L'art de croire             竹下節子ブログ

またリビアのことなど

3月18日に国連安保理がリビアへの連合軍介入を認める(これは必ずしも空爆ではなくてカダフィ軍の航空禁止区域の設定ということだが結果は見えていた)決議をする前日にリビアにいたロシア大使が解任されたという記事があった。

21日にモスクワに戻ったウラジミール・チャモフ元大使は、

「リビア人が抑圧されていたって?そんなことはまったくない、利子なしのローンはあったし、ガソリンは安いし、食料品も安価だった」

と言ったという。

彼はロシアが国連安保理決議で拒否権を発動することを主張していたそうだ(以上ル・モンド紙 2011/3/31)。

モスクワ特派員によるこの記事はさらに、ロシアが大国主義を捨ててリアルポリティクスに向かいつつあると分析するのだが、ともかくロシアは今のところカダフィ政権と国交を断絶していない。

この報告は本当なのだろうか?

ある程度は当たっているのだろう。

カダフィが反乱軍を最後の一人まで血祭りにしてやるなどと叫ぶところやこれまでの言動を見ればこの人がかなり異常な精神状態にあることは察せられるが、豊富な石油マネーを各国首脳だけではなく自国と自国民にもばらまいてきたことは確かだと思う。

今度のアラブ世界での「反乱」に怖れをなしたサウジアラビアで国民を懐柔するために初の地方選挙が行われたことも記憶に新しい。

リビアのことは知らないが、サウジアラビアについては10年前に紀行文を書いたことがある(『不思議の国サウジアラビア』文春新書)。

その時はまだ9・11の前で、お世話になった現地のフランス人やサウジ人から、検閲が厳しいので決して宗教や王室のあからさまな批判は書かないでくれ、と言われていた。だからイデオロギー的なことはまったく書かなかったのだが、一般サウジ人の安楽な生活ぶりと言論統制とが表裏をなしている実態について述べたつもりだ。

人が本当に必要としているのは安逸なのか自由なのか、消費文明と基本的人権について大いに考えさせられたのだ。

そこにはジェンダーの問題もあった。

女性が子供と同じく男の保護下にあることについて、それでも、いわゆる「労働力の搾取はされていない」という現実がどのような倒錯を生むのかについて考察したつもりだった。

ところが、ネット上で、あるフェミニズムの論文に私のこのレポートが引用され、まるで私が物質的に恵まれていて法的責任主体ではないサウジ女性を羨望しているかのように書かれているのを発見して驚いたことがある。

それはともかく、「自由や民主主義を金で封じることができるか」というのが、石油マネーで豊かになった支配者たちのテーマの一つだったのはまちがいがない。

ロシア大使のいうことが本当なら、リビアもそういう国の一つであり、ブレアにもクリントンにもサルコジにも金をばらまいて「民主主義」を買っていたのだとしても不思議ではない。

民主主義とは、ある多数派が、次の新しい多数派に安全に政権を引き渡すことができるシステムだ。多数決で選ばれた次の権力者に前の権力者が無理に抵抗したり、逆に次の権力者から弾圧されるというのでは民主主義とは言えない。

フランスでさえ、革命の後では恐怖政治、ナポレオン、王政復古、帝政復古、何度も新たにされた共和国を経て、まともな民主主義が機能するようになったのはほんの一世紀くらいでしかない。

その意味でサウジアラビアの王権はもちろん、選挙のあった国のカダフィ政権やベンアリやムバラクの政権でも民主主義だったとは言えないし、民主主義とセットになるべき言論や信教の自由が著しく制限されている(た)のは間違いない。

それでもそれらの国で、金があるところでは、人々をある程度満足させることができていたのも事実だ。

民主主義が機能している国でも、政府への不満や欲求や政権交代の論戦のテーマといえば、購買力の向上、労働時間の短縮、雇用の安定、減税、年金や医療の充実などがほとんどである。

一方、たとえば20世紀の後半の半ば頃のサウジアラビアでは、選挙もなく信教の自由もないのに、国民は最低でもみな中の上の公務員、税金はなく医療も教育も無料、生活はすべて国王丸抱えのような状態を呈していた。

それでは、一般人の政治参加のモチヴェーションが上がらないのも無理はない。

もっともその「繁栄」とは、持続可能ではないエネルギー源である石油と、時として奴隷のごとく扱われている豊富な移民労働者の犠牲のもとに拠っていた。宗教原理主義者とアメリカ化した王侯たちの力の拮抗と欺瞞、人口分布の年齢別のいびつさによって予測できる社会的危機などもはらんでいたのだ。

だからリビアがどんなに金持ちでカダフィが国と国民に投資していたとしても、それだけでは民主主義や自由を賄うことはできないし、結局はひずみが露になることも明らかだ。

それでも、

冒頭のロシア大使の言葉、

あるいは藤永茂さんの言葉、

「寿命・教育・生活水準などに基づいて国ごとの発展の度合いを示すHDI(Human Development Index,人間開発指数)という指数がありますが、2011年度試算では、リビアはアフリカ大陸で第一位を占めています。また、幼児死亡率は最低、平均 寿命は最高、食品の値段はおそらく最低です。若者たちの服装もよく、教育費や医療費はほぼキューバ並みの低さに保たれているようです。」

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/03/post_7724.html

あるいは私が前に書いた記事

http://spinou.exblog.jp/15983854/

の中の不破哲三さんによるベン・アリの評価のことなどを思うと、今意気盛んなアラブ世界の「自由と民主主義の戦い」にもいろいろ疑問がわいてくる。

「独裁者」の追放や報復、処刑の流れそのものは「民主主義」とは程遠いからだ。

権力の座を降りた敵対者の「自由」をどこまでどのように保証するかによって、民主主義の中身が問われるのではなかろうか。

それが独裁者であったのならなおさら、その人を独裁者にしてしまった政治のシステムだの構造をじっくり分析して次の政権が同じ轍を踏まぬように学習しなくてはならない。

「民主主義」下で対立する二つの勢力が互いに互いを排除・殲滅すべき「敵」と位置づける限り、それは民主主義と程遠い。
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by mariastella | 2011-04-04 03:24 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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