L'art de croire             竹下節子ブログ

洗礼の取り消し

フランスの共和国アイデンティティがカトリック教会との権力争いの中で築かれてきたのだということを実感することのひとつに、「洗礼の取り消し」というか、洗礼の記録の抹消を求める人の存在がある。

私のごく身近でも、仏教の受戒と戒名を受けるために洗礼の取り消し手続きをした人が複数いる。

普通の日本人にとっては、「自分は仏教徒だ」と言っても、戒名は死んでからもらうようなものだし、「ある仏教派の寺の檀家に生まれた」「法事を寺でやる」というほどの意味しかない。

日本では宗教の統計をとると神道と仏教で軽く総人口を越すくらいに帰属の基準は曖昧だ。

「キリスト教の洗礼を受ける」となると確かに教区の記録に残るわけだが、それをもとに何かを要求されるわけではないから、教会に縁がなくなった人でも別に気にしない。

カトリックとなると、洗礼と同様に結婚も秘蹟で記録に残るから、離婚したら、結婚無効の手続きをしなければもう教会では再婚ができない。

洗礼の方は、普通、2歳までの「幼児洗礼」は確かに本人の自由意思とは関係がないから、8歳くらいからカテキズムに通って信仰告白をしたり初聖体をもらったりする希望を自分で文書にしなくてはならない。

成人洗礼は最初から自分の意思であることが必要で、洗礼と堅信は同時に行われる。

子供の初聖体などはまあ七五三のようなものだから自分の意思といっても、家族の行事みたいなものである。

だからそれを過ぎたら教会に行かなくなるという子供が今や過半数である。

で、別に何の罪悪感もなく暮らしている。それが問題になるのは「仏教に改宗する」など、かえって宗教心の篤い人かもしれない。

後、時の教皇が何か反動的なことを口にする度に、「洗礼取り消し」の手続きをする人たちが出る。

反動的というのは中絶禁止とか避妊禁止とか、共和国の法律に抵触するような発言のことだ。

しかし、5月28日にカーンの高等裁判所で受理されて検討されるルネ・ルブヴィエという人の「洗礼取り消し」訴訟はかなり極端だ。

ルブヴィエ氏は1940年ノルマンディの生まれ。生まれて2日後に村で洗礼を受けた。

その後司教によって洗礼簿に「洗礼を否認した」という一句を名前の傍にすでに書き加えてもらえたのだが、今度は記録そのものの末梢を求めている。

子供の時に、両親など家族が多分良かれと思って教会に頼んだ洗礼を「なかったことにする」のは、なんだか変だ。「洗礼を自分の意思で否認した」という記録を残す方が、その人のアイデンティティに関する信念に合致しているだろうと思うのだが。

パン職人だったルブヴィエ氏は、2001年、61歳の時、教皇による避妊具禁止のコメントを聞いて洗礼取り消しを決心して司教に手紙を出した。

その前からすでに、「カトリック教会は蒙昧で教条主義」だと考える自由思想の信奉者だったのだ。

その結果、彼の洗礼記録の横には「2001/5/31付の手紙により否認された」との一文が加えられた。

ところが、それから10年も経ってから、友人たちによって記録そのものを消す要請ができると知って、今度は司教を相手に公に訴訟を起こしたのである。

彼の要請は最初は受け付けてもらえなかったのだが、2011年10月にクタンスの地方裁判所で取り上げられて、「教会による洗礼は個人の私的情報であり、民法の私生活のリスペクトに関する権利に相当する」とされた。

クタンスの地方裁判所で敗訴した司教は、そのような前例をつくることを恐れて上告することにした。

それが今回カーンで受理されたわけである。

「すべての人はある団体から離脱する権利があり、リストから名を消す権利がある」として、必要なら最高裁まで行くことを決意しているルブヴィエ氏は、それが自分の人生で唯一の良い行動になるかもしれない、とまで言う。

ユダヤやイスラムの割礼と違って洗礼は体にメスを入れることがないから、外的な跡は残らないし、教会で活動していない限り「会費」のようなものを払う必要もないのだから、問題はまったくイデオロギー上のものだと言える。

実際、彼は「自由思想連合」という思想団体に属している。

教会は明らかにしていないが、2008年の『ル・モンド』紙の調査では、フランスでは毎年千件ほどの「洗礼取り消し」があるそうで(教区に月平均10件)、毎年31万人という洗礼者数に比べると微々たるものではある。

教皇のコメントに反発しての洗礼取り消し要請の他に、「エホバの証人」や「ラエリアン」などの新宗教やカルトが信者に勧めるケースもある。フランスでは1996年にヨハネ=パウロ二世がランスを訪れてから洗礼取り消しの傾向が生まれたという。それまでは、ナポレオンとピウス七世の確執以来、200年近くも教皇はフランスに足を踏み入れていなかったのだ。

このようなこだわりは日本人にはなかなか理解できない。

地域の神社や檀那寺から信者としてカウントされていてもいなくても、「実害」さえなければ誰も気にとめないし、お宮参りや初詣に行くことも葬式だけ仏教に頼ることも普通だ。

「洗礼取り消し」が今でもイデオロギーになるくらいに、ある種のフランス人にとっては洗礼も教皇も逆説的に大切なのかなあと思う。

まあ、フランスでカトリックの洗礼式に出席したチベット仏教の活仏から、「自分が生まれ変わってくる予定の子供には洗礼を受けさせないでくれ」と言われたことがあるので、秘蹟のパワーというのは見える人には見えるものかもしれない。
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by mariastella | 2013-05-30 22:37 | フランス
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