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L'art de croire             竹下節子ブログ

イランとチュニジアを見て人権とフェミニズムを思う

イランで2009年に改革派の抗議が沈静してしまった後、今回の大統領選にはずっと注目していた。

その後の4年間に「アラブの春」が起こり、どう展開してきたかをイラン人はずっと観察していたはずだ。

そこで学習した一つは「内戦を避ける」ということで、イラン人の「希望」は決して近視眼的ではない。

大統領選で最初に8人の候補がいた時、テレビで3度の政策表明があって、2度目に保守派が「国益よりもイスラムの光を世界にあまねくもたらすのが優先」と語ったのに対し、改革派は「経済の立て直し」を語った。

ここ2年来、25%の失業率、経済制裁による通貨の暴落、50%が貧困カテゴリーで生きるという社会では、イスラムがどうとかいうよりも生活水準の向上の方が緊急の課題であることはいうまでもない。

結局改革派が辞退して投票のボイコットを呼びかけていたのでどうなることかと思ったが、ぎりぎりになって穏健派のロハニ(日本人にとってようやく覚えやすい名前のリーダーが登場してくれた043.gif)への投票をよびかけた。

その結果、18時までの投票が23時まで続いたところもあったそうで、ロハニは第1回投票で過半数を得票して選出された。

まあ最終的にはイスラムの「最高指導者」というのが絶対権力を持っているのでまだまだどう転ぶが分からないが、内戦に向かわない改革は穏健の道しかない。

報道されたイラン投票所に女性の姿が多いのが目立ったので、期待できた。

トルコのデモ隊にも女性が多かったし、チュニジアのアラブの春のデモにも女性の姿が多かった。

そういう場所には希望がある。

人類の少なくとも半数を占めるのに構造的に搾取されている女性が解放されない限り真の人間解放はないからだ。そして女性たちが抗議行動に参加するというのはそれを支持する男性がいることでもあり、それまでの水面下の教育や思想の改革の努力が実ったということだからだ。

例をひとつ挙げよう。

ファウジア・レキクというチュニジアの女性物理学者がいる。

彼女は1960年代初めにパリで物理学を学んでいた。チュニジア人留学生の集まるル・ゲ・リュサックのカフェで、法学を学んでいたモハメッド・シャルフィと出会った。

シャルフィはイスラムの保守的な家庭で育ったのでイスラム神学にも通じ、その上でフランスの政教分離に強い共感を抱いた。

3年パリで学んだ後チュニジアで学生運動を率いたが、1968年に逮捕されて15ヵ月投獄された後、左翼運動から遠ざかった。
パリでもその他の地域でも同じなのだが、1970年前後というのは毛沢東思想や共産主義が台頭してきた頃で、左翼運動が過激化していったからだ。

1971年にパリで民法のアグレガシオンを取得してチュニスに戻った時は空港までからわざわざやってきた学生たちに歓呼の声で迎えられた。

彼は人権主義に基づいた政教分離の擁護者として1989年には教育大臣にまでなる(1994まで)。

一方、パリから戻ってチュニジア大学で物理学の教鞭をとるようになったファウジア・レキクは、そのシャルフィと結婚して3人の娘を生んだ。

単に人権主義とか思想の自由とか政教分離とかだけを標榜している男は実力行使をいとわないで過激化していくことがある。そのような道をとらずに穏健な方法でじっくりと社会を変えていくタイプの人は、娘を持つ家庭をなした人に多い。自分の娘の将来を考えてはじめて、女性の抑圧されているところには人間の解放がないと気づくからかもしれない。

シャルフィは3人の娘サミア、ファトマ、レイラが学校でアラビア語、歴史、宗教・哲学教育の中でどのようなことを教えられているかを観察して丹念に分析した。

その結果はひどいものだった。

子供たちは「共和国」に住んでいると教えられるのに同時に唯一の正しい体制はカリフによるものだと教えられる。一夫多妻が禁じられている国なのに宗教・哲学のクラスでは一夫多妻の利点を教えられている。

これでは子供たちに共和国理念など育つわけがない。

シャルフィはチュニジア人権同盟を率いた後で、1989年に教育大臣にまでなり、市民教育の強化と批判精神の養成などの教育の改革に尽くした。

彼の努力が、「アラブの春」で先頭に立った若い世代の男女を育てたといえるだろう。

彼は「アラブの春」を見ることなく2008年に死んだが、妻のファウジア・レキクは、ベン・アリが去った後の暫定新政権で教育国務大臣となり、女性の結婚年齢を17歳以上にすること、女性の合意なしに結婚できない法律の成立に関与した。

その後で政治からは去ったが、チュニス大学物理学教授であり続け、今年の春にフランスで『ヴェールをかぶった科学』という著書を発表している。

「科学」はフランス語で女性名詞であるので、女性と同じくイスラム・スカーフをかぶせられたという意味である。

この本によると、1970年代にすでに、チュニジアではイスラムによる科学の統制が始まった。

夫が逮捕されたのと同じく、世界的に過激な左翼が台頭した時期だったので、それを警戒するためにイスラム勢力が反応したのだ。

イスラムと言えば中世から何世紀もの間、科学や文明の最先端を担ってきた歴史がある。科学的蒙昧とは縁遠かったはずだ。

で、なんと、科学の統制政策のために、アメリカの原理主義者の創造論などを研究したらしい。

つまり、科学をコーランとの整合性に照らし合わせて規制するというやり方だ。

これは科学と信仰などという問題ではなく、教条主義と思想の自由の問題である。

つまり、信仰ではなく政治なのだ。

イスラム原理主義が、アメリカのキリスト教原理主義からヒントを得るのだから、権力者のイデオロギーとはやすやすと宗教や文化の壁を越えるということである。「一神教同士の対立」なんてない。

チュニス大学で物理学を教えていたファウジア・レキクは、「光の速度は有限である」と教えた時に、コーランと矛盾するという否定にぶつかった。アインシュタインは間違っているというわけだ。

ファウジア・レキクは、人権擁護と政教分離の専門家である法学者の夫とは別の立場から、科学の自律、思想の自律、信教の自律、「考えること」の自律、批判精神の大切さを唱えるのである。

この人が女性で3人の娘の母であるというところに、チュニジアの希望が感じられる。

若者たちが失望し、今やあちこちで暴力的な衝突が起こっているというチュニジアだが、こんな人たちがいる限りは「アラブの春」で芽吹いたものが花咲く前に枯れてしまうことはないと信じたい。
by mariastella | 2013-06-17 00:17 | フェミニズム
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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