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L'art de croire             竹下節子ブログ

『フランスの不思議』(E. トッド)とレジス・ドゥブレの公開書簡

フランスの不思議は、エマニュエル・トッドとエルヴェ・ル・ブラのコンビが、フランスの今を分析した本だ。

日本にも「高度成長期」やバブル時代の後の「失われた20年」などという言葉があるが、フランスにも、「栄光の30年」という戦後30年ほどの成長期神話があって、その後の30年、特にミッテランの社会党政権ができて社会の潮目が変わってからの30年は「どんどん悪くなった」という通説がある。そこに例の「イスラムの台頭」がセットにされて語られるのも常だ。

今でも、フランス人の3分の2は将来に対して悲観的だという統計が最近出ていた。

でも、この本は、公平に見れば最近30年の方がその前の30年よりもずっと良くなっていると言っている。そして、問題は、「イスラムの台頭」などより、地方のカトリック(がゾンビ状態になっている)社会と無宗教的大都市部との間の分断が深くなっていることと、フランスが実は今でもカトリックのゾンビに強い影響を受けていることを意識していないことだという。ここでカトリックのゾンビというのはもうすっかり死に絶えたはずだと思われているものが生きて動いているというくらいの意味らしい。

確かに、今でも農業国としての存在感を保つフランスの地方の農村部などでは、昔ながらのカトリック教会が「氏神様」のように残っていて、つまり、信心組合のような組織がちゃんとある。日本のような「町内会」はないし、他の宗教も入ってこないから、カトリックのままだし、地方には高齢者も多く葬儀の問題もあるので、葬式カトリックは間違いなく生きている。
そしてそのような目には見えない部分が実は今のフランスのエネルギー源になっている。その証拠にかつての保守は右傾化しているし、今の社会党は中道化している。

で、なぜ今のフランス人がペシミストなのかというと、それは今の方が昔よりずっと「よくなってきた」ことの裏返しだという。

栄光の30 年には経済成長があったが、女性の社会進出は阻まれていた。凶悪事件も実は昔の方が多かった。高等教育を受けるものも少なかった。みなが「不平等」を受け入れていた。

今はみなが高等教育を受けたのにそれに見合った職が得られないのでより不満が高まり閉塞感がある。20代前半の女性の83%が働いているのに望むような雇用の安定や賃金が得られない。日常的に自分の命の心配をしなくていい安全な社会にいるからメディアが伝える少数の「凶悪事件」に関心を持って恐れるようになる。そもそも医学が発達して平均寿命が延びたが「安全安心への強いこだわり」とは高齢者に特徴的なもので、長生きしているからこそ、不安が増すのである。

このような話がこの本の論点になっている。

日本の状況とも共通する部分がある。

でも、日本では、

明治の廃仏毀釈と欧化政策、

第二次大戦後の国家神道解体とアメリカ化

という2度のダメージで、地方共同体の宗教は本当に死んでしまったか形骸化してしまっていて、ゾンビとして影のエネルギーを提供しているとは思えない(いわゆる新興宗教の方が影のパワーになっているだろう)。

私はミッテラン時代の前からフランスにいて社会の変化も観察してきたが、最初から、そのカトリック・ゾンビ社会に多大な関心を寄せてきた。

確かに、パリを中心とした都会のインテリ層と地方の昔ながらの共同体との空気の差は大きい。
私は前者の中で暮らしてきたわけだが、彼らにとって、後者、特にカトリック・ゾンビ社会は、フランス革命以来行きつ戻りつしながらようやく殲滅してきた社会で、「ないことにしている」ふしがある。

68年五月革命以前の世代のインテリはそれでも自分たちの戦ってきた「敵」の正体をよく知っていることが多いが、それ以降の世代のインテリは「移民」や「イスラム過激派」や「テロリズム」以外の「敵」を知らない。

都会(あるいは都会に出てきた)のインテリ層は、無神論、無宗教をデフォルトとし、その中で霊的なものを必要とする人たちは仏教徒になる。

そんな中で「カトリック・ゾンビ社会」にコンプレックスなく興味を持ち分け入っていく私は、仲間の無神論者を困惑させたが、まあ「外国人」枠ということで、リスペクトしてもらえたし、仏教者からも「なんとなく仏教文化の教養がありそうだから一目置いておこう」とリスペクトしてもらえた。地方のカトリック・ゾンビ社会でもすなおに大事にしてもらえた。彼らには「共和国的平等」の概念はないので、外国人のインテリでカトリック好きの私にはちゃんと「特別枠」で接してくれるからだ。

『フランスの不思議』は、そうしたフランスの知識人にかかるバイアスを解きほぐす書物でもある。

ポール・ニザンがトッドので祖父で、レヴィ=ストロースが大おじだ。ルロワ=ラデュリーは家族の友人だったとある。ルロワ=ラデュリーは、実証的な歴史学の立場から「宗教」の世界に分け入った。

去年の大統領選ではルロワ=ラデュリーがサルコジを支持し、トッドはオランドを支持して「革命」を期待したのに、オランドが次々と「公約」を反故にしていることについてもなんとか「説明」したかったのかもしれない。

私はそもそも今の社会党政権に最初から不信を抱いている。

サルコジがいろんな意味で極端だったから、相対的にはかなりまともに見えるが、実はサルコジより老獪なアメリカ寄りの新自由主義的エリートのにおいもする。

たとえば次のような経緯を見てみよう(以下『Le Monde diplomatique mars 2013』より)。

この3月は英米軍らのイラク派兵10周年だったので、いろいろな記録が公になって来ているのだが、2003年の時点で、ヴィルパンが国連でイラク派兵に反対する演説をし、シラク大統領が拒否権の発動も辞さないと言った時に、極右から極左までフランスはいっせいにその「アメリカにNOという」立場を支持したかに見えた。

しかしウィキリークスによると、当時社会党の国際関係担当官であり、現在は経済財務大臣であるピエール・モスコヴィシは、イラク戦争後にNATOに挨拶に行き、社会党がアメリカに対して悪感情をいだいていないこと、政権をとっていたらシラクのような立場をとらなかったことなどを述べた。

同じく社会党のミシェル・ロカールも、パリのアメリカ大使に、2003年のヴィルパンの演説を遺憾に思うこと、自分なら沈黙を守っていたことなどを語った(2005/10/24)。

シラク元大統領も回想録vol.2の中で、国民の大勢の支持を得られたもののアメリカのロビーの力は強く、政治エリートは一枚岩でなかったと書いている。特に、Medef(経営者団体)やCAC40からは、アメリカに譲歩しないと重要なマーケットを失うことになると訴えられた。

アメリカに与しないだけで「アンチ・アメリカ」だとレッテルをはるグループがいる。

それは、アメリカが、

「我々(フランス)が彼ら(アメリカ)の衛星になることを受け入れないと言っただけで即、侮辱だと見なす」 (ド・ゴール)

ことと呼応している。

このあたりのことは、『Le Monde diplomatique mars 2013』のレジス・ドゥブレの記事に書いてあった。

レジス・ドゥブレはこの記事を、ユベール・ヴェドリーヌへの公開書簡として書いている。

その事情はと言うと:

2003年に独仏(当時のドイツで当時野党だった現首相メルケルはアメリカを支持していた)が英米のイラク派遣に反対した後、サルコジの時代になり、2009年にフランスはNATOに「復帰」(ド・ゴールが脱退していた)した。

で、2012年に社会党政権になってから、サルコジ時代のその決定をどうしたものかと大統領の諮問を受けたヴェドリーヌが「このままでOK」と答申した。それ

を受けて、ドゥブレがフランスは「NATOから脱退すべきだ」と論陣を張っているのである。

理由は、北大西洋条約機構などと言っても実態はパートナーシップではなく、アメリカというハイパー軍事国によるヨーロッパの道具化であり、保護国化であり、アメリカの軍備を売るためのマーケット確保にすぎないからである。

ヨーロッパにおけるNATOの最高司令官はアメリカ人だ。

ポンピドーやジスカールデスタンの顧問であり、1987-93年の間NATOのオブザーヴァーでもあった大使ガブリエル・ロバンは、

「NATOは国際世界をあらゆる次元で汚染する。ヨーロッパの構築や安全保障を困難にするばかりか、特に問題なのはロシアとの関係を悪くする。国際軍事協定にも調印していないし、戦争以外の外交は想定していないし、国連の安保理事会の意見も聞かない。フランスのような国は、NATOのような無益で有害な組織に何も期待できない」

と切って捨てていたのだ。

サルコジは大統領になる前からブッシュを表敬訪問して2003年のフランスの「無礼」を詫びたことでも知られている。

で、NATOにも復帰した。

そして、次の社会党政権も、「NATOから脱退するなど現実的ではない、フランスはNATOとヨーロッパ連合の防衛の両立ができるはずだ」というようなアドヴァイスを受けているわけである。

こういう議論を読んでいると、なんだか昨今の、日本のPTT交渉参加に関する議論を思い出してしまう。

2003年のイラク派兵支持にしても、今年の3月20日の朝日新聞によると、当時の官房長官福田康夫元首相が、

英国外交筋から、ブレア首相がこの問題で議会演説をする前に英米への支持を表明してほしいと要請してきたので大量破壊兵器の有無などの情報のないままに支持表明したのだ

と言ったらしい。

当時、アメリカに盲従する日本は情けないと思ったが、あの時に敢然とアメリカに抵抗していたフランスでさえ、その裏で、あるいはその後NATOへの復帰を含めていろいろあったのだから、日本にはどうにもできないことだったのだろう。

もっとも、フランスがアメリカに抵抗して自主性を発揮するやり方は、平和主義などではない。


アメリカに負けずに武器や戦闘機をあちこちに売りまくることだったりする。

ド・ゴールだって、核兵器を所有したからNATOを脱退することができたのだ。

最近でも、リビアのアンチ独裁政権を支持すると称して武器を北アフリカにばらまいたし、今度はシリアの抵抗勢力に武器を渡そうなどと言っている。

「テロリストと戦う」という名目でマリではワハビストを追い出し、

サウジアラビアではワハビストと商売をして

シリアでは独裁政権の抵抗勢力の中にいるワハビストを無視できると思っている。

エリートたちのご都合主義は信用できない。

こうなると、イラク以来今のところ平和路線ではぶれていない「カトリック・ゾンビの感受性」に期待したいところだ。

「解放の神学」の先駆者となったブラジルのレシフェのカマラ大司教は

「私が貧しい者に食物を与えると、私は聖人だと言われる。
私がなぜ彼らは貧しいのかと問うと、共産主義者あつかいにされる。」

と言った。

「カエサルのものはカエサルに」という政教分離は、

教会が貧しい者に食物を与えることを受け持ち、

政治家が貧困をつくる社会の構造を改革する

という「分業」が成り立つ時には有効だが、政治が貧困を創り、維持し、強化しているような社会では、聖職者も積極的に政治参加せずにはいられない。

「神の前の罪」とは個人の罪だけではなく集合的社会的な罪もある。第二ヴァティカン公会議はそういう読みとり方を促した。

独居老人や病人、貧困家庭などの援助を使命とする社会活動型修道会の多くは今もその精神を維持している。

けれども、どこの国でも「ブルジョワ」教区ではそのような言説は嫌われ、「教会に政治を持ちこむな」と批判される。

富める国と貧しい国、富める人と貧困から抜け出せない人、遠慮なく弱者を恫喝したり搾取したりする強者、

今の世界の問題は普遍教会の問題でもあり、すべての国の問題でもあり、すべての人間の問題でもある。

怒りや絶望でなく連帯とオプティミズムによって、宗教やイデオロギーの差を超えたより平和な世界をつくる力になるのなら、不思議でも、ゾンビでも、ローマ法王でも、使えるものは何でも使いたいものだ。
by mariastella | 2013-03-26 01:25 | フランス
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