L'art de croire             竹下節子ブログ

ヴォイニッチ手稿

Arteでヴォイニッチ手稿のについて謎の特別番組をやっていた。

コリン・ウィルソンの小説などで読んだだけであまり詳しく考えたことがなかったが、ネットで検索すると今は全編がPDFで閲覧できるのだ。

なかなかエレガントでなごむ図が多い。

番組の内容は、現在ネットで知ることのできる以上の目新しいことはなかった。

アリゾナ大学のカーボン14による紙(仔牛の皮)の年代測定で1404-1438年の間のものだと分かったので、今まで言われていたロジャー・ベーコン(13世紀)説やダ・ヴィンチや、最も可能性が高いと思われていたエドワード・ケリー説が覆された、用紙も染料も立派なもので、17000字、200ページ以上に至る内容も凝っているから、費用と時間と技術を費やして作成されたものであること、つまり、素人の手すさびなどではなく、パトロンがいたか、あるいはパトロンから金を引き出すために巧妙にしくまれたものであること、などである。

早すぎるロジャー・ベーコンはともかく、後世の人間が15世紀の用紙を使ったということは考えられる。

また、唯一実在していそうな事物である城塞の絵は、15世紀の時点なら、北イタリアのどこかの城をモデルにしたいたのではないかという。

で、1500年前後のミラノかベニスで、時間と費用と技術を調達できた誰かが作ったのだろうという推測がなされているのだが、私は、今となっては、それが誰か歴史に名を残す著名な絵師とか錬金術師とかが匿名で作ったと特に考える必要はないと思う。

もちろんロジャー・ベーコンとかダ・ヴィンチだとか、その他、美術史や思想史の流れを変えたような天才はいる。

けれども、そのようなよく知られた天才でなくとも、ルネサンス時代の北イタリアになら、ヴォイニッチ手稿で知の冒険やら周到な知の悪戯を仕掛ける意思と費用と時間と技術のあった無名の人だっていたと思うのだ。

変な話だけれど、ここ数年、匿名のブログをいろいろ渉猟していくうちにますますそんなことを思うようになった。すなわち、一昔前までは、学会で認められるとか商業的に出版できるとか、少数の人の作品しか、多数の人の目にはとまらなかった。でも、今は、そのような流れにいない人たちが自分のうちの自分のPCの前で実にいろいろなことを発信しているのが分かる。

玉石混交であることは間違いないけれど、ともかく「玉」は存在している。

商業的や社会的に認知されている人以外にも、それと同等かそれ以上の力量を持った人々はたくさんいるのだ。

あたりまえかもしれない。でも、つい10年くらいまでは意識していなかった。

今は、いたるところに能力のある人がいることを実感する。

たとえば、1500年のイタリアに1人のダ・ヴィンチが出たのたなら、実は、ダ・ヴィンチと同じ力量を持った人だってけっこういたはずだろうと想像することは難しくない。

少なくとも、ヴォイニッチ手稿を作成できる程度の想像力と画力を持った人が歴史的には無名で終わったとしても別に不思議ではないと思うのだ。

ネットは時と空間を超えてあらゆるところに窓を穿ってくれる。ヴォイニッチ手稿の魅力を再確認させてくれるとともに、すばらしさの民主化のような状態を見ると、その魅力がなぜか薄れてくるような気がするのは私だけなのだろうか。
[PR]
by mariastella | 2013-10-08 07:47 | 雑感
<< 弦楽四重奏について 第五共和制の限界 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧