L'art de croire             竹下節子ブログ

イザベル・アジャーニとLa journee de la jupe 

 3月21日、Arte で、劇場公開前に新作映画の『La journee de la jupe(スカートの日)』が放映された。

 なかなか衝撃的だ。

 話は、移民3世の子供たちが大半を占める郊外のリセのフランス語クラスで展開する。
フランス語教師のソニアは毎日、生徒たちの無法ぶりの中で疲れ果てていて、屈辱感をかかえている。ある日、黒人生徒がピストルを持っているのを偶然発見して取り上げる。
 それが偶然別の生徒を怪我させ、いつの間にか、ソニアは教師生活ではじめてピストルによって、生徒たちを支配することになる。
 結局生徒たちを人質にとってリセに立てこもる形となり大騒ぎになり、彼女はジャーナリストと話すこと、全国のリセ(フランスでは基本的に公立、というか国立である)に「スカートの日」を制定し、女子生徒がスカートで登校できるようにと条件を出す。
 移民の多い郊外のリセでは、女子生徒はスカートをはけない。スカートをはけば即、娼婦であり男を誘っているとみなされるからだ。
 事件本部に駆り出された女性大臣はパンタロンをはいている。そして、女性がズボンをはく権利を獲得するのに長い戦いがあったのだから、今さらそれに逆行するようなことはできない、と言う。
 
 事件はカタストロフィに向かう。

 女性のズボン着用についての文化の認識の違いをちょっと説明しよう。

 もともとのフランス文化においては、キリスト教の文脈の中で男女異装が禁じられていた。
 創造の秩序を乱すというのは罪であるからだ。
 マリー・アントワネットが子供の頃に、「裸になったら、男か女か分んないじゃない ?」
と言ったという逸話のように、男女の服装コードが極度に発達した時代もあった。
 これは根強い。

 今でも、こういうジョークがある。

 新生児が二人産院で並んで寝かされている。
 一人がもう一人に聞く。

 「ねえ、君は男の子、それとも女の子?」

 「わかんない」

 「見てあげるよ、ちょっとシーツを下げて、
  もっと下まで、
  
ああ、君は女の子だよ、ピンクのソックスをはいてるから」

 このように、特に、男側の異装はまだタブーである。
 つまり、女の子は普通にズボンをはけるが、男の子や男のスカートには市民権がない。

 これについて普通なされる解釈は、男が上で女が下という秩序が壊れていないからで、女が男装するのは上昇志向として寛恕または奨励されるが、男が女のふりをするのは男全体の価値を危うくするからタブーだということである。一般に「男まさり」の女の子がいい意味で使われることもあるのに対して、男への侮蔑辞として「女の腐ったようなやつ」と言われるのと似たようなものだ。

 フランスは、男装したジャンヌ・ダルクが火刑にされた国である。
 男装が堕落しているとされたことの一つに、ズボンは脚の付け根が分るから、というのがあって、まあ、それは何となく分る気がしないでもない。
 だからスカートでも、超ミニというのはあり得ないんで、脚の付け根の存在を隠すロングスカートが基本で、それによって女性は馬に乗るなどの自由な動きを妨げられるハンディを背負い、ますます男に支配されるようになる、という構図だった。

 これに対して、今のフランスで問題になっている一部の若者のイスラム原理主義における女性の服装のタブーは、スカートである。
 ハーレム・ズボンなどのイメージからはアラブの女性の伝統的衣装がズボンだったとも考えられるが、それについてはよく分からない。まあ、どこの国でも、労働する女性は、動きやすいズボン形の服装、労働しない女性は装飾的な服装、という感じだったのだろう。
 とにかく、少なくとも今の原理主義的なイスラム国では、女性は長袖長ズボンが基本である。つまり肌を見せる部分が少なければ少ないほどいいわけだ。ヴェールやブルカ着用のように、髪や顔の肌だって基本的には、家族以外の異性には見せてはいけない。

 で、今、フランスのリセで起きていることがこれだ。

 フランスには旧植民地マグレブ諸国を中心とした国からの移民が大量にいる。

 移民1世は、子供たちにできるだけ可能性を与えてやろうと決意してフランスに渡った。
 彼らは移民労働者として搾取されたが、2世である子供たちは、フランス独特の同化政策の恩恵を受けて、無償の公教育を受け、さまざまなスキルを獲得した。
 才能のあるものは、世にでて、成功した。アルジェリア人の父を持つイザベル・アジャーニもその一人である。コメディー・フランセーズにだって出られる。
 しかし、彼ら2世の中にも、普通のフランス人と同様、際立った才能のない者の方が当然多い。すると、アメリカ風の逆差別の政策がない限り、同程度の平凡な能力の求職者が二人いれば、当然、別の部分が判断基準になる。移民2世より生粋のフランス人が、女性より男性が、障害のある者より健常者が、選ばれる。生粋のフランス人の方がコネがあるし、女性は妊娠出産で戦線離脱の可能性があるし、障害者をサポートするにはコストがかかるからだ。

 フランスはこういう差別是正にはまあ、努力してきた。
 男女差は目に見えるし、障害の有無も見えるので、機会均等を支援するのは比較的楽だ。

 しかし、フランスのユニヴァーサリズムとそれに基づく同化政策は、「移民の子弟」と「生粋のフランス人」の区別そのものを建前上否定する。
 ユニヴァーサリズムの国フランスでは、出自や文化の差はハンディキャップと見なされないので、差別救済処置が遅れるのである。
 
 そのせいで、移民2世の多くは、建前とは別の「ガラスの天井」のような壁にぶつかってルサンチマンを抱く。彼らはユニヴァーサリズムを叩き込まれていてる「フランス人」なので、その不当さがよく分かるのである。
 
 で、そのような、ルサンチマンをかかえた移民2世の子供である移民3世がどうなるかというと、「アイデンティティ」をイデオロギーにし始めた。そのアイデンティティというのを吹き込むのが一部イスラム原理主義者である。
 実際、彼らの世代になると、フランスにも「棲み分け」が進み、郊外の公立校は、移民の子弟ばかり、という状況になりつつある。移民の子弟が住む低所得者用大型団地は非行少年の巣屈のようになる。
 「同化政策」だったはずの公立学校は、ムスリムの子弟のために給食から豚肉を外したり、公立のプールを男女別の時間に分ける都市も出てくる。公立病院で男性医師を拒否したり食事に文句が出ることも普通である。
 
 なぜか?

 答えは簡単。移民の2世、3世は、選挙権のあるフランス人なので、彼らが多く住む地域の政治家たちは選挙のために彼らのロビー活動に屈するからである。多様性を尊重するという名目で共和国精神を売り渡すのだ。(現在社会党のトップであるオーブリー女史がリールでやっていることも同じである。)
 
 この映画の監督 Jean-Paul Lilienfeld は、これを思いついたのは、2005年の郊外の「暴動」報道の時だったという。車に火をつけたりして騒ぐ若者たちはみな、「男」だった。
 監督は、自分も若い時に町へ繰り出してさんざん悪いことをしたものだが、女の子たちといっしょだった、という。フランスの若者の示威活動の原風景である68年の学生運動も男女共同だった。

 ところが、イスラム原理主義による挑発の道具として操られている移民3世の若者たちの「暴動」には女性はいない。 女の子は外へ出られない。「ふしだら」だと見なされた若い娘は兄弟から制裁を受ける。人前で顔を見せた娘を殺す父親や、男とつきあう未亡人を殺す息子などが罪に問われない国は存在するが、フランス国内で、ゲットー化した一部の「ムスリム・コミュニティー」でもそのような治外法権がまかり通りはじめているのだ。

 この現実と、この映画で、生粋のフランスエリートである女性大臣が、「女性がズボンをはく権利を獲得したのを逆行できない」という言葉には、大きな隔たりがある。

 アジャーニの演ずる教師は、スカートをはいている。
 
 彼女はアジャーニと同様、移民2世という設定である。

 モリエールを教えている。
 彼女は、その教育によって根っからのフランス人なのだ。

 最近のフランスの移民原理主義は、移民の子弟たちのアイデンティティに合致した文化を学校で教えないのが悪い、と主張する。

 すぐれた文学はユニヴァーサルである。
 モリエールのどこが悪い ?
 私は日本人だがモリエールを読んだからアイデンティティが揺らぐなんてことはない。
 人間性に対する洞察が深まる。

 アジャーニの演ずる教師は、だから、女生徒たちがスカートをはけば男生徒に制裁されることを知っている。兄弟からも。彼女が「スカートの日」を!と叫ぶのは、ヨーロッパの女性がズボンをはく権利を勝ち取ったのとは全く別のコンテキストにあるのだ。

 私はアジャーニを『令嬢ジュリー』の舞台で見たことがある。
 シャーマニックだった。

 熱演のため途中で倒れた。
 ファニー・アルダンが続行した。

 ファニー・アルダン版の舞台はTV で観た。
 重厚だった。
 
 私はアジャーニがアルジェリア移民の娘だと知っていたが、この映画に関するインタビューではじめて、毎回、彼女の出自が話題にされるのを読んだ。

 私はパリのリセで教えたことがあるが、カトリック系の私立学校だった。
 フランス人の若い友人の多くは、厳しい試験を経て教員免状を得た後、郊外の移民の多い公立校へと赴任する。年功によって獲得する点数によって、後からは自分の希望に沿うもっと「いい地域」の学校にもいけるのだが、若い教師には選択の余地がない。
 ずっと音楽をやっていた恵まれた環境にあった後で音楽教師になった若者たちなどは、公立中学に赴任して、あまりの無法状態に絶望して鬱病でばたばた倒れる。

 課目にもよるのは事実だ。

 音楽はもちろん、フランス語でも、教室の無法状態を治めるのは難しい。
 数学のアグレガシオンを持っている友人などは、堂々と胸開きワンピースなどで公立リセの教壇に立ったりしている。

 これまで、移民の子弟の多い公立校での教育にがんばる熱血教師の物語はあった。
 2008年のカンヌ映画祭でPalme d’Orを取った『Entre les murs』などが代表だ。
 「切れてしまう」教師の話はなかった。
 
 両方が必要だ、と思う。
 
 現実を見据えて、何がどう変化したのかを冷静にとらえなければならない。

 しかし、今、すぐに、ここで、ユニヴァーサリズムが効を奏しない、という理由だけで理想に向かう努力を捨ててはならない。
 ユニヴァーサリズムというのは単なる「政策」や「戦略」ではないからだ。

 この映画の最後で、ソニアの埋葬に参加したリセの生徒たちの姿が映され、女の子たちが膝丈のスカートをはいているのが見える。

 これがメッセージで、希望なんだろう。

 私にとって、自分がスカートであれズボンであれ、自分の服装を自分で判断して決める自由というのは、「善いこと」に属する。
 そして「善いこと」はすべての人と共有すべきであるというのはユニヴァーサリスムの理念である。
 それが「善いこと」だと思えるのは、私が受け入れている西洋発ユニヴァーサリスムの基本である「自由・平等・友愛」に合致するからである。
 私が西洋型ユニヴァーサリスムを受け入れているのは、それなしでは支配されたり搾取されたりする立場であるグループ(女性とか、心身の強者でないとか、今の世界で西洋キリスト教文化圏出身でないとか)に自分が属しているという自覚があるからである。

 だから、たとえどんなに「伝統的な」「文化的な」理由付けがあったとしても、この世界に、女性を一定の服装に縛り付けて、それを守らないと制裁の対象になるような状況がある限り、それを告発してユニヴァーサルな理想に向かって戦う人々を支援したいと思う。
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by mariastella | 2009-03-22 02:27 | 映画
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