リジューの聖テレーズは近代カトリック最大の聖女で「教会博士」の称号さえ獲得した人だ。
同じカルメル会で同じ名のアビラの聖テレジアも同じく教会博士でビッグネームだが、彼女は67歳まで生きて、かなり華やかな活動をしている。
24歳で死んだテレーズの方は、生前は修道院内でしか知られていなかった。
私は19世紀末のフランスの時代背景とからめてテレーズについて書いたことがある(『聖女論』筑摩書房)。
彼女の時代や家庭環境などから彼女の心理だとか動機などはよく分かる気がした。「かわいい」という感じもする。彼女のような「聖女」が時代のニーズと合致して、いろいろな意味での「奇跡」を起こしたことも分かる。
それでも、私には、どこか、彼女に夢中になれないところがあった。
濃密な情感がみなぎる16世紀スペインで生きた常軌を逸したような過剰な神秘家テレジアにはわくわくと魅惑されても、反教権主義の高まりとその反動のセンチメンタルな「女子供」のカトリックの香りが強い19世紀末のノルマンディの女の子テレーズにはどこか冷やかな目線で向かってしまうのだ。
テレーズはもちろん「ただ者ではない」一種の天才なのだけれど、その「小さき者の神学」も含めて、私を芯からインスパイアするものではなかった。なんだか、大人たちからよってたかって過剰解釈されているような気もしていた。
ところが、最近しばらくぶりにリジューについて調べていると、そのデジタル・アーカイヴの充実ぶりに感動した。
時代が比較的新しいこと、活動の時期と場所が非常に限定されていること、家族に複数の修道女がいることなど、その気になれば、彼女と彼女にまつわるすべての「言葉」を網羅することができて、実際、それがほぼ実現されているのだ。
彼女の書いたものや解説書はすでに結構な量を読んでいたけれど、アーカイヴのサイトを見ると、圧倒される。
http://www.archives-carmel-lisieux.fr/carmel/
ここにきっと、私が見落としていた何か、テレーズの魅力の決定的な発信源が隠れている予感がする。
テレーズは私にとって「知的」にはもう納得できた人物だったし、人間的にも共感できるパーソナリティだったが、その信仰の位相は実は異邦人だった。
このサイトを細かく読み上げていったら何が見えてくるのか楽しみだ。