L'art de croire             竹下節子ブログ

Cima da Conegliano

行ってきた。

リュクサンブール美術館でやっている今週末で終わりのチーマ・ダ・コネリアーノ展だ。

その帰りにはRue Ferouを抜けてサン・シュルピス広場に出る。

この狭い通りの左側、昔は修道会で今は財務省の役所になっている建物の壁が延々と続くのだが、ここに6月14日から、のランボーの『酔いどれ船』の詩がぎっしりとペイントされている。

1871年、17歳のランボーはサン・シュルピス広場のカフェで初めてこの詩を読み上げたのだという。
その時には、この通りへと風が吹いていたに違いない、と、壁に書いてあった。
なかなかしゃれた試みだ。

私は5月の末にもこの広場にきて、1833年4月に若きフレデリック・オザナムが友人らとSociété de St Vincent de Paulを立ち上げた場所を訪れた。

この広場は若者に聖霊が降るところなんだろうか。

そういえば、そのランボーの17歳の有名な写真の表情は、チーマ・ダ・コネリアーノの有名な聖セバスチャンの絵の表情と似ている。


実は、このセバスチャンの視線に代表されるチーマの描く聖なる人物たちの「目つき」は、私をずっと離
れないものだ。

もとはといえば、チーマより少し前のメロッツォ・ダ・フォルリの有名な奏楽の天使というフレスコ画の中でリュートを弾く一人の天使の目つきが、ながいこと私から離れなかった。



この天使のポスターを20年くらいうちの音楽室に貼ってあったのだが、猫に破られて捨ててしまった。それからボヘミアバロックの天使の像のポスター(これは額でプロテクトした)に替えてからもうずいぶんになるのだが、メロッツォの天使の目はずっと私を見ていた。

正確にいえば、メロッツォの天使もチーマのセバスチャンも、多分「あっちの世界」を見ているので、私と目が合うのではないのだけれど、私には彼らの視線の向こうのものが射るように突きささっててくるような感じがするのだ。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと目を合わせてもそんな感じはしない。

チーマの絵では、裸の赤ん坊のイエスの目つきですら私を共振させる。

とくにこれ

 
なんでだろう。

チーマの聖母子像はたくさんあって、中には薄青のシャツの上から腹巻をした幼子イエスもあってかわいい。マリアのヴェールの下、頭に直接触れている布は、刺繍のしてあるものとか透けているものなどいろいろなヴァリアントがあって、透けているものはイエスの聖骸布を暗示しているという説もある。

そんな母子を、成人した洗礼者ヨハネだの天使だの、使徒や殉教者や後の司教など、いろんな人が取り囲む構図の「聖なる会話」といわれるテーマは、キリスト教世界における聖人のコミュニオンというものがいかに時代も場所も時系列もみなシャッフルしていつも「そこに生きている」ものだったというのがよく分かる。

しかもその中心人物であるイエスが赤ちゃんの姿でもOKというのが楽しい。

近くで見ると、とにかく絵が上手な人だ。

でも、チーマの絵は、繰り返されるその視線のせいで、いつも窓の外を見せられている気になるから、オブジェとしての絵のディティールとはまったく別のものと出会える。音楽と似ているかもしれない。風通しがいい。

サン・シュルピス広場の角で久しぶりにProcure書店にいった。

ここは誘惑が多いのでずっと避けていて、近頃は読みたい本は近所の本屋に取り寄せてもらったり通販で買っていたのだが、ここのキリスト教関係のコーナーに行くと、あらためて幸せな気分になった。面白い本が多すぎて、どれだけ読めるだろうという気持ちと、どれだけ紹介できるだろうという気持ちがわく。

人ごみの中にいても、私はあまり他の人の情報をキャッチしない。無意識にバリアをはりめぐらせているからだろう。でも、墓地に行くと、生きて死んで埋葬されている人々の渦巻く思いみたいなのがぎっしりみっちり濃密に感じられる。Procureの宗教書のコーナーに行くと、それに似た感じがする。聖人や神秘家の著作も多いせいか、やはり並々ならぬ思い入れがびっしりと重なってはりついているのだ。

興味深い本を8冊ほど買った。一応夏休みなので心ゆくまで読める。

追記) リンク先が開かないという指摘をいただいたので、教えていただいたものに変えます。私は基本的にフランス語の検索サイトで画像としてピックアップするんですが、コピペするとうまくいかないようです。すみません。画像のはりつけもいつもうまくいかないので、みなさん適当に検索してください。

で、画像の「目つき」を見ても情感が伝わらない、分からん、というご意見もあったのですが、私は、これに関しては、別に美術批評を言ってるのではなくて、なんだか分からないけれど、この目つきが私に何かを見せるような気になる体質というか、前世の因縁(!)というか、があるようです。はっきりいって、私はチーマの絵がすごく好きだとか、お気に入りの画家だとかいうのですらないんです。ただ、彼らの見ている何かに吸い込まれそうになるのです。

この展覧会では茨の冠をかぶったイエスの顔もあり、そのイエスもすごい視線なんですが、そして目がストレスで充血して血の涙まで流している壮絶なものなのですけれど、その目つきの方には私は反応しないんです。絵としてはすごいなあと思うんですが。このイエスが見てるのは多分、人間なんでしょう。

ああ、この画像もリンクしておきたい。


どうでしょうか。
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by mariastella | 2012-07-10 01:53 | アート
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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