L'art de croire             竹下節子ブログ

黒い靴の教皇 -- 就任ミサをめぐって

さて、新教皇フランシスコ(今ちらりと日本のニュースを検索したらあいかわらず「一世」とつけ加えているメディアがあった。ヴァティカンが正式に訂正を求めたのだから、日本語読みは別としても一世を勝手につけるのはまずい。英米メディアがもう「一世」をやめたのに気づくのはいつかなあ)の就任ミサを中継で観た。

快晴の空のもと、大聖堂の前に設けられた祭壇前には250人の司教や大司教が並び、その次が元首31人を含めた132カ国の代表の席だが、彼らはヴァティカンから「招待」されているわけではない。

だから自主的に来ているわけだ。

日本のことはさすがに分からなかったが日本語のネットで調べると森前総理が来ていたらしい。

もうだいぶ前にほんの短い間だけの首相で、しかも、「日本は神の国」発言で失脚した面もあるのだから、こういう「神さま」関係とは相性がいいと思われているのかしら。

ブラジルやアルゼンチンの大統領はもちろんはるばるやってきたが、教皇はブエノスアイレスの司教座に、できるだけ大西洋を渡ったりしないでその分を貧しい人々に」と例のごとく支持したらしく、ライトブルーのアルゼンチンの国旗は意外とすくない。

でもアルゼンチンは朝の5時から広場の大スクリーンの前に人々が詰めかけ、ブエノスアイレスのカテドラルは終夜開いていて信者が告解をできるようにしていた。

でも外ではカト・ロックと言われるゴスペル系ロックの野外コンサートが繰り広げられているので静かに祈るという雰囲気ではない。

学校などはお休みとなり、終日お祭リが続き、19日夕方のミサの後には花火が打ち上げられるんだそうだ。

アルゼンチンは南米のヨーロッパと言われていて、「スペイン語を話す唯一のイタリア」という異名もあるんだそうだ。なぜだかメキシコ、ブラジル、チリなどのようなインディオとの混血も目立たない。だから伝統の郷土料理みたいなものもほとんどない。政治レベルの宗教離れも進んでいるところも今のヨーロッパ的だと言えば言える。

ドイツからはメルケル首相が来ていたし、ヨーロッパ連合大統領ももちろん来ている。

アメリカからは副大統領のジョー・バイデンが来た。アイルランド系のこの人はアメリカ初のカトリックの副大統領である。

ヨハネ・パウロ二世の葬儀の時には現職だったブッシュ大統領とその父、前大統領のクリントン、ライス国務長官らが弔問外交を繰り広げた。それに続くベネディクト16世の就任ミサにはブッシュ大統領の弟でメソジストからカトリックに改宗したフロリダ州知事だった。

葬儀というのは、ブッシュとJP2のようにたとえ亡くなった相手と政治的に対立していても、もう相手がな亡くなっているのだから敬虔な和解のジェスチャーをするのはリスクがないし、自国のヒスパニックのカトリックなどにも顔か立つ。

それに比べると新教皇の就任ミサというのはもう少し微妙だから、トップに一番近いカトリック信者を派遣するという方針らしい。

フランスも、ド・ゴールは「共和国は世俗の国だがフランスはキリスト教の国」などという言辞を弄した敬虔なカトリックだったが、今は、葬儀は弔問外交でも、就任ミサは首相という「住み分け」が決まっている。

B16の時は首相と共に、ファースト・レディであるシラク大統領の夫人も出席したが、今回は、オランド首相の「結婚していない」連れ合いはもちろん来なかった。

その代わりに外務大臣のファビウスがいた。

(カトリック国のハンガリーにルーツのあるサルコジ前大統領は、せっかくちゃんと3度目の結婚をしておいたのに、任期中に葬儀セレモニーに出たりイタリア人の夫人を就任式に送れなくて残念だったね。)

ともかく、そうやって王族やら元首たちが集まったのだから、イタリア政府は3000人の警備体制を整えた。その多くは私服で、25万人の群衆に紛れこんでいた。ローマ上空は警備のヘリを除いて飛行禁止だし、ティベレ河も警備船で埋まり、周囲の建物の屋上には腕利きの警備の狙撃手たちが配置された。

そんな中を、1981年のJP2の暗殺未遂以来防弾ガラスで囲まれていたパパモビルと違って、何の囲いもないオープンカーで新教皇が現れたので、JP2がこういう状況で狙撃された光景がトラウマになっていて忘れられないジャーナリストは「そう、まさにあの時もこんな感じでした」などと緊張してコメントしていた。

緊張と言えば、ヴァティカンでこういうセレモニーがある度に注目されるのは台湾の大統領とジンバブエの大統領だ。

中国には政府公認の司教が率いる公式の教会と、ローマとつながっている非公式教会があって、いろいろな駆け引きがあるのだが、何しろフランスのキリスト教人口よりも多いといわれる6000万人のキリスト教信者がいる国だから中国政府とヴァティカンの関係は内外に少なからぬ影響を及ぼす。

で、ヴァティカン市国が1951年以来正式に国交を持っているのは台湾で、台湾大統領はこういう時こそ、貴重な「外交」を行うのだ。もちろん中国はそれを糾弾する。けれども、ヴァティカンは、誰も「招待」はしていないのだ。

もう一人がジンバブエの独裁者ムガベ大統領で、89歳の「熱心なカトリック信者」である。

こんな人に、熱心な信者として来てもらったらヴァティカンの立場が悪くなりそうだが、彼もイヴェント(JP2の葬儀、列福式)があるごとに勝手に来ているのだ。

しかも、ムガベは、汚職や人権侵害によって、「ヨーロッパ入国」を禁止されている。しかし、ヴァティカンはヨーロッパ連合加盟国ではないから、ヴァティカンに入国するためのイタリア通過の許可だけを得ている。

そのような独特の雰囲気の中で始まった就任ミサだが、予想通り、ディティールは簡素なものとなった。

いつもと同じ司教冠、いつもと同じ十字架、新調したのは紋章と指輪とパリウム(ストールのようなもの。ビザンチンの服装に由来)くらいかもしれない。

その指輪も、B16のように特別にデザインさせた純金35gのものではなくて第二ヴァティカン公会議の精神を守ろうとしたパウロ6世のものと同じデザインで銀に金メッキしたものだ。

いつもなら教皇の白いスータンから見えるポイントカラーになる「紅い靴」も、3サイズ用意されていたはずなのに、就任ミサの今日になっても、相変わらずいつもの黒い靴だ。

コンクラーベという「晴れがましい行事」に出席するというのにあまりにも擦り切れた靴を履いている枢機卿に、ローマ出発前に友人がプレゼントしたという普通の黒い靴だ。

まだ下ろしたばかりですりきれていないからこのままOKということになったのだろう。

そもそも教皇というのは全権があるから、プロトコルを変えようと思えばいくらでも変えられる。

前例をすべて踏襲したB16は、保守的と見られるが、自分では敢えて何も変えない謙虚な人だったと解釈すると、新教皇は質素な方向に舵を切ることによって革新的だとも言える。

もっとも、生粋の神学者であり長年ヴァティカンで教理省長官を務め、毎金曜の夕方に教皇JP2と会見していたB16と、教区司祭も務めた現場の司牧者である新教皇では、プロトコルに対する見方も違うのだろう。

フランシスコ教皇は、B16の退位発表の前に自分も司教職を引退したい意向を明らかにしていたという。それが一転して(教皇)になってしまったのだが、その上は、世界のカトリック、世界の弱者の一牧者になるしかないと思ったのだろうか。

ミサでは、コプトの大主教やイエズス会の総長、フランシスコ会の総長らがそばにいた。ギリシャ語で歌われた典礼歌やアラビア語で読まれた聖書の1節などにも、今、世界で最も迫害されている宗教は中東のキリスト教だといわれているくらいに深刻な中近東のキリスト教徒への支援を感じさせた。

就任ミサでの新教皇の言葉などは、多分日本語でもカトリック中央協議会のサイトで訳されるだろうからここでは書かないが、「権力とは奉仕である」と強調した。糾弾する教会ではなくて、赦すのが教会であり、小さい者、弱い者、貧しい者を守り、すべての被造物もいっしょに互いに互いを「守り合おう」と繰り返し、やさしくあることを恐れてはならない、と言った。

「権力とは奉仕」だとか、争い合うのでなく「守り合」わなくてはならないとか、

普段はこのような言葉に耳をかす暇もないだろう地上の「権力者」たちが、アメリカの副大統領も、ドイツの首相も、アフリカの独裁者たちも、おとなしく聞いていて、こういう時と場所の雰囲気にのまれてそれなりに影響されてくれればいい。

そのためにだけでも、世俗の権力者はこのミサに出席する価値があると思う。今のイタリア政治の混迷ぶりにうんざりしているイタリア国民も、自国の政治家たちすべてにこの言葉を聞かせたいと思っているに違いない。

各宗教の代表者たちももちろんずらりと並んでいる。

インドのシーク教徒の姿もあればユダヤのラビもイスラムのイマームもいる。日本人らしいのは「南無妙法蓮華経」という襷を掛けた数名のグループが見えた。広場にはヘブライ語のシャローム(平和)と書いたプラカードが掲げられ、Oの部分に平和の白鳩が描かれている。

守り合う。

19日は聖ヨセフの祝日だったので、聖母とイエスを守り抜いたヨセフのことが何度も引き合いに出された。

戦うのではなく守ることは、弱さではなく、外に向かって開いた強い魂の業である。

『「弱い父」ヨセフ --キリスト教における父権と父性 (講談社選書メチエ)』という本を書いていた時に何度も出てきたパラドクスだ。

そして、こういうセリフを居並ぶ「指導者たち」に言って、それをみながある程度謙虚に聴くのだとしたら、この新教皇が76歳であることもまんざら悪くないと思えてきた。

若手のエネルギッシュな教皇にアジ演説をされるより、現場の苦労をいとわずに何十年もやってきた年配の司牧者、という雰囲気の腰の低い人から言われると、みな、すなおに聞けるかもしれない。

新教皇をよく知っているラビが「あの人は、言っていることを、行動に移す」と評したそうだ。

「言行一致」の権力者なんてめったに見たことがないから、楽しみだ。
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by mariastella | 2013-03-20 00:08 | 宗教
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