3月23日の昼、カステル・ガンドルフに新教皇フランシスコのヘリコプターが着陸し、降りてきたフランシスコの方にベネディクト16世が歩み寄って抱き合った。
2人の教皇が出会うなどとは先例がないので、どういう手順にしたらいいのか関係者は悩んだらしいが、この二人はなんだか
すごくシンプルないい感じで自然に抱き合った。
フランシスコはコンクラーベの直後にB16に電話した。そして3月19日の就任ミサの時にも電話で挨拶した。聖ヨセフの祝日はヨセフ・ラツィンガーの洗礼名の祝日でもあるからだ。
フランシスコは相変わらず黒い靴で、B16の方ももう紅いモカシンではなく茶色い革のサンダルのようなものをはいていた。2人とも白い教皇服(イエスの受難の年と同じ33個ののボタンがある)を着ているが、B16はケープ状の上衣もなく帯も閉めていない。でも胸の十字架はB16の方が金色で豪華そうで、新しいものを辞退したフランシスコの十字架は地味だ。
こうして2人並ぶと、B16はなんだか急に老いた感じで、確かにもう体力の限界だったのだなあと納得できるし、相対的にフランソワが元気そうに見えて安心する。
2人で祈るためにチャペルに入った時、先に入ったフランソワは自然に教皇用の席に向かったのだけれど、杖をついて後から続いたB16が後ろの席に着こうとするのに気づいて、自分も下がろうとした。そこをB16が「いやいやあなたがどうぞそこに」という感じで遠慮するしぐさをして、結局2人とも、教皇用の祈祷台ではなくて会衆の席に並んで祈った。
ちょっといい光景だ。
図書室での会見の前に、フランソワがB16に「謙遜の聖母」のイコンをプレゼントして「謙遜というとあなたのことを思い出すんですよ」と言っている。
「謙遜の聖母」の図柄とは、普通は神の母や天の女王という絢爛な姿ではなく、外の土の上や布一枚の上に直接ひざまずいているような聖母子像である。あるいは頭上の輪に「謙虚」と書いてある。
B16が知らないはずはないのに、えらく感激したように、「聖母の召命には謙遜もあるんですね。聖母を忘れないようにしましょう」と言ってフランシスコの手を強く握った。なんだか、この二人って、とてもかわいい。
それから45分間、二人だけで話し合ったそうだ。
ヴァティリークスについて三人の枢機卿(選挙卿ではない)に調査を命じた報告書は一部だけヴァティカンの教皇執務室に保管されていて、フランソワはもうそれに目を通しているはずだが、それについてB16がさらなるコメントをしたのだろうと言われる。
同じ日、午後のパリでは、ノートルダム大聖堂の鐘がなり渡った。
復活祭の聖週間が始まる。
フランシスコは、聖木曜日のミサはヴァティカンでなくローマ郊外Casal del Marmoの未成年刑務所で行い、恒例の洗足も枢機卿たちの足でなく少年たちの足を洗うことになりそうだ。
ブエノスアイレスでの毎年の習慣を変えないということらしい。
教皇は絶対権力者でもあるからそれまでの習慣を急に変えても誰も文句を言えないのだが、あまりにもシンプルにやり過ぎる新教皇に対して「清貧を守ることとシンボルを捨てることとは違う」と批判する声も出始めている。
最初の歓迎ブームが冷めた時、何が彼を待ち受けているのだろう。