L'art de croire             竹下節子ブログ

ウディ・アレンの『ブルー・ジャスミン』を観た

『Blue Jasmine』は、ウディ・アレンがヨーロッパを離れてアメリカを舞台に撮った映画だけれど、欧米のカルチャーの違いよりも、アメリカ東海岸のブルジョワ・セレブと西海岸プロレタリアのカルチャーの違いの方が強烈だ。

というよりも、今の時代、国や歴史や文化の差よりも、新自由主義経済で広がった先進国内での「貧富の差」の方が普遍的現象になっている感を深くした。

金や地位がある者が即「勝ち組」というような「序列」がベースになって消費社会を煽っている一方で、金や地位を断罪する二元論的ディスクールもたくさんある。

つまり、金や地位は悪いことをして手に入れたに違いない(先住民を虐殺した、奴隷の労働を搾取した、侵略戦争をした、脱税や詐欺をした…)という決まり文句だ。

そのせいで、金や地位のある人は、「罪滅ぼしのためにチャリティ行為に精を出す」し、金も地位もない人のルサンチマンからは、

「あいつら(セレブ)は今に悪が発覚して没落するに違いない、いや没落しなくても、ドラッグやアルコールやストレスで自滅して不幸になるに違いない」

という期待と、その裏返しとして

「金も地位もないうちらの方が幸せかも」

という満足も生まれる。

実際は、金も地位もあって精神的にも充実している人もいれば貧乏な上にいがみ合って不幸のどん底にいる人もいるのだし、どの人も人生でそれなりの大波小波に翻弄されるのは言うまでもない。

ウディ・アレンの切り口(過去と現在の重層)やシナリオ(セリフ)は名人芸だし、主演のケイト・ブランシェットはウディ・アレンの世界にいながら独自の世界を失っていない名演だ。

ヒロインのジャスミン像を語る時、『欲望という名の電車』のブランチが引き合いに出されているのだが、この作品にはさらに今日的な普遍性がある。

つまり、今は、普通の人でも、セルフ・プロデュースしたり自分を等身大よりも大きく「見せる」ことや「売る」ことを社会やメディアからたえず刷り込まれていたりする時代だからだ。

特に女性にのしかかるこの「強迫」(いつも若く美しくおしゃれで人から羨まれる存在でいたい)は根深い。

最近テレビで『ソーシャル・ネットワーク』(2010)を観たところなのだけれど(この映画も時間軸の交差が巧みに使われている)、『ブルー・ジャスミン』と比べてみると、セレブとかサクセスストーリーにおけるジェンダーの差が明らかに分かる。

Facebookを創設したマーク・ザッカーバーグのキャラクターはアスペルガー風に書かれているので世間の評価とはあまり関係がない感じだが、彼を訴えて賠償金を得た双子の兄弟などは、ハーバードのエリートである上にもともと金持ちの息子で容姿もよく、スポーツでも認められていて、女性にももてて、それでも、この訴訟を起こした、つまり、金や権力や名誉の追求において男たちは自分たちの能力の承認欲求が強いのだ。

ブルー・ジャスミンのヒロインのように大学を中退しようともセレブの妻になりさえすれば100%の満足を得られるのとは根本的に違う。
「男にセキュリティと尊厳を与えるのは仕事であり女にセキュリティと尊厳を与えるのは結婚である」と誰かが言っていたが、そのような感覚は21世紀のアメリカのセレブにも根強いということなのだろう。

だからこそ、没落したジャスミンはサンフランシスコでも自分にふさわしい男を見つけた時に、彼を陥落するために嘘を重ねることになる。
「人は自分をリメイクする権利がある」と信じているからだ。
社交界で優雅にやっていた自分がレジ係になることはあり得ない、自分の特技はインテリア・デザイナーだ、と思い、プロのインテリア・デザイナーとしての勉強を始める前にもう自称している。

日本でも、まだ何も修行していないし実績もないのに「クリエーター」などの「横文字の肩書き」を自称する現実感のないモラトリアム人間の話を聞くけれど、横文字世界のアメリカでも同じような「おしゃれな幻想」があるのだと分かる。

幻想と言えば、ヒロインがフランスやパリに託すものも一昔前からの日本人と変わらない。

そもそも「ジャスミン・フレンチ」と名乗っているし、上流の証としてヴィトンやシャネル、ディオール、パリ、リッツ、サントロぺ、コルシカ、サルデーニュ(イタリアだけれどセレブご用達の場所がある)、などのブランドや地名が何度も出てくる。NYに出てきた妹にフェンディのバッグを買ってやるシーンもある。

そして、彼女が最終的に壊れたのは夫がフランス人のオペールとパリに行き、浮気ではなく本気になったと宣言したからだ。
並みいる他のセレブやセレブ志向の浮気相手と違ってただの「小娘」なのに、ヒロインにとっては一番こたえる「フランス人」というブランドに負けるのは致命的だった。

こういうのをフランスでフランス人たちといっしょに見ていると、その場になんとなく苦笑を誘う空気みたいなものが流れるのが分かる。

ウディ・アレンは、次は南仏を舞台にしたロマンティック・コメディに取り掛かるとインタビューで言っていた。

アメリカとフランスということでは、もうすぐ、リュック・べッソンが監督した、FBIの証人保護プログラムによってノルマンディで暮らすマフィアの一家を描いた映画Malavitaが公開される。ロバート・デ・ニーロやミシェル・ファイファーやトミ・ーリー・ジョーンズというアメリカ映画のスターたちがフランス的な場所でフランス人と共に演技するわけだ。

デ・ニーロにはイタリア系のイメージがあるし(この映画の総指揮を務めるスコセッシのイメージとも重なるので)、ファイファーはドイツ系のイメージ、ジョーンズは先祖にゴール人もいるがチェロキーインディアンの祖父母もいるということで、多様なルーツのあるアメリカ人がノルマンディの田舎にやってきて起こる事件(他のマフィア・ファミリーがのり込んでくる)がどのように描かれているか楽しみだ。
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by mariastella | 2013-10-21 00:55 | 映画
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