L'art de croire             竹下節子ブログ

神殺し

3月3日、イスラエル首相から、ローマ教皇ベネディクト16世に、積年に渡るキリスト教からの「神殺し」ユダヤ人という無実の罪を晴らしてくれてめでたい、という書簡が寄せられたそうだ。

B16が『ナザレのイエス』の第二巻で神学的コメントとして、ユダヤ人が「民族」として「神であるイエス・キリスト」を十字架につけたのではなく、イエスも使徒もユダヤ人であったのだから、「ユダヤ人」という言葉には民族的意味もなければ差別の意味もない、と明記し、誤った解釈の長きにわたる弊害を認めたからである。

特にヨーロッパのキリスト教社会で「ユダヤ人=神殺し」というレッテルが貼られてユダヤ人迫害の口実にされてきたのは周知の事実だが、ナチスのホロコースト以来、そういう言辞は今はとっくに消しさられていたと思っていたので、意外だった。

キリスト教がユダヤ民族の手を離れてヘレニズム世界に広がり、ローマ帝国の国教となった時点で、キリスト教をローマ化、さらにヨーロッパ化する必要があったヨーロッパ諸民族が、イエスやマリアなどを「脱」ユダヤ化する必要があったので「ユダヤ人=神殺し= 人類の敵」のようにエスカレートさせていったのだと思っていた。イエスに死刑判決を下したローマ人ピラトを免責することも必要だったからだ。

といっても、イエスや使徒の出自がユダヤ民族であることを聖書が隠しているわけではないのだから、ユダヤ人が神殺しという言い方の誤謬は明らかだと「実は」誰でも了解していたのだと、私は考えていた。しかし21 世紀にローマ教皇が明言しなくてはならないほどに根深いことだったらしい。

確かにヨハネの福音書などには「ユダヤ人が殺そうとねらっている(7-1)」など、まるで「ユダヤ人」一般とイエスを対立させているような書き方がいろいろ出てくる。でも、普通のリテラシーがあれば、この時代の書き方がこうなんだろう、と思うところなのだ。

しかし、パウロらの手紙の中でも「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりではなく、私たちをも激しく迫害し・・・(テサロニケ2-15)」のように、「ユダヤ人」が「キリスト教徒」を迫害するという図式が繰り返されているので、いつのまにかそれが定着したのだろう。

もっともパウロは「私は彼ら(イスラエル)が救われることを心から願い…(ローマ10-1)」のように言っている。

だから、べつに偉い神学者でなくとも、新約聖書でイエスを殺したり使徒を迫害したりしたのは律法教条主義者をはじめとする一部のユダヤ人を指している、というのは外部の目からも自明だと思うのだが、二千年も「神殺し」のレッテルを貼られてきた「言葉の力」というのは恐ろしい。

だからこそ、教皇がその著書で明言することも重みがあるのだし、それにすぐに反応するイスラエル首相の言葉も重い。

言葉が偏見を生み偏見が歴史を動かしてきたなら、新しい言葉は新しい関係を築き平和を招き寄せてくれるかもしれない。

そうなると、イスラエルとパレスティナ、ユダヤとイスラムの間でもこのような魔法の言葉があればいいのにと思う。

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教はアブラハムに由来する一神教として兄弟のように認識されているのだが、ユダヤ教は民族宗教、キリスト教とイスラム教は地縁血縁を問わない普遍宗教だ。

でもキリスト教は普遍宗教として広まる時に、ユダヤを離れてギリシャ・ローマ人を中心に受け継がれていったのに、イスラム教を担ったアラブ民族の方は、アブラハムの嫡子誕生後に母子ともに追い出された、エジプト人女奴隷との間の庶子イシュマエルの子孫ということになっている。

キリスト教徒がユダヤ人を神殺しなどと言って切り捨てたのに比べて、アラブ人はユダヤ人となまじ「血がつながっている」ことになっているのでかえって屈託もあるかもしれない。

今やパレスティナで大々的に迫害されているのはキリスト教徒たちだ。いや、パキスタンのマイノリティ担当大臣もカトリックだったがつい最近暗殺された。一方イスラエルがパレスティナ人に強権的なのはずっと続いている。

一神教同士なんだから何とかしてほしい。

もちろん日本でたまにいわれるように「一神教のやつらは互いに自分たちの神しか奉じないのだから当然他の一神教を殲滅しようとする」というような話ではない。

同じ民族だろうと同じ宗教だろうと、多神教だろうと無神論者だろうと、人間というものは「自分たちと同じ仲間」でないものを排除すると衝動にかられて殺し合うのが常だ。

だからむしろ、一神教同士なら、今回のように「ユダヤ民族はキリスト教の敵じゃありませんよ」とローマ教皇がひと言いうだけで緊張が緩和するとっかかりがあるのだとしたら、勇気ある権威者がその気になれば、イスラエルとパレスティナにも、イスラムとキリスト教にも、平和をもたらす言葉が見つかるかもしれない、と期待したいのだ。無理かなあ。
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by mariastella | 2011-03-05 09:43 | 宗教
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