L'art de croire             竹下節子ブログ

未成年の自殺報道について

大津いじめ自殺事件についていろんな方から意見を聞かれたのでひとこと。

自殺防止のためには報道を規制すべきだということは、国連のWHOからのガイドライン
でも強調されていることだが、その中で、

「個人的な問題に対処する方法として自殺を描き出さない。」というのがある。

自殺が「問題対処の方法」の選択肢の一つであり得たかのようにまず描いておいて、それからその選択肢を選ばせない方法をあれこれ議論するのはどこか間違っている、と私も思う。

日本語では「自裁」、「自決」という言葉もあり、「自殺」というのも『春秋左氏伝』などに出てくる古い漢語らしい。私はなんとなく、Suicideの翻訳語だと思っていた。

日本の昔の心中だとか切腹とか自害というのは、「選択」というより、社会的に行き詰って他の選択肢がなかったり制度化して強制されるものだったりという印象を持っていたのだ。

キリスト教国では、「狂気の果て」と見なされない正常な判断力のある人間の自死は長いあいだ世俗の法律上でも犯罪で、死骸が罰せられて裁判所の前で引きずりまわされたりあらゆる名誉や記録を剥奪されたりした。

もちろん教会も、自殺者の魂は地獄に堕ちると断言していた。

ところが、実は、自殺という言葉自体は、18世紀までは存在しなかった。

Homicide (殺人)という言葉はあったので、それにラテン語sui(selfという意味のse の属格)
を加えて造語されたものなのた。

suicidium というラテン語はあったのだけれど、英語やフランス語にはなっていなかった。

「意図的に自分で自分を殺す」という用法でsuicideが使われるようになったのは18世紀の前半なのだ。

それは、まさに啓蒙の世紀に現れたことになる。

18世紀には、「自分を殺人する」とか、「心臓を溺れさせる」とか「人生を短くする」などの表現でいろいろな人の自殺がニュースになり、フランス中のサロンで、法廷で、告解室で、人々が真剣に語り始めた。

ありとあらゆる階級の男女が自殺し始めたのだ。

遺書が残され、警察の調書が公開されるようになった。

それによって、「自殺」という言葉が生れ、市民権を得た。

それまで、悪魔の行為とされ、法律でも弾劾され、民衆からも忌み嫌われていたタブーのような犯罪が、

人々からも「理解」される個人的な身の処し方、

もっといえば、「自由」を行使する表現の一つに変わったのだ。

「自殺」が18世紀フランスで「市民権」を持つに至った理由の一つは、同じ頃、「幸福」が市民権を持つようになったことであるという。

死後に天国に行けるという希望ではなく、この世での「世俗的幸福」の追求や実現が初めて人々の視野に入ってきたということなのだろう。

「幸福」の具体的なイメージができてはじめて、人は「絶望」を知ったのだ。

実際、常に生命の危険にさらされているような社会ではサバイバルの本能しか働かないだろう。

18世紀のフランスでは、生活の苦しさだけでなく、政治的絶望、失恋、名誉のために、人々は命を絶った。

そしてそれについて意見がかわされたのだ。

フランス革命が起こった。

で、まるで、人権宣言やカトリック教会の否定と軌を一にするかのように、1791年には自殺が刑法の罪から外された。

後にこの91年法は廃止されるのだが、一度「市民権」を得た自殺は、次の世紀のロマン派の時代に向かってますます大きく成長していく。自殺にはロマンティックな付加価値すら与えられた。

これは、何を意味しているのだろう。

もちろんいつの時代にもどのような文化にも、何らかの理由で自死を決意する少数の人や、鬱病などの心の病から自死に至る人はいただろう。

けれども、それだけでは、近代以降の自殺の増加を説明することはできない。

自殺の増加は、それを「身の処し方」「人生の問題の対処法」として認知した社会の変化に深く関係しているのだ。

私たちの住む社会には、

「個人は自分の命に対する全権を有する唯一の所有者であって、自暴自棄自殺を自由に行使できる」

というイメージが描かれ、提供されてしまっているのだ。

けれども、自殺への促しは決して運命的なものではない。

社会的、人為的なものだということである。

それなら、少なくとも未成年から自殺という選択肢をなくしてしまうような社会の仕組みをつくれないだろうか。

WHOのガイドラインが呼びかけていることは、そのような「近代概念としての自殺」の歴史を見据えた上でついに生まれてきたものなのである。

あらゆるメディアはその辺をもう一度深刻に受け止めるべきではないだろうか。

(18世紀フランスで自殺が「個人の選択」として認知されていく経緯を詳しく分析している下記の本を参考にしました)

≪S'abréger les jours: Le suicide en France au XVIIIe siècle ≫Editeur : Armand Colin
Dominique Godineau est professeure d’histoire moderne à l’Université Rennes 2. Elle a consacré de nombreuses études à l’histoire des femmes et de la Révolution française et a publié Citoyennes Tricoteuses. Les femmes du peuple à Paris pendant la Révolution (1988, Perrin, 2004) et Les femmes dans la société française, XVIe - XVIIIe siècle (Armand Colin, 2003).
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by mariastella | 2012-08-03 06:41 | 雑感
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