L'art de croire             竹下節子ブログ

ノートルダムの鐘

小雪が一日中はらはら舞っている寒い日曜日だったが、ノートルダム大聖堂の内陣で公開されていた新作の鐘を近くで見られるのが月曜日までだと知って、急遽見に行くことにした。

愛徳姉妹会の96歳のシスター・クレールが、土曜日に一緒に食事をした時に、

「今年になってこの暗いことばかりの世の中で希望を感じさせてくれるすてきなことが二つあった、教皇がリタイアするという勇気ある決断と、ノートルダムの鐘を見たことだ」

と言ったからだ。

「絶対に今見ておかないとだめ、一度設置されたらもう二、三百年ははずされることがないはずだから、私たちの孫もひ孫もそのまた子供たちももう見ることはできないのだから」

と何度も強調された。

私も最近は、2020年のオリンピックとか言われただけで、はたしてその頃にまだ元気でいられるかなあ、と思ったり、地球の温暖化だとか日本の人口だとかの予測で2030年、2050年などの数字が出てくるとつい遠い目になってしまうので、少し長いスパンのことは、

「私の世代にはもう関係ないとしても次の世代の人のためだなあ」

と、次世代や次々世代のことを意識することが多い。 

これを逃したら次は何十年後にしか見られないという天文現象が語られる時や、有名アーティストの大規模回顧展が開かれる時も、「そうか、今行っとかないと少なくとも私にはもうチャンスがないだろうな」という気持ちで思い切って見に行くことはある。

ましてや元気とはいえ96歳のシスターなら、半年先1年先のことでも、確かだとは言えないけれど…と消極的になるかと思いきや、

「孫もひ孫も見られないものを私たちは見ておかなくては」

とえらく意気軒昂なので、こちらもつられてポジティヴな気分になった。

よく考えると、私たちが見たものやまだ見られるもので近い将来に姿を消すものは少なくないだろうから、「孫もひ孫も見ることができなくなるものを見る」ということ自体は別にすごいことではない。

でも、この鐘は消えていくものではない。

これからずっと長く使われていくものが伝統を踏襲しながら今新たに造られたばかりの状態であるところを、期間限定で間近で見られる、というケースだ。

それも、ただの鐘ではなく、築850周年を迎えたノートルダム大聖堂の鐘で、

「今見ておかないと」

と目を輝かせて勧めるのが96歳のシスターであるとなると、何かやはり、有限と無限が交わるところのようなシンボリックな意味があるのかという気がしないでもない。

日本でも有名寺院の大釣鐘の修復などがあるだろうが、はるかに高くそびえる大聖堂の鐘楼に収められるわけではないから、新装お披露目の期間だけが人々の目に入るチャンスというわけではない。

今回新調された鐘は北側の鐘楼用の8つと南側の大きいものがひとつの計9つで、それぞれに名前が浮き彫りで入っていて、周りに祈りの文句が刻んである。

日本のお寺の釣鐘に刻まれるお経なら全部漢語だろうし、修復したり新調したりするときも同じものを刻むだろうと思うのだけれど、21世紀のノートルダムの鐘にはラテン語ではなくて現代フランス語の筆記体で祈りが刻まれている。

すごく親しみやすい。

それぞれの名前も、日本でいうなら太郎、花子という感じの昔からあって今でもあるような名ばかりだ。実際は聖人の名もあるのだが、聖なんたらとは書いていなくて、さりげなく名前だけなので、この鐘を見に来て自分の名を見つける人も多いと思う。

なぜ名前がつけられるかというと、それぞれの鐘は、神の民を祈りやミサに呼ぶという仕事をする「神の奉仕者」であるからだそうだ。

聖人も天使も鐘もみんな神に仕える者として平等に「名前」だけに落とし込むところは何となく「民主的」ですらある。

入口に一番近いところにある鐘はジャン=マリーでこれはジャン=マリー・リュスティジエ前パリ大司教の名前だ。

他に、最初のパリ司教サン・ドニのドニだとか、最初の殉教者聖エティエンヌ(ステファン、ステファノとかステファヌスなどと同じだがそのフランス語名で、パリのこの場所に7世紀ごろに聖エティエンヌ教会が建てられていた)のエティエンヌ、ノートルダムそのものである聖母マリアはシンプルにマリー(1378年の最初の大釣鐘もこの名前だった)だし、今回リタイアを決意した教皇ベネディクト16世を記念するためにブノワ・ジョゼフ(ベネディクトのフランス語読みのブノワと教皇の本名のヨゼフ・ラツィンガーのフランス語読みでジョゼフを組み合わせた)もある。

他にイエスの受胎をマリアに告げた天使ガブリエルからガブリエル、マリアの母の聖アンナとパリの守護聖女ジュヌヴィエーヴを組み合わせたアンヌ=ジュヌヴィエーヴ、九代目パリ司教の聖マルセルからマルセル、12世紀に現在のノートルダム大聖堂の建設を決断した72代司教のモーリス・ド・シュリーからモーリスなどがある。

どの人も聖人や司教などの肩書抜きで「洗礼名」である名前だけであっさりと記念されているし、みなフランス語読みの普通の名の普通の綴りだ。昔のラテン語文書なら名前もラテン語表記をしていたのとは大分印象が違う。

これらの鐘は次の復活祭の聖週間が始まる時に初めて鳴らされる予定だ。

それまでに新教皇が決まった時に鳴らされるということはないのだろうか。

鐘の音はポリフォニーなので、音程が命である。

19世紀に造られた四つの調子が狂っていたことが今回の新調の理由の一つだった。

正確な音程の鐘づくりには高い技術を必要とするそうだ。

八つの鐘を受け持ったノルマンディの工場の匠たちが愛おしそうに鐘を撫でているドキュメンタリーもテレビで放映された。

名前がついていることで愛着も増しただろう。

ちなみに1905年の政教分離法以来、ノートルダム大聖堂は国有化されているので、今回の記念行事の予算にもいろいろの経緯があったのだが、鐘の製造によせる「モノ造り」のこだわりや誇りといい、日曜のミサの熱い視線といい、ここはまだまだ「古くて新しいところ」であり続けるのだなあと思った。

大聖堂を出て、シャルルマーニュの勇ましい騎馬像を見上げてから、サン・ルイ島にわたってBrasserie de l'isle Saint Louisで食事した。

暖かければテラス席でノートルダムの後ろ姿やセーヌを見ながら食べることができるのだけれど、昔ながらの店の中も落ち着いて、再び雪の中に出ていくまで、ゆっくりとあたたまることができた。

ノートルダムの鐘楼にのぼったのは37年前に一度だけで、それから何度となくこの大聖堂に訪れたけれど、鐘がずらりと並んでいる光景は確かに特別だった。

でも、夏至の日の光のスペクタクルを見るとか茨の冠の聖遺物に口づけするなどのインパクトの強い体験とは違って、マルセルさんやらモーリスさんやらブノワさんなど、若くて大きいけど素朴そうな鐘たちが「自分の持ち場ではない」ところでスタンバイしているのを見るのは、なんだかほほえましい気がした。

96年前にパリで生まれ、20世紀の終わりから20年間もノートルダムの案内をしてきたシスター・クレールの目には、もっとドラマティックな何かがきっと見えていたのだろう。
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by mariastella | 2013-02-25 08:38 | 雑感
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