L'art de croire             竹下節子ブログ

ナポレオン、ジェンダー、チュニジア革命

今、こちらの一番の話題はチュニジア革命。

23年にわたる独裁者ベン・アリとその家族がついに逃亡した。甥たちが町中で襲われ始めていた。身の危険を感じたのだ。

いわゆる指導者がいなかったということで新しいタイプの革命だと言われているが、確かにウェブを通して情報が行きわたっている世界ならではの出来事かもしれない。

ベン・アリの逃亡先はサウジ・アラビア。

ご都合主義の民主主義の末路はサウジアラビアへの亡命で、サウジからはテロリストが世界へ散らばる。

去年はビルマといいコートジヴォワールといいウクライナといい、選挙って何なんだ、といいたくなるケースが相次いだ。

冷戦時代であっても、西側諸国が民主主義陣営であったわけではない。親米独裁政権はアメリカの仲間だった。

政治の理念やモラルなど、肥大する欲望の前には単なるお題目でしかない。

権力への欲望は本当に人を芯から腐敗させる。

近頃ナポレオンをジェンダーで読み解く作業をしているのだが、ナポレオンが権力を一家郎党や子孫に伝えたいとか姻戚関係によって安全を担保したいとかいう感情には、本当に脱力させられる。

ナポレオンとジェンダーなんて、どう結びつくのかとフランス人からも驚かれるのだが、支配欲と戦争=暴力、権力を保証する権威と聖なるもの、をめぐる欺瞞の歴史は、もうすぐ連載が終わるジャンヌ・ダルクからも一直線につながっている。フランス人が「闘う処女マリア」を経て、処女戦士であるジャンヌ・ダルクを半俗半聖の戦うヒロインとする過程で、ナポレオンは男である「軍神」の地位に上りたかった。

いつも弱い者の側に立って、殺されても抵抗せずに男の弟子たちを失望させたナザレのイエスは、ジェンダー的には女性の立場に近い。そんなキリスト教が軍神マルスを否定してから、キリスト教はなかなか権力者たちが必要とする「軍神」的なキャラを持てなかった。

最も戦闘的なのはジャンヌ・ダルクにもお告げをもたらした大天使ミカエルだが、翼が生えていて中性的だ。勇ましく悪魔に立ち向かって罪人の魂を取り返してやるのも、もっぱら聖母マリアの役どころである。

ナポレオンは本気で男たちの軍神になりたかったのだ。

そのために彼の考えた装置や演出は非常に興味深いものである。(これについては別の機会に書く)

それもこれも、結局は、自分の権力を子々孫々に継承させることが可能な権威につなげたかったからだ。

やはり、不死ならぬ人間にとっては、「自分の子供を持つ」というのが、すべての煩悩の根源になりそうだ。

そういう意味では、カトリック教会がいまだに聖職者の独身にこだわるのは、危機管理の智恵の一つでもある。

だからこそ、啓蒙思想の影響を受けて共和主義を称揚したピウス七世は、ナポレオンの恫喝に屈しなかった。

一代限りの独身の権威の強みでもある。

5世紀頃まで聖職者の独身制はなかった。6世紀の西方教会で独身制が導入され、妻帯者を叙階することもあったが、叙階された後に子供をつくった者は罰せられた。

ところが、ヨーロッパがすっかりキリスト教化した中世においては聖職者に庶子がいるのは珍しいことではなくなってしまった。1022年のパヴィアの公会議では、この状況が洗い出されている。

その時カトリック教会が決めたのは、聖職者の子供は、教会の隷属者であるというスタンスである。

聖職者というのは生涯を教会に捧げた身分であるから自由人ではない「隷属者=奉仕者」だ。

普通は、自由人の女と奴隷の男の間に生まれた子供は自由人の身分を得ていたが、ローマのユスティニアウス皇帝は、6世紀に、国家の奴隷と自由人の間に生まれた子供は自由人になれないとする条例を出した。

その例に倣って、カトリック教会は、教会の奴隷である聖職者の子供もまた教会の奴隷であること、すなわち私有財産を持てないこと、教会の奴隷は自由人の名で財産を獲得してはならないことを確認した。

聖職者やその庶子の領地や財産は没収された。

つまり、これは、早い話が教会の財産が四散することを防ぐための決まりだったわけだ。しかしそのおかげで、封建領主としてのローマ教会や各種修道会などが、その財産を権力者の子孫に継承させてしまうという欲望の連鎖は断ち切りやすくなった。

とはいえ、それ以降も、ルネサンス時代に顕著なように教会のモラルは内部では十分に腐敗していったわけだが、宗教改革やカトリック改革を経て、啓蒙の世紀を生きたピウス七世などは、ナポレオンなどよりもよほどまともなフランス革命の理念の継承者で、民主主義者となっている。

ナポレオンはエジプトではイスラムに改宗した、という形になっているし、ユダヤ人を軍に召集できるならソロモンの神殿だって再建する、と言っている。

権力者と宗教の関係を考える時に非常に興味ある事例でもある。

ナポレオンは織田信長にはなれなかった。

神聖ローマ帝国とも戦わねばならなかったし、姻戚を結ぼうともした。

彼の母親やその兄弟はローマ教会の側に立った。

彼が最後の日記でイスラムを称揚しているのを引いて、本当にイスラムに改宗していたのだと言いたがる人もいるのだが、啓蒙思想における「反教権主義=無神論」の文脈で読み返してみると、ナポレオンの語る「一神教比較」は別に新しいものでもない。

ナポレオンを無神論の文脈で語り直し、ジェンダーの問題と絡めて、「軍神の文化史」を書いてみたい。

ジャンヌ・ダルクがフランスのナショナリズムのシンボルとして使われるようになるのは、ナポレオンの失脚と、プロシャ戦争の敗退によるナポレオン三世の失脚があったからである。

ここに軍神とジェンダーの微妙な関係が見える。

ジャンヌ・ダルクの単行本をまとめる時にこの辺を掘り下げることになるかもしれない。
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by mariastella | 2011-01-16 03:34 | 雑感
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