生徒がこういう動画のリンクを送ってくれた。
http://www.youtube.com/watch?v=toXNVbvFXyk&feature=youtube_gdata_player
自動音楽機械の好きな私のツボにはまる有機的な動きだ。
音楽性というのは、音と音の間、ひとつの音が消える時に次の音がどう満ちてくるかという部分にあると思うので、「音楽性」という意味ではこういう機械にはあまり意味がない。
手回しオルガンなどは手回しの加減でそれを表現することができるのだけれど、その呼吸を調節できないタイプの機械では不可能だ。
でも、この機械の動きは、不思議で、魅力的だ。
倒錯的なところはない。
以前、別の知り合いが、中国の子供たちのギター演奏のビデオのリンクを送ってくれたことがあった。小学校低学年くらいの子供たちが舞台にずらりと並んで、大人サイズのギターをかかえて、一糸乱れることなく完璧な合奏を、統制された身振りをまじえて聴かせるものだった。
この知り合いは、明らかに勘違いをしているのだ。ヴァイオリンの鈴木メソードなどの連想から、もちろん日本と中国の違いも分からないフランス人だから、日本人ってやっぱりすごいよねえというノリで、悪気なくリンクしてきたのだ。
ぞっとする映像だった。
中国の体操競技で、すごく若い少女たちの演技なんかを見てもすごく嫌な感じがするのだけど、あれはまあ、技術の完成度が問題になっているのだから分かるとしても、音楽演奏はアートの領域だから、こんなに非人間的な光景を見せられると胸が悪くなる。
機械がえらくなまなましい人間的な動きをする動画の方は、その対極で、なんとなくわくわくさせられる。
こんな機械を手元においてその動きをながめていたい感じだ。
それとはまったく別に、実際のピアニストの演奏をデジタル録音したものをプログラムして電子ピアノに自動演奏させるものがある。そして、それをベースにして、別の人が、自分の感性によってデジタル上でカスタマイズして、「自分の理想の演奏」というのを創り上げてからピアノに自動演奏させるのを聴いたことがある。
その人はその音をウェブに乗せて、その「演奏」を評価され、ある機関から「ピアニスト」と認定された。自分の指を使って弾くわけではないが、デジタル化してウェブに乗せる限りでは、そのような区別には意味がなくなるのではないかと判断されたそうだ。
私はその人の自宅の音楽室で、彼のピアノが「彼の演奏」をするのを聴いたが、そこにはもちろん「生きた指」の重みや弾力は介在しないのだ。目の前にあるのはデジタル自動演奏ができるグランドピアノだ。キイが勝手に動いている。
中国の子供たちの不自然で非人間的で完璧なパフォーマンスのような倒錯と違って、別の種類の乾いた倒錯がそこにはあった。
ここに紹介した動画の自動楽器では、増殖したような奇妙な複合弦楽器の弦を押さえたりはじいたりする機械の指が超アナログにせわしなく動き回る。ほほえましい。