L'art de croire             竹下節子ブログ

接吻の距離

 復活祭の聖金曜日のヴァチカンのミサをウェブTVで見た。はじめてだ。

 http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044173&vl=video_par_emission

 聖金曜日のミサがローマで始まったのは7世紀頃で、夜のミサになったのは1955年の改革からだそうだ。

 台座付でメートルくらいの十字架に真っ白で割合リアルなイエスが釘付けられている。イエスは70cmくらいか。最初はそれに赤い布がかぶさっていて、祈りながらそれを少しずつ教皇がはずしていく。

 こういう風にPCの画面で見てるととてもフォークロリックで、おいおいなんだ、この裸で釘付けにされている男は・・・やせこけているし30代前半にしてはほんとうに悲惨だ。

 数日前にTV でアメリカにあるキリスト教のテーマパークの様子を見た。みんな、ミッキーマウスでなくイエスのそっくりさんと記念写真をとっている。毎日、受難劇の野外ショーがあって、イエス役の男は鞭打たれて、十字架に付けられる。観客はみんな真剣に見ている。

 「今まで映画では何度も見たけど、本物を見たのははじめてよ、感動したわ」

 と客が涙をためて言っている。ほんもの、って・・・・

 フィリピンの某所では今年も、今頃有志が実際に釘で十字架に付けられたのだろうか。
 『聖骸布の仔』のクライマックスシーンを思い出す。

 ヴァチカンの十字架は「ほんもの」じゃないし、実物大でもないからずっとましだけど、苦しそうに口を開けたこの小さな白い裸の男の前に、荘重に並ぶ人々を見てると、異様な気もする。

 2千年前に辺境の地でこのユダヤ人を処刑したローマ兵たちが、2千年後のローマでこういうすごい再現儀礼が繰り返されているのを知ったらさぞ驚くだろう。

 それから、装飾品を外し靴まで脱いだ教皇がこの十字架像の前に跪き、脚の辺りに接吻する。その後で、司教から一般人まで、ぞろぞろと並んで順番にキリストの体に接吻するのだ。

 足を重ねて釘打たれたところに接吻する人、胸に接吻する人、そのあたりは「聖痕』の場所だから何となく分る。脚をかき抱いて痩せた股に接吻する人、脛やふくらはぎに接吻する人もいる。普通に立てば顔が腰布の辺りにくるのでそこに顔を埋めてる人もいる。

 TVでは、一人一人の接吻の仕方がすごくよく分かるので興味深い。

 フランスの教会で「聖遺物」ケースに接吻するのは普通だ。ギリシャの教会でも皆接吻していた。
 「触る」というのももちろんあって、ヴァチカンの聖ペトロの足などは巡礼者にさわりまくられてぴかぴかになっている。

 私は聖遺物ケースにしっかり口をつけるというのは抵抗がある。
 昔ノートルダムで、茨の冠をおさめたクリスタルのケースを近くで見たくて並んで接吻したが、一人が接吻するたびに、係りの人がさっと布で拭いていた。まあ、同じ布をずっと使っているのだからそう清潔ではない。それもなんだか興醒めだ。

 日本では、自分の体の痛いところと同じ場所を、お地蔵様の体に触って治してもらう、などというシーンがよくある。あれは手で触るのであって、接吻してる人はないと思う。後は、線香の煙を悪いところにあてるとか、接触は淡白である。

 ヴァチカンの十字架のイエスは誰も拭いたりしないので、みんなが接吻するままである。
 唇を突き出す人もいれば、口をしっかり閉じて粘膜の接触を避けている風な人もいる。本格的に思いを入れてキスしてる感じの人もいる。イエスの体に額をぴたりと押し当てて、キスはしても唇は触れない、という人もいた。この人はキスしないだろう、という感じの人がいたが、案の定、5センチくらい離れて接吻の形だけしていた。TVに映った分では、明らかに接触を避けた聖職者はこの他にもう一人いて、後、黒のヴェールを被った年配の女性は、情熱的にキスするかと思ったら、安全距離をおいていた。
 後になるほど非衛生な感じは否めないし。

 それになんと言っても、この磔刑像はただの彫刻であって、「聖遺物」ではないから、呪術的効果も期待できない。接吻して他人の菌に感染するのはつまらない。

 口をつけて挨拶する、とかコミュニケーションをとるというのは、もとはどこら辺の文化なんだろう。

 イエスが逮捕された時の目印の「ユダの接吻」という有名なものがあって、各種の絵を見る限りはかなり濃縮だったり、ほとんど口に接吻してたりする。その時だけ突然接吻したわけではないだろうから、イエスは弟子たちと日常的に接吻していたわけだ。

 ミサの葡萄酒の杯は回し飲みをする時にきゅっきゅっと拭かれる。これが切支丹大名に伝わって、茶道で懐紙で椀を拭く形に残ったなどとも言われている。

 まあルルドの浴槽でもそうだが、衛生状態がどうあれ、こういう「聖なる場所」とか「聖なる時」においては、みんな興奮して免疫機構とかも特殊な状態になっているせいか、あまり伝染病が蔓延したなどという話は聞かない。そんな場合もいまいち醒めた感じで、あの人とあの人の後ではとても同じところに口をつけたくないなあ、などと思うような人は、5cmの距離をおくわけだ。

 シエナの聖女カタリナとか、アヴィラの聖テレサとか、フランスのパレイ・ル・モニアルの聖女マルグリット=マリー・アラコックとかなどは、いかにもエクスタシー状態でイエス像の脇腹に濃縮に接吻しそうである。
 
 磔刑像への思い入れというのはある時期以降のローマ・カトリックの特徴でもあるのだが、まあ、イエスがこの様子を見ていたら、軽く驚くかもしれない。

 しかしTVでは、真剣な人の敬虔な思い入れも伝わってくるので、それはそれで感動もさせられる。
 接吻の距離や形はどうあれ、こういう儀礼の後で、信仰がどうチャージされて、どのようないい形で外に還元されるのかが重要なことなのだろう。
 
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by mariastella | 2009-04-11 07:47 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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