L'art de croire             竹下節子ブログ

Splendeurs du maniérisme en Flandre フランドル絵画のマニエリスム

フランスのフランドル地方Casselにある県立のLe musée départemental de Flandreで、フランドル派絵画マニエリスムの特別展を見てきた。

平野の続くフランドル地方では小高い丘風のカッセルもMont Cassel と呼ばれて、狭い敷石道をくねくね登っていかなければならない。

フランドルの田舎のうちを売って以来もうずっときていないし、新装なったこの美術館に来るのはもちろん初めてだ。

昨年のリールの「フランドル風景の寓話」展を観た延長だと言える。

シニア料金たった3ユーロと安いが、カタログも音声ガイドも充実、90点以上の作品がテーマごとにうまく配されている。外から見ると小ぶりの美術館なのに中はかなり広い。

内容も期待通りだった。

最近別のところで一五世紀フランドルのロベール・カンパンの『受胎告知』図について書いた。

天使ガブリエルがせっかく「受胎告知」に来ているのに、マリアは謙虚に手を合わせるどころか分厚い本を読むのに集中していて天使の登場をほとんど無視しているように見える図だ。

同じカンパンの『聖母の授乳図』にも、授乳をはじめる聖母の脇に読みかけの本が広げられているのが見える。

聖母の脇の「書物」というのはもちろん聖書、福音書、すなわち幼子イエスのその後の運命を示すアイテムの一つであるのだが、神殿に仕えて書物の研究をしていたというマリアと本が切っても切れない関係にあったというイメージが流布していた時代もあった。

この特別展のPieter Coecke d’Alost(1502-1550)の作品に、『大天使ガブリエルと聖母子』というのがあって、そこではガブリエルが百合の花を赤ん坊イエスに捧げているのだけれど、イエスを膝にのせたマリアは天使のことなど気づいていないかのように足元に広げた本を読んでいる。

本の脇には受難の血を現すサクランボや、イエスが償うことになるアダムの原罪を象徴するリンゴなどが置かれているから、本もお決まりのアイテムとしてそこにあるれていることには違いないのだが、10代で母となったこの早熟な少女が、受胎告知の時からずっと一貫して、本を読むことに熱中していたのだと思うと何かおかしい。

大天使ガブリエルもそんなぶれないマリアにことさら驚くこともなく赤ん坊を見守っている感じである。

この特別展については書いていると長くなるのでまたの機会にするが、もう一つ印象的だったのはMichel Sittow(1469-1525)の最後の審判図である。

この中央の復活のキリストの感じが、私には、なんとなく、アルビのサント・セシルバジリカ聖堂の最後の審判図の失われた中央部を連想させる。

アルビの方は1480年頃の製作とされているから少し古い。

フランドルのものは、地獄で苦しむ人の描き方がアルビのそれよりもずっとユニークだ。

口を開けて恐怖や苦しみに叫んでいる下の人々に混じって、しかめ面で腕を組んで「これは、すなわち、あれかね…」と自問しているような男が一人いるし、よく見れば血の池地獄みたいなところで救いを求めて騒いでいる人たちの中にも、一人温泉にでも使っているようなのんびりした表情の男がいるのだ。

それを見ていると、地獄の苦しみとは「恐怖」の中にだけあるのだなあ、と理解できてしまう。

第一、天国にいる人たちも別に嬉しそうでも幸せそうでもなく、取り澄ましているか陰気な顔をしているかなので、そう羨ましくもない。

さすがにキリストや大天使はのっぺりとした余裕のリラックス顔だけれど。

ほんとうは、キリストの聖母との別れの図などにおけるバロック・ジェスチュエルとマニエリスムの関係について書きたいのだけれど、リンクできる図像がネット上では見つからないので別の機会を待つことにする。
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by mariastella | 2013-08-03 08:42 | アート
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