L'art de croire             竹下節子ブログ

フランスの熟年女優たち

雑談。

前のニ回の記事で、ナタリー・バイやドヌーヴ、ファニー・アルダンなどの名を出した。

この3人の女優はいずれも60代だ。ドヌーヴが67歳、ナタリー・バイが62歳、ファニー・アルダンが61歳。

最初の2人がブロンドのイメージで、ファニー・アルダンが暗く情熱的なブリュネットのイメージ。

ドヌーヴは冷たい感じで、ナタリー・バイはどちらかといえば庶民的な感じだ。昔は、地方出身のコンプレックスのある女の役などうまかった。

若い頃のドヌーヴはポランスキーの『反撥』などの狂気じみた役もなかなかうまかった。美女の代表でもあったけれど、私は友人の映画研究家のHさんに「ドヌーヴってロバみたい」と言われてから、彼女を見る度にロバを思い浮かべてしまう。

最近作ではジャージ姿でジョギングをする冒頭の姿がすっかりおばさんふうだとも言われたドヌーヴだが、この作品でのわずか25年ほどの回想シーンは、ドゥパルデューともども、別の若い俳優が演じていた。

ぼかせれば本人でもいけるんじゃないかと思ったが、やはり体型が無理だったかもしれない。ドゥパルデューはいわずもがなだ。

それに比べると、ナタリー・バイやファニー・アルダンは、若い頃からまったく体型が変わっていないので、30代くらいのシーンならまだまだ演れそうだ。

もう一人、ドヌーヴよりは一回り若い、これも大スターのイザベル・アジャーニは、ここ1、2年は驚くほど太った。

でも相変わらず名女優で相変わらずの激情型で、だれも外見のことを言わないので、フランス人は気にしないのかと思っていたら、最近、ラジオで「前の3倍になった」と揶揄する人がいたので、はじめて他の人も気づいているのだなあと思ったほどだ。

外見が資本の一つである女優だから、パーソナルのコーチなどついていてもおかしくないし、どうして不健康に見えるほどに太って、何事もなかったかのようにカメラの前に立つのかが不思議でもあったのだが、インタビューに答えて「私はカメラが回っていない時にはおばさん風になるタイプだから・・・」とも平気で言っているのだ。

ファニー・アルダンの方は逆に拒食症で、とにかく食べるのが大嫌い、と言っていたことがある。

アジャーニもファニー・アルダンも黒髪だが、この二人ほど対照的な女優も珍しい。

私はこの2人を舞台で見たことがある。

ストリンドベルイの『令嬢ジュリー』の芝居だ。

アジャーニが途中で倒れてファニー・アルダンが代役をしたのだったかもしれない。

この戯曲はインパクトがある。

アジャーニは、令嬢ジュリーの欲望や倒錯や秘められた狂気などにとり憑かれたように演じていた。演技というよりシャーマニズムの実演のようだった。

終った後のカーテンコールで汗びっしょりで、息も荒く、上気して、まだ、芝居の人格と現実のはざまにいるようだった。これでは途中で倒れても不思議ではない。

観客も、その興奮に巻き込まれて、教祖を前にした集団のようだった。

憑依型の女優なのだ。

そのアジャーニの令嬢ジュリーを見た後では、もう誰が演じても気の抜けたものになるだろうなと思っていた。

アジャーニ以外では想像もできなかった。

ところが、ずっと落ち着いて内面的で別の恐ろしさがあるファニー・アルダンが演じた令嬢ジュリーは、想像もできなかった別のものだった。

ファニー・アルダンは、シャーマンではなく、女神のようにふるまった。いや、魔女すれすれだったかもしれない。

アジャーニの熱狂を超えられないのではないかと思っていたのに、彼女は別の呪文を唱え、別の世界へと観客を導いたのだ。

同じ設定の同じ台詞なのに。

芝居とか役者について、再現芸術について、これほど強烈な印象を残した体験ははじめてだった。

ファニー・アルダンもナタリー・バイも、若い頃は何か「イタイ」感じの女だった。
今は、ファニー・アルダンは生まれついての大物という感じに熟成しているし、ナタリー・バイは肩の力の抜けた自由で自然体のいい感じの女優になっている。

アジャーニだけが、前よりも「イタイ」感じになっている。

ドヌーヴは自然体というより余裕と貫禄がにじみ出ている(この人はサン・シュルピスの警察署横に住んでいて、地下駐車場からすごい勢いで車を出してきた時に轢かれそうになったことがあった。一度だけ実物を見たのはその時だ)。

ドヌーヴとアジャーニは、10代から女優デビューしている。

しかしドヌーヴはもともとフランスの俳優の家系の娘だが、アジャーニは生まれた時にはまだ旧植民地であったアルジェリア人の父親とドイツ人の母親の娘だ。この辺の背景はフランスでは気にしないようでいて、幼少期には微妙である。

ナタリー・バイはコンセルヴァトワールの演劇科を出た演技派で、ファニー・アルダンは、政治学を専攻したインテリだった。今のフランスではインテリとアーティストとの「職能(メチエ)」の溝は大きいから、彼女もけっこう屈折している。

私はかろうじて50代だが、この4人とほぼ同世代だ。つまり、彼女らの若かった頃を実物を含めてずっと見てきて、今、歳を重ねてそれぞれがどんな熟年になったかを見ている。

若くてきれいな女たちは、ある意味で似ている。

歳のとり方には個性が出てくる。

幸福の形は似ているけれど不幸の形は不幸の数だけ違う、

などというのと同じだなあ。

歳をとることが不幸といっているのではもちろんない。

容貌とか肉体の生理機能とかは必ず老化する。

崩壊したり凋落する。

その崩壊や凋落の形やリズムには個人差が大きい。

女優のように、その外見が資本の中核に置かれる職業の人、その変遷をずっと他人の目にさらしている人々には、それは重大なファクターとなる。

誰がどう生きてどう壊れていくのか、それを見たいという好奇心のせいで、長生きしたいなあ、と思ってしまう。

もちろん自分も肉体的にはしっかり壊れているのだけれど、観察する視線さえ健在なら、いつまでも楽しめそうだ。「一回性」はいつもスペクタクルだ。
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by mariastella | 2010-12-30 02:19 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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