ディドロ『哲学者と元帥夫人の対話』(L’Entretien d’un philosophe avec la maréchale de *** )
いつもの芝居小屋にDenis Diderot の『L’Entretien d’un philosophe avec la maréchale de ***』を観に行った。
演出のRémy Oppertがディドロ役をしていて元帥夫人役のMichèle Couty の評判もよかったし、精神的な深いテキストを再現させて感動的だという評を読んで期待していたのに、私は失望させられた。 60代のディドロがオランダで書いたというテキストで、無神論の哲学者とカトリック信者の元帥夫人が宗教なしでどうやって道徳的に生きることができるのかというテーマで論じ合う。しかも舞台化するにあたって、コスチュームプレイで、ラモ-のチェンバロ曲が使われるというのだから、かなり楽しみにしていたのだけれど。 対話の内容は、かなりリアルだ。啓蒙の世紀の無神論について調べたことのある者にとっては、さもありなんという展開である。 実際、ディドロが Broglie元帥夫人とかわした対話の記録だというから、興味深い実録資料とも言える。 しかし、いかんせん、問題意識が古すぎて全く普遍的ではない。 もちろん、古今東西、多くの文化で多くの人が、子供の道徳教育に対して、「…してはいけない、さもないと地獄に堕ちる」という類の脅迫的言辞を弄してきたろうということは想像に難くない。 まあ、「今日のおやつは抜きですよ」とか「おまわりさんにつかまるよ」という現世的なものもあれば「嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれる」という死後の具体的なもの、「悪いカルマをつんだら来世は畜生道におちる」という長いスパンのものまでいろいろあっただろう。 18世紀フランスの元帥夫人にとってはもちろんカトリックの天国と地獄のイメージで、欲望はたくさんあるから、もしも最後の審判で永遠の劫火に焼かれるというリスクがないのならもっと羽目を外すかもしれない、と本音をもらす。宗教は子供の教育だけでなく、大人の身の処し方の抑止力になっているので、神を信じないディドロはどうやって道を踏み外さないでいられるのか、と疑問を呈するわけである。 しかし、今時のごく普通の子どもなら、カトリック国であろうと仏教国であろうと、いったいこんな理屈で行動を律することなどあるのだろうか。 近代以来の「法治」主義が根付いて、「ここでは…と決まっているから」と片付けられるかもしれない。 法律や戒律を無視しても人がそれなりに「道を外さない」のはなぜかと問われると、 「それはね、ほうっておいても平均すると人は最低限の社会的規制を守るんですよ。なぜなら、全く利己的に他者や他者の利益を害する人たちは、たいていは共同体によって隔離されたり抹殺されたりしていくので、そういう遺伝子は淘汰されやすいからです。反対に、周りと協調して全体の利益を考えるような人は共同体の繁栄に役立つから子孫を残しやすいでしょう。つまり、進化過程による自然選択によって、類的存続にとって有利な善悪の観念を身につけた人が主流になるわけですよ。だから無神論者でも、他者との摩擦を避けるように、争いのない方にと自然にふるまうんですよ」 とでも答えてしまいそうだ。 それでも突出したエゴイストが強大な権力をもって弱者を大量に虐殺するような時代や場所もあったのだから、さまざまな宗教などが「善悪のコード」を言語化して、「命のリスペクト」を共通善にすることで「巨大悪」を歴史によって裁くことは、もちろん意味があるのだろうけれど。 啓蒙の世紀のヨーロッパの都市部では、男たちはもうほとんど神だの神罰だのを本気で信じておらず、宗教は女子供の教育のための方便だと見なしていた節がある。そして男たちも最初は子供として人生をスタートしたのだから、その反動で即物的な無神論者か偽善者かその両方になることが多かったのだ。 フランスは今学年からリセの「哲学の授業」だけでなく「道徳の授業」も復活させるということでいろいろな議論がなされている。フランス近代史において哲学は伝統的に無神論であり、それゆえに反・キリスト教道徳的であると見なされていたからでもある。既成の宗教的枠組みから離れた哲学者たちがキリスト教道徳とは別の「倫理学」を熱心に模索したことも必然の成り行きだったのだけれど、倫理学は理論であって道徳的実践や処世術と同等だとは見なされていない。 キリスト教にも社会的規範だけではなく内省したり良心のチェックをしたりするパーソナルな方法論も豊富にあるのだが、「悪いことをしたら地獄行き」のような二元論的で単純な決めつけがやはり「教育的」の名の元に主流になっていったのだということは想像に難くない。 この話を原罪だとか自由意思の問題とか、このテキストが書かれた頃にはすっかりディドロの敵と見なされていたルソーの人間本来の自然状態の「善」などとすり合わせて考えていくと話は膨大になる。 この戯曲化にラモ-の音楽が使われているのは、もちろん『ラモ-の甥』を暗示するもので、テキストの中でも触れられている。 18世紀半ばという時点で、ヨーロッパの知識人たちが道徳や倫理との関わりでどのように精神の自由をイメージしていたかということを改めて考えさせられはした。
by mariastella
| 2012-11-29 18:37
| 演劇
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