それが起こったのは、ポー河の向かい側だった。
ルルドの聖域は、増え続ける巡礼者の便のため、川筋を変えるなどして少しずつ整備されてきたのだが、メインはやはり、三つのバジリカ聖堂が集まり、水浴場や洞窟がある左岸だ。ポー河の向かい側の右岸にはキャンプ場や、講演会場や、病人の巡礼者の宿泊施設などがある。
そちら側に1988年にできたのが聖女ベルナデット教会(l'Eglise Sainte Bernadette)だ。
無原罪の宿り、ロザリオのノートルダムと、ルルドのメインキャラクターである聖母に捧げられたバジリカ聖堂の後が、ローマ教皇ピウス10世に捧げられた聖堂で、最後がようやく、ルルドで最も貧しい家庭の貧弱な少女であったベルナデットにちなんだ教会だったわけである。
ベルナデットが早いうちからルルドを離れたヌヴェールの修道院に隔離(?)されたこともあって、ルルドのスターは聖母と泉だった。
御出現そのものは4年後の1862年に司教から認定されたが、ベルナデットはそのまた4年後の1866年にルルドを去り、1879年に亡くなっている。つまり、彼女は聖母の大聖堂の姿を一度も見ていないわけだ。
彼女が聖女の列に加えられたのは1933年だった。
でも、御出現100周年の大聖堂は、彼女より遅く1954年に列聖されたピウス10世に捧げられた。
で、1988年にようやく彼女に捧げられた教会は、三つの大聖堂の反対側にあって、建築としても平凡な近代建築である。
ただし、その場所は、1958年の7月16日に、最後の御出現の時にベルナデットが跪いた場所だとされている(洞窟からすごく離れているのだけれど、そんなものなのだろうか)。
そんなルルドの聖女ベルナデット教会は、バジリカ聖堂ではない。
バジリカ聖堂とは名誉称号のようなもので、ローマの歴史的な大教会を別として、特定の巡礼地や、メジャーな聖人に捧げられた教会で、教区を超えて多くの人が集まる場所に与えられる。
バジリカ聖堂ではないその比較的地味な教会で、2002年4月12日の午後4 時、病者の塗油のセレモニーが行われていた。
これはカトリック教会の秘跡のひとつで、第二ヴァティカン公会議以前には、終油の秘跡と呼ばれ、原則的には死に行く信者の魂をキリストにゆだねる一度だけの秘跡だった(回復した時には次の危篤の時にまた受けられる)。
今は、病気で苦しむ人が罪を赦され、力を得ることができるようにと祈るものとされて、何度でも受けられる。
ルルドのような場所では、毎日、そのためのミサがあって、病者が列を作っては次々と聖油を額に塗ってもらう光景が繰り広げられる。担架で運ばれている意識のない人もいるし、車椅子の人も多い。
あまりにも重篤そうな人が多いので、軽い病気の人や慢性病みたいな人は遠慮することになる。
毎年ルルドに来ているセルジュ・フランソワは、その病者の塗油の儀式を伴ったミサに出席していたわけだ。
だから、とりたててその時に「自分の治癒」を必死で祈願するという理由はなかった。(続く)