L'art de croire             竹下節子ブログ

日本映画二つ

 
 忘れないうちにメモっておこう。

 日本映画二つ。

 機内で見たのが

 『ダーリンは外国人』 小栗左多里原作、宇恵和昭監督、井上真央、ジョナサン・シェア

 東京で見たのが、

 『告白』 湊かなえ原作、中島哲也監督、松たか子、岡田将生、木村佳乃

 前者は、原作のコミックは時々見たことがあり、髭面のダーリンって、なんとなくインド人かと思っていた。普通のアメリカ人だと知って意外だった。じゃ、草食系というか、ちょっとニューエイジ入った人?
映画を見て、出会いのこととかいろいろ分り、このジョナサン・シェアというのが、すごく誠実で好感を持てる人なので、すべてに説得力がある。ラストにアメリカの家族の前でひざまずいてプロポースするシーンを見て、アメリカにおける「ひざまずきプロポース」のオブセッションって、ほんとうにいきわたってるんだ、と感心した。あれは、どこの移民がどう行き渡らせた風俗なんだろう。
それが21世紀もしっかり残る理由は? 
それとも、新しいのか?
でも、日本側の親の偏見とか、そういう非典型的カップルでも女性がしっかり家事をするという構図でスタートして破綻しかけるという展開など、いろいろ引っかかる点はある。日本語ぺらぺらで「日本文化だーい好き」という感じの「白人」たちを胡散臭く思ってしまう私自信の偏見は抜きがたい。まあ、この映画の中にはそういう「いかにも」的なアメリカ人も出てきて、それがまたダーリンの誠実さを際立たせるんだけど。

 後者の『告白』は、15歳未満禁止とかこわそうな映画だと思ったのだが、結論としてそんなに怖くなかった。多分、小説で読んだ方が効果的だったと思う。

 しかし、ここに出てくるシチュエーションは、まったくのフィクションで、あり得ない設定なのだろうか。

 それとも、こういうこと、つまり、教師が自分の子を学校に連れてきて保健室においておくとか、罰として生徒にプール掃除させるとか、中学一年生が全員携帯電話をクラスに持ち込んで、いっせいにメールしあっているとか、いじめもそうしてオーガナイズしているとか、先生の話を聞かずに勝手に教室から出て行くとか、とかの事項は、部分的には、日本の現実の中学の実態を多少とも反映しているのだろうか。私には分らない。

 フランスでもいろいろな問題があるけれど、こういう感じのはあり得ない。
 落第もあるからクラスの生徒たちの年齢がまちまちだったり、経済状態に差があったりして、このような形での団結(?)はないし、子供のいる教師の保育の問題もないし、学校の掃除はすべて専門の人が毎日ケアしている。携帯も、普通に、持込禁止。

 もちろんこれはフィクションだから、と思ってみても、もうそれだけで胸が悪くなる。
先日ちょうど、TVで、永山則夫のドキュメンタリーをやっていて、彼が母親に捨てられたトラウマから連続射殺魔になったことや、その後の勉強から、どんな人も教育によって新しい可能性を与えられるということがよく分った。

 しかし、永山時代から何十年経っても、この映画でも、父と別れた「母に捨てられた」トラウマが、人を絶望させ、人生を崩壊させるという設定になっているのは苦しい。これも、フランスでは、たとえ離婚しようと別居しようと、未成年の親は、子供が成人するまでその住所を明らかにして、共同親権者として子供に責任を持たねばならないことが法律で決められている。
 一週間の半分を母と、残りを父と暮らす子供もいる。だから、一方が遠方に引っ越すなど子供の生活に支障をきたすような移動は裁判所の許可がいる。逆に未成年の子供がフランスにいれば、その子供が成人するまでは外国人でも滞在許可証を与えられる。

 両親のどちらかがかなりの異常性格だったり、嫉妬深かったり、いろんなケースがあるので、この「フランス型」が必ずしも子供にとってベストの選択とは言えないのだが、少なくとも、母親に捨てられた、居所も分らない、というようなタイプのトラウマにはなりにくい。

 エイズの扱われ方も、なんだかなあと思う。

 これらが、すごく今風なのか、どろどろした日本の偏見みたいなものが特殊化してるのか、よく分らない。

 どちらの映画にも、ちょっとカルチャーショックを受けた。
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by mariastella | 2010-07-26 20:13 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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