L'art de croire             竹下節子ブログ

キリスト教の話

 キリスト教関係の本を三冊買った。

 Didier Decoin の "Dictionnaire amoureux de la Bible"
 
 これは、お約束の作家の楽しい本。飽きない。

 Dietrich Bonhoeffer "Resistance et soumission"

 これはナチスの収容所で殺されたルター派の牧師で神学者の手紙。

Patrick Kéchichian "petit éloge du catholicisme"

 この人はル・モンド紙で長く文芸評論を担当していた。小さく単純だが個性的な本だ。

 BD(フランスのコミック本)も1冊。

 Marc-Antoine Mathieu "DIEU en personne"

 これ、なかなかおもしろい。SF の一種で、近未来のフランスに突如受肉して現れた「神」をめぐる話。
 現代に神が現れるという話では、たいてい、貧乏したり無視されたり精神病者あつかいされるのだが、ここでは彼は「神」と認められて、神の業に不服な人間たちから莫大な損害賠償の訴訟を起こされる。神が肉体として存在するなら責任も生じるというわけだ。

 最初の8ページがここで見られる。

 http://www.bdgest.com/preview-572-BD-dieu-en-personne-recit-complet.html.

 その神が消えた後の回想ドキュメンタリーの撮影シーンだ。

 かなりの不条理ストーリーなんだが、この手の話は、キリスト教の文化と無神論文化(そう、無神論は文化である)との、両者の教養の拮抗具合がちょうどいいバランスにあるフランスだから生まれるユニークなものだと思う。

 訴訟では、弁護団は、神の責任を軽減するために神の重要性を軽減しなければならないというジレンマがある。当然、被告である神の同定、あるいは、神の存在証明が問題とされる。
 「存在が証明され得るような神は存在しない神、または偽の神、偶像である。私を証明してみたまえ、私は存在しなくなるだろう」(パスカル)とか「神とは人間たちの孤独である」(サルトル)とか、「よくできたメディアのキャンペーンがあれば2ヵ月後には、誰でも神の存在を信じるだろう」(Maurice Donnay)、アインシュタインやルナールやユングの言葉もちりばめられている。ハイパーコンピューターがこれまでの人間と神の関係を全部インプットして総合した究極の質問が、被告への「神さま、あなたって誰なの?」という子供のような問いだったりもする。
 神をめぐる肖像権とかロゴとかコーチングとか、商魂のエピソードもおもしろい。

 まあ、神とはふるさとみたいに、「遠くにありて思うもの」であって、触れられるところに「降りてこられる」といろいろ不都合が生じてくるということらしい。
 よくできた話がすべてそうであるように、この話は決して神の話ではなくて人間の話であり、同時に、自己を無限に肥大化、神化させていく人間よりは、神の方がずっと「人間的」だったりする。
 
 笑え、考えさせられ、「真実」が説明され、それでいてオチは、なかなか怖い。このテーマを扱って、読むに耐えるということは、それだけですごいことだ。

 もう一つ、最近話題になったアングリカンの話を少しだけ。
 
 イギリスの国教会というのは日本でも有名な話だけれど、もともと、ローマ・カトリックの堕落を批判して分れたわけでなく、ヘンリー八世が離婚を認めてもらえないという個人的な理由でローマから離れて教会をいわば私物化したことに端を発する。

これが1534年、次に1547年にエドワード6世がカルヴィニズムを採用。これはカトリックをまともに批判した由緒ある(?)プロテスタンティズムである。
しかし彼の死後、メアリがバリバリのカトリシズムに復帰。
1558年から1603年、エリザベス1世が、プロテスタントとカトリックの統合というかハイブリッドなものを決めて設定した。政治的公正、という感じである。

 1833年に、アングカニリズムをもう一度カトリック化しようというオックスフォード運動が起こり、1930年代を頂点にかなりの成功を博した。イギリスの親カトと親プロテスタントの二極化の歴史はけっこう古いわけである。カト派の論客 John Henry Newman(1801-1890)は、しかし、結局、カトリックに改宗してしまい、あまつさえ、2010年にはカトリックの福者として列福が決まっている。

 アングリカンのカトリック流れがはじまったのは1971年の香港、1975年アメリカの女性司祭任命で、これを不服とする司祭や信者がローマに鞍替えした。8千万人のアングリカンには、38の自治管区があって、現在そのうち28が女性司祭を認めている。認めていないのは、中央アフリカ、エルサレムと中東、メラネシア、ビルマ、ナイジェリア、パプア・ニューギニア、タンザニア、東南アジアの8つで、南アメリカの一部とコンゴでは女性助祭のみが存在する。
1988年にはアメリカでついに最初の女性司教が誕生した。
しかし、本家のイギリスで最初の女性司祭が生まれたのは1994年だ。この時、95年から97年にかけて、アングリカンの約450人の司祭がカトリックに合流した。この時、ローマは、すぐに司祭職継承を認めたわけでなく、一定期間、一般信者と同じ身分に据え置かれた。しかし、その後、司祭職に叙階され直して、妻帯司祭も250人ほどいるが、もともと、教義的にも典礼的にも限りなくローマ・カトリック寄りの長い伝統を持つ人たちなので、10数年後の今も何の問題もない。

今回問題になったのは、10月20日にヴァチカンが、アングリカンの司祭が次には一般信者となる期間を経ずに、そのままカトリックの司祭として認められる(司教になるには独身誓願をしなければならないなどいくつかの条件がつくが)という発表をしたからで、これで千人以上の司祭がローマに合流すると言われている。

 これは、2003年にアメリカで、同性愛者のジーン・ロビンソンが司教に叙階されたのをきっかけに、保守的福音派アングリカンとアングロ・カトリックが共に、リベラル派から深刻に分裂し始めたことが背景にある。この人は、ゲイのカップルとして同棲していたので、単に性的傾向が同性愛というわけではなかったのだ。
 アングリカンは何とか教会を統一しようとして、2008年にLambeth会議を開いたが、福音派の270人の司教(リベラル派は670人)はこれをボイコット、ついに教会の中の教会として、事実上分離してしまった。

 このために、アングロ・カトリックはますますマイノリティとして孤立してしまったわけで、そこにヴァチカンが、ではどうぞ、と今回手を差し伸べたわけである。(正確には、2009年2月に、Geoffrey Kirkなどが、ウィーンの枢機卿Christoph Schönborn を訊ねて「カトリックの司教から独立したままでカトリックに全面的に受け入れられたい」希望を述べ、それが9ヵ月後に受け入れられたという)

これらの司祭たちは、移動する従軍司祭と同じで地理的な司教区には属さない。つまり、今いる場所のカトリック司教に従属する必要がなくて、アングロ・カトリックとしての別の司教に属することになるのである。神学生も同様の扱いで、事実上全く変わりなくそのままカトリック・ファミリーに入るわけだ。
しかしヴァチカンはこの決定をたった2週間前にしかカンタベリー司教に通知しなかった。

リベラル派の前カンタベリー大司教George Carey などは激怒して、これでは、40年にわたるエキュメニズムの努力が無に帰する、と言っている。現大司教のRowan Williamsは、前から予定していた11月21日のヴァチカン訪問でどういう風に語るかはまだ分らない。

 私はこの話であらためて、uniatisme とoecumétisme  の違いを認識した。

 カトリック教会は、東方正教会系に関しては、オリエントの典礼を残したままでカトリック・ファミリーに合流できるようにというuniatisme 方式を採用してきた。今回のアングリカンの合流は、1833年以来続いているアングリカン内部のカトリック化(違いは独身制がないことくらいだ)の結末ということでニュアンスが違う。教皇B16 は最近も、第二ヴァチカン公会議を認めずに分裂したカトリック内保守派の受け入れで物議をかもしたのだが、何事につけ、意見の一致を待っていては本来のキリスト教的連帯とかコミュニオンというものはできない、という気持ちは分るので気の毒でもある。

みながばらばらに、自己責任で自由に競合または共存すればいいという今時の傾向の中で、「人類は皆兄弟」、式の普遍理念を死守するのは、容易なことではない。まあ、宗教者ならこそ、がんばってほしいと思うのだけど。
[PR]
by mariastella | 2009-11-09 03:16 | 宗教
<< V・I はなぜ洗礼を受けていないのか ベルリンの壁崩壊20年 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧