(ニヒリスムがソリプシスムに至る)だと読み解く人は誰もいない。

 逆に、今の段階でキリコの回顧展を見たからこそ、私は、ソリプシストを無神論の系譜にどう位置づけるのかについて、啓示を得たような気がする。

 後は、いわゆる「狂気」との関係がある。ニヒリズムの極北には狂気もあるし、ソリプシスムもあり、ソリプシスムの極北にも当然、狂気がある。

 ある種の宗教神秘体験なども、ほとんどニヒリズムやソリプシスムの鏡像と言ってもいい様子を呈することがある。

 無我、忘我、没我、なんていうのが、独我、唯我と非常に近いのはスリリングだ。

 ニヒリズムからソリプシスムに到達した後でも、狂気からも免れ、神秘家にもならずにすむ方法の一つ。

 絵を描くこと。アートで爆発してビッグバンの一押しのシミュレーションをすること。

 キリコのバナナを見て、そう思う。
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by mariastella | 2009-03-08 01:54 | アート
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