L'art de croire             竹下節子ブログ

ヨブとシモーヌ・ヴェイユ

 旧約の『ヨブ記』というのは、旧約の神の全体的なイメージであり、人間が神に託す普遍的なイメージでもある、「報復による秩序維持」からずれている。普通は「勧善懲悪」とか「因果応報」というのが、人間の「公平感」に見合うのだが、現実には、ヨブのように完璧な「義人」が、なぜか、この世の不幸を一身に受けてしまうというような状況がたくさんある。『ヨブ記』はそういうこの世に「悪がはびこる」実情の説明としてよく引き合いに出される。

 正しい人、その正しさに見合った模範的な幸せな生活を送っていた人が、突然、これでもかこれでもかという不幸に襲われる。子供たちがみな死んだり、財産を失ったり、自分も病で最悪の状態になったり、「どうしてこの私が?」と神を呪いたくなったり、その理由を忖度したり、正義が信じられなくなったり、とっても人間的なテーマなので、宗教者や信仰者だけでなくいろいろな人をひきつけた。

 私が最初にヨブ記について考えたのは、高校生の頃に浅野純一さんの『ヨブ記の研究』(創文社)を読んだときである。
 私のような、平和な時代に生き実際の苦しみをかかえていない高校生が、「苦しみの中でも生きる希望を捨てるなというメッセージ」を切実に求めるわけはなかったので、ヨブ記をたどるのは、むしろ、怖いもの見たさというか、「正しい人がどんどん不幸になっていく」のを見ることのサディズムとマゾヒズムが混ざったような倒錯的な快楽があったのかもしれない。

 シモーヌ・ヴェイユのような立場の若い女性には、全く違ったものが見えてくる。

 シモーヌ・ヴェイユはユダヤ人なので、第二次大戦の文脈では理不尽に差別される側にいたが、家庭はユダヤ教を実践していなかったし、フランスに生まれて住むエリート女性としてむしろ、カトリック的な文化に親和性を持っていた。
 哲学者の中には、今の私から見ると若くして死んだという人もいるが、その哲学が完成しているというか、完結しているという感じの人も多い。でもシモーヌ・ヴェイユは、長く生きてたらどんな風に変わったろうと想像してしまう。彼女が第二ヴァチカン公会議を体験していたら・・・

 彼女はユダヤ人なのに、ユダヤ教にはひどく手厳しい。
 まあ、近代以降のキリスト教文化圏のインテリたちが、『旧約聖書』を前にして、あれやこれやと悩んだのはよく分かる。キリスト教神学が千年以上もかけて辻褄を合わせてきたいろいろなことが、裸の王様みたいに、批判されまくった時期があった。

 キリスト教文化圏生まれでもなく、ユダヤ人でもない私がこれまであまり考えなかったことで、シモーヌ・ヴェイユの 『Lettre à un religieux』 を読んでいて、軽く驚いたことが一つある。

 それは、彼女が、『ヨブ記』のヨブが「ユダヤ人ではない」ことに注意を向けているところだ。
 確かに、ヨブはウツ(死海の東南の地方)の生まれで、友人たちもユダヤ人ではなく、イスラエルがどうとか、選ばれた民がどうとか、神との契約がどうとかいう話はいっさい出てこない。

 ヨブはエゼキエル書(14、14-20)の中でノア、ダニエルと並んで、神の怒りに滅ぼされないですむ義人の代表として挙げられているが(それでも子供までは救われず、自分の命だけ救われる程度だが)、シモーヌ・ヴェイユに指摘されると、なんだか、「旧約の神って、ユダヤ=非ユダヤのダブル・スタンダード?」って言われてるみたいだ。
 ヨーロッパ人は平気でイエスを金髪碧眼の姿で描いてきたりしたし、日本人にとっては、ゲルマン人もラテン人もパレスチナ人もみんな「外国人」だからその辺の機微がぴんと来ないが、フランス文化に根を下ろすユダヤ人であるヴェイユにとっては少なからぬ意味があることなんだろう。

 ヴェイユはギリシア哲学に造詣が深かったから、比較文化的思考を駆使して、キリスト教の神を時間軸から超越した普遍的なものだと納得しようとした。その辺も、彼女が長生きして、ニューエイジだとか「文明の衝突」論を前にしていたら、どんなリアクションだったのか、知りたくなってくる。
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by mariastella | 2009-06-05 19:56 | 宗教
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