L'art de croire             竹下節子ブログ

ブラジルの世界青年の日に思う その1  教皇たちの革新性

ブラジルのリオデジャネイロで世界青年の日が開催されている。

今年で28回目になる、若者を対象にしたカトリック世界最大の国際イヴェントだというのだが、カトリックという形容を抜きにしても同じことだ。

若い世代のみを対象にして、国を変えながら、世界中から若者が集まるこのような大がかりな国際イヴェントは他にない。

第一、ネーミングも世界青年の日、ワールド・ユース・デー(以下WYD)ということで、そこに「カトリック」という言葉は冠されていないのが象徴的だ。

今回は、初の南米出身の教皇がはじめてヨーロッパを離れる遠出で故郷の南米大陸へ戻る形になる。

2005年に初のドイツ人教皇であったベネディクト16世(以下B16)が就任してはじめてのWYDで、出身国ドイツのケルンに赴いて熱狂的に迎えられた様子を思い出す。

その時、B16は、

「聖人たちは改革者だと言われるが、私はもっとラディカルに表現したい。が聖人たちからのみ、神からのみ、真の革命、世界の決定的な変化がやってくるのだ」

と若者たちに語った。

今の教皇フランシスコは、今回ブラジルに発つ前に一度だけローマを離れている。

シチリア海峡にあるイタリア最南端のランペドゥーサ島の訪問だ。

この島はイタリア本土よりアフリカに近いので、ヨーロッパをめざすアフリカからの難民たちが何十万人も船で漂着してくるのだがその多くが難破し、悪条件の航海で死者や病者もたくさん出ている。

ムスリムがほとんどで、いったんイタリアで難民として受け入れられれば、ヨーロッパ内では通行自由となるので不法移民の問題として各国から白眼視される。

そんな中で、そもそも「国境」を設定しない普遍宗教で特に移動の民や外国人を尊重するキリスト教のグループを中心に、現地の人々は必死で難民の世話をしてきた。

そのうちの一人の聖職者の訴えに応えて法王がはじめてローマを離れてやってきたのだ(7月8 日)。

沖で花輪を海に投げ、遭難者のために祈り、その夜からラマダンに入るムスリムたちの、より尊厳ある生活の希求に教会は寄り添うと述べ、難民の窮状に無関心である世界を激しく非難した。世界に蔓延する「無関心」こそが神に対する罪なのだと。

この人を見ていると、カトリック社会主義というものの堅固さがよく分かる。

今のローマ・カトリックのいうことなすことが信頼できると思うのは、ヨーロッパでカトリック教会、いやキリスト教そのものが急激に廃れてマイノリティに「成り下がった」おかげだと思う。

キリスト教は、辱められて苦しみ死んだイエスが復活してこそ成立したわけだから、「権力の側にあるキリスト教」などはすでに本質的な使命を全うできない立場だ。

そんな歴史をくぐりぬける中で世俗主義や無神論や人間主義を内からどんどん産み出しながら、カトリック教会はいったん抜け殻のようになって、そのおかげで、「最も小さき者、最も貧しい者」と同一化し仕えるという初心に還ったとも言える。

日本のような国から見ると、ヨーロッパにはキリスト教文化遺産がたくさんあるからまだまだカトリックの本場のように思えるのだが、実は、その凋落ぶりは日本における神道や仏教離れなどの比ではない。

日本の仏教など、もともとローカルな氏神や自然神に代わって「鎮護国家」のツールとして導入されたわけだし、最初から権威を纏っていた。

キリスト教の方はその成立時からヴァイオレントに迫害され、大量に殉教者を出し、その後で奇跡的にヨーロッパ文化圏の芯となったのに、再びヴァイオレントなイデオロギー闘争の中で敗北し排斥され、辱められて、そういう試練の中で本来の使命に収斂していったという現在がある。

だから、近代の思想闘争のなごりで、カトリック教会がどんなに保守的だとか反動的だとか前近代的だとか頑迷だとかあいかわらず非難されていようとも、もう失うものは何もないカトリック教会は、実は「革命的」なのである。

ヨハネ=パウロ2世(以下JP2)が最初にWYDを企画して、若者たちに歓呼で迎えられた時、ヨーロッパのメディアは、「ローマ法王=保守で頑迷」と現代の若者たちの組み合わせはミスマッチであると見なした。

JP2の個人のパフォーマンスが若者に受け入れられているだけで、カトリックの時代遅れな見解(避妊・中絶禁止だの女性司祭不可だの離婚再婚不可だの…)は到底若者に支持されないと決めつけ、若者たちを「歌手のファンであるが歌っている歌は受け入れない」状態だと揶揄した。

しかし、そのJP2よりもさらに保守的で頑迷だといろいろな非難の対象になったB16が教皇になってからも、WYDはますます盛り上がり、若者たちはアイドルに熱狂するかのように教皇を迎え続けたのである。

これはどういうことだろうか。

若者たちは、教会が真の「革命」の信頼できる担い手だということを直感したのだろうか。

WYDの目的は若者たちにモラルの説教をすることではない。若者たちをリスペクトし、イエスが弱者の側に立って殺された後で復活した救い主だというよき知らせを分かち合うということに尽きる。そのことがどうも彼らにははっきりと伝わっているようなのだ。(この項続く)
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by mariastella | 2013-07-23 08:13 | 雑感
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