L'art de croire             竹下節子ブログ

リシュリューの猫 その8

このシリーズ最後はリシュリューの一番のお気に入りだったという

Soumise スミーズちゃん。 

ペルシャ猫だったらしい。いつも膝に乗せていたとか。

このネーミングは何か不思議だ。

Soumiseとは服従した女性、従順な女性という意味だ。

猫、特に雌猫にはあり得ないような性質である。

いや、ひとつだけあり得るかもしれない。

スミーズちゃんのことを考えるとどうしてもラグドールを連想してしまうのだ。

ラグドールは抱き上げると腕の中でぐったりと脱力するのでぬいぐるみのようだと言われていて、抱っこ好きの猫飼いなら一度は憧れる。

1960年代にアメリカでアン・ベイカーという人が、ジョセフィーヌというペルシャ猫の産んだ3匹の子猫たちがみな異常におとなしくて愛情深いことに気づき新種として改良することを思いついた。

売りだすにあたって、猫が抱っこに抵抗せずに、布の人形ラグドールのようにぐったりと身を任せることの不思議について、遺伝子の突然変異だとか、神さまのプレゼントだとか、宇宙人に拉致されて返されたからだとか、さまざまな説が広められた。

新種猫の販売にマーケティングが利用された最初のケースだと言われている。

ラグドールはあまり声を出さずひたすらおとなしく、室内にいるのが好きでおっとりしている。警戒心がなく簡単に服従する。

「服従」…。スミーズちゃんそのものだ。

といっても、猫飼いは、猫を犬のようには服従させようなどと思わない。

抱かせていただければ、愛撫させていただければそれで望外の幸せを感じる。

普通は、猫飼いの方が猫に服従しているくらいだ。

腕の中でぐったり身をまかせてくれるなんて、猫飼いなら想像しただけでも萌えるだろう。

これまで見てきたようにリシュリューの他の猫たちはけっこうにぎやかでいたずらっぽいイメージだ。

そんな中に、突然、一匹だけ、ぐったりごろにゃん猫が登場した。

20世紀のアメリカで「これは売れる」と思って商品化された最初のラグドールたちのように、ペルシャ猫の中には、何らかの変異で警戒心がない脱力系が生まれることが昔からあったのかもしれない。

だとしたらリシュリューのお気に入りになったことも分かる。

リシュリューは権勢を誇っていたが、失脚した王母や王弟をはじめとして多くの敵がいたし、陰謀、暗殺計画もたくさんあった。
それを事前に摘発するために公的なスパイ制度をはじめて作った人でもある。
心の休まる暇はなかっただろう。命を狙われ続けていた。

逆にリシュリューの怒りをかわぬよう表向きは忠誠を誓っていた人や服従していた人ももちろん多い。

そんなリシュリューには犬は必要ではなかった。三銃士のような親衛隊を何百人単位で抱えていた。

で、自由でおもねらない猫たちに安らぎを求めた。弱い猫を無償で保護し愛して、さらに自分の方が猫のご機嫌をうかがうことに倒錯的な喜びすら覚えたかもしれない。
いや、カトリックの高位聖職者の称号を持って説教などしていた人だから、猫に対する時にだけ「弱者に仕える」キリスト教的愛の実践をすることで良心に折り合いをつけていたのかもしれない。

そんな自由奔放、我儘放題の猫たちの中に、唯一、天然ラグドールの美しいペルシャ猫がいた。

スミーズちゃん。「お気に召すまま」ちゃん。

権力者に対する下心もおもねりも恐れも崇敬もなく、ただ、ぐたりと身を任せる猫。

フランス絶対王政の基礎を作り軍事にも政治にも文化事業にも超人的なパワーを発したリシュリューのさぞストレスフルだった生涯を思う時、スミーズちゃんは彼にとってこそ「神からの賜物」だったのだなあと思う。

今、多くの国でラグドールは純血種のうちトップ・テンに入る人気者である。

1960年代半ばにラグドールの母となったペルシャ猫の名が、フランス革命を経てナポレオンが皇帝になった時にナポレオンの手から冠を受け取った皇妃ジョセフィーヌの名だった。
ジョセフィーヌはナポレオンとの間には嫡子が生まれなかったが最初の結婚で生まれた娘を通して孫が後の皇帝ナポレオン三世となっている。
奔放で恋多き女性だったので従順とは正反対の人だったが、「ラグドールの母猫」の名として猫の歴史にも縁ができたわけだ。

リシュリューが今この記事を読んだら、なんというだろうか、ちょっと聞いてみたい。
[PR]
by mariastella | 2013-08-23 00:20 |
<< バーナード・ショーの『ジャンヌ... リシュリューの猫 その7 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧