L'art de croire             竹下節子ブログ

プラハで考えたこと その2

プラハの建築物の多様さと美しさについてはある程度想像していたので、驚きはなかった。

モーツアルトがそこで作曲して弾いたというオルガンのコンサートを聖フランチェスコ教会で聴いたのはそれなりの感慨があったが、お約束通り有名なマリオネットのショー(ドン・ジョバンニはやめておけとエリカに言われていたのでファウストにした)を観に行ったのも、ボヘミアングラスや木のおもちゃのショッピングも、楽しかったが驚きはなかった。

驚いた、というより、知ってはいたのだが、すごく強烈でインパクトがあったのは、ロレッタ教会の聖女スタロスタの磔刑像だ。

一瞬、何とも言えない倒錯感にくらくらした。
今まで私の知っていたのはフランスのものでこういうの

とか、こういうの

と、まあ、知らない人が見たらどれもびっくりするかもしれないが、これまでに見たのは彩色像だったのが、ロレッタ教会のは美しい服をまとっていたからだ。

聖母像に毎年、金糸銀糸の刺繍付きの豪華な服を着せかえるという教会は少なくない。特にアンダルシアなどはそうだ。イエス像は、聖母子像の子どもの姿なら服を着せられるものもあるが、成人したイエスで豪華な服というケースは見たことがない。

特に西方教会では栄光の復活のキリスト像よりも磔刑像がメインになってきたので、裸か腰布を巻いているかという具合だから、「立派な服」とは縁がない。

だから、立派な服を着た磔刑像、というのにそもそも愕然とするのだ。

しかも、女性の服。

というか、聖女スタロスタ。

しかも、ひげ面。

ほぼ、際物である。

この聖女の伝説は、あまりにも信憑性がなくて、そのルーツもわからず、今は殉教者リストからはずされているほどだ。民間伝承もいいとこである。

名前も、このスタロスタの他に「強い乙女」(virgo fortis)に由来するWilgeforte とか Livrade とかLiberate とかAcombe とかばらつきがある。

伝説は14世紀頃にできたのが16世紀の殉教者伝によって広まった。オランダが発生地だという説もある。

11世紀のシチリアのプリンセスが、処女の誓いをたてていたのにポルトガル王と結婚させられそうになった、ポルトガル王(あるいはスペイン王)の娘が異教徒と結婚させられそうになった、ある娘が兵士たちに襲われそうになった、など色々なバージョンがあるのだが、共通点は、そこで娘が、自分を醜くしてください、と神に祈り、それがかなえられて髭が生えたので、ぎょっとした男が逃げて行ったという話だ。さらに、怒った父親の手で十字架にかけられた、魔女とされて十字架にかけられた、などという結末がある。

殉教者には十字架につけられた者もいるが、処女殉教者ではこの人がただ一人だという説もある。十字架に縛られたのでなく釘打たれたのが一人だけなのだろうか。まあ、もっと倒錯的で嗜虐的な殺され方をした殉教者もたくさんいるが。

また、この伝説のルーツについては、裸の磔刑像しか見たことのないローマ・カトリックの人間が、立派な服を着せられている東方教会の髭のキリスト像を見て、理解できずに、ひげの聖女物語を創作したのだという説まで存在する。

基本線は、男に性の対象と見られるのを拒否するために髭を生やしたというところで、聖女スタロスタは「不幸な妻の守護聖女」にもなっている。

「のぞまない結婚をおしつけられた妻」ということなら、「髭を生やして離縁される」のが解決というのもなんだかなあ、などと思うが、ともかく、この髭の聖女のエピソードは、どんな宗教にもよくある奇想天外な不思議譚のひとつであるとはいえ独特のインパクトがある。

冠、リボン、三つ編み、ほお髭、あごひげ、レース、刺繍、フリルの服、磔、釘打たれて流れる血、
などの小道具に違和感があり過ぎることと、何よりも、やはり、キリストの磔刑像に似すぎていて、

「女性殉教者に髭が生えた」

というより

「キリスト磔刑像に女の服を着せた」

と見えてしまうためである。

ネットを検索すると、ひげ女のサイトがあって、この聖女もしっかり出ていたし、この伝説をもとにした、裸で髭面の磔刑像というエロテッィクな絵も紹介されていて、こうなるとアンドロギュノスとか両性具有の妄想である。

ここにいろいろな画像

で、この中のひげ女サイト


というわけで、プラハの濃いボヘミアン・バロックを堪能しながらも、変なところで衝撃を受けたロレッタ教会だった。

あ、この聖地はすばらしくて、いくらでも書くことがあるのだが(私はパリのノートルダム・ド・ロレット教会も大好きだ)、それこそいろいろな案内書があると思うのでここでは、不思議な聖女の話だけ取り上げてみた。

まあ、こんな奇抜なものを祀っていたりしたら、プロテスタントから偶像崇拝だの迷信だの言われたのも分かるし、ユダヤやイスラムなど他の一神教のすっきり感を尊敬したくなる。

もちろんいろんな異形の神々やらで満艦飾のヒンズー寺院なんかを思い浮かべて比較すればロレッタ教会もひげの聖女もどうってことはないのだから、宗教におけるファンタジーのさじ加減というのは微妙だなあとつくづく思う。
[PR]
by mariastella | 2012-07-04 02:07 | 宗教
<< ノストラダムスの大予言 プラハで考えたこと その1 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧