L'art de croire             竹下節子ブログ

食肉偽装事件

フランスでは食肉偽装事件で大騒ぎになっている。

一昔前に、フランスでもう何年もBSE(狂牛病)のリスクのある牛肉が出回っていたと知った時は大ショックだったけれど、馬肉を牛肉と偽装した冷凍ラザニアがヨーロッパ中に出回っていたという今回のスキャンダルには、今のところは衛生上の問題がないと明言されているからか、あまりショックを受けない。むしろどこか間抜けでほほえましい感じがする。

ひとコマ漫画やジョークが多発して、その多くは、「モー」と鳴く馬の横で「うちの馬は牛肉100%です」と業者が言っている、というタイプのものだからだ。

馬には罪はない。

ヒンズー教徒に牛を食べさせていたとかイスラム教徒に豚を食べさせていたとかいうならもっと深刻な問題になっていただろうが、少なくとも、馬肉屋さんもあって、タルタルステーキなら馬の方が衛生的だという人も多いフランス人にはあまりショックではない。

馬刺しのある日本でもショックは少ないだろう。馬はペット扱いというイギリスで大スキャンダルになったのは分かる。私だって、牛肉だと思って食べていたのが猫の肉だったと聞いたらショックだろう。

いや、なぜだかもう問題にされないが、当初は、アイルランドの食品衛生局が100%ビーフの27種のハンバーガーを検査して、27のうちの10個に馬肉のDNAが見つかって23個に豚肉のDNAが見つかったと一月半ばに発表した。豚肉のことをもう誰も言わないのはやはりイスラム教徒に対する政治的判断なのだろうか。

で、問題はひたすら、牛が馬だった、ということに集約された。

大手冷凍食品のFindusが自主的に検査したらラザニアが100%馬肉だったというので火がついた。

もちろん商品の成分表示を偽ること自体がスキャンダルであるということは理解できる。

このことで意外なことが次々と分かってきた。

冷凍食品の製造会社に至るまでにヨーロッパの数カ国に渡るいくつもの下請け会社が介在していて、これならどこかで伝言ゲームみたいにもとの情報が改変されることもあり得るだろうな、と思わせる。

最初の輸出元がルーマニアの屠殺場であり、ルーマニアといえばジプシーなどの社会問題や犯罪に悩まされている西ヨーロッパの諸国から見ると、すぐに、彼らがあやしい、という雰囲気が生まれたことも日頃の偏見を明らかにした。

実際は、ルーマニアでは最近馬車の通行が禁止されたので馬車用の馬が大量に廃棄=食肉化されたので安価な馬肉が出回り、それはちゃんと「馬肉」として処理されて通関しているので、フランス内でそれを牛肉として処理して冷凍食品会社に下ろしていた会社が偽装していた可能性が大きいらしい。

しかし、なぜ、製品を食べただけでは誰も見抜けなかった肉の種類を特定するために突然冷凍食品会社がDNA検査をしてその結果を発表したのだろうか。

先行するハンバーガーの豚肉問題がイスラム教ロビーで問題になることを避けるために、「豚」より「馬」にスポットを当てたいという政治的判断がFindusの決定に影響したのだろうか。

ともかく、そのせいで、今後は、加工食品会社は肉のDNA検査を、加工前にシステマティックに行うことになるらしい。

DNA検査などできなかった時代や、今でもその技術を備えていない地域ではなんでもありかもしれないということもあらためて思う。

衛生上の問題のないそれらの製品が廃棄されることのないよう、困窮している人々に食品を提供するNPOが喜んで引き取ると言っていることももっともだ。

フランスのような国でも今や食が二極化している。

今や地産地消やバイオ食品は富める人の特権であって、余裕のない人はどこの国からどのように来たか分からないなにかの加工食品を日々消費しているのが現実だ。

実際、大手のマーケット・ブランドの食品でも、ディスカウントと銘打った加工商品がいろいろあって、肉に炭水化物を加えていたりするのは成分表示で分かるのだが、トレーサビリティは今一つ曖昧だ。

EUがあるから、ルーマニアでもどこでも、フランスとかなり状況の違う国のものでも「ヨーロッパ」で片付けられていることもある。

ただ、食品を買うというシーンでは、今でも、普通の人が選ぼうとしたら、ある程度は、見た目で鮮度を確めて買うことも日常的にできる。たまに加工食品を食べたとしても、同じブランドの同じものを食べずにいろいろ試す幅もあるし自由もある。

それに比べると、これもいろいろとスキャンダルが続いて市場から姿を消してゆく「薬品」の薬害の方は、もっと深刻だ。

薬品に頼ろうとする人は何らかの健康上の問題をすでに抱えているわけだし、巨大な医薬産業のメカニズムの影に隠れているものを分析したり、薬の量や質の是非を判断したりする力はない。

多くの検査とそれに続く投薬が続々と展開されるマーケットの中で、そもそもある薬がある人にとってほんとうに必要なのかどうかも、誰にも分からない。

薬害問題の方が、自衛がずっと困難だと思うので、馬が「モー」と鳴いているような話が相対的に牧歌的に見えてくるのは、そのせいだろうか。
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by mariastella | 2013-02-17 21:25 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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