L'art de croire             竹下節子ブログ

le cochon de Gaza

"Le cochon de gaza" 『ガザのブタ』(シルヴァン・エスティバル)は、フランス映画だ。

主演のパレスティナの漁師役が『迷子の警察音楽隊』で味のある隊長を演ったサッソン・ガーベイということで、それだけで期待した。

「公務員系」の役から、貧しい漁師の役へ。

この役者はうまいし、人間的に魅力的だ。

その上私はどういうわけか個人的に、フィクションの中で、赤貧の中で身なりに構わず、精一杯頑張っているのに妻の糾弾的な視線におどおどしているような男というのが大好きだ。
ある意味すごく男らしい男だと思う。

ガザのひどい状況は、なんだか東北の被災地の写真を思いださせた。ボロ船でもそれだけが生活の糧を生む財産である漁師の矜持と、イスラエルによって4キロ以上沖に出ることができなくなって魚が釣れなくなったことによるパニックも、日本で被災地の漁師のドキュメントを見ていたのでよけいに共感できた。

漁師のジャファールは、日々の貧困、武器を持ったイスラエル兵士が常にいる日常、イスラムのイマムによる宗教的戒律の脅迫的説教という三重のストレスに常にさらされている上に、ベトナムの黒豚が網にかかってしまったことで、テロリストにも目をつけられてしまう。

豚が、ユダヤでもイスラエルでも「不浄」であることの禁忌の強さ、しかし、足に靴下を履かせれば「聖なる土地」を汚さないですむといったご都合主義、知らなければ豚の精液でも薬としてありたがって飲む兵士さえいるというばかばかしさ、不条理な笑いや、どたばた劇や、現在進行形の深刻な人間悲劇やらが一体となって、独特の印象をかもしだす。

しかも、豚が、かわいい。

寝顔など天使みたいだ。

始めて豚を見て、悪魔のように恐れたジャファールは、最初、「神さま、助けてください」というのだが、すぐに「神さま、ゆるしてください」に訂正する。

「不幸」が襲いかかった時に、神に救いを求めるか、それが神罰であると見なすかが紙一重の差だと分かっておもしろい。

神が「善」しかなさない存在であるならば、不幸の原因は人間の側の不信心にあるという見方だ。

ガザの状況では、もう何でも、「助けてください」という自然な「神頼み」が機能しなくなっていて、「お許しください」という方向に行くようにバイアスがかけられているのだなあ、と思えた。

テロリストのシーンはやくざ映画みたいだし、イスラエル軍の強圧は、ひとりひとりの兵士にも、植民者にも等しくかかっているというのもよく分かって、人情とエンタテインメントとの不思議なバランスが成功している。

ラストの脱出行は、今村昌平の『神々の深き欲望』のラストとか、聖書外伝での三人のマリアがパレスティナを追われて南仏海岸に漂着するという神話的シーンを彷彿とさせる。

漂着先で出会うのが赤十字のアジア人というのも「別世界」で楽しいし、その時オリーブの枝を掲げて「新天地」に残ることを嘆願するジャファールの姿はまるで大洪水の後でノアの元に戻った白鳩のようだ。

妻の持参金である金を売って借金を返すが、後で収入があるとちゃんとそれを買い戻したり、妻にドレスを買ってやって、最後にうちを追放される妻がそのドレスをトランクに詰めたり、子供のいないこの夫婦のカップルとしての絆の強さも垣間見えて心温まる。

東京国際映画祭で『ガザを飛ぶブタ』という邦題で上映されるそうだが、なぜ「ガザを飛ぶブタ」なんだろう。

私の好きな中島らもの『ガダラの豚』もあるのだから、『ガザのブタ』でもよかった気もするのだけれど。

そういえば、悪魔を祓ってブタの集団にのりうつらせてから崖から落として絶滅させるという「ガダラのブタ」のエピソードも、ブタが不浄とされるパレスティナの悲劇ではある。

私は「汚い」動物は嫌いだけれど、あるカテゴリーの動物を「不浄」としてそれを社会的な同調圧力に対しては絶対に抵抗したいので、「ガダラ」の豚の運命ももちろん不当だと思っている。

「ガザ」の豚の方は、夢幻の世界みたいなところにみんなと行けて、ほっとした。
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by mariastella | 2011-10-02 05:02 | 映画
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