ファン・エイクとファビエンヌ・ヴェルディエ
先日の仏教フェスティヴァルの記事でも書いたが、フランス人がフランスで禅僧の格好をしていたりするとなんとなく「どや顔」に見えてしまう。
実際、ジャポニスムの頃からそうだが、日本通とか中国通とかのフランス人は結構尊敬されたりするのだ。 フランス人のスノビズムのツボにはまるらしい。 でも、日本人の目から見ると、つい「どうせ外国人には日本文化の真髄なんて分かるまい」と思いがちだ。自分がどれだけ日本文化の真髄を分かっているかは問わない。(フランス人はその点鷹揚で、日本人がフランスの文化に心酔してフランスでその分野に進出しても喜ぶし本気で尊敬もする。) そういう偏見のせいか、私には、Fabienne Verdierという画家(書家でもある)のよさが全く理解できない。 彼女は中国で書の名人のところに6ヵ月毎日通って書を届け、ついに弟子入りを許可され、「その代わり10年はかかるぞ」と言われたエピソードを必ず語る。 その10年で老子の精神だとかを体得して禅画風の水墨画や書の名人になったそうだ。 その後でヨーロッパに戻り、今度はヨーロッパ文化のルーツに迫り、水墨の黒白の世界に色彩を取り入れて、西洋画の名作にインスピレーションを受けて東洋の境地に昇華するのを得意としている。 その手続きについて、複雑な分析やら再構成やらのステップを紹介する本も出していて、そこではモデルにする作品の緻密でアカデミックな研究を通してその本質を抽出するテクニックが「どや」とばかりに紹介されているのだ。 その一見知的なアプローチも、フランス人から見ると「ははーっ」と感心される点だ。 けれども、私にはどうしてもその「どや」の部分が分からない。 たとえば、彼女はヤン・ファン・エイクの有名な『ファン・デル・パーレの聖母子』を精密に解析して、そのダイナミックを抽出したとしてこういうものを描いている。 原画(122x157)に劣らぬ大作(180x120)である。 私にとってはこの聖母子像は、ディティールの書き込みのすごさに神が宿っているような感じがするし、登場人物の視線もおもしろい。 この絵の注文主であるファン・デル・パーレという神父が祈りの途中でふと目を上げたら、聖母子と、ファン・デル・パーレの守護聖人である聖戦士ゲオルギウス(聖ジョルジュ)や、所属するブルッヘ聖堂参事会の守護聖人である聖ドナトゥスなどが姿を現すというのがその構成だ。 聖母子の姿が映っている兜をちょいと持ち上げたゲオルギスは、聖母子にファン・デル・パーレを紹介するという格好だが、視線は幼子イエスの方を向いているようないないような曖昧なものだ。 ファン・デル・パーレはまだ全然聖母子の出現を感知していないで、どこを見ているのやら分からない。 ところが、聖母子とドナトゥスはそろってファン・デル・パーレを見ているのだけれど、それが 「何、この人」 という感じのわりとドライな視線なのだ。 極め付けは、幼子イエスの抱いている鳥(聖霊の鳩かと思ったが、嘴が曲がっているので別の鳥なのかもしれない)までが、やはり、 「なんだ、こいつ」 という感じで丸い目を向けていることだ。 ファビエンヌ・ヴェルディエはインタビューに答えて、 この聖母は命の息吹でアニマであり智恵の源である、私はファン・エイクの他の聖母子像もすべて詳細に研究した上で、クレーが「描線に夢をみせろ」と言ったように天と地を結ぶ三角形を描いた、これは老子の世界でもある、 などと言っている。 極東の思想とエックハルトやマルグリット・ポレートなどのライン神秘主義者の思想の間で普遍を見出したのだ、とも言う。 その成果がこの三角なのか。 これが、まだ50になったばかりのフランス人の美人画家でなくて、白いひげをたくわえた亡命中国人僧かなんかがフランドル絵画にインスピレーションを得たものがこういう三角に結晶した言っているのなら、はたして私の見方は変わったのだろうか。 正直、よく分からない。
by mariastella
| 2013-05-31 07:32
| アート
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