L'art de croire             竹下節子ブログ

ゲイのカップルについて解けた謎

西原理恵子さんの「毎日かあさん」のネットで見ることのできた分(2013/10/7)に、西原母娘がネット動画の子犬や子猫をよだれを垂らしながら見ているシーンがあった。

そばには本物の猫や犬がいて、「わたしがいるのになにごとですにゃー」とか「どうしてこっち見てくれないわん」と言う。
あわてた娘さんは「そ、それはそれ、これはこれ」と弁解し、母は、

「たとえ彼女がいてもエッチな画像を見てしまう男心とは今のこの状態を指します」

と娘に説明する。

ついでに、猫カフェについて「お店に新しい子入りました」と情報が入ると、「何、若い子か ?」と色めきたち、子猫を見ると「ちょっとさわってええかー」と相好をくずす客について、

「世間のおとうさんがキレーな女の人のいるところでお酒を飲む」

のと同じだと解説する。

笑えた。

私は毎日毎日、一度はネットで猫ブログや猫サイトを開いて、動画を見たり写真を見たりしては「かわいいー」とでれっとするのだが、その横には本物の愛猫のスピノザがちょこんと座っていたり、しっぽでキイボードをぱんぱんしたりしているのだ。
もちろん本物の猫もしょっちゅう撫でてやったりかまってやったりするが、他のかわいい猫を見るのも飽きない。

西原さんの説明はすごくよく分かる。

彼女がいるのにエッチ画像を見たりキレーな女の人に接待しにもらいに行ったりする男は、こそこそやらないと、たいていは彼女に叱られるだろう。

で、私がいつも不思議に思っていたのは、私の周囲にいるゲイのカップルの自宅に筋肉質の男のヌード写真や絵やオブジェがあれこれ飾ってあり、レズビアンのカップルの自宅には、豊満な女性ヌードの絵などが飾ってあることだった。

現実の自分たちよりもたくましい男の体だとか、セクシーな体の若い女の体などを自分の相方が見るのは嫌じゃないのだろうか。外見よりも人間性、取り換えのきかない自分だけを見てほしいと思わないのだろうか。私なら「自分の彼」がどこかの美女の写真を観賞用に飾っておくなどとても我慢できない。

しかし、どうやら、同性愛カップルの彼らや彼女らは、それらの「観賞用の図像」をいっしょに眺めては鼻の下をのばしているらしい。その心理が分からなかった。

そうか、猫か。

猫好きな人は、自分の猫はもちろん大好きだけれど、よその猫も好き、姿を見るだけでも好き、子猫の画像など見てうっとりしたり肉球の画像を見て萌えたりする。
それで自分の猫への愛が減るわけでも何でもない。

それに比べると、男女のカップルというのは良くも悪くも「飼い主と犬」との関係のように共依存的なものが多いのかもしれない。

互いに「ナンバーワン」や「オンリーワン」の忠誠を求めたくなるし、そのような「特別の関係性」の維持を前提としている。
子育てなどには安定した家庭が必要だからおのずとそうなっているのだろう。

男女の関係があまりにも「対等」で「自由」だと、簡単に別れそうだ。

いわゆる「夫唱婦随」など、微妙な「支配‐被支配」の関係が合意されている方が長続きするのかもしれない。

それは互いの「所有」意識にもつながる。まさに「自分の彼」とか「自分の彼女」だからこそ危機管理が必要となるわけだ。

で、犬は「自分の犬」になっても、猫は完全に「自分の」猫になどなってはくれない。

猫はただ、かわいい。

猫好き同士が猫写真や猫グッズを見せあってデレデレしているのが楽しいように、同性愛のカップルが魅力的な同性の写真や絵をいっしょに眺めてデレデレするのもさぞや楽しいのだろう。

そうなると一番つらいのは同性愛者なのに世間的な理由で異性と家庭を持って暮らしているような人たちだろうな。

人生の雨の日にも嵐の日にも絶対に変わることなく寄り添ってくれる犬と暮らす人はもちろん幸せだ。

猫型同居か、犬型同居か・・・

うちでは犬を飼いつつ、よそでは猫にデレデレするのは許されるのか。

人でも動物でも、苦しい時とか弱った時にどのような思いやりを自然に持てるのか、あるいは育んでいけるのかが永遠の課題なのかもしれない。
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by mariastella | 2013-10-10 00:44 |
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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