L'art de croire             竹下節子ブログ

プロメテウス

リドリー・スコットのSF3D映画『プロメテウス』をつき合いで観に行った。

『エイリアン』が怖かった記憶があるので、もう残りの人生でホラーやヴァイオレンス映画をできるだけみないと決めた私は気がすすまなかったのだけれど、地球外で起こるホラーは今やあまり怖くないことが分かった。日常的な舞台で起こるホラーの方がトラウマになる。

で、印象に残ったのはふたつだけで、まず、人間が自らの創造者をさがすわけだが、人が「親を殺す欲望」なんていう言葉が出てくるところ。フロイトなんかの父殺しをイメージしているのだろうが、何かとてもリアルに響いてぎょっとした。

もう一つは、ヒロインが十字架のペンダントを首にかけていて、一度外すのだがまた首にかけて、アンドロイドから「こんな試練の後でもまだ信じているのか」みたいなことばをかけられるところ。

アメリカらしいというか、要するに、自分たちを創造した存在(ここではクリエーターという言葉を避けてエンジニアと通称されているのだが)を探す旅に出るということ自体が、創造神を頂く一神教文化圏の逆説的な希求になっている。

もちろん、そのクリエーターに会って老衰をストップしてもらいたいという人類普遍の「不老不死」の願いにとらわれている老人も出てくるのだけれど、それだって、ふつうなら「若返りの薬」とか「不老長寿の術」などを探求するパターンだろう。

人間を死すべき存在に創った「製造元」のクリエーターに出会ったからといって「死なないようにしてもらう」なんて、発想がやはり、DNAをばらまいて似姿を残してくれた異星人を「全能の神」の代替として想定しているようなものだ。

結局、生き残るのは、十字架をにぎりしめた考古学者だけで、その彼女も結局地球に戻るよりも、人間のルーツのクリエーターの住むところに行きたいというのだから、ほんとうに神と宇宙人って、紙一重だ。

宇宙人は無神論者の神さまで、宇宙開発は無神論を喰らって進んだのかもしれない。で、「親を殺す欲望」というのも、じつは「神を殺す欲望」と連動しているのかもしれない。

十字架でもにぎりしめないと、「宇宙にクリエーター」を探すのは神への冒涜感があって、そこで出会う困難には「神罰」感がともなうんだろう。

で、唯一のカタルシスは、地球人を全滅させようとしている(旧約聖書で大洪水を起こした神みたいな)人間の生みの親である宇宙人の飛行船に、カミカゼみたいに体当たりでぶつかって阻止したヒロイックな自己犠牲のクルーたちの話になる。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15-13)」

というイエスの教えにいきつくわけだ。

彼らはきっと天国へ行くだろう。一方で、彼らを見捨てたリーダーの方は墜落した飛行船の下敷きになってあえなく死ぬ、とちゃんと「天罰」がくだっている。

アメリカのモラル的に「公正」な話にできあがっているなあ。
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by mariastella | 2012-07-06 01:36 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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