L'art de croire             竹下節子ブログ

日泰寺に行ってきた。- 仏舎利シリーズ

 この記事は、以下の二つのブログの続きである。仏舎利シリーズだ。

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 さて、1898年に英国人によって発掘された釈迦の真骨(釈迦族が保存していた分)、舎利容器はインドの博物館に納められたが、中身の「骨」の方は、インド政庁が仏教国であったタイ、ビルマ、セイロン(ここから阿含宗が真骨を持ち帰ったということなのだろう)の3カ国に分けることになった。それを聞いて羨ましがったのが日本のタイ公使稲垣満次郎、日本の仏教徒にも分与を懇願した。廃仏毀釈の後遺症はあったとはいえ、当時の仏教13宗56派は外相青木周蔵の音頭によって受け入れ決定、1900年6月15日に東本願寺法主らがタイにわたって御真骨を拝受、京都妙法院に仮安置し、超宗派の奉安寺院の場所を協議するも、難渋。 
 やがて、名古屋の官民一致の誘致運動が最終的に効を奏し、10万坪の覚王山敷地が用意された。

 この辺の事情もいろいろおもしろい。現在19宗派の官長が輪番で住職を勤める日本で唯一の単立寺院だ。

 ところが、今はガンダーラ様式の花崗岩の舎利塔の方は、道路に区切られ、拝観もできないし、観光客など集めているのは、本堂だけだ。

 しかも、ここが人気なのは、毎月21日の弘法大師の縁日である。弘法大師入定の3月21日はもちろん、毎月21日には参道が午後3時まで通行止めになり、屋台などが立ち並び、お年よりも多く、巣鴨みたいな賑わいになる。境内にはミニ八十八箇所巡礼用の建物もある。

 なんで弘法大師かというと、途中に「歳弘法」というお参りどころがあるからで、日本でも珍しいといわれる弘法大師1歳から62歳までの姿の像が並び、中央に本尊の身口意の三弘法があるからだ。その他にも千地蔵という拝所があり、そこは地元の地蔵講の人が管理していた。

 その二つのほうがひょっとして、舎利殿より古い巡礼地なのかと思って聞いても、どちらでも、「古いです、もう100年くらい前からあります。100年前は山の中だったんです」と答えられた。100年前というと、まさに大覚山が開かれたときだから、やはり連動しているのだろう。

 歳弘法の方にはさすがに多分真言宗の僧侶が詰めていて、舎利のことも聞いてみたが、釈迦の生きていたころのインドは呪術があった世界だから・・・と言われてしまった。こっちがキリスト教の話などしてないのに、「キリスト教は神と人間の関係で救われるんですが、仏教は慈悲ですから」と何度も繰り返し、「自分が中心で、どう修行して苦しみを乗り越えるかということが重要なんです」と言う。それと「お大師さまにすがる」という関係は説明してくれなかったが、まあ、やはり聖人信仰と同じで仏の慈悲の仲介者なんだろう。

 しかし、真言宗は宇宙原理のような大日如来を中心にしたコスモロジーだから、釈迦如来は、まあそのヴァリエーションの一つで、人間だった釈迦の「真骨」なんて、真言宗的には「呪術」のカテゴリーなんだろうか。もっとも、弘法大師空海が唐より「仏舎利」を大量に持って帰り、それが室生寺あたりでまた増えたように、分魂、分身できるシンボルで、権威を保証するレガリアだと割り切っていたのかもしれない。

 千地蔵の横で、永平寺の旅僧と会ったので、その人の話も聞いてみた。その人によると、ここに仏舎利があることさえ知らない人は多いらしい。釈迦の「真骨」そのものが巡礼の対象になったことはないし、ご利益があるというような話も存在しないと言う。

 本堂の社務所には、各宗派から出向している若いお坊さんが詰めているわけだが、そこでも、舎利は舎利容器に封印してあり、それをまた舎利殿に封印してあるのだから、舎利容器すらもう誰も見たことがないと言われた。舎利に関する法要もすべてはこの本堂(舎利殿から何百メートルも離れていて見えない)で行われるので、基本的には、物質としての舎利は、本殿の本尊どころか、弘法大師ほどにも直接の崇拝の対象にはなっていないのである。

 「当時の写真とか閲覧できないんですか?」
 「見たくありませんか? 好奇心はないですか?」

 と私は聞いてみた。

 すると若い僧は笑って、

 「私らも見たことないです、日本人って、宗教心ないですからねー」

 と答えるのだった。

 まあ、宗教心と言うより、「三種の神器」と同様、分身(コピー)も可能で、中は絶対に開けず、確認もされないような、「聖なるものの封印文化」が日本にあるせいだろう。ヨーロッパにも神話レベルでは、見るなと言われたものを見たせいですべてを失うとか、キリスト教でも、旧約の神がモーセに姿を見せない、というようなものはあるわけだが、それだけに、物質的なよすがが残っている場合は、聖人の遺骨だとか遺品だの、執拗に真偽を問われたりして、いったん本物だとされると、人々は見たり触れたり接吻したりしたがるわけである。

 では、一般人は外からすら全容を見ることができないこの15メートルの舎利塔が、日本とタイ友好の他に何の役に立っているかというと、墓地である。舎利殿の拝殿の方に向かうと右の山すそに広大な墓地が広がり、左手に駐車場がある。
 事務所には、「新区画増設しました」などと書いてある。実際、セールスポイントは、「お釈迦様の隣で永遠の安らぎを」ということだ。浄土真宗の信徒が、京都の大谷廟で、「親鸞の墓の隣に」、ということで納骨(喉仏だけの分骨というのもある)したがるのと同じ心理だ。大谷廟でも、では親鸞の骨を拝みたい、と言う人はもちろんいない。

納骨料は一霊5万円、永代経料は50年間25万円、100年間で位牌付で50万円。墓地購入となったらもっと桁が違うのだろうが、2万5千坪の丘陵に、豊田一門、松坂屋伊藤家などの地元セレブの霊が眠っているそうだ。
 永代経は毎日12時半に本堂で永代経法要が行われる。すべての行事の中心は本堂なのだ。

 舎利殿前には、古い碑には「釈尊御遺形寶前」とあり、新しい方は、「釈尊御真骨奉安塔」と彫ってある。では、大正7年に完成した時は、御真骨と言うより、「御遺形」と呼ばれていたのだろうか。そのニュアンスの違いはまだ調べていないので分からない。

 ちなみに現在の大本堂は昭和59年落成のもので、当時の江崎真澄国務大臣がバンコク王宮に伺候したというから、日本の「政教分離」というのもなんだかユルイ感じだ。同じ頃の社会党政権のフランスで、ヴァチカンからもらったイエスの聖遺物に関して大臣が何かをするなんて考えられない。

 来る5月16日の釈迦真骨受け入れセレモニーでパリ市長(社会党)がどういうニュアンスで語るのか聞いてみたい。(私はパーティに同席するので運がよければ直接質問できるかも)

 兄に聞くと、イスラムでは遺骸の展示は禁じられているので、骨などは無理だが、ムハンマドの歯や髭や髪など、自然に抜け落ちたものは聖遺物として崇敬されるが、偶像崇拝は禁止だから、やはり、三種の神器のようにレガリアとして権威の継承に使われるのだそうだ。

 教えを説いた「人」亡き後、その人の体やモノが、どのように教えや信仰と関わって伝わっていくのか、それに関わるメンタリティや文化の差は興味のつきないテーマである。
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by mariastella | 2009-04-30 15:43 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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