L'art de croire             竹下節子ブログ

マリ、アルジェリア、「貸し借り」の話

2月2日のフランス大統領のマリ入りのニュースを観て、歌ったり踊ったりしているマリ人の喜びはほんとうだろうなと思った。原理主義のワハビズムは公共の場での音楽や踊りも禁止しているからだ。

リビアの時は「サルコジ万歳」もなんだかやらせじゃないかと思ったけれど、今回はテロリストたちがあっさり撤退して人質を連れて砂漠に潜伏したので市街戦の被害もほとんどなかったし、素直に喜んでいるのだという印象だ。

それだけではなく、「うーん」と思わされたのは、オランド大統領は、この時の演説で、第二次大戦に言及して

「(今回の)フランスの介入で、マリとアフリカが第二次大戦の時にフランス側で戦ってくれたことへの借りを返すことができた」、フランスが支援を求めている時に来てくれたのはアフリカでありマリだった、「ありがとう、マリ」

と言ったことだ。

マリだけでなく「アフリカ」と言ったのは、マリとは独立後の行政区分で、植民地時代はフランス領スーダンだったし、アフリカの他の植民地もフランス軍として戦っているからだ。

「借りは返した」と言いきって、過去の協力に対する「感謝」もした。

いわゆる「謝罪」をしたわけではない。

そして、今回は、フランス植民地からの独立の戦いではなく、

「あなた方の国は、今回は、もはや植民地システムに対する勝利ではなく、テロリズムと不寛容と狂信に対する勝利となるだろう新しい独立を勝ち取るだろう」

と言った。

こんなふうに過去の帝国主義的支配の歴史を単に「借り」だとして、それを「返した」と言いきって、今度こそがほんとの独立だよ、と上から目線(マリ政府軍の行動には国連からも批判があって、オランドは、戦犯を罰するにも基本的人権をリスペクトするように、とわざわざつけ加えた)でぶちあげて、その上で歓呼してもらえるなんて、ラッキーだなあ。

フランスは第二次大戦でドイツに占領されて親独政権もつくったが、イギリスに逃れたド・ゴールの自由フランスがうまく政治能力を発揮して、終戦時にはしっかり連合国の仲間になっていた。

もし敗戦国扱いで「負けていたら」植民地との関係も泥沼になっていたところだ。

日本のように植民地の人間を日本側で戦わせて、民間人も含めて多くの犠牲者を出しながら、その結果、敗戦してしまったケースを見るとよく分かる。

日本の敗戦で植民地は解放されて独立国となったが、戦後の混乱はどこも共通であり日本に残っている旧植民地国出身の人々の立場は複雑になった。

朝鮮の場合は朝鮮戦争と国境分断、中国も共産主義革命、と20世紀後半に続く冷戦とイデオロギー闘争がそれをさらに深刻にした。

日本が旧植民地国に求められているのはひたすら謝罪や賠償であったし、「その節は日本を助けてくれてありがとう、」とか「これで貸し借りなしね」などという展開にはなりようがない。

もちろんフランスだって、すべての植民地と平和裏に別れたわけではなく、アルジェリア独立戦争は遺恨を残しまくっている。

アルジェリアの場合はフランスの「本国」扱いで「県」扱いになっていたから、フランス「本国」からずっと住みついていた人もたくさんいた。

独立戦争でも、「フランス側」についたアルジェリア人は戦後、フランスに渡ってもアルジェリアに残っても、両方から差別される始末だった。

アルキ(Harki)と呼ばれる彼らは、月決めの非正規兵士だったが、独立派からはコラボ、裏切り者のレッテルを貼られた。

アルキは、フランスでは、独立後5年間は申請すれば無条件にフランス国籍を与えられたものの、貧困層を形成して犯罪率が高いなど、「アラブ人」差別の偏見の温床にもなった。

(フランスは原則として、「旧植民地時代」にフランス国籍を与えられて生まれた人ならベトナム人でもアルジェリア人でも、申請すれば国籍を与えている。二重国籍容認の国でもある)

ともかく、アルジェリア独立戦争での「敗者」はフランスだったから、敗者側について犠牲になった人々は、だれからもメルシーとも言われず、借りを返すとか返さないとも言われないのだった。

アルジェリアから「引き揚げ」を余儀なくされた白人のフランス人たちのルサンチマンも半端なものではない。

アルジェリアを故郷とするフランス人たちにとっては、フランス対アルジェリアという対立項そのものが受け入れられないからだ。

そのいい例が、ノーベル賞作家で日本でも人気のあるアルベール・カミュのケースだ。

2009年にサルコジ大統領がカミュの遺体をパリのパンテオンに移していわば国家聖人の列に加えようとした時に、遺族である息子がその政治的利用に反対して拒絶した。

今朝、カミュの娘がラジオで話しているのを聞いたが、アルジェリア出身のフランス人たちには、あの時にパンテオン入りを許諾していれば彼らの微妙な立場への理解が深まるいい機会だったのに、と残念がる人が少なくなかったそうだ。

アラブ人や黒人なら、一目で昔の帝国主義フランスを担った「白人」と違うことが分かる。

だから、社会的差別を人種差別とからめて基本的人権侵害として訴えていける。

しかし、カミュらのようなアルジェリア生まれの二世の白人たちは、自分たちも結果的には「植民者」の立場であったわけだから、故郷であるアルジェリアからも追われ、本土に戻ると引き揚げ時の不公平や微妙な差別に声を大にして戦うことができなかった。

戦後の日本にも朝鮮や満州からの引き揚げ者が大勢いたろうし、日本の帝国主義の犠牲になった植民地の人々もまた同じアジア人だった。

「人種差別」という分かりやすい悪にも落とし込めないし、文化的にも日本のルーツは大陸にあったのだから、ルサンチマンも深く、錯綜している。

逆に、今でも互いの言葉の浸透の割合が少なく、メンタリティもかなり違うけれど同じ白人でキリスト教文化圏であるフランスとドイツのような国が、二度にわたってあれほどの戦争で敵対したわりには、手をとりあってEUの運命共同体を荒廃の中から築き上げたのは、なかなかのものだったと思う。

二国間の関係というのは2人の人間の関係と同じで、個々のケースをいろいろな角度から検討しないと、一般化してどうこういうことはできない。

けれどもやはり歴史に学べるところは学びながら、より弱者を守り、より平和を拡大していく方向に向かわなくてはならない。

互いの「貸し借り」のような概念で「清算」できるような葛藤など、本質的なものでないか、一部の人間を利する一時のごまかしでしかない。

両者が互いの丈を超えた普遍的理想を見据えない限りは、ほんとうの平和を実現することはできない。
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by mariastella | 2013-02-04 07:45 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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