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L'art de croire             竹下節子ブログ

ハイチとライシテ

 フランスでは相変わらずハイチ報道が衰えていない。カリブ海に海外県があるし、一応フランス語圏なので、メンタルな距離はかなり近い。アメリカに対するライバル意識というのもあるようで、ハイチに送られたアメリカの軍隊のことを、災害に紛れて占領しているかのように言って問題を起こした政治家もいる。

 私のところにはカトリック関係からも、ハイチ支援について複数のメールが来た。 
 カトリックはかなり活躍している。こういう時になるとドサクサに紛れて、布教に来るかなりあやしい団体もあるので、まあ、カトリックはその点安心だ。それなら、教会、カテドラル、学校など、もっと耐震構造にしておいて、避難所として機能するように造っとけばよかったのに、とも思うが・・
 
 カトリックは、理念的にはユニヴァーサルな組織だから国境はないし、移民や非定住民を支援する部署もあって、フランスの不法移民も教会に避難したりしている。ハイチに残る人口に匹敵すると言われるくらい世界中に広がるハイチ人コミュニティの多くは、カトリックの恩恵をどこかで受けながら亡命や移住を成功させてきた。軍事独裁が終わった時、荒廃した国で病院や学校を支えてきたのも、ハイチのカトリック教会だった。病院や学校というのは、もともとカトリック修道会の得意分野でもある。

 ハイチでは特にフランスのブルターニュの修道者が基礎を築いた。1804年の独立以来、1860年にローマ教会と和親条約が結ばれ、ローマは、ハイチの教会の現地人運営を望んでいたようだが、結局ブレストのカルム会司祭を大司教に任命した。1850年から1900年の半世紀に2500人のブルトン人がハイチに渡って現地の神学校で学んで聖職者となった。
 第二ヴァチカン公会議以降は、5人の司教をはじめとしてほとんどの聖職者がハイチ人である。

 統計をとると、ハイチのカトリック人口は80%で、プロテスタントが40%だそうだ。すでに数があわない。
プロテスタントは、1915年以来アメリカからどっと流入してきたもので、何百もの小教会が林立する。最近は中南米の他の国と同様、福音派の進出もめざましい。

 で、ここで書きたかったのは何かというと、ハイチには「ライシテ=政教分離」という概念はないことだ。
 
 政教分離が成り立つためには、国家が神の代わりに人々を守るシステムがなければならない。
 Etat Providenciel という言葉があるが、「神の手」を持つ強い国家が必要なのだ。入信を条件とせずに神の役割を果たせる国家が神と拮抗しないところでは政教の分離はできない。

 ハイチと言えば、貧困、独裁、ハリケーン、地震・・・ よくよく不幸にばかり見舞われる国だと思われがちだが、では、だから「神も仏もあるものか」(ハイチの人は仏とは言わないだろうが)と絶望したり神を呪ったり、あるいは不幸は神罰なのだと思って打ちのめされたり、ということは、なぜか、ない。
 不幸をもたらす負のエネルギーが彼らに作用しているので、それに対抗して正と生命のエネルギーを喚起しなくてはならない。彼らには、目に見える世界のほかに目に見えないパラレル・ワールドがあり、「不幸」が起こるたびに、「そっち」の方におうかがいをたてているのだ。

 それが何かというと、「ブードゥー教」である。

 つまりハイチには、80%のカトリックと40%のプロテスタントの他に、それと並行して、「夜の宗教」であるブードゥー教が確固として存在する。ブードゥ教は、アフリカの宗教とキリスト教、特にカトリックの聖人崇敬などが習合して形成されたもので、「見えない世界」に働きかけて、諸問題の解決を図るのである。

 現地のカトリック教会はもちろんそれを認めているわけではないが、実際問題としてそれはパラレルに機能している。

 ハイチを見ていると、ライシテとはそもそも何であったのかが分る。

 ライシテとは、誰かが「神」を信じなくても、ある特定の宗教や儀式を信じなくとも、国が貧困や病や災害援助の保障をしてくれるというシステムなのだ。

 そのような「国家」がないところには、ライシテは成立しない。

 もちろん、国家宗教を信じることや国家の首長に対する絶対服従も、保障を受ける条件にならない。王権神授や神権政治を敷くところではライシテはない。

 弱い人間の実存的危機や災害において、国や宗教とは別に唯一「保障」をしてくれるのは、家族や部族である。家族や部族の互助システムの基本には、ご先祖さまや部族の守り神のような「共同体の神」が祀られることが多い。ハイチはもともと奴隷貿易によって強制移住させられた人々の国である上、歴史的、構造的に、そのような強い共同体の守りが充分ではなかった。そこで社会的な救済活動をしてきたのがカトリックという中央集権的な「普遍宗教」だったというのは、彼らを国際社会のネットワークに繋ぐ意味でよかったと思う。

 「ある特定の神とか教祖とかを拝まなくても、困った時に最低限の保障を受けられる社会」というのは、私たちは慣れてしまっているが、非常に少ないし、新しいし、人工的でもあり、絶えず自覚して更新していかないとまたたくまに「あっちの世界」に足を救われたり、有名無実となったりしそうな脆弱なものなのだ。
 
by mariastella | 2010-01-28 01:03 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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