L'art de croire             竹下節子ブログ

トロンプ・ルイユ展

装飾美術館で、前から行こうと思っていた「Trompe l’oeil」 展をようやく観た。

Trompe l’oeil (トロンプ・ルイユ)というと、日本でもところどころで見る「トリックアート美術館」だとか、筒状の鏡に映して絵を見るアナモルフォーズなどをすぐ連想するが、この展示会は、摸作だとか偽作だとか錯視だとかイリュージョンだとか多様なテーマを包括している。

リノリウムという素材がlin 麻と oleum油の合成語で実際に亜麻仁油を使っている発明品だったとはじめて知った。リノリウムにタイル模様が描かれていたり、フローリング柄だったり、大理石柄だったりというのは日常的に見かけるので、普通のように思っていたのだが、なるほどあれも「だまし絵」の一種だ。

素材感やら凹凸やら、遠近感やら、いろんなものを工夫して、人はいつも「偽物」を創ってきた。

創造の模倣、パロディ、いや、創造そのものかもしれない。あらゆるポートレートや銅像だって、実物の模倣、固定、似せたものなのだから、だまし絵の一種かもしれない。

また、CGやデジタルプリント技術の発展によって、誰でも手軽にかなり高度な模倣やだまし絵の制作ができるようになったし、安価に手に入れられるようにもなった。考えたら、コート柄のTシャツとか、サングラスが胸にひっかかっている柄のTシャツなどは私も持っている。本物そっくりの家具や食べ物や食器のミニチュアなども持っている。かなり好きだ。

錯覚を狙うというより、何かを手がかりにして想像をふくらませるのが楽しい。

こちらの庭にはよくキノコやコウノトリや小人さんの置物がある。妖精や小人などはリアルには存在しない(少なくとも目に見えない)キャラクターだけれど、その「偽物」、コピーを創ることで、逆に、どこかにあるかもしれないリアルを想像できる。

バロック様式の教会の天使たちや、植物をモティーフにした凝った装飾などにもみな同じ効果がある。

いや、カトリック世界では教会の中にも道端にも、家庭にも、個人の首にかかるペンダントにも至るところに見られる「キリストの磔刑像」なんていうものも、その大量のコピーの力でそのもととなった「オリジナル」を現出させる勢いだ。

パリのバック通りとか、ルルドとか、ファティマとかメジュゴリエとか、有名な聖母の「ご出現地」でも、実際に聖母の姿を見たりお告げを聞いたりするのは少数の幻視者とか神秘家だけだけれど、彼らの描写した聖母の姿がすごい勢いで大量に生産され、コピーされ、拡散され続けるので、「ご出現」とは実はこのことなのか、とも思ってしまう。

「だまされる目」とは「期待する視線」のことなのだろう。
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by mariastella | 2012-08-07 01:43 | アート
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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