L'art de croire             竹下節子ブログ

Adieu Berthe ou l'enterrement de mémé


Bruno Podalydès の新作『さよならベルト、または、おばあちゃんの埋葬』というコメディを観た。といっても、結局火葬にして灰を池に撒いたのだから、厳密には埋葬とは言えない。

墓地に立ってギターの弾き語りで埋葬を演出していたある葬儀屋が、別の客に呼ばれて去る時に、「Bonne éternité ! (よい永遠を !)とあいさつするのがおかしかった。確かに、あの世での永遠の滞在が不具合だったら大変だ。

主演が、監督の弟である演技派Denis Podalydès(サルコジ役の秀逸さが印象的だったコメディ・フランセ―ズ系の俳優)と、これも演技派で絶対おもしろいValérie Lemercierで、認知症の父親に代わって突然祖母の葬儀を采配しなくてはならなくなった薬剤師の悲喜劇なのだから、大いに笑ってしんみりと人生について考えさせられもする良作…

であるはずなのだが、へんに日常的でリアルである分、かえって世代の微妙な差とかが邪魔をして、感情移入できなかった。

認知症の父親の方がむしろ私の世代に近くて、40代半ばの夫婦と夫の愛人が携帯メールでやり取りするシーンは、僅差で私たちの感覚とずれている。

その40代の男女が愛憎の危機を迎えていて、悶々としたり爆発したりする様子も、ゲームに夢中になって父親に返事もしない高校3年らしい息子との関係も、知り合いのあれこれを思い出させてリアルだが、自分とはかけ離れている。

ある映画に感情移入できるかどうかなどはもとより登場人物の設定とリアルの自分が似ているかどうかなどとは関係ない。
それなのに、この映画は明らかに、フランスの今時の家族の等身大の悩みを切り取ってみせているだけに、わずかのずれがむしろ違和感をもたらす方向に働いた。
すごくうまくできているのに。

登場人物たちの心理模様はおそらく多くの人が共通して経験していることで、自分でも直視しない部分を突きつけられて笑いとばされていることが、カタルシスにもなり深刻にもなり得るのだろうが、私は憐憫の気持しか湧かなかった。

昔、「しあわせな人間にはアートは分からない、というか分かる必要がない」と島田謹二さんが言っていたが、その時と同じような居心地の悪さがある。

たかが映画で居心地が悪くなるというのはそれはそれで影響絶大だとも言えるが…
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by mariastella | 2012-07-08 08:06 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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