L'art de croire             竹下節子ブログ

プロテスタントの悪魔祓い

今までなぜかプロテスタントにおける悪魔祓いについて考えたことがなかった。
TVでアメリカの福音チャンネルなどでたまに見る福音派の集まりで、次々に並んで進み、牧師に手を触れられただけで卒倒する人などの姿を見ることはあったけれど、マインド・コントロールっぽくて忌避感をおぼえた。

一方、集団でなくて、信者が個別に聖職者に悪魔祓いを依頼しての儀式というのはなんとなくカトリックで古色蒼然としたまま一番発達しているものかなあと思っていたのだ。

20世紀の終り頃、心身医学の概念が市民権を持つようになってからカトリックのエクソシスムが増えたことはよく知られている。

フランスには1960年代に10人しかいなかった教会公認のエクソシストが今は10倍に増えていて、2011年のパリ司教区だけで1500人がエクソシスムや病気治癒の儀式を受けた。

ところが、2006年のフランスの改革派教会のアンケートでは牧師の80%が同じように悪魔祓いや病気治癒の儀式を依頼されたことがあると答えたのだそうだ。

考えてみると、新約聖書の中でイエスが使徒たちを、福音(天の国は近い)を伝えるようにと世に送りだした時に、

「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ10-8)」

と言っているのだから、「福音宣教」を自認する人たちにとって「悪魔祓いや病気の癒し」は根本にあるのだろう。

私がプロテスタントの悪魔祓いについて興味を持ったのはパリのプロテスタント神学院の学長でもあるラファエル・ピコン(4月8日に神学院でこのテーマについて講演する。聴講フリー)がエクソシスムと癒しの関係についてプロテスタントのアプローチを紹介する最近の本を読んだからだ。


かつて宗教や伝統によって安定した秩序が保たれていた共同体は、「神からの解放」で崩壊していった。

そんな時代に、「心身症の治癒に再び宗教を取り入れることで共同体を少なくともヴァーチャルに再建する」という意味は分かるのだけれど、それが再び人々を偶像神の支配下におくことに繋げるのではなく、別の「創造的な解放」に向かわねばならないという著者の意図には好感が持てる。
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by mariastella | 2013-04-07 19:58 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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