L'art de croire             竹下節子ブログ

エヴァ・ジョリの憂鬱(追記あり)

エヴァ・ジョリって、名前がどこかのセレブ風だし、見た目は金髪に真赤な鼻眼鏡の独特なキャラだし、緑の党の公認として「大統領選」出馬が決まったことにけっこう違和感があった。弁護士としては有名だ。

で、最近公認候補になった時に、はじめてフランスとノルウェイの2重国籍だということや過去にミス・ノルウェイの3位に選ばれたことがあるなどを知った。

2重国籍自体はフランスでは珍しくないので、注意をひかれなかったのだが、スピーチで、「私の(フランス語の)なまりは、私がフランスを選んだという証しで、フランスの栄誉の徴しだ」という趣旨のことを言っていたので、この人にとってフランス語が母国語でなかったこと、日本風にいうバイリンガルではなかったことを知った。

そう思ってあらためてスピーチを聞くと、Zの音がSと澄むことが分かった。日本人にはどうということのない発音だが、ノルウェー人にとっては何十年たっても「なまる」音なのだろうか。でも、言われなければ、その人の単なる癖か、方言のなまりかと思っただろう。

日本人の「バイリンガル」観から言えば、母国語でない言葉を駆使して大統領選に出馬ということ自体が驚きかもしれない。

そのジョリ女史が、革命記念日のシャンゼリゼの軍隊行進の後で、「あれはかなりのエネルギー消費でエコロジー的には問題だから自分が大統領になったなら別の形に見直すかも」、という趣旨(追記1:消した部分は私の解釈だったのだが、その後「私は自分で自分を寿ぐ」とまで言い切ったフィヨンによると女史が軍隊更新を北朝鮮になぞらえたことで頭にきたらしい)、の発言をした。それに対して、フィヨン首相が、「彼女は2重国籍でフランス人になった年月が浅くて、フランスの価値や歴史や伝統への理解が今一つではないか」というような発言をしたものだから、大騒ぎになっている。

2重国籍者への差別は、つい最近サッカー選手要請に絡んでスキャンダルになったばかりだ。
フランスにはいわゆるマグレブ系の移民の二世三世がたくさんいて、フランスで生まれているので2重国籍を有している。ジダンもそうだ。で、そのような選手たちがフランスで苦労して育てても、先祖の国のナショナルチームに入ってしまうことがあるのはいかがなものかという議論が出てきて、それが差別だと言って物議をかもしたのである。

でも、フランスで生まれ育った2重国籍者と、中等教育まですべて他国で終えてからフランスにやって来た後に国籍を取得した者とは、いろんな点で違う。また、いわゆるフランス人と外国人が結婚して生まれた2重国籍の子供たちも違うだろう。

今のようなグローバル化した時代と違って、ジョリ女史が生まれ育った1940年から60年代初めは、国境や文化の差が今より大きかっただろう。

ジョリ女史は、「私は50年もフランスに住んでいるんですよ」と反撃した。

確かに「2重国籍者はフランス人として日が浅い」というフィヨン発言は突っ込まれても不思議ではない。ジョリ女史にはフランスに生まれ育った25歳のフランス人の2倍の年月のキャリアがあるのだ。

そればかりか、生まれてからずっと先祖代々の国で暮らしている人は自国の文化や伝統や価値観について特に意識しないことが多い。青年期以降に外国で暮らしてはじめて、カルチャーショックを体験して、自分の国の文化や伝統の輪郭を確認し、またそれとすり合わせることで、ホスト国の文化や伝統をはっきり意識して、うまく適応した人はハイブリッドに、「器」を大きくしていくものだ。

ではフィヨン首相のほんとに言いたかったのは何かというと、多分、5歳から11 歳くらいの、柔軟な時期にフランスの価値を「叩き込まれる」教育を受けているかどうか、ということなのだろう。

言い換えると、子供時代に過ごした国から人は「洗脳」あるいは「マインドコントロール」され得るという考えが透けて見える。

フランスの言い分はどことなく分かる。

アメリカの小学校の国家掲揚や国歌斉唱でアジア系移民の子供も涙を流すほど感激したり、可塑性の大きい子供たちに「愛国心」をたたきこもう政策はどこにでもある。
ヴァーサリズムにあるから、小中学校には全部「自由、平等、友愛」の標語が掲げられているし、市民教育の時間があって「フランス革命の価値観」などを叩きこまれることになっている。一種の教育社会主義が浸透しているのだ。

これは「愛国心」よりも標榜するユニヴァーサルな理念への忠誠を叩きこもうとしているわけだ。
フランスでは共和国主義は、一種の宗教だから、その洗礼を受けているかどうかと言いたいわけである。

これが軍部に行けば、入口を入ったところに、

「名誉、規律、愛国心」という三つの標語が掲げられている。

まあ軍隊ならば「自由、平等、友愛」の普遍主義だけでは無理なので当然だ。

ともかく、フランスでは、建前としては、人生の入り口で、「自由、平等、友愛」が掲げられるわけであり、その表看板が、下部構造の軍隊やら教会やらの上にあるという認識があるのだ。

フィヨン首相はだから、「共和国主義」を子供の時に叩きこまれてきたか、あるいは国籍取得のために学ばされたか、という2重国籍者ではなくて、単にフランス人との結婚によってフランス国籍を得たジョリ女史を皮肉っていたのだろう。(彼女はオペールとして働いていたホストファミリーの長男である医学生と結婚したのだ。)

女性差別もないとは言えない。

これを受けて、革命記念日の軍隊パレードを肯定する政治家たちも一斉にフィヨンを批判した。「フランス人を出身によってカテゴリー分けすることはフランスの理念に反する」というわけだ。

これは本当で、オバマ大統領がつい最近まで、本当にアメリカで生まれたのかどうかなどとしつこく追及されたアメリカなどとは対照的だ。

社会党の大統領選予備選挙に出馬している人たちは、政策的にはけっこう仲間割れしているくせに、声をそろえてフィヨンを批判した。

その中でマニュエル・ヴァルスが、「自分はスペイン人でフランスの議員の中で唯一、中途国籍取得者だ」と言ったのにも、注意を引かれた。この人は、ロワイヤル女史と同様、少なくとも「口にする言葉」のレベルでは、共感できる政治家だ。

調べてみると彼はバルセロナ生まれで、フランス育ち、カタルーニャ語、フランス語、スペイン語のトライリンガルだそうだ。17歳で社会党のミシェル・ロカールにいれあげた政治青年だったし、フランスの教育をずっと受けているので国籍取得も簡単だったろう。当然いわゆる「なまり」もないし、「カルチャーショック」もない。そういう意味ではサルコジだってハンガリーの移民二世だが「純フランス人」である。

いろんな意味で今回のフィヨンの発言は「舌禍」には違いないのだが、つい本音が出たと思われても仕方がない。

と言っても興味深いのは、彼がイギリス女性(ウェールズ人)と結婚していて、英仏2重国籍の子供を5 人もうけている事実だ。
 
イギリスとフランスでは政治哲学も歴史もかなり違う。でも距離的には近いから子供たちは昔から両国を行き来しているだろう。

そして、フィヨンは、フランスのリセで知り合ったウェールズ人の妻の「フランスの伝統や歴史や価値観」の理解度をどのように感じているのだう。

勘繰りたくなる。

ちなみに私は日本で小中高大学と国公立学校に通ったし、「君が代」だって習ったが、それで愛国心とかを特に感じたことはない。君が代は神楽歌が起源だとかいうが、日本の曲らしい「ファ」抜きのメロディラインなどになじんだことは、幼い頃からピアノやバレーなどで「西洋ロマン派風音楽」がデフォルトになっていた私には貴重だ。というか、音楽の教科書に出てきた「邦楽」や「民謡」系統の曲はすべて新鮮だったので、歌詞も含めてすべて今でも覚えている。

また日本での「西洋」理解はアングロサクソン系やアメリカ風が多かったので、フランスでの生活によっていろいろ修正したり、人種問題や人種感覚についても何度も振り子が左右に振れてきた。

まあ、自分の中の「非カテゴリー領域」をひたすら広く深く掘り下げておけば、後は、具体的な時と場所における特定の個人相手の関係性において、その時々の最善のアイデンティティが浮かび上がるようになる。

最善というのは、もっとも対等で友好的な関係が築けるとか、私よりも相対的に困難な状況にある人の力になれるとか、豊かな充実感が互いに得られて「次につながる」期待が生まれるとかいうことだ。

試行錯誤を経て大体そういう自在な感じになった。いや、他在というべきか。

文脈ぬきで「自分のアイデンティティ」はこれこれなどと言っている間はろくなことがない。ましてや国籍がどうのこうのというのは不毛だとつくづく思っている。

追記2: 18日の朝のラジオで、マグレブの両親を持つ移民2世でサルコジ政権の大臣にまでなったラシダ・ダチが感想を聞かれて、二重国籍云々の問題ではなくそれにはコメントしないと言い、革命記念日の軍隊の行進の重要性を説き、軍隊とは民主主義を守る構成要素だと強調していた。

パレードの前日にアフガニスタンの自爆テロでフランスの兵士の命が奪われていて、大統領もこのパレードは彼らに捧げる、などと言っていたデリケートな時期に、ジョリ女史が批判的なことを言ったわけで、こうなると「舌禍」はむしろ彼女の方なのかもしれない。

彼女の支持率からいって、実際に有力候補となる見込みはないから、ジョリは思っていることを言っただけなんだろうが、そしてフィヨンの反応が社会党候補らの格好の批判の的としてまた使われたことも事実だが、ラシダ・ダチが「軍隊は民主主義とセット」になっているとまで強調するのには激しく違和感がある。

何につけても「力の誇示」は、ある目的のために選択されるものだ。軍隊のパレードが、「民主主義」のシンボルというは、もちろん政治的言辞であって、「真実」ではない。

権力、軍事力、金力の誇示は、どこの国であろうと、個人的には好きではない。

しかし、アフガニスタンの犠牲とか、このタイミングでこのような比喩を出して、彼女の立場でこんな発言をしたのは、政治戦略として、賢明であったのかどうかは分からない。

でもそのおかげで図らずも「二重国籍」に対する差別が露呈したのは興味深いことだった。
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by mariastella | 2011-07-17 22:33 | フランス
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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