L'art de croire             竹下節子ブログ

プラハで考えたこと その1

今の時代、どこかに行こうと思ってインタネットを検索したら、写真満載の個人のブログがたくさん出てくる。中にはその地で暮らしている日本人やフランス人による詳細な情報もあって、もう、わざわざ旅行しなくても行った気分になってモチヴェーションが下がるほどだ。ユイスマンスの『さかしま』のデゼッサント状態である。ヴァーチャルでおなかいっぱい。

私が最初にヨーロッパに来てよく旅していた頃が、デジタルカメラだのブログだのの時代でなくてよかった。

ひょっとして今の若い人のように詳細な旅行記や写真をせっせとアップして情報を垂れ流して、他の人の役には立っても自分で深めるチャンスを失っていたかもしれない。

で、一応行ってきたプラハ。

公立中学の音楽教師をしている親友が、生徒を連れて音楽旅行を企画しているそうで、下見をしてくれと言った。いたるところでコンサートがあるし、モルダウ河岸のスメタナ博物館、ドヴルザーク博物館、モーツァルト博物館、楽器博物館と豊富だ。ほとんど全部歩いて行ける。日本からは直行便がないがパリからは手軽で人気の場所なので、ガイドブックも豊富だ。

で、情報の追認になるのかなあ、と漠然と思っていたら、

「現場に行って初めて腑に落ちた」

というようなことがいくつかあった。

これまで漠然と思っていたことが実感できたり、新鮮な発見があったりした。

その一部を紹介していこう。

まず、エリカお勧めの旧ユダヤ人墓地に行った時のこと。

ユダヤ人街にある、ヨーロッパ最古と言われるシナゴーグを訪問した。

その入り口で、連れの2人の男は、使い捨てのキッパ―を渡されてその着用をうながされた。

「それって義務ですか ?」と私が思わず質問すると、

「いやいや、男だけね、あなたはOK」と、勘違いされた答えが返ってきた。

パリでユダヤ博物館には行ったことがあるし、身近な仲間にも、ユダヤ人はたくさんいる。
プラハに行った前日にうちでやったパーティでは、毎週シナゴーグに通っている熱心な小学校教師も来ていた。私は彼女が高校生のころから知っていていっしょに旅行したこともある。彼女はイスラエルでも数年教師をしていた。今はやはりユダヤ人と結婚して一児の母でもある。
私のピアノの生徒にも熱心なユダヤ教家庭の子供がいた。

けれどもフランスではユダヤ人とムスリムが緊張関係にあるから、一目見て外人である私はフランスのシナゴーグやモスクには入ったことがない。

モスクの方は、三度ばかりも中に入ったのは、井の頭通りにある東京ジャーミーだけだ。

で、あそこでは、入る時に、女性はスカーフを渡されて頭をおおうことになっている。

私はサウジアラビアでも外出時に規定の黒いヴェールをつけていたから、東京ジャーミーのカラフルなスカーフ(自分で柄を選べる)に抵抗はなかった。
パリの南郊外のチベット仏教センターでフランス人もみな靴を脱がされることと同列に感じていた。

モスクでスカーフやら、サウジアラビアで総黒服やらというのは、エキゾテッィクだし、ほとんどコスプレのイメージだった。

もちろん、フランスでの公共の場におけるイスラム・スカーフと政教分離の問題や女性差別のテーマにはずっと関心があったのだが、特定のグループの人にとっての「聖域」にこちらから望んで入って行く場合に、そこの規定をリスペクトするのは当然だと思っていたのだ。

ところが …

このプラハのシナゴーグの入り口で、ユダヤ人ではない普通の「観光客」である私の連れの2人の男がキッパ―の着用を命じられて、頭にのせたのを見たとき…

私は、それが男だけに課せられているのを見て、痛快だと思ったのだ。

私は自由、私は私のまま。

男たちは、自分たちの習慣だの宗教などと関係なくドレスコードを課せられている。

ちょっと、いい気味。

この時、私は、モスクだのサウジアラビアだので、女性だけがコスプレさせられているのを当然のように見続けている男たちの心象風景が「実感」できたのだ。

イスラムのドレスコードの男女差別について異議を唱える男性の人権活動家は少なくないし、真摯だとも思う。
だけど、実際に、それに従わねばならないようなシーンに出会ったか出会わないかでは、心の奥にあるアンテナの感受性が変わってくる。

また、私のように、それが逆転した時の「痛快さ」を感じて、はじめて、それが女性だけに課せられている時の不自然さを実感する場合もあるのだ。

ちなみに、東京ジャーミーに入るのは無料だが、プラハのヨーロッパ最古のシナゴーグに入るのは有料である。有料なら、チケットを買う前にドレスコードに合意するかどうかを確認してもいいはずだ。

もっとも、女性のみに課せられるドレスコードは「差別」の含意があるから拒否されたり批判されたりする可能性があるが、男性のみに課せられるドレスコードは「特権」だくらいの合意が社会にあってスルーされるのかもしれない。そこのところは微妙だ。

よく考えるとポーランドやハンガリーなどのユダヤ地区の観光でも同じことが起こるし、無神論者を自負するフランス人などがキッパー着用を拒否して入場をやめてしまうという話もあるのだが、実際に体験すると、感慨を覚える。
教会や寺院で、男でも女でも、短パンやノースリーブ、タンクトップはダメ、腕や足を見せるなという場所はそれなりに納得できるが、性別によって変わるというところに、より深い考察をうながされる。

そこから遠くないところにスペイン・シナゴーグというのがあって、そこは、完全に博物館化しているせいか、オルガン・コンサートなどが日常的にあるせいか、キッパ―は渡されなかった。もちろんユダヤ人旅行者や団体も多く、被っている人もたくさんいた。そのシナゴーグの絢爛さは、なんか、もう、どの宗教も、天国的な演出をするのは同じだなあ、と思わせる。ユダヤ人迫害の資料もたっぷり見せられて、それは墓地でも同じだったが、非ユダヤ人はすべて罪悪感に囚われる。

今「ユダ論」にかかっているのだが、ユダ、ユダヤ人、裏切り者などというこじつけのロジックで、一民族をまるごとスケープゴートにしようという壮大ないじめの構造がヨーロッパのキリスト教社会を長い間ささえていた事実にはあらためて震撼させられる。近親憎悪のようなものが働いているというより、もっとプリミティヴな「都合のいい弱い者いじめ」に「普通の人」がどんどん巻き込まれていくのである。

墓石が朽ちて倒れかかって重なっている旧ユダヤ人墓地も、独特の迫力を持っている。

ユダヤ教は火葬でない土葬なのに、一体どうやってこんなに狭い場所に15 世紀から18 世紀にかけての12000基の石板が折り重なって立てられ8万人が埋められたのだろう。明らかにバロック様式の墓碑もある。ゴーレム伝説も違和感がない。

墓地に降りるまでに通るシナゴーグの壁には、第二次大戦中にナチスの犠牲になったボヘミアとモラヴィアのやはり約8万人(77297人)のユダヤ人の名と死亡場所と年月日がびっしりと書き込まれている。共産党政権の時代はやはり反ユダヤ主義があったので、1968年のプラハの春以来閉鎖されて名前が消えたのを、89 年にまた書きなおしたということで、新しく明るいのだが、その執念が感じられてたじたじとなる。

で、ユダヤ人墓地を出たら、典型的な東ヨーロッパのアシュケナージというかイディッシュ風の黒服、黒帽子に白い髭のラビが笑みをたたえて私たちに英語で話しかけてきた。

「Have a good day」というのはフランス語でなんというのかと質問するのだ。

広報担当なので、フランス人にも話すので、別れ際にフランス語でそう言いたいらしい。

「Bonne journée」だと教えてから、いろいろ話をした。

あの墓地のあんなせまいところにどうやって埋葬したのかと聞くと、

「私たちはここ以外の場所に埋葬する権利がなかったので、死者が出る度に前の場所を掘り返して、一段深くしていったんです。そうやって12層にまでしたけれど、いちいち掘り返しては前の遺体を移動させたんです。」

と、すごく悲しそうな顔をした。

私は、英語が思いつかなかったので、この場所はとにかく「impressionnant(圧倒する)」だとフランス語で言った。

彼は「まったくだ、too strong, too strong」だと暗い顔で繰り返した。

で、再びにこやかに、覚えたばかりの「Bonne journée」という挨拶と共にラビが私の連れの2人の男に握手したので、私も手を出すと…

「私は女性の手に触れられないんです。ごめんなさい」

と言われた。

これにも、一瞬動揺した。

ユダヤのラビは原則妻帯者のみだ。

独身が課せられるカトリックの神父やチベット仏教の僧侶なんかよりもリベラルなイメージだし、私は親しいカトリックの神父とも家族同様のチベットのラマとも普通にハグしている。

そうか、ラビって女性と握手できなかったんだっけ ?

ハリイ・ケメルマンの『土曜日ラビは空腹だった』などのシーンを思い浮かべてみる。
ギターつながりのあるJoann Sfarが描いているマンガ『ラビの猫』(映画化もされた)のシーンも。

いや、インタネットにあるイスラエルのラビへの質疑応答コーナーをのぞけばいい。

すると、年齢に関わらずすべての女性(妻や肉親以外)と握手してはダメとあった。

Ovadia Yossefがイスラエル賞を受賞した時、当時の首相ゴルダ・メイア女史が握手のため手を差し伸べたのを握らなかったので失礼だと言う人がいて、彼は「礼儀や名誉よりもトーラ―の方が重要だ」と答えたそうだ。

同様にGaon Harav Mordehaï Eliyahou が英国女王に謁見した時、女王が手を差し伸べたのに彼は、イギリスの兵士のように「気をつけ」の姿勢をとっただけで握手はしなかった。世界中のジャーナリストたちがそれを見ていた。
その夜、彼は王宮の儀礼責任者からの謝罪の手紙を受け取った。英国女王の外交儀礼のマニュアル書を確認したところ、「英国女王はラビに握手をしてはならない」との一項があったというのだ。

で、

「Ovadia師、Mordehaï Eliyahou師、英国女王の先例を踏襲して、女性との握手をしないように。自分の手は妻だけにとっておく、と言ってもいいし、自分のラビから禁じられたと言ってもいい」というのが、アドヴァイスの結論だった。

ふむふむ…

一度プラハのユダヤ人地区を観光しただけで、二度も、性別による扱いの差を経験した、という話である。
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by mariastella | 2012-07-03 00:58 | 宗教
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