L'art de croire             竹下節子ブログ

BHLとリビア

リビアからアメリカが手を引き始めたので、フランスとイギリスとイタリアが、軍事専門家を送って「自由リビア」陣営に武器の使い方を教えたり作戦の立て方を指導したりすると言っている。今のままではカダフィの軍隊と太刀打ちできないからだ。

NATOは陸軍を出さないことでは一致しているので、こういう変則的な形になっているわけだ。

なんだか泥沼化している。

3/16にはBHL(哲学者ベルナール・アンリ・レヴィ)の呼びかけに答えてリビアへの介入に賛成していた哲学者のクロード・ランズマンが、4/18のル・モンド紙でBHLを批判したので、BHLも激しく反論し返している。

ミッシェル・オンフレイなどもBHLを非難していて、サルトル以来アンガージュマンがお家芸のフランス哲学者たちはみなぴりぴりしているところだ。

BHLは、2003年のイラクへの介入にも、当時のフランスでは珍しく、アメリカを支持している。

「哲学とは戦争である」と言いきっている戦闘的な人なので、一貫していると言えば言える。

今や、「アラビアのロレンス」ならぬ「リビアのBHL」と言われるくらいで、本気で現地に行って反乱軍といっしょに戦略を練っているのだ。

彼の言い分は、ボスニアやルワンダの内戦で何年もぐずぐずしていて多くの死者を出してしまった過ちを繰り返してはならない、人権と人命が踏みにじられている場所にはどこであろうとすぐに駆けつけなくてはならない、と言うことに尽きる。(まあ、北朝鮮やチベットには駆けつけないが)

そのBHLの考えと、大統領選を来年に控えて支持率が大幅に下がっているサルコジが一気に「正義の味方」のヒーローを演じようとした先走りとが、ぴったり合ったということなのだが、最大の問題は別のところにある。

つまり、リビアの反政府勢力を正式に認めて軍事支援もするというような国家的決断を、一哲学者と大統領が2人だけでやってしまったことで、外務大臣も防衛大臣もましてや国会も、すべて無視したことだ。
フランスが苦労して確立した民主主義のシステムやプロセスがまったく動員されなかったということである。

そして、彼らがそれに踏み切ったのは、たとえそういう暴挙に出ても、「血に飢えたカダフィ」という「悪魔」を目にしているフランスの一般人から非難されはしないだろうという「読み」があったからで、実際、非難はされなかった。

言い換えると、民主主義の手続きをすべて無視しても、大衆の支持があれば何でもできてしまうというポピュリズム路線の強化につながるわけである。

そしてそれは、「緊急」だから、「非常時」だから、許されるということになる。

本当に、それで、いいのだろうか。カダフィ自身、同じようなレトリックを使って独裁を正当化してきたのではないのか。

武器に対していったん武器での交戦を始めると、もう水面下の交渉や外交戦や情報戦やネゴシエートの余地が限りなく少なくなる。

「緊急時」に国のトップやら、知識人やらがどのように考えてどのように行動するのが最適なのか、それはすべて「結果」を待たないと判断できないものだろうか、歴史には学べないものだろうか、問題は単純ではない。

今は、日本が原発事故で「緊急」事態にあり、どんな指導者がどのタイミングでどのような手続きをとるのが最適行動なのかということが焦眉の問題となっている時期だから、ますます考えさせられる。
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by mariastella | 2011-04-24 08:11 | 雑感
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