L'art de croire             竹下節子ブログ

ヴァイオリンと老人

メトロの9番線で、ミロメニルからラ・ミュエットに向かう途中のこと。

平日の午後などでそう混んではいない。

私のそばで誰かがヴァイオリンを弾き始めた。

珍しいことではないので初めは聞き流していた。

スピーカーで伴奏を流してそれに合わせてコンチェルトを弾く人などもたまにいて、そういうのはむしろうるさくて読書の邪魔だ。

メトロ構内の廊下にはいつも決まったクラシック曲を手堅く弾く常連もいて、そういうのは快い。

でも、どれもみな、たいていは、時と場合に見合った「想定内」のパフォーマンスなのであまり注意しない。

たまに素晴らしい演奏があって、そういう時はじっくり聞くというより観察する。

どんな人がどういう目的でどういう経緯でここにいるのかなあ、と思って。
よほどのことがないと小銭を入れることはない。

ところが先日のメトロの中では、ふと顔を上げると、よれよれの感じでかろうじて立って弾いているのは明らかな高齢者だった。

少ない白髪、リュック、何よりも、歯がほとんどない半開きの口が老齢の悲哀を強調する。

この人がしゃべったら、多分、発音が明瞭ではないだろう。

メトロの中の「物乞い」の中には、立て板に水のごとく流暢に朗々と窮状を訴える者や、たまには、「刑務所から出てきたばかりだ」と言って脅迫に近い言辞を恫喝的に弄する者もいる。

でも、この老人には、言葉がなく、音楽しか、ない。。

私は楽器を見た。ニスはすっかり剥げている。弓もずっと張り替えていない感じだし、弦ものびきっているようだ。この弦が切れたらどうするんだろう。ヴァイオリンの弦というのはギター弦よりも10倍くらい高価だ。それが心配だ。

演奏は…楽器の状態から想像できる程度のものでしかないが、少なくとも、彼が何十年と暗譜で弾いてきたなじんだ曲で、そのなじみ方すら哀れな感じだ。

私は財布を探った。2ユーロ(200円くらい)を取り出す。食事代にしてもらうには一人最低2ユーロ位は出さないと…。

ところが、次の駅についてもおじいさんは演奏をやめない。

普通はそこで手を出して、お金を受け取ってから移動してワゴンを変えるはずなのに。

きっかけを失った。私はその次の駅で降りなければならない。

どうしようかと思っていたら、駅についた時、やはりそこで降りる女性が2人、老人の前にコインを差し出したので、老人は弓を楽器から離して受けとった。

私も続けてコインを出した。すると、前の2人も、全く同じように、2ユーロのコインを出していたのが分かった。

私は老人を見て、彼の楽器を見、音楽を聴いて、いろいろ考えをめぐらせていたわけだが、実は、一人ではなかったのだ。

同じ時に同じことを考えて、同じことをした人がいたのだ。

彼女らと私にはそれ以外の何の共通点もないだろうに。

嬉しかった。
[PR]
by mariastella | 2012-06-03 00:59 | 雑感
<< ラモ-とクープラン イ長調で文句を垂れる猫 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧