L'art de croire             竹下節子ブログ

V・I  の BMI は 21,63

 このタイトルの意味がすぐ分かる人、いますか?


 V・I は、サラ・パレツキー作のハードボイルドのヒロイン、V・I ウォーショースキーことヴィックのことで、彼女は172センチで体重が64キロ前後ということで、肥満度指数(体重÷身長(m)の二乗)が21,63という意味である。

 最も病気にかかりにくい健康な標準体重のBMIは22ということで、V・I も四捨五入すると22、よかった。
 偶然ではない。他の多くの女性探偵は、痩せすぎで、いくらカラテの達人でも男との体重差は不利になる、とパレツキーは言う。社会で成功をおさめた女性たちはひたすら痩せて、男たちに、自分たちは無害な小さな女の子であるというメッセージを送っているのだ。

 日本で購入したHMM(ハヤカワミステリマガジン)で連載4回目を読んだパレツキー自伝はひたすらおもしろい。アメリカにおけるフェミニズムについてこれほど生き生きした記述を読むのははじめてだ。

 私は、『アメリカにNOといえる国』の中で、アメリカ的=コミュノタリスム的、犠牲者主義的フェミニズムとフランス的=男女平等主義、連帯主義のフェミニズムの違いについて触れたが、パレツキーはその違いをはっきり意識している。その上で、「以前のわたしは男女平等主義の信奉者だったが、一九七一年の冬にフェミニストになった」と明言している。

 中絶の権利ひとつとっても、アメリカの状況は悲惨すぎる。 

 表現の自由は、女性へのサディズム産業を助長したが、アメリカは「先進国の中で唯一、性と生殖を議論するのが、完全に不可能といわないまでも、かなり困難な国である」。政府は年間200万ドルもかけて絶対禁欲性教育を進め、中絶費用の公費負担を禁じたり、中絶医の大部分が手術をやめてしまったという現状まである。薬剤師に、避妊ピルの調剤を拒否する権利を与える州も続々増える勢いらしい。

 フランスや日本では、歴史やメンタリティはずいぶん違うが、この辺の事情の「ヌルさ」はよく似ている。

 パレツキーは博士号も持つ学者だが、フェミニズムのためにブルーカラーの女性探偵を創造し、アメリカのミステリにおけるフェミニズムの「流行が去った」今でも、戦っている。それでも、ミステリ業界で、男性作家の本が書評で取り上げられる回数は、女性作家の7倍(絶対数の比を考慮に入れても)であったり、3倍も早く絶版になったりするそうだ。日本のミステリ界では、とても、そんな印象はない。

 やっぱ、アメリカって、特殊かも。

 今朝のラジオで、フランス人ジャーナリストが、最近アメリカ国籍を取得した人はメキシコ人、インド人、中国人、フィリピン人などが多く、このままいくと2026年には白人はマイノリティになるという話題を取り上げていた。その時に、

 「あ、アメリカでは白人というと、コーカジアン(コーカソイド)ということなんです。アメリカでは、南アメリカ人は白人だとは見なされていないんですよ」

 と注釈があった。

 ヨーロッパ的には、「南アメリカ人」は漠然と白人である。というか、ラテン・アメリカ人は「ラテン系」であるからラテン人=ヨーロッパ人仲間である。ポルトガル語とスペイン語がヨーロッパ文化の継承を象徴する。

 ここでヨーロッパ的、というのは、実は、「大陸的」と言い換えることができる。

 私は、学生時代に中根ちえ先生の人類学の講義で周辺文化と中央文化のメンタリティの違いを習った。中華思想の国の代表が中国とフランスだという認識もあった。日本は島国で、中国の中華主義の周縁で、それを取り込んでカスタマイズするというか独自の文化を作っているが、あまりそれを他者に発信しないという認識も実感もあった。

 フランスに30年以上住んで、この頃、ようやく、大陸的なヨーロッパ中華主義の実感というものがどういうものか分ってきた。驚くべきことだ。

 つまり、大陸的ヨーロッパ(ケルト+ゲルマン+ギリシャ・ラテンの混合)の視線で見ると、イギリスという島国は、どんなに強大な時期を経ても、所詮「周縁文化」の国なのである。
 そして、そこから大西洋を渡ってできたアメリカも、「巨大な島国」「巨大な周縁文化」みたいなものなのである。オーストラリアもしかりである。

 それに対して、スペインやポルトガルが進出した中南米諸国は、たとえ先住民のインディオと大量に混血しても、ヨーロッパ大陸風普遍主義に連なる自分らの仲間、なのである。

 どこにもこうはっきりとは書いてないが、そしてそれは無意識な島国根性と同じような無意識な大陸ヨーロッパ中華思想なのだが、実はこういう感じなのである。

 第二次大戦後の人間が大半になった世界では、アメリカの大国ぶりが「常態」だったので、ヨーロッパの誇りはコンプレックスの裏返しだとか過去の栄光を捨てられないものだとか思いがちだが、「中央」による「周縁」差別の根は結構深いのだ。

 で、そのアメリカだが、こう「非白人化」が進むと、カルチャー的には、ますます脱ヨーロッパ化していくのだが、社会政策的にはだんだんとヨーロッパ風(福祉志向)になるという皮肉な過程に突入している。

 これが果たして、ユニヴァーサリズムの新しい突破口になるのかどうか期待したいところなのだが、パレツキーの話を読むと、まだまだ、アングロサクソン・ピューリタン的メンタリティが根強く、悲観的になる。

 「女性大統領よりは黒人大統領の方がまし」

 だとはっきり意志表示した人種差別団体のように、ピューリタン的偏見に基づく女性憎悪は、今のアメリカでも蔓延している。

 女性といえば、2026年を待たなくても、すでに、アメリカ人の半分なのだ。女性への憎悪や暴力や支配構造に踏み込んできっちり向かいあわない限り、アメリカがユニヴァーサリズムの旗手となる日は来ないだろう。

 
 
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by mariastella | 2009-05-12 19:56 | 雑感
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