L'art de croire             竹下節子ブログ

リシュリューの猫 その7

13番目の猫はGazetteガゼットちゃんだ。

ガゼットとは後に「新聞」となる定期刊行物である。

リシュリューはフランスで最初のガゼット発行を主導したことで歴史に名を残す。

発行者はテオフラスト・ルノドーだ。

ルノドーは、プロテスタント出身の医師だった。後にリシュリューが陥落させたプロテスタントの牙城モンプリエの医学校では、プロテスタントの学生でももちろん受け入れられていたから医師になれたのだ。

17世紀の初めごろ、社会の貧富の差が拡大し庶民が苦しむのを見て、社会改革を目指し、マリー・ド・メディシスの内閣に『貧者の条件について』という論文を上奏した。

それが評価されて1612年にルイ13世の侍医の一人としての称号を得るがカトリック勢力にはばまれた。

結局1625年ごろにカトリックに改宗し、リシュリューの内閣に参与した。

求人と求職の情報を載せる印刷物も発行している。社会政策を標榜することは変わらなかった。

同じ流れで、1631年5月30日に、フランスで最も古い週刊新聞となった『ガゼット』をリシュリューの肝いりで刊行したのだ。

ガゼットとは装丁なしの情報誌で、その語源はヴェネツィアのGazeta de le noviteという新聞が16世紀の貨幣gazeta硬貨一つの値段だったからだとか、宝や富をあらわすラテン語のgāzaに由来しているのだとか諸説ある。

ともかく政府主導で刊行され800部を刷るようになったこの新聞が、『ガゼット・ド・フランス』と名を変えて革命時代なども経てなんと1915年まで続いたというのだから大したものだ。

ヨーロッパ全体で見ると最も古い新聞はストラスブルクで1605年に発行された4ページの週刊紙で、« Relation aller Fürnemmen und gedenckwürdigen Historien »(すべての重要で記憶すべき話の報告) というものだった。

フランスのガゼットより後にスウェーデンのクリスティナ女王が1645年に出した新聞はなんと2006年末まで続き、その後も紙はなくなったが今も電子版が続いているというから、ヨーロッパの新聞の息は政治形態よりも安定して長いようだ。(イギリスの最初の定期刊行物は1622年の『Weekly Newes from Italy』だったそうで詮索するとそれもなかなか興味深い。)

さて、リシュリューの『ガゼット』は金曜発行の4ページ(週に寄っては12ページに上った)もので、外国のニュースとパリのニュース、宮廷のニュース、外交と政治情報が主な内容だったが、当然リシュリューの政策を支持するものである。
1634年には主だった事件を特集する別冊も発行されるなど人気を博し、17世紀末には郵便制度の発展によってかなりの部数に達したらしい。

リシュリューは1642年に、ルノドーも1653年に世を去り、ルノドーの子孫によって受け継がれたガゼットは、ルイ14世の絶対王政の時代を経て1762年、『ガゼット・ド・フランス』として政府の広報紙になった。

それ以来、政権が目まぐるしく変わっても、時の政府の広報誌としての役割を果たした。革命で国民国家の概念が生まれルイ16世が処刑された後は『ガゼット・ナショナル・ド・フランス』となり、ナポレオン時代にも慎重に中立を保ちながら1915年まで存続したのだ。

ガゼットちゃんという名の意味と語感からは、あちこち飛び回っておしゃべりな猫がなんとなく想像される。

『ガゼット』が登場した1631年に以後に生まれた猫なのだから、リシュリューの死の床の近くにそのガゼットちゃんが丸まって静かに喉をならしていたという可能性も、充分あるだろう。

「ガゼットはどこだ」と猫を探すリシュリューに新聞を持ってきたり、

「ガゼットはどこだ」と新聞を探すリシュリューのもとに猫を連れてきたりした召使もいたかもしれないな。
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by mariastella | 2013-08-22 02:23 |
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